ハウは目の前が真っ暗になった。
エーテルパラダイスでの騒動の後、ハウはたちと別れて一人ウラウラ島に戻った。島巡りの続き――達成し終えていない試練をこなすためだった。 アセロラの試練をなんとかクリアし、ウラウラ島のしまキング、クチナシの大試練に挑んだハウだったが。 「まあ……あんちゃんはよく頑張ったよ。」 クチナシはワルビアルをボールに戻しながら、ハウの健闘を称えた。 「ポケモンもあんちゃんのことしっかり信頼してる。強くなりてえんだろ。そういう戦い方だったぜ。」 クチナシが心配そうにこちらをのぞきこんでくれたが、ハウはうつむいたまま、彼の方を見ることができなかった。勝者にどんなに慰めてもらおうと、ひどく一方的な負け方だったことは、敗者が一番よく分かっていた。 「けどな、手段を伴わない理想は身を滅ぼす。……やめときな。」 クチナシは小さなため息をつくと、じゃな、と背を向けて去って行った。ありがとうございました、とようやく絞り出せた声は、届いたかどうか定かではなかった。 力尽きたポケモンが入ったモンスターボールをぎゅっと握りしめ、ハウは、どうすれば、と思った。 どうすれば、強くなれるのだろう。 祖父の元で修行することをすぐに思いついた。けれども同じくらいすぐに、その考えを却下した。じーちゃんと一緒だとおれは甘えちゃうかもしれない。家族ほどには近くない距離で、かつ信頼して指導を仰げる人は。 ふっとイリマの顔が浮かんだ。同じメレメレ島の住人で、ハウの島巡りに最初の試練を与えてくれたキャプテン。 「初めての試練達成、おめでとうございます。」 茂みの洞窟で無事にノーマルZを手にしたハウに、温かな拍手を送るイリマの微笑みを思い出す。 「キミたちの島巡りに幸いがありますように。困ったことがあったらいつでも相談しに来てください。キャプテンとして、きっと力になりますよ。」 ハウは、今こそイリマの言葉に頼る時だと思った。 イリマの部屋は整然としていて、いくつも並んだ棚に本やらDVDやら様々なコレクションやらがぎっしりと収納されていた。壁際に飾られている数個のトロフィーは、どれもぴかぴかに磨かれて金色に光っている。 「どうぞ、自分の部屋だと思ってくつろいでください。」 ローテーブルの上にアイスティの入ったグラスを二つ置いて、イリマはハウに座るよう促した。ハウはまだ少し部屋の中をきょろきょろと見回しながらも、イリマの勧めに従った。 「連絡してくれて嬉しかったですよ。どうですか、島巡りは。」 イリマもハウの向かいに腰を下ろす。 「う、うんー。あの、おれ、クチナシさんに負けちゃって……。」 それ以上は言葉が続かなかった。だが、壁にぶち当たったからこそこうして誰かを頼って来たことは、イリマだって理解してくれているのだろう。彼はハウを急かすことなく、ミルクいりますか、と小さなガラスのピッチャーをハウに差しだした。ハウはありがとうと言って受けとると、それをグラスに注いだ。真っ白に濁った液体が、透明な茶色の中に沈んで、広がる。ストローでぐるぐる混ぜるとあっという間に一つの色に溶け合った。 ちゅ、とハウは少しだけアイスミルクティを飲む。 「クチナシさんに挑戦したということは、アーカラとウラウラのキャプテンたちの試練、それにライチさんの大試練をもこなしたのですね。やるじゃないですか、ハウさん。」 イリマに褒められ、ハウは照れてはにかむ。 「ちょっと危ない時もあったけどねー。でもポケモンたちが助けてくれたんだー。」 「どの試練が印象に残りました?」 「そうだなー。えっとー、カキの試練がねー」 話し始めると、いろいろなことが蘇ってきて止まらなかった。キャプテンたちが課す個性豊かな試練、それをポケモンたちと共に乗り越えた時の達成感。進化を伴ったこともあった。大ピンチに追いこまれ苦い焦りと悔しさが口中いっぱいに満ちたこともあった。すべてがほんの数日前のことのような、遠い昔の思い出のような、不思議な心地がした。 イリマはうんうんとうなずき、時々質問や感想をはさみながらも長い言葉にはせず、ハウの島巡りの様子に耳を傾けてくれていた。 だからライチの大試練の話を経て、再びクチナシの大試練に話題が戻ってきた時も、ハウはさっきよりは滞りなく、情けない敗北戦の内容を口にすることができていた。 