翌日。少年のことが気になるは、ずいぶん早く山に登った。いつもより余分に水や食料や救急道具を入れた荷物が少し重い。
少年に食欲がないかもしれないと思い、飲み込みやすい粥を用意して来た。容器に入れて何重にも包んでおいたが、中でこぼれていないだろうな? とは軽くかばんに触れる。異常なし。 道すがら小さな洞穴を見かけた。もし少年を動かせそうならここに連れてきた方がいいかもしれないと、は思う。 もっとも、それもこれも彼がまだ無事でいればの話だが。 はたして彼は、昨日と同じ場所にいた。変わらず木の幹に寄りかかり、 のマントを体に巻き付けていた。ということは少なくとも、夜の空気を寒いと判断する感覚と、自分でマントの位置を変える知恵と体力はあるということだ。呼吸はもう落ち着いており目を開けていたが、闇の中に落ちた砂金粒のようなその瞳は、何を映すでもなく虚ろだった。 はゆっくりと彼に近付く。 「大丈夫か? 生きてる?」 少年がわずかにの方を見た気がした。の心臓が早鐘を打つ。少年の眼光にはどこか人を気圧す力があった。 はふうーっと一つ息を吐くと、包帯替えてやるからな、と少年の太ももに手を伸ばした。 「……お前がやったのか。」 少年が喋り、は再びどきりとした。もしや彼を害した犯人がだと思われたのか、その声音が警戒の色を帯びていたから、は慌ててそうが手当てしたんだよと答える。そして努めて冷静に傷の処置を続けた。少年はの様子をじっと眺めている。が敵ではないと、分かってくれただろうか。 「、ってんだ。あんたは?」 黙っているのも居心地悪く、は口を開いた。少年はの様子をじっと眺めている。質問を急いてしまったかと、が気まずく手当てに戻った後になって、 「……技神まー。」 少年は呟くようにして答えた。 「技神まー、か。」 包帯の端をきゅっと結び、は彼の名前を復唱した。なんとか意思疎通できていることにも安堵して、は技神にちょっと笑顔を向ける。 「血は止まってるし、栄養とって大人しくしてりゃ大丈夫だと思う。腹減ってないか?」 は粥を取り出した。技神は注意深くと、出てきたそれを観察している。食えよ、とが示しても応じない。ただ、ほのかに漂う食べ物の気配に興味なくはなさそうだった。 もしかすると、まだ体を動かすことが辛いのかもしれない。は少し考えた後、自分でさじを持ち、粥を少量すくって技神の口元に近づけた。 「食えるか?」 技神は最初口を閉ざしたままだったが、ややあってぱくりとさじをくわえこんだ。戻ってきたさじは、空になっていた。 粥の量を増やしてもう一度さじを運ぶ。技神がぱくり。さじが空になる。さじを運ぶ。ぱくり。空になる。 技神はよっぽど腹が減っていたのか、獣のように柔順に、が差し出すがまま粥を口にした。 やがて容器がきれいになり、は美味かったか? と尋ねる。技神は一度ぺろりと唇に舌を這わせただけで、やはり答えなかったが、その目にはなんとなく生気が戻っているような感じもした。 「近くに洞穴があるんだ。」 食事道具を片付けながら、は行き道を思い出して言った。 「あそこなら雨風しのげる分、ここよかちょっとはマシだろう。歩けそうなら移動した方がいいと思うんだけど、どうだ?」 反応なし。かと思いきや、技神はの提案に納得したのか、立ち上がった。そして歩こうとし、がくんと大きくバランスを崩した。 「まー!」 とっさにが彼を抱き止める。瞬間、腕に乗った体重には驚いた。重い。この背格好の少年の体重ではない。しかもそれは、なんと表現したらよいのか、彼の内に秘めた強大な魂の、収めきれずにはみ出た分が噛み付いてくるような、黒々と冷えた重さだった。 は不気味に思ったが、いったん手助けをした以上放り出すわけにもいかず、大丈夫かと声をかけながら技神の体勢を戻してやった。呼気が触れ合うほどの距離で、技神のくすんだ金色の瞳の中にが見え、 「大丈夫だ……。」 すぐに遠ざかった。同時に不自然な重さも腕から退いた。技神が自分で歩こうとしてから離れたのだった。しかし右足を思うように動かせず、彼は再度傾く。 「ああ、無理すんなって。傷が開くぜ。」 はさっきの一瞬技神の瞳に閉じ込められたような気がして、まだ少しくらりと浮いた心地がしたが、なんとか平静を保ち言った。 「が肩貸してやっから、それで洞穴まで行こう。」 ほら、と差しのべたの助力を、技神は少し間を置いたのち受け入れた。 それでは技神を支えながら、洞穴までの山道を進んだ。の肩に乗る重量は、この背格好の少年のそれだ。ただに触れる彼の肌はとても冷たく、まるで人の体温が届かないどこか遠い遠い場所で、凍えているかのようだった。 ←前 次→ 戻る |