ハウとヤングース





 リーリエとコスモッグを助けに向かうとグラジオを、ハウは追いかけることができなかった。
「ハウにーちゃんは行かないの?」
 不安げな様子でこちらを見上げる園児たちにも、答えることができなかった。
「ごめん、ちょっと、一人にしてもらってもいいかな。」
 そう言うのが精一杯で、何か問いたげに腰に手を当てているアセロラとも目を合わせず、ハウは遊戯室に入った。ふらり、ふらりと数歩進み、部屋の真ん中近くで立ち止まる。
「はあー……。」
 崩れ落ちるように膝を折り、力なく座りこんだ。
「どうしたらいいんだ、おれー……。」
 負けられないポケモンバトルに負けて、結局リーリエに守ってもらって、いつもみたいに笑うこともできなくなっていた。心臓が痛い。頭がぐらぐらして思考が全然まとまらない。こんな状態でたちのお荷物になるぐらいなら、ここでおとなしく待っていたほうがいいだろう。
 そうだ、おれは足手まといだと、ハウは自分に言い聞かせる。
 部屋の床にはおもちゃが散らかっていた。みんなで遊んでいた時にスカル団がやって来て、リーリエが連れていかれた。彩り豊かに組み上げた積み木のお城はスカル団に蹴っ飛ばされて、あっけなく落ちた。おもちゃの汽車が上手く走るよう一生懸命に敷いたレールは、踏み壊されて進めなくなった。
 ハウはぼんやりと、ぐちゃぐちゃになったままの床の上を見つめていた。
「きゃう、きゃう。」
 どこに焦点を合わせているでもなかった視界に、いきなり茶色いものが現れた。ヤングースだった。ハウが部屋に入った時に一緒にすべりこんできたのだろう。
 ヤングースは部屋の真ん中で円を描くように走り回った。細長い体をしなやかに波打たせ、散らかっているおもちゃにもお構いなしで、ぐるぐるぐるぐる。ハウと遊びたいのだろうか、時々誘うように鳴いている。ヤングースが回った所だけ、ぐちゃぐちゃの床に一筋の道ができた。ところがいつまで走ってもハウは誘いに応じなかった。
 ぐったりと座ったまま黙って遠い場所を眺めているハウの気を、なんとかして引こうと思ったのだろう。ヤングースは走るのをやめると、勢いよくハウの腕に飛びつき、がぶりと歯を立てた。ハウは少しびっくりしてヤングースに視線を向けたが、すぐにその牙に攻撃の意図がないことをくみとった。仲良しのしるしの甘がみが、がじがじとハウの肌に食いこむ。
 だが、
「ごめんねー。今は遊ぶ気分じゃないんだ……。」
 ヤングースをやんわりと押し退けてハウは言った。ヤングースはきょとんとしてハウを見た。川の中で光る小石をやっとすくい上げたのに、手が滑って再び水の中に沈めてしまった時の子どもみたいな顔だった。少しの間そうして沈黙したヤングースだったが、しかし突然、尖った声でけたたましく鳴き始める。鼓膜をきーんと貫かれてハウは身をすくめた。
「なに、なんだよーヤンちゃん。怒ってるのー?」
 全く音量を下げることなくヤングースは吠え続けている。ハウは分かった分かったしょうがないなーと、床に落ちていたおもちゃの汽車を手に取った。ところがヤングースは汽車に目もくれず、ハウに怒号を浴びせていた。
「遊んでほしいんじゃないのー?」
「きゃう!」
「こっちのおもちゃのほうがいい?」
「きゃうきゃう!」
「ええと、じゃあかけっこがしたい?」
「きゃうきゃうきゃうー!」
「うー、全然分かんない……。なんでそんなに怒ってるんだよー。」
 ヤングースは毛を逆立て牙をむき出し、低くうなり声を上げている。その目をじっと見つめた後、ハウはもしかして、と思い当たった。
「きみがスカル団にさらわれた時、おれが助けに行かなかったから怒ってるのー?」
「きゃう! きゃう!」
「悪かったよー。でもきみのことすっごく心配してたんだからね。そんなに怒らないで……」
「きゃうっ!」
 ハウの言葉を最後まで聞かずして、ヤングースが再び腕にかみついた。それも今度は少しも甘くない、本気のかみつく攻撃だ。
「痛っ!」
 ハウは驚いて思わずヤングースを振り払った。もんどりうって床に転がり、がしゃんとおもちゃにぶつかるヤングース。さっき走ってできた道がまたぐちゃぐちゃに散らかった。
 ごめん! という謝罪と、なんで? という怒りが同時に飛び出そうとして大衝突し、結局どちらも音にならなかった。成り損ねた言葉の破片が口の中に引っかかり、飲み込むことも吐き出すこともできず、じゃりりと苦い。かみつかれた腕はじんじん痛かった。
 ひっくり返ったおもちゃの汽車の車輪が回っていた。からからからから、どこにも進めず回っていた。
 ヤングースは案外けろりとした様子で起き上がった。そして再び怒りの声を上げ始める。きゃんきゃんと高い叫びが幾重にもなり耳を突き抜けて責めたてる。通じない言葉のはずなのに、それは意味を持った音のようで。ハウの内から響く声のようで。何度も何度も同じ問いをくり返す。
 どうして勝てなかったの。
 どうして守れなかったの。
 どうして助けに来なかったの。
 どうして、どうして

