* 4 *






 男に追いつけたのは、あれほどの追走飛行の中でも乗客のダメージを最小限に抑えてくれたアーマーガアとドライバーのテクニックの高さゆえに違いない。あるいは火炎ボールによる翻弄が、相手のゴンドラを揺らしに揺らし、ポケモン泥棒の平衡感覚をすっかり奪い取っていたのかもしれない。
 とにかくとハウはポケモン泥棒を追い詰めた。隠れる場所のない砂塵の窪地の真っ只中で、男は大きな岩を背にし、たちをにらみつけている。ロージィは男の腕の中でぐったりしていた。暴れないように眠らされたか、気絶させられたのかもしれない。
「ロージィを……そのロゼリアを返して!」
 が叫ぶと、
「知らねえなあ。こいつは路地裏に一匹でいた野生のポケモンだ。俺がゲットしたポケモンを、返す義理なんてどこにもないね。」
 男は平然とそう言ってのけた。むっとハウが眉をつり上げる。
「嘘つきー。男の子たちから聞きだして、そのロゼリアが人のポケモンだって知ってて連れてきてるでしょー。それに自分でゲットしたなら、そんなに弱ってるポケモン抱えて歩かないはずだよー。その子のモンスターボールはー?」
 反論され、男はあからさまにどきりとした。そして、あっさりと逆上し罪を認めた。
「う……うるさいうるさい! 俺にはどうしても色違いのロゼリアが必要なんだ。けど色違いのポケモンなんて簡単に手に入らねえだろ。だから仕方なかったんだよ! 彼女を振り向かせるためには、色違いのロゼリアをプレゼントするしかねえんだ! 俺の人生がかかってるんだよ!」
 最後のほうはひっくり返った金切り声になっていた男の主張を、しかしとハウは冷ややかに聞いていた。
「でもー、だからってポケモン泥棒していい理由にはならないでしょー。それにねー、残念だけどそのロゼリア、本当は色違いじゃないよー。」
 なに、と手元を確認した男が、いやちゃんと青黒の花じゃねえかと怒号を発する前に、「色違いに見えるように、花用のパウダーで染めてるだけなんだよ」とが先手を打って補足した。
 大きく開いた男の口は、出そうとした言葉を失って、二回ほどぱくぱくと動いた。やっと飛び出した音は、やけっぱちに引きつっていた。
「そ、そ、そんな子供だましの嘘に引っかかるかよ!」
「いやいやー。だからお兄さんが今、子供だましの嘘に引っかかってるって教えてあげてるんじゃんかー。」
「黙れ黙れ黙れ! とにかく俺は何がなんでもこのロゼリアを連れていくぞ! 誰にも邪魔はさせねえ!」
 そうわめいた後、男は黒い石を取り出し、ためらいなくぽんと放り捨てた。石は近くにあった岩の割れ目に転がりこみ、直後、赤い光がほとばしる。さらに男は一個のモンスターボールを取り出して、その光の中に投入した。
「いっけえぇ、カビゴン!」
 光の柱の中で、ボールから解放された影がみるみるうちに膨らんだ。現れたのは、山のような巨体のポケモン――いや、腹の上に木や茂みや花園を生やし、何人の妨害に遭っても動かざる決意を具現したかのようなその体は、もはや山そのものと言って差し支えなかった。
「キョダイマックスカビゴン……!」
 とハウはその威圧感に思わず一歩後ずさったが、相手のポケモンがダイマックスできるということは、こちらのポケモンもダイマックスできるということだ。
「ハウ。」
 は名を呼んで、ダイマックスバンドを着けたハウの右手をきゅっと握った。ハウはの目を見て、こわばった面持ちをふっとゆるめた。
と一緒なら、絶対大丈夫だ。」
 対抗の意思は固まった。相手に話し合うつもりがないなら仕方ない。こちらもダイマックスポケモンで応戦だ。
 ハウはとつないだ手をいったんほどくと、右手の中にインテレオンのモンスターボールを握りしめた。ダイマックスバンドからあふれる光を吸って、ボールは赤く輝くダイマックスボールに変化した。ハウはそのボールを両手で抱え持つと、目を閉じて軽く額を押し当てた。はハウの手を包むように自分の手を重ね、ダイマックスボールを共に支えると、ハウと同じように額を当てた。
「お願いインテレオン……おれたちに力を貸して!」
 祈るようにハウがつぶやく。
 顔を上げて互いを見つめ、とハウは呼吸を合わせる。
「「せー、のーっ!!」」
 勢いをつけたゼンリョクの下投げで、二人はインテレオンのダイマックスボールを高く放り上げた。空中でボールがはじけ、砂嵐越しでもなお輝きを失わない爆発的な光の中で巨大化しながら、インテレオンが姿を現した。人間一人くらいすっぽり入ってしまいそうな大口から放たれた咆哮は、普段の紳士的で物静かな鳴き声とは違い、空気をつんざく振動となって大地を揺るがした。
「インテレオン!」
 叫ぶハウの表情に迷いはなかった。どんなにポケモンが大きくなっても、遠くにいるように見えても、自分の気持ちが必ずインテレオンに届いていることを、彼はもう信じられていた。だって、と一緒に思いを込めて、ダイマックスボールを投げたのだから。
「ダイストリーム!」
 インテレオンが構えた指先に水泡が集まる。集合した奔流は巨大な水の弾丸となって、そびえる山を撃ち抜いた。衝撃ではじけ飛んだ数多の水玉が、雨となって降り注ぐ。ダイマックスのエネルギーが技を通じて大気にも作用するのか、雨はそのまま降り続け、舞い散る砂を落とし、地上のたちの肌を打った。
