ハウとイーブイ





「あーっ、イーブイ! 可愛いー!」と、喉まで出かかった叫びをハウはすんでのところで飲みこんだ。
 オハナタウン近くの道路、ポケモンが棲む草むらを少し分け入った所だった。一匹のイーブイがふさふさのえりまきと大きなしっぽを揺らしながら、とことこ歩いているのをハウは見つけた。
 イーブイはメレメレ島には生息していないから、こんなに近くで野生のイーブイを見るのは初めてだった。たくさんの進化の可能性を秘めているだけでなく、特徴的な首回りの毛やつぶらな瞳が可愛らしいと人気のポケモン。うわさには聞いていたが、実際に出会ったそれは想像していたよりもずっとハウの気に入った。
 ハウはイーブイがどんなふうに動くのかもっと知りたくて、驚かせないようにそっと草むらの中にしゃがみこむとじーっとイーブイの様子を観察した。
(可愛いなー。あの体の色、かーちゃんが焼いてくれたパンケーキみたいだ。)
 ふかふかの毛皮を器用になめてつくろうイーブイを眺めながら、ハウは思う。パンケーキにしてはちょっと焦げてるかな? かーちゃんがごくたまに作ってしまうパンケーキの色だ、とくすくす忍び笑いした時、草むら越しにイーブイと目が合った。
 真っ黒でまん丸な瞳。まばたき三回。イーブイがばっと身をひるがえした。逃げられた、と思った。ところがイーブイはすぐに立ち止まるとハウの方を振り向いて、またばっと数歩走ると足を止めてこちらを見た。ころころ鈴の転がるような音がする。イーブイの鳴き声だった。
「もしかして、おれと遊びたいのー?」
 返事をする代わりにイーブイはその場で二、三度跳ねると再び駆けだした。ぱたぱた足を動かしながらもハウの様子を振り返って見ている。それでハウも、よーし! と立ち上がりイーブイの後を追った。イーブイは嬉しそうに一声鳴くと、草むらの中を疾走した。
「うわっ、はっや。」
 手加減していては追いつけないと、すぐにハウも速度を上げる。イーブイはますます楽しそうにはずむ。草むらをがさがさかき分けて、坂を登ったり下ったり、段差をぴょんとジャンプしたり。追いかけっこする少年とポケモンを見送る観光客に「アローラ」とあいさつするひまもなく、ハウは夢中でイーブイに付いて走った。
 袋小路に追いこむと、イーブイは出口を探すようにくるくると駆け回ったが、やがて行き場のないことを知ると、今度はハウに突進してその周りを回り始めた。どうやら輪を描いて走るのが面白くなったらしい。何か歌うような鳴き声も上げていて、とてもご機嫌だ。
「イーブイ、あはは、目が回るよー。」
 何度も視界を横切るイーブイの姿を追いかけようと、ハウもその場でくるくる回ったが、だんだん追いつけなくなり、とうとうふらりとイーブイに覆い被さるように倒れこんだ。
「へへっ、つかまえたー。」
 にぃーっといたずらっぽく歯を見せると、イーブイは少しだけ驚いた顔をしたが、すぐにけらけら笑いだした。ハウがほおの辺りをなでてやると、嬉しそうにすり寄ってくる。パンケーキよりもずっとやわらかな首回りの毛に指先を埋めると、くすぐったそうな声を出す。体に触れられると心地よさそうにするので、わしゃわしゃと少し強めに手を動かしてやると、ごろんと地面に転がって手足をばたばたさせた。きゅーきゅー言いながらじゃれついてくるイーブイが可愛くて、ハウも声をあげて笑いながらなでくり回した。
 やがてなで疲れて、ハウもイーブイと同じように仰向けに寝転がる。梢の向こうに青空が広がっていた。さわりと風が吹いて気持ちいい。
「ふぅー……。」



 ハウが満足げに息をもらしたのと同時に、隣のイーブイも鳴き声をあげた。ハウは顔を横に倒してイーブイを見やり、微笑む。イーブイもハウに視線を向ける、と思う間もなく起き上がると、ぴょんぴょん跳ねていった。ハウが体を起こして見ると、イーブイは少し離れた所でぶんぶんしっぽを振りながら、ハウを待つように立っていた。
 何してるんだろう? 疑問に思って眺めていると、イーブイは今度は大きな鳴き声を出した。それは今までのじゃれつくような甘えた声とは異なる挑戦的な響きで、
「あっ、バトルしたいのか!」
 ひらめくと、ハウはにっと笑ってモンスターボールを一つ手に取った。
「おれたちもバトル大好きだよー! いっぱい楽しもうね! いくよ、ピカチュウ!」
 ふわりと軽く宙に投げ上げたボールを、パシッと小気味良い音を立てて受け止めると、イーブイに向かい合う空間に放りだした。きらめく光の中から、ピカチュウが威勢のいい鳴き声と共に現れた。
「ピカチュウ、エレキボール!」
 さっそく自慢の技を披露する。電気を帯びた球を投げつけられた衝撃で、イーブイはくるりと後ろに一回転したが、すぐに体勢を整えると、地面を蹴りつけ砂ぼこりを巻きあげた。ピカチュウはひるんで、くしゅんと一つくしゃみをする。
「もう一度エレキボールだ!」
 再び電気の球を作りだしたピカチュウだったが、目に砂が入ってしまったのか狙いが定まらない。なかなか発射に踏み切れないピカチュウをからかうようにイーブイはぴょこぴょこ跳ねまわると、そのまま一気に加速してピカチュウに突っ込んだ。エレキボールはそのはずみに目標を大きく逸れて、明後日の方向に飛んでいってしまった。
「うっ、わあ。やるなー、あのイーブイ。」
 笑い声のような高い音で鳴きながらエレキボールを追いかけていくイーブイの後ろ姿を眺め、ハウはちょっと感嘆の言葉をこぼした。それに