そんなふうに天体観測の時間を満喫していたら、ノックの音が部屋に響いた。
「お、マーくん終わったかな。どうぞ。」 マーレインの招きに応じて扉を開けたのは、思った通りマーマネだった。足元にはトゲデマルを連れている。 「アローラ、マーマネ、トゲデマル!」 早速とハウは両手で円を描き挨拶した。最初に答えたのはトゲデマルで、チュッチュッと高い鳴き声を上げながら部屋に駆け入った。マーマネはマーレイン以外の人物がいるのに気がついて一瞬足を止めたが、その人物たちがとハウであることを知ると、すぐに表情をやわらげた。 「アローラ、、ハウ……。びっくりした。星を見に来たの?」 従兄と同じ内容の質問に、は心の中でくすっと笑う。 うん、それもあるんだけどー、とハウが答えた。 「今日はマーマネとマーレインさんに会いに来たんだよー。」 「わ、そうなんだ。」 とマーマネは言葉少なに驚いたが、友人の来訪がまんざらでもないことは、ふにゃりとゆるやかな曲線を描く眉によく表れていた。 とハウは、リーリエに送ろうと思っている手紙のことを話した。さらにマーマネを待つ間に天体観測をしていたことを、マーレインが付け加えた。 「ああ、そうか。今日はメテノの観測好適日でもあるから……。」 「そういうこと。というわけで二人に夜空を見てもらっている間、ぼくは寄せ書きを書き終えたよ。よかったらぼくのメッセージの横にマーくん、どうだい?」 「寄せ書き……。」 マーマネが再び緊張の色を浮かべたので、ハウは先に写真を撮ろうかと提案した。 「撮影している間に、何を書くか考えてくれたらいいからさー。」 「う、うん。分かった……。」 マーマネはやっぱり緊張している。しかしそれをおしてでも、精一杯とハウに協力しようとしてくれているのが、よく伝わってきた。 部屋の電気を点けた後、マーマネとトゲデマルとマーレインが天体望遠鏡の前に並び立った。画面に映るマーマネの顔はすっかりこわばってしまっている。しかし「マーマネ笑ってー」と声をかけるとますます固い表情になってしまったので、はそれ以上余計なことは言わずにシャッターを押すことにした。 撮れた写真に写っていたのは、やわらかな微笑みを浮かべているマーレインと、楽しそうなトゲデマル、それから、姿勢も表情もかちこちのマーマネだった。 「まあ、これはこれでマーマネらしくて良いと思うよー。」 ロトム図鑑の画面をのぞいて、ハウがそっと耳打ちした。 撮影結果を確認したマーレインたちも、特に不満はなさそうだった。マーマネが写真に写るのが苦手なことは、周知の事実のようだ。 その後マーマネは、約束通り寄せ書きに向きあった。マーレインの机を借りて、本や書類や機械部品の隙間になんとか作ったスペースに紙を広げ、うーんとうなる。トゲデマルが机の上に飛び乗り、マーマネの真似をしてウーンと細いうなり声を上げた。 「あのー、無理しなくてもいいからねー。書けたらでいいから。」 「大丈夫……マーマネはやればできる子です……。直接話すのは苦手だけど、手紙なら……。」 そしてマーマネは紙にぐっと顔を近づけると、ペンを握る手を動かし始めた。トゲデマルがふるふる動くペン先を面白そうに目で追いかけている。 マーマネ大丈夫かなあと心配になったがマーレインを見やると、彼はちょっと目を細くし、「信じて見守ってやってくれ」と無言で伝えてきた。 「そうだ、くん、ハウくん。望遠鏡の後は、肉眼で星空を観察してみないかい。流星群はレンズ越しよりも、直に見るほうが向いているんだ。」 そう言ってマーレインが、窓辺で二人を手招きする。とハウは再び床のどこに足を運ぶか慎重に選びながら、星空の見える位置に移動した。二人が落ち着いたのを見て、マーレインは部屋の電気を消した。 所長の部屋というのは、やはりそれなりに特別な設計がされているのだろう。私有の天体望遠鏡を設置できるのもさることながら、窓から眺める景色も相当のものだった。街の光を寄せつけないホクラニの山影の上に、めいっぱい広がる星、星、星々、星。