 もちろん対峙している男の上にも、彼が抱えているロージィの両花の上にも、大粒の水滴が落ちる。雨はロージィに付いたパウダーを洗い流し、青紫の花びらは真紅に、漆黒の花びらは濃青に変化していく。やがて現れたごく一般的な色のロゼリアを、ポケモン泥棒は呆然と見つめた。
「なん、だ、こりゃあ……!」
 彼は青色と黒色になってしたたる雨水が服を染めていくのにも気付かず、カビゴンに指示を与えるのも忘れていた。
 だが、カビゴンはなかなか賢いポケモンだった。あるいはそれは、特に意思のない寝相のようなものだったのかもしれない。とにかくカビゴンはトレーナーの指揮を失ってもなお、寝そべった体を揺らして大地を割るような衝撃を起こし、インテレオンに攻撃を仕掛けてきた。
 猛攻に耐えるインテレオン。頑張れ! 踏ん張って! と雨にも負けない声を張りあげたとハウの応援に、インテレオンは重厚な鳴き声を響かせて答えた。
「よーし、一気に決めようインテレオン! おれたちのゼンリョクの、ダイストリーム!」
 ハウの掛け声に合わせ、インテレオンが狙いを定めた。現れた水球は降りしきる雨粒を巻きこみ、先の弾よりも大きな水の槍となって、激しくカビゴンの急所を貫いた。
 ずどんと山の崩れるような音がとどろき、赤い光が爆発した。ようやく爆風が収まった時には、元の大きさに戻ったカビゴンが、男の側で目を回していた。
 やっとの思いで入手した色違いのロゼリアは偽物。切り札になるはずだった砦は戦闘不能。
「くっ……そおぉ!」
 ポケモン泥棒にはもはや絶望しか残されていない、かと思われた。
 しかしカビゴンをモンスターボールに戻した次の瞬間、男はロージィを投げ捨て、がむしゃらに走り始めていた。
 あっ、ロージィ!
 この期に及んで逃げるつもりか!
 助けなきゃ!
 捕まえなきゃ!
 とっさのことに渋滞を起こしたの思考に、風穴を開けてくれたのはハウの声だった。
「ロージィはおれが! はゴリランダーと一緒に泥棒を追いかけてー!」
「わ、分かった!」
 そうだ。ゴリランダーなら木の根を操って、走るよりも速く男を捕まえられる。は男を追って駆けだしながらモンスターボールをつかみ、思いっきり前方に投げた。
「ゴリランダー、ドラムアタック! ポケモン泥棒を捕まえて!」
 ウオォッとうなりながら飛び出したゴリランダーは、空中ですでに切り株ドラムを用意し終えていた。着地するやいなや激しいドラム音が響き渡り、地中から猛スピードで現れた木の根が逃げる男を捉えようとした、まさにその時。男の足がふわりと空中に浮かびあがった。
「ウォーグル、エアスラッシュ!」
 上空から降ってきた風の刃が、ゴリランダーの操る木の根をずたずたに裂いた。
 男がウォーグルの脚につかまって、空からにやりとたちを見下ろしていた。
「はっはー! 俺の手持ちがカビゴンだけだと思ったか! そのロゼリアにもお前らにも、もう用はねえ。あばよ!」
 待て! とが叫んで待つはずもなく、男とウォーグルはぐんぐん上昇していく。あれではゴリランダーの木の根は届かない。どうしよう、何か手段は、とが必死に考えを巡らせた時だった。
 黒い影が二つ、ウォーグルよりもはるかに速く上昇すると、鉄色に輝く翼の一打ちを同時に食らわせ、逃走者をたたき落とした。
「今だお客さん! そいつを捕まえろ!」
 それは背中に人を乗せた、二羽のアーマーガアだった。そらとぶタクシーのドライバーたちが、に加勢してくれたのだ。
 ゴリランダーが気合いに満ちた声を発した。決めるなら今しかない!
「ゴリランダー、ウッドハンマー!」
 切り株ドラムがビートを刻む。律動に応じてうごめく根っこは、からまり、合わさり、自身で自身を編みこむようにして、巨大なハンマーを形作った。ゴリランダーがドラム連打のフィニッシュを決めた時、ハンマーは勢いよく振り下ろされ、ウォーグルが再び空に舞い上がろうとする意思にとどめを刺した。
 さらに木の根は攻撃を終えた後、ハンマーの形を崩して檻となり、ポケモン泥棒を閉じこめた。
「おおっ、ゴリランダー、ナイス!」
 思わずが歓喜の声を上げると、ゴリランダーはライラックの花を揺らして振り返り、誇らしげに牙を見せた。
ー!」
 ハウがとゴリランダーに駆け寄った。ハウが腕に抱えたロージィは、もうすっかり元気を取り戻していた。きっとハウが回復薬を使ってやったのだろう。
 とハウは急いで根っこの檻に近づく。隙間からのぞくと、ポケモン泥棒はウォーグルと一緒に目を回して伸びていた。
 二人の側にゆっくりと降りたったのは、アーマーガアたちだった。大きいほうのアーマーガアに乗ったドライバーが、檻を眺めてたちの成功を確認し、親指を立てた拳をぐっと突き出した。
「やったな、お客さんたち!」
 とハウも、ガラル交通トップクラスのベテランコンビに、同じサムズアップで応えてみせた。



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