イリマは問題となったバトルの流れを一通り聞いた後、 「手段を伴わない理想は身を滅ぼす……ですか。」 去り際のクチナシの言葉を、声に出して反芻した。イリマはキャプテンだから、しまキングのクチナシと会う機会もあるのかもしれない。ハウにそう言ったクチナシの姿を思い浮かべて苦笑しているようだった。ただそれは決して侮蔑や嘲りを含むものではなく、むしろ尊敬と畏れ――しまキング様はとんでもなく重い課題をハウにもハウが助言を求める者にも与えてしまわれたと、責任感に身震いするような笑みだった。 「ハウさん。」 イリマは姿勢を正し、真っ直ぐにハウの目を見て問う。 「強くなりたいですか。」 「強くなりたいです。」 自分でも意外なくらいの即答だった。イリマの試練を受けた頃のハウだったら、こんなふうには答えなかっただろう。きっと、ポケモンたちと楽しく遊んだりバトルしたりしているうちに強くなれたらそれでいいよーなんて、そんな答えを出していたはずだ。 しかし今は、理想があった。それには手段が足りないことを痛感していたし、かといって身を滅ぼすつもりもなかった。その決意が、造作する前にハウの唇を動かした。 メレメレ島を巣立ったばかりの時とは違うハウの力強い語調に驚いたのは、イリマも同じだったらしい。少しだけ目を開いてハウを見つめると、微笑んだ。 「分かりました。今のボクが教えられること、全部キミに伝えましょう。」 イリマはまず、ハウのポケモンをボールから出して見せるよう依頼した。 ハウはうなずき、アシレーヌ、ライチュウ、ブースターが部屋に並んだ。広い部屋とはいえ、さすがに人間が二人とポケモンが三体も並ぶとちょっと狭い。にも関わらずブースターなどは見知らぬ場所に興味津々できょろきょろと辺りを見回し、くんくんにおいを嗅ぎながらイリマのコレクション棚に爪を引っかけようとしたのでハウは慌てて抱き制した。 イリマはそんなブースターとハウを横目に見やりつつ、まずはアシレーヌの色つや、体温、人馴れの具合などを確かめた。モンスターボールも預かって、そこに登録されている情報に目を通す。 ハウはブースターを抱えて、次はライチュウの様子を見ているイリマの姿を見守った。緊張を紛らすために、ブースターのえりまきに埋まった手をそわそわ動かしていると、好奇心を抑えられて退屈な顔をしていたブースターが、きゅうきゅうとくすぐったそうに鳴き始める。返事をする代わりにほおを寄せてやると、ブースターもハウに顔をくっつけ、鼻頭をぺろりとなめた。 そうこうしているうちにブースターの番も来て、イリマによるハウの手持ちポケモンチェックは無事に終了した。 「いいポケモンたちです。」 ポケモンたちをボールに戻した後、イリマはまずそう言った。 「よく育てられているし、けがも病気もない健康体。ストレスの兆候も見られません。ハウさんにどれだけなついているかは、わざわざボクから述べる必要もないでしょう。」 ほっ、と小さな吐息がもれた。だが次の息を吸う間もなく、けれど一つ気になったのは、とイリマの言葉が続いた。 「彼らの技構成です。例えばライチュウのエレキボール。確かにライチュウの素早さを活かすことを考えれば良い技ですが、反面、相手によって威力が安定しないリスクもあります。エレキボールを覚えさせているのには、理由が?」 「ううん……。ピカチュウの時からずっと使ってるから愛着あるし、なんとなく。それに、電気技は他に覚えなかったから。」 「そうですね。石で進化するポケモンの多くは、進化のためにエネルギーを使ってしまうのか、新しい技を覚えなくなります。どんな技を使わせたいかによって進化のタイミングを考えるのも、重要な戦略の一部といえますね。」 ポケモンが使う技の特徴、進化の仕組み。知識自体もさることながら、それを強くなるための手段として利用できるイリマの考え方に、ハウはすっかり圧倒されてうなだれた。 「おれ、何も知らなかった。」 グラスの中の氷が溶けて、からんとやたら大きな音が響く。 「大丈夫です。知らないことは恥じゃない。誰だって最初は何も知らないんですから。これから知っていけばいいんです。」 イリマが優しく言った。 ハウは顔を上げ、うなずいた。 次(ハウとネッコアラ 第2話)→ ←前(ハウとヤングース) 目次に戻る |