ポータウンの近くにぽつんとたたずむ交番の扉を開けると、何匹ものニャースたちがにゃあにゃあ騒がしい声を上げながら、部屋の真ん中に群がっていた。どうやら食事の時間のようだ。群れの中央でポケモンフーズの箱を手にしているのは、黒い警官服に身を包んだ中年男。しまキングのクチナシだった。
「クチナシさん。リリィタウンのハウです。もう一度おれと大試練のバトルをしてください。」 フーズにがっついたり隣と小競り合いをしたりするニャースたちのもごもごとした騒ぎの中、ハウの声はりんと響いた。 クチナシは少しハウを見やった後、おもむろにフーズの箱を棚にしまいながら、はあーと静かにため息をついた。 「こういう時だけは、しまキングを引き受けたこと後悔しちまうなあ。」 ハウはクチナシから視線をそらさぬまま、ぎゅっと口を結んでキングの返答を待った。その真顔は、ニャースのささいな喧嘩がもぐもぐと続く部屋にあまりにもそぐわなかったのだろう。クチナシは気の抜けた様子で、分かった、分かってるよと笑った。 「島巡りトレーナーの真剣な気持ちを踏みにじる趣味は持ってないもんでね。諦めないあんちゃんの覚悟、見せてもらおうじゃないの。」 場所はもうそこでいいだろ? とクチナシは交番前の道路をあご先でくいと示す。ハウはうなずき、クチナシに続いて外に出た。 「何体でもいいぜ。」 ポケモンが対面するための場所を十分に空けて、ハウと向かい合ったクチナシは言った。バトルするポケモンの数のことだった。 「おれは三体でいくからよ。」 手の内を明かすとはずいぶんな余裕だった。だがハウはそれを侮辱とは捉えない。むしろ、そのハンデを与えるだけのバトルをするつもりだという宣言だと受け取り、ぴりりと身の引き締まる思いだった。交番でニャースたちに接していた時のくたびれた警察官の眼差しは、いつのまにか威厳あるしまキングのものに変わっていた。 よろしくお願いします、と一礼して、ハウはモンスターボールを手に取った。 「頼んだよ、ブースター!」 光の中からブースターが姿を現し、威勢よく吠えた。 クチナシがボールを投げたのはそれからワンテンポ遅れてのことで、しかし光は飛びだした瞬間、もうブースターの目前に迫っていた。 ヤミラミ、とハウが判断したのと、ヤミラミの両手がぱあん! とブースターを一打ちしたのはほぼ同時だった。ブースターは突然の攻撃に面食らって目をぱちくりさせ動けずにいる。 「ねこだまし、おじさん得意なんだよ。」 にやっとクチナシの唇が描いた弧は、ヤミラミのタイプをまるで体現していた。 クチナシがいつ指示を出したのか分からなかった。バトルに熟練したしまキングのなせる技か、あるいはポケモンとの揺るぎない絆のおかげなのか。 だがポケモンとの絆ならハウにだって自信があった。イリマさんと一緒に、あんなにたくさん修行したじゃないか。おれがひるんでどうする、とハウは一つ息を吸い、自らを落ち着かせた。 「ブースター! フレアドライブ!」 ハウの号令にブースターも我に返ったようだった。自らを落ち着かせるように息を吸うと、吐き出した炎をまとってヤミラミに突進した。強烈な激突に、ヤミラミはなすすべなく沈む。 「へえ……やるな。」 ヤミラミをボールに戻しながらクチナシがつぶやき、次に繰り出したのはワルビアルだった。 地面タイプのポケモン。ブースターにとって不利な相手だ。その上ワルビアルはバトル場に登場するやいなや、そのおたけび、顔つき、体格のすべてを使って対面者を威圧する。ブースターは、じりとわずかに後退した。 「大丈夫だよ、ブースター。必ずおれたちが勝つ。つぶらな瞳でワルビアルを見つめて。」 ブースターの後退が止まった。ハウに背中を預け、ブースターはじっとワルビアルを見つめた。にらみ返しとも異なるブースターの黒い瞳に戸惑ったのか、今度はワルビアルがじりとわずかに後退した。それでクチナシは、ハウが何を仕掛けたのか理解した。 「ブースターの目を見るな、ワルビアル。地震!」 大きな咆哮と共にワルビアルが大地を踏み揺るがした。激しい衝撃と砂煙に飲まれ、ブースターが倒れる。ハウがボールをかざす動作は早かった。今のブースターではどうあってもこの攻撃に耐えられないことは分かっていた。 「ありがとう、ブースター。ごめんね……。でも、きみの力は無駄にはしない! アシレーヌ!」 