空の色や光の強さは一定ではなく、どこに目をやっても全然違う表情を見せてくれた。 「あっ、流れ星!」 ハウが指差す。どこどこ? と探すの視界の中で、たぶんハウが見たのとは別の光が、つっと夜空に線を描いた。 「おお、もうピークに入ったのかな。二人ともなかなか運がいいね。」 「願いごとしなきゃねー。えっとーえっとー。じーちゃんみたいに立派なしまキングになれますように!」 手を組み目を閉じたハウが祈っているうちに、また一つ星が空を走った。だからきっとハウの願いは叶うだろう。はそっと微笑んだ。 「書けました!」 突然マーマネの声が響いた。寄せ書きを書き終えたらしい。どれどれ、とマーレインが机に近づき、マーマネの努力の結果を確認した。 「いいね。よく書けてるじゃないか、マーくん。」 「えへへ……。」 従兄に誉められて、マーマネは素直に喜んだ。喜びついでにマーマネは、ぬしポケモンを呼ぶ機械の調整結果を報告した。どうやら首尾は上々らしい。明日の試練への準備はばっちりだそうだ。 「けど欲を言うならもう一押し……。デンヂムシから電気をもらう回路だけど、問題は……」 専門的な話を始めたマーマネとマーレインの会話は、とハウには理解できないものだった。けれどもその目の色はよく知っている。それは例えば二人がポケモンバトルをする時のような、大好きなものに真剣に向き合う時の色だった。一生懸命説明するマーマネと、それにうなずきや提案を返しながら優しく従弟を見守るマーレインの顔は、薄暗い部屋の中で特別輝いて見えた。星というのは夜空を見上げなくても、案外近くで見つかるものなのかもしれない。 「、。」 ハウがの肩をちょんちょんとたたき、ロトム図鑑を呼んでよー、とささやいた。 「はーい、ボクにご用事ロト?」 一通り所長部屋の見学を終えていたロトムは、の手招きにすぐに応じた。やって来たロトム図鑑をハウが構え、に画面を見せた。 「この構図、どう?」 楽しそうに語りあうマーマネとマーレインの姿が、そこには映っていた。先程のレンズを意識したがちがちの笑顔とは全然違う、彼らが一番彼ららしく笑っている絵だった。しかも手前には、いつの間にこちらへやって来ていたのだろうか、トゲデマルもいる。トゲデマルはマーマネと一緒に遊んで悩んで疲れてしまったらしく、今はすやすやと眠っていた。 はハウに向かってうなずいた。それでハウは、シャッターを押した。パシャッと軽やかな音が部屋の静寂を裂いたので、マーマネとマーレインは少し驚いてたちの方を見た。 「ごめんねー。二人ともすっごくいい顔してたから、黙ってシャッター切っちゃった。ロトム、撮れた写真を二人に見せに行ってくれるー?」 「了解ロト!」 ロトム図鑑がすぐさま二人の所へ飛んでいった。不意に聞こえた異音の出どころを理解したマーマネたちは、手元にやって来たロトムの画面に映しだされた写真を見て、おおっと小さく声を上げた。 「さっきの写真よりずっといい顔してるよ、マーくん。」 「うん……トゲデマルの寝顔も可愛く写ってて、いい感じ。ぼく、こっちをリーリエに送ってほしいな……。」 「うん! おれたちも今そうお願いしようと思ってたところー。」 意見は満場一致した。四人分の笑顔を交わした後、 「そういえば流れ星は見えた?」 とマーマネが尋ねた。 「うん、見えたよー。ちゃんとお願いもしたー!」 「そっか。ぼくも、見えるかな。マーさんも一緒に見よう。」 マーマネとマーレインは机を離れ、窓辺のたちの隣に来た。四人がごそごそと場所取りする音でトゲデマルも起きだし、こちらに寄ってきたので、マーマネはトゲデマルを胸に抱えた。 「あ、流れた!」 しばらく観察を続けた後、最初に天を指したのはマーマネだった。少ししても一筋の光を見る。ハウも同じ場所を見ていたようで、「こっちにも流れたー!」とが思ったのと同じタイミングで声が聞こえた。 「流れ星の写真……うーん、ボクの機能じゃ上手く撮れないロト。」 ロトムが残念そうに言うので、写真はいいから一緒に見よう、とは図鑑ごとロトムを抱えた。