ハウとブースター

前編




 じゅわっと香ばしい色に揚がった生地に、たっぷり振りかけられたシナモンシュガー。甘く刺激的な香りにたまらず紙包みごとわしづかみにすれば、出来立ての熱が指先を通して「早く食べちゃえ!」とそそのかす。
「いただきまーす!」
 ハウは大きく口を開けてマラサダにかぶりついた。
 マリエシティのマラサダショップに、ハウはブースターと一緒にいた。カウンター席に並んで腰かけ、大好物に舌つづみを打つ。
 各地のマラサダショップを訪問し、島ごとの違いを舌でも確認するのがハウなりの島巡りだった。試練前の腹ごしらえとしても最適だし、何より一緒にいるポケモンの幸せそうな顔を見るのが好きだった。
 ところがブースターはハウにならって最初の一口を食べたきり、耳を垂らして目の前のマラサダを見つめている。
「あれー、どうしたのブースター。好きな味じゃなかったー? お腹痛いのー?」
 驚いてブースターをのぞきこむと、どうやら気に入らない味に対する無言の抗議というわけではなさそうだった。痛みに顔をしかめている様子もない。ブースターの目はどこかもっと遠く、今ではない時間を見つめていた。ははあ、とハウは思い当たった。
「……に負けたこと、気にしてるのー?」
 マリエシティに着いてすぐ、ハウはにポケモン勝負を挑んだ。アーカラ島の大試練を達成し、手持ちポケモンたちも新たな姿に進化していた。未知の島に吹く風の中に今までとは違う空気を感じて、きっと勝てると自信があった。
 結果は、ハウの負けだった。
「そんなのきみが気にしなくていいんだよー。それにポケモンバトルは勝ったり負けたりするからこそ楽しいんだから!」
 ハウは笑ってブースターの頭をなでる。それでブースターも少し気が楽になったのか、耳を起こしてハウの顔を見、遠慮がちに一声鳴いた。ハウはうんうんとうなずくと、ほらマラサダあったかいうちに食べなよー? とブースターのを口元に運んでやった。ブースターは嬉しそうにかじりつき、きゅうと高い声を出す。その仕草がハウをほっこりと幸せにした。




 マラサダを食べ終えるとハウはブースターをボールに戻し、一人でマリエの街道に出た。さてどこに行こうか。すぐ試練に行ってもいいけれど、もう少し街を散策してみたくもある。マラサダショップに入る前にすれ違ったリーリエが、図書館に行くようなことを言っていたから、おれものぞいてみようかな。
 図書館に向かう道をぶらぶらと歩きながら、ハウは先のブースターの様子が気にかかっていた。あんなにしょげたブースターの姿を見るのは初めてだった。負けたのがよっぽど悔しかったのだろうか。そんなに勝負にこだわるポケモンだとは思ったことがなかったのだけど。
 ブースターは進化前のイーブイの頃からずいぶん人懐っこいやつだった。バトルだって遊びとしか思っていなさそうだったし、どんなに機嫌を損ねてもマラサダを前に置けばすぐに表情をとろけさせた。ころころと跳ね回って、手持ちポケモンたちの中でも一番幼い弟分のようだったイーブイが、立派に進化した時はハウも感激したものだ。
「イーブイ……ううん、ブースター。」
 初めてその名前を呼んだ時のことを、ハウは思い出す。


 コニコシティのジュエリーショップで、ハウは進化の石を二つ買った。一つはピカチュウをライチュウに進化させるための雷の石。もう一つがイーブイをブースターに進化させるための炎の石だった。
 進化の石は一見ごつごつとした石くれのようだったが、ただならぬ力を内に秘めているのが手に取るだけで分かった。その雰囲気はZクリスタルにも似ていたが、もっと野性味のある、ポケモンが持つ可能性に直接作用するような荒々しい力だった。
 ハウはまずイーブイをボールから出し、炎の石を差し出した。これを使うと進化できるんだと話しかければ、イーブイは神妙な顔つきで石を見つめた。
「イーブイ。ブースターになって、もっとすごいバトル、一緒にしよう?」
 イーブイはうなずくと、自ら炎の石に身を寄せた。その瞬間、石から強い光がほとばしりイーブイの体を包んだ。燃え盛る炎のような輝きがイーブイと一体になり、輪郭を溶かして新たな形を作っていく。ハウはその一部始終を見届けようとしたが、あまりにまぶしくて叶わなかった。
 やがて光が収まった時、炎の石は跡形もなく消えて、代わりに進化を遂げたイーブイ――ブースターが立っていた。
 胸のどきどきが抑えきれず、ハウは震える声でブースターを呼ぶ。するとブースターは、火山の中でマグマがたぎるような声を響かせ、ハウに答えた。
「進化おめでとう、ブースター!」
 ハウはぎゅっとブースターを抱きしめた。イーブイの時よりもずっとかさを増した首元の体毛に腕がやわらかく沈み、緋色の毛皮からは優しい炎の温度が伝わってくる。
 ブースターもハウに甘えてほおをすり寄せた。額の毛がもふもふと当たってくすぐったかった。
 ジュエリーショップの店員たちが、二人に温かい拍手を送ってくれていた。


 そういえばブースターがと戦うのは初めてだった。とても強い友達がいるんだと話して聞かせてやってはいたから、いざ勝負した結果「もっとすごいバトル」ができなかったと落ちこんでしまったのかもしれない。
 そんなのおれは少しも気にしてないのになー、とハウは思う。との勝負はいつだってすごかった。お互い成長しているのが技を通じてばちばちと伝わってきて、ハウはと勝負するのが好きだった。そりゃもちろん、勝てればもっと楽しいだろうけど。ハウはまだ一度もとのポケモン勝負に白星を上げたことがなかった。そろそろおれだって、一回ぐらい。
 なぜコニコシティで炎の石を選んだのか、ハウは実のところはっきりと自覚していた。がアローラで最初に手にしたモクロー、つまりの強力な相棒に、ブースターならタイプ相性で有利が取れると思ったからだった。……そんな理由で手持ちポケモンを選んだのは初めてだった。
 その時、突然ハウは鋭い疑惑に胸をつらぬかれた。ジュエリーショップで進化の石を差し出した時、イーブイは炎の石ではなく雷の石を見てはいなかったか?

 イーブイは、本当は違うポケモンに進化したかったんじゃないか?

 思い返せばイーブイの進化先について、イーブイの意思を十分に確認したかと問われれば、ハウは自信をもってうなずけない。たくさんあった可能性を、自分のつまらない焦りで潰してしまったのではないだろうか。しかもそれでもに勝てなかった。どうせ結果が同じなら他のポケモンに進化したかったと、ブースターはあんなにしょげた様子だったんじゃないだろうか。
 ブースターは、ハウを恨んでいるのではないだろうか。
 悪い考えは次々に連鎖し、ハウはぶるるっと頭を振った。そうかもしれない。でもそうじゃないかもしれない。ブースターから恨みの視線を感じたことはなかったし、さっきだってとても幸せそうにマラサダを食べていた。
「ブースターのこと、ちゃんと見てあげなきゃ。」
 そう自分に言い聞かせた時、マリエ図書館に到着した。



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