この強敵に立ち向かうためハウが選んだのは、手持ちポケモンたちの中で最も長く時間を共にしたパートナーだった。タイプ相性も申し分なし。絶対に負けないという強い決意が、掲げたZリングを輝かせた。アシレーヌも承知し、自らの中に膨らむ力を、ハウの呼吸に合わせて技の形に練りあげる。 「登場即Z技か。なかなか攻める選択だねえ。オーラごと飲みこめワルビアル!」 再びワルビアルの放つ大地の強い揺れがアシレーヌを襲った。繰り返される振動にとうとう地面のほうが先に悲鳴を上げてぱっくりと裂け、その衝撃で飛び散った岩塊が運悪くアシレーヌの急所に当たった。 だがアシレーヌは崩れなかった。ブースターが残した真っ黒な瞳の残像がワルビアルの攻撃を鈍らせてくれたおかげで、ぎりぎりのところで耐えきった。 直後、ハウとアシレーヌの思いを乗せた輝きが技として具現する。 「スーパーアクアトルネード!」 どこからともなく現れた大量の水が津波となり、ワルビアルに襲いかかった。もはや激流そのものと化したアシレーヌが弾丸となって突進し、らせんの軌跡で何度も攻撃を放つ。渦の中心に捕らわれたワルビアルに対抗手段はなく、すべての水が引いた時には一指も動くことなく倒れ伏していた。 「やっ、た。」 Z技はポケモンだけでなくトレーナーにも大きな負荷をかける。地震によって大ダメージを受けたアシレーヌと同じく、ハウもずしりとのしかかる疲労感にあえぎながら、ワルビアルの体が光となってクチナシのモンスターボールに収納されるのをなんとか見届けた。 「まだ終わってねえよ、あんちゃん。」 休憩する間も与えず、クチナシが最小限の動作でボールを投げる。飛びだした光は形になる前に一気にアシレーヌの目前に迫り、 (ペルシアンのねこだまし!) ハウがそう判断できたところでどうにもならなかった。ワルビアルの地震で相当の体力を失っていたアシレーヌは、素早く不意を突くことだけに特化したその攻撃にすら、耐えることができなかった。 「悪いね。得意技を一回しか見せてやらねえほど、おじさん甘くねえんだ。」 倒れたアシレーヌに、ハウは黙ってボールをかざす。アシレーヌが手元に戻ってきた時だけ、少し口を開いてその健闘を労った。 それからハウは、次の獲物の出現をじっとり待ちかまえているペルシアンの前に、ライチュウを繰り出した。 「相性、悪ぃぜ?」 クチナシが問うたが、もちろんハウに待ったをかけるつもりはない。それを分かっていてわざと尋ねたのであろうクチナシの顔は、一度目の挑戦の時よりもずっと楽しそうに、ハウが出す次の手を観察しているようだった。一方的な敗北試合では見ることのなかったしまキングの、いやポケモントレーナークチナシの表情を見て、ハウの胸に熱い思いがこみあげた。 おれ、強くなってる。おれは間違ってなかったんだ。あとは勝利という形でそれを証明するだけ。 くつくつと震える感情をまだ気早だと抑えつけ、ハウは対戦相手をきっと見据えた。 「ライチュウ、気合い玉!」 「悪の波動で迎え撃て!」 ライチュウが放つ闘魂の玉。ペルシアンが放つ悪意の波。二つのエネルギーが真っ直ぐ相手に狙いを定め、ちょうどバトル場の中央でぶつかった。すさまじい爆風がポケモンの後ろに控えるトレーナーにまで襲いかかり、ハウは撒きあがる砂ぼこりを防ぐため腕で目を覆った。直後、ハウの左方でどさりと生身が地面にたたきつけられる音がする。 「ライチュウ!」 あまりの衝撃にライチュウが吹き飛ばされてしっぽから落ちてしまっていた。が、バランスを崩しただけで、まだ戦うことはできそうだ。ひとまずほっとして、改めてペルシアンの動きを見定めようとしたハウの目に飛びこんできたのは、収まりつつある煙幕の向こうですでに攻撃態勢に入ったペルシアンの、燃えるような赤い口だった。 「く、来るよー! 十万ボルト!」 「遅い。第二波だ。」 ライチュウがやっとしっぽの上に立った時、ほお袋が電気をまとう暇もなく、黒々とした悪の波動がライチュウを飲みこんだ。再びしっぽから落ちたライチュウは、今度こそ浮かぶことができなくなっていた。 「少しの油断も、命取りになるぜ。」 厳しい口調でクチナシが諭す。油断していたつもりはなかった。それでも先走った勝利へのわずかな陶酔が、ほんの少し相手からそらしてしまった視線が、大きな失態につながった。