ハウとオシャマリ









 ディグダトンネルを抜けた直後。それまで暗かった視界に太陽の光が満ちあふれて、ハウはきゅっとまぶたを閉じた。日差しに刺されないようにそうっと目を開けると、アーカラの南風をいっぱいに受けて生い茂った草木の緑、その向こうにどこまでも続く空と海の鮮やかな青色が飛びこんできた。
 ディグダたちと遊んだままボールから出しっぱなしだったオシャマリが、ハウの足元で嬉しそうな声を上げた。アーカラ島に到着してからは、渓流、火山、ジャングルと内地ばかりを巡っていて、海に出るのは久々だった。水タイプのオシャマリにとって、目の前に広がる青はきっとハウ以上に心躍るものだったろう。
「よーしオシャマリ! 海まで競走だよー!」
 声をかけてハウは走りだす。オシャマリもそれを追う。ディグダトンネルで遊びまわって、どうせ服も髪も土まみれだった。それが海水まみれに替わったところで大きな違いはないだろう。小さな岩浜にたどり着いたハウは、もうリュックを降ろしシャツを脱ぎ捨て靴を放り、一足先に海に飛びこんだオシャマリにざっぷーんと続いた。
 駆けまわって体の中にこもった熱も、トンネルでかぶってしまった土ぼこりも、文字通り頭のてっぺんから足の先まで、海水が冷たく溶かしていく。
「ぷはーっ! 気持ちいいー!」
 浮かびあがって息を吸えば、そんな歓声が自然とこぼれた。
 同じように海面に顔を出したオシャマリも、ハウの真似をして高く叫んだ後、つややかに体をしならせて潜水した。ハウもそれを追う。陸での競走ならハウの圧勝だが、水の中では到底オシャマリに敵わない。オシャマリも当然それを分かっていて、いつも二人で走る時ハウがそうしてくれるように、少し先で止まったり、ぐるりとハウを囲うコースを選んだりして、一緒に泳いだ。
 アローラの海と一言で表しても、メレメレとアーカラのそれでは異なることを、ハウは全身で体験した。桜色のヴェールのように群れて泳ぐラブカスを見るのは初めてだ。右手にはケイコウオ。左手にはコイキング。様々な水生ポケモンたちがたゆたう向こうに、ちかりちかりと光が見える。波間をぬって差し込まれた太陽が、ポケモンたちのうろこを赤白黄色に反射させるのとはまた違う、海の底から放たれる光だ。何だろうと思って、いったん海面に上がり酸素を補給した後、一気に沈んでよくよく観察してみると、それはチョンチーの触手だった。一定の間隔で明滅するほのかな光が、近くの岩場で寄り添って休むサニーゴたちの枝を照らして、海底はやわらかな虹色のじゅうたんを敷いたようだった。
 陸から見ると青一色に見えるのに、実は豊かな色彩と命を内包している海の一部になって、ハウとオシャマリは心ゆくまで遊泳を楽しむ。
 と、ハウの足首に何かが絡みついた。驚いて見ると、一匹のメノクラゲがハウを捕まえていた。一瞬焦って空気を吐き出してしまったが、すぐにオシャマリが気がついてメノクラゲに突進し、ハウは解放される。急いで海面に上がり息を吸い、事なきを得た。
「あーびっくりしたー。助かったよオシャマリ。ありがとー。」
 オシャマリはハウの無事を確かめるようにぴっとり寄り添って、くるくるハウの周りを泳いでいた。
 メノクラゲはオシャマリの一撃ですぐに退散し、戻ってこなかった。うっかり縄張りに入ってしまったのか、それとも野生ポケモンの危険な気まぐれか。いずれにせよ少し泳ぎ疲れてきた頃だし、そろそろ上がろっかーとハウはオシャマリの頭を軽くぽんぽんとなでてやった。