「……おれだって!」

 とうとうハウは耐えきれず、ヤングースにも劣らない勢いでその声を切り裂いた。
 おもちゃの汽車の、車輪が止まる。
「おれだってきみのこと助けに行きたかったよー! でもスカル団がだけで来いって。そうしなきゃきみが危なかったんだ。おれだって本当はきみのこと助けに行きたかったよ! 一人でなんて行かせたくなかった! みんなのこと守りたかった! バトルに勝ちたかった! おれだって本当は……!」
 せきを切ったようにあふれた言葉はぽろぽろとこぼれ落ち、ハウ自身を強く打った。
「おれだって、本当は……。」
 雨粒のように体を伝う音がよどんだ思いを洗い流していく。今どうすべきか、どうしたいのか、本当は、分かっていた。
「おれ、本当は、リーリエを助けに行きたい。」
 いつのまにかヤングースのうなり声が止んでいた。三角形にとんがっていた目をまん丸く開いて、じっとハウを見守っていた。
「足手まといになるかもしれない。また勝てないかもしれない。でも……それでも」
 そんな言い訳で、認めたくない弱さを本当の気持ちごと泥の中に沈めて、結局自分が窒息しそうになっていた。
 ヤング―スに責められて自分の思いをあふれさせて、ハウはようやく、深い淵に隠れてしまっていたその気持ちを、拾いあげた。
「誰かが笑顔じゃなくなるのは、嫌だ。」
 きっ、とハウは顔を上げた。
「おれはリーリエを助けに行く!」
 ハウは立ちあがると、おもむろに自分のボールホルダーに手をのばした。三つのボールを手に持ち、深く息を吸い込むと、中からポケモンを出す。あふれる光に包まれて姿を現したのは、これまでハウと島巡りを共にしてきたポケモンたち――ブースター、ライチュウそしてアシレーヌ。
「みんな、さっきはごめんなー。おれ、みんなの力ちゃんと引き出せなかった。」
 アシレーヌが何か言いたげに一歩ハウに寄り、喉の奥をぐううと鳴らした。ハウはアシレーヌの額を優しくなでると微笑んだ。それからまた三体に向き直る。
「聞いてほしい。今からおれ、リーリエを助けに行く。島巡りの試練とか、勝ち負けを競うとか、そんなんじゃなくて、絶対に負けられない戦いになると思う。それでもおれ、行きたいんだ。勝たなきゃいけないんだ。だからー……」
 アシレーヌ、ライチュウそしてブースター。一体一体の目を、ハウは真っ直ぐに見つめた。ポケモンたちもまた真剣なまなざしでハウを見つめ返した。
「みんなの力をおれに貸して!」
 ポケモンたちが同時に鳴いた。その音はそれぞれ違っていたけれど、込めた意思は同じだった。ハウと共に戦う、と。
 ハウはありがとう、とポケモンたちを順番に抱きしめた。
 傍らでヤングースもきゃうきゃうと鳴きながら跳ねていた。ハウはヤングースにも手を差しのべると、抱き上げてぎゅうっと肌を寄せた。なめらかな金色の体毛がふさふさと触れて温かかった。
「ヤンちゃんもありがとー。おれ、頑張るよ。次こそ絶対、守ってみせるから。」
 応援のつもりだろうか、ヤングースはハウの腕に心地よい圧で牙を立てた。
 そしてハウは心強いパートナーたちをボールに戻すとリュックを背負い直し、両手の平で自分のほおを軽く打った。よし、とつぶやくと部屋を出る。
 園児たちが心配そうな顔でこちらを見ていた。アセロラだけはハウの表情の変化に気がついたようで、「行くんだね。」と声をかけた。ハウは「うん。」とうなずいた。
「急げばまだたちに追いつけると思うよ。リーリエのこと、よろしくね!」
「うん。ありがとーアセロラ。それじゃあ、行ってきます!」
 いってらっしゃい、がんばれハウにーちゃん! きゃうきゃう! と見送る園児たちとヤングースに満面の笑みを見せ、ハウは勢いよくエーテルハウスを飛び出した。
 不安が全くなかったと言えばうそになる。けれどもそれ以上に、みんなの笑顔を守りたい気持ちと、その気持ちを誰よりも理解してくれるポケモンたちの存在が、ハウの中で太陽のように熱く輝いていた。

 ハウは、腹をくくった。





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