写真を撮ることこそが自分の役割だとはりきっていたロトムは、少しびっくりしたようだった。けれども照れたように小さくかすれて聞こえた電子音は、なんだかとても嬉しそうだった。 「やっぱり星はいいね。」 マーレインがしみじみ言った。 「ここのところ報告書やらデータ処理やらにばっかり追われててさ。天文台の職員なんだから、やっぱり数字だけじゃなくて星も見ないとね。」 「マーさん……お疲れ様。」 「ごめんなさいマーレインさん……お忙しいところ。」 しゅんと心配そうに眉を下げたマーマネと、突然の訪問を詫びたとハウに、マーレインは慌てて「そういう意味じゃないよ。お気遣いありがとう」と笑った。そしてまた夜空を見上げた。 「ぼくは仕事でも趣味でも、肉眼でも望遠鏡でも、もう何度だって星を見ているけど、いまだに不思議な気持ちになるよ。この宇宙には、一体どれだけの世界があるんだろうってね。」 「世界……。宇宙は広いってこと?」 マーマネの質問に、うーんそれもあるけど、とマーレインは言葉を考えた。 「例えば今ぼくらは星を見ているだろう。これは光を見ているわけだ。ぼくらが認知できる可視光線の景色を見ているということだ。だけど星を見る手段は可視光線だけじゃない。電波で観測することもある。そして可視光線と電波とでは、星は全然違う表情を見せてくれるんだ。」 電波で観測? と首を傾げたハウに、「外に大きなお椀みたいな物があったでしょ。あれがそのための機械……パラボラアンテナ」とマーマネが補足した。へえーっとハウが感心した声を上げた。 「科学の力ってすごいんだねー。」 「そうさ。そして同じものを同じ観察方法で見ても、人により感じることは全然違う。ポケモンだとなおさらだ。可視光線の領域が違うからね。」 「ケテー! ボク、人間に見えないもの、いっぱい見えるロ!」 「そうだね。ロトムくんもそうだし、例えばジバコイルなんかも、電波を人間よりずっとよく『見る』ことができるんだよ。だからぼくのジバコイルは、バトルだけじゃなくて仕事でもすごく頼もしいんだ。」 天文台に着いた時、マーレインがジバコイルに何か話しかけていたのを思い出した。きっとジバコイルに仕事の手伝いをお願いしていたのだろう。違う景色が見えるからこそ、人間を助けてくれるポケモン。は思わず抱えているロトム図鑑のつややかな感触の上で、指先を滑らせた。 「ご存じの通り、星そのものがすごい数存在するだろう。なのに見え方にもこんなにいろいろある。ぼくが今見ているものは、実はきみが見ているものと全然違うかもしれない。だけど、だからこそぼくたちがこの広い宇宙の中で出会い、同じ時間と場所を共有して一緒に生きているのって、奇跡みたいだと思わないかい。」 あ、とマーレインはそこで言葉を切り、「流れ星」と空を指した。 可視光線で観測できる満天の星が、相変わらず広がっていた。 ハウにはこの空が、どんなふうに見えているだろうか。 そう思いながらハウの横顔を見ると、同じようにこちらに顔を向けたハウと目が合った。ハウはにこっと頬をゆるめる。ほのかな星明かりの下だったからだろうか。その笑顔は元気いっぱいのエネルギーをはじけさせる太陽よりも、愛しい人の寝顔を夜の中で見守る月にたとえるほうが相応しい気がした。 「きっと、ぼくら天文台の職員が電波や可視光線で宇宙を観測できたと思っても、それは宇宙のほんの一側面に過ぎない。ぼくらにはまだ見ることすら叶わない世界が宇宙には広がってるんだろうなって考えると、ものすごくわくわくしてくるよ。だからぼくは、星を見るのが好きなんだ。」 ちょっと熱っぽいマーレインの言葉に、もハウもマーマネもうなずいた。「ボクも知らないものをいっぱい見るの、とてもわくわくするロ!」とロトムが賛同する。話を理解したのかは分からないけれど、トゲデマルまできゅきゅっと高い声を出した。 そして広い宇宙のほんの一側面に過ぎない、今この瞬間の光景を、みんなで眺めて共有した。 次(8.アセロラの写真)→ ←前(7.マーマネとマーレインの写真 前編) 目次に戻る |