ハウとカプ・コケコ





 静。聖。あるいは、生。
 その空間を表現するには、そんな言葉が相応しかった。風の音も生き物の声も届かない閉じた場所に、しかし確かに脈打つ命の息吹が感じられる。大地の鼓動、とでも言うのだろうか。
 空よりも海よりも透明な空気を深く吸いこみ、吐きだし、ハウは目を開けた。祭壇の石像と目が合った。神にじっと見つめられているような気がした。
 いくさの遺跡。リリィタウンのほど近くに、闘神カプ・コケコを祭るほこらがあった。近くとはいえ、山道を越えてつり橋を渡った先にある場所だ。辺りに住居もなく、今はハウ以外に人の気配はなかった。
 ハウはこの遺跡に何度も来たことがあった。しまキングとして定期的に訪れる祖父のハラにくっついて、入口周りの雑草を抜いたり、祭壇の拭きあげを手伝ったり、正座して何事かを唱えるハラの隣で神妙な顔つきを真似してみたりした。
 けれども一人でやって来るのは、今日が初めてだった。初めてハウは、一人で遺跡の前に立ち、周囲を掃除し、祭壇を清め、神を象った石の前に正座した。

「オ、カプ・コケコ、カヌイロア。」

 祖父に教えてもらった音を、ハウはおもむろにつむぐ。それはアローラの古い言葉で、神の偉大さを讃える文言だった。
 声は思ったよりもずっと大きく祭壇の間に響いた。鏡のような湖面に石を一つ落とすのにも似た、静かでゆったりとした波紋が空間を揺らしていくのを感じた。
 それはアローラリーグ設立の報を受け、頂点に立つ可能性への期待と緊張に高ぶるハウの気持ちをも鎮めていく、心地よい揺らめきだった。
 アローラリーグが完成したと聞いた時、まず思い浮かんだのはのことだった。無事だろうか。いやきっと無事だ。は今まで出会ったどのトレーナーにも劣らない、類い稀なる強さの持ち主だ。きっとポケモンたちと力を合わせて、ルザミーネさんとグズマさんを連れ戻したに違いない。今頃、同じようにアローラリーグのことを聞いて、挑戦を決意したところだろうか。
 と共に行くことをハウは選べなかったし、選ばなかった。自分にはすべきことが他にあると分かっていた。自らの弱さを認め、揺るぎない強さを得ること。それが達成されるまでは、と並び立つことはできないと、知っていた。
 今、ハウの側にはその思いを分かち合ったポケモンたちがいる。四つの島のキャプテンやしまキング、クイーンから授かったクリスタルが、リュックの一番大切なポケットの中できらめいている。
 やるべきことは、やり終えた。あとは信じるだけ。自分を、自分のポケモンを、自分たちを支えてくれたものの存在を。
 カプ・コケコ。ハウはもう一度心の中で、守り神の名を呼んだ。

「全ての者に、あなたの護りがありますように。」

 それは誰かに教わったのではない、ハウが自らつむぎ出した、祈りの音だった。
 飾りのない静かな声がゆったりと波打つ空気に、かすかに電気を帯びた光の粒が混ざる。祭壇の間の入口、天井近くの高い場所から、遺跡の主が興味深げに来訪者を眺めていた。



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