そういう領域のバトルに、もうたどり着いているのだ。 望むところだった。 ハウはライチュウをモンスターボールに戻すと、静かに息を整えた。 「よくやったよー、ライチュウ、ありがとう。」 タイプ相性の不利を覆せなかったとはいえ、ライチュウの気合い玉はペルシアンにとって確実に大きな一撃となったはずだ。ゆらり、ゆらりと、よろめいているのか身構えているのか分からない動きで待つペルシアンと、その向こうにいるしまキングの姿をしっかりと捉えて、ハウは最後のモンスターボールを手に取った。 「ネッコアラ、出番だよー!」 登場したネッコアラは、いつものように眠ったままだった。戦うつもりがあるのかと、ペルシアンが逆に警戒心をあらわにして寝顔をのぞきこんでいる。 「おれの最後のポケモンです。」 ハウが宣言すると、クチナシは少し眉を上げた。 「いいのかい、そんなこと言っちゃって。おじさん手加減しないよ?」 「ありがとうございます。」 その返答を、クチナシは気に入ったようだった。 少しの間。雌雄を決する時が近いのを、お互い分かっていた。相手が何を感じ、考え、答えを出すのか。全神経を集中させて探るための時間だった。 先に動いたのはクチナシだった。両腕を顔の前で交差させ、大きく回して胸の前に突き出す。左手の腕輪にはめこまれた黒い石がきらりと輝いた。その光はクチナシの動きに呼応して、大地から、空気から、あふれる力をペルシアンに注ぎこむ。先の悪の波動とは比べ物にならないほどの、巨大なエネルギーのうねりが場に満ちた。それがペルシアンの体に収束し、黒々とした球を作り出した、その時。 ハウの口が、指示の言葉を短く紡いだ。 瞬間、ネッコアラの姿がペルシアンの視界の外に飛びだした。ダメージを最小限に抑えるため構えていたかと思われたネッコアラの唐突な動きを、自分のゼンリョクだけに集中していたペルシアンは捕まえることができなかった。対象を失って焦るペルシアンがあっと思った時には、ネッコアラの体がもう目前に迫り、鋭い殴打が突き刺さった。 ネッコアラの「不意打ち」だった。 発動直前まで高まっていたオーラが、ペルシアンの体勢が崩れると共に霧散する。どっと倒れたその体は、起きあがること叶わなかった。先にライチュウの気合い玉が命中していたからだった。そのためにアシレーヌが強敵ワルビアルを下し、ライチュウにつないだからだった。そしてそのためにブースターがワルビアルの攻撃に黒い瞳でかせをはめ、最初のヤミラミを捨て身の猛攻で突破したからこそのことだった。 ハウとポケモンたちが、勝った。 「お見事。」 ペルシアンの姿が光に溶けてボールに吸いこまれる。クチナシはにやりと微笑んで、まだ呆然とバトル場を見つめるハウとネッコアラが、結果を認識するのを待っていた。 「勝った……。」 ハウがぽつりとつぶやく。深いため息とともに、ゆっくりと肩が下りた。 「わーっ! 勝ったよー! ネッコアラ!」 それから勢いよくネッコアラに駆けより、地面から拾いあげるとぎゅうっと抱きしめた。 「ありがとー! よく頑張ったねー!」 バトル中の勇ましい表情はどこへやら、年相応のはしゃぎっぷりでネッコアラをなでまわし、高く掲げ、くるくると回るハウを、クチナシはやれやれと眺めてひとりごちた。 「理想に伴わせる手段を見つけちまったか……。」 それからクチナシはおもむろにハウに近づくと、そら、と何かを握った右手を差し出した。 「アクのZクリスタルだ。大試練達成、おめでとよ。」 ハウはネッコアラを腕にくっつけたままクチナシに向き直ると、謹んでクリスタルを受け取った。 「ありがとうございます、クチナシさん。」 「なに、しまキングのお仕事ってやつだ。あんちゃんたちなら、ポニの試練も大丈夫だろ。」 クチナシがにっと口の端を上げた。 「行きな。行きたいところまで。」 それは世間の酸いも甘いもかんだ中年男のニヒルでいびつな笑みだったが、奥には年少者を見守るキングの、深い優しさが隠れていた。 ハウはネッコアラの顔を見つめた後、満面の笑みと力強いうなずきでクチナシの言葉に答えた。ハウの腕にしがみついたまますやすやと眠るネッコアラが、同時に同じ表情を浮かべたのが、その何よりの裏打ちだった。 次(ハウとカプ・コケコ)→ ←前(ハウとネッコアラ 第2話) 目次に戻る |