 日の光がよく当たる岩の上に腰かけて、ハウは海から上がった半裸のまま、全身で太陽を浴びていた。両足を投げだし、髪をほどき、胸を張って空を仰いでいると、心地よい疲労がじんわりと体中に染みわたった。
 次はいよいよアーカラの大試練――しまクイーンライチとのゼンリョクバトルだった。ここアーカラ島を巡った果てにどこまで強くなったかを確かめる、島巡りの大きな節目だ。
 おれは強くなっているだろうかと自問すれば、もちろん以前の自分よりは強くなっていると思う。手持ちポケモンたちだって、野生ポケモンの一匹や二匹、簡単にいなしてしまうほどの実力をつけた。
 だが、それは欲しいと思って手にした強さなのかと、今の強さに満足しているのかと問われれば、ハウはすぐに答えることができない。たくさんの人とポケモンに出会って、島巡りをめいっぱい楽しんでいたらここまで来ていた。
(誰が誰よりも強いとかそんなことよりも、おれはポケモンたちと一緒に楽しく自分なりの全力を出せたら、それで十分なんだけどなー。)
 ハウが思う、その気持ちに偽りはない。なのに心に引っかかるこの感情は何だろう。
 おそらくその原因は「大試練」という単語が引きずり出す、メレメレでの島巡りの記憶にあるとハウが気づきそうになった時、オシャマリの顔がハウと太陽の間に割りこんだ。
「オシャマリー。」
 ハウはへにゃっと口元をゆるめて、相棒の名を呼ぶ。
 オシャマリがハウをのぞきこむ三日月形の目と、愛らしく上がった口の端は、まるで人間の笑顔だった。実際それはオシャマリが嬉しい時や楽しい時に見せる表情だから、笑顔と言って差し支えないのだろう。ポケモンと人間は案外似ているのかもしれない。人間とポケモンは案外似ているからオシャマリは、日光浴をしながら宙をぼーっと眺めるハウの様子を見ただけで、何を考えているのか察したのかもしれない。
 オシャマリはハウの意識がはっきり自分に向いたことを確認すると、一歩離れてすくっとしっぽで立ちあがった。それからぺこりと体を曲げ、お辞儀のような仕草をする。体を揺らしながらキュッ、キュッと高い鳴き声で節を取ると、ぴょこぴょこ左右に跳びはね始めた。くるりくるりと回ったり、色とりどりのバルーンを作って器用に投げ上げたり、それを宙返りしながら次々と割ってはじけさせたり。オシャマリのダンスだった。
 その愉快で軽やかな動きにハウも思わず見入って、最後にオシャマリが再びしっぽで立ちあがって前足をYの字に大きく掲げた時には、盛大な拍手をオシャマリに送った。
「すごいすごい。ダンス上手だねー、オシャマリ!」
 称賛を独り占めして、オシャマリは得意げにもう一度ぺこりとお辞儀した。
 それからオシャマリはハウに駆けよって、胸の中に飛びこむ。
「元気、出た?」とでも言うように、オシャマリはくうくう喉を鳴らしながら、ハウに体をすりつけた。
「ありがとー。元気出たよー。」
 ハウは優しく微笑んだ。パートナーを心配させてしまって申し訳なくも思ったけれどそれ以上に、こんなに近くで見つめてくれる相手がいることが、ハウは嬉しくて誇らしかった。
「大好きだよ、オシャマリ。」
 ぎゅうっと抱きしめると、オシャマリも安心したように腕の中でハウに甘えた。
 そうだ、おれにはポケモンたちがいる。強さがどうとか難しいことをこねくり回すより、まずは目の前でおれを信じてくれるパートナーたちの力を最高に引き出すことを考えよう。
 そう思うと霧のようにもやもやした気持ちもいっぺんに吹き飛んだ。ハウは「おーし!」と一喝すると立ちあがった。
「ライチさんの大試練に、挑戦するぞーっ!」
 天高く突きあげた拳に、もちろん隣にいるパートナーもついてきてくれるかと思いきや。オシャマリはちょっと困ったように、ハウの半裸とぼさぼさ頭を見上げていた。それでハウも自身の今の状況に気がついて、あっと声をもらす。
「……の前にー、コニコシティのポケモンセンターでシャワー借りて、着替えなきゃねー。」
 はにかむと、荷物を拾いに行った。
 シャツを着て、髪にひとかき手ぐしを通し、五秒でいつものスタイルに結い上げると、靴を履いてリュックを背負った。
 アローラの温かな太陽が体をすっかり乾かしていたから、きっともう、大丈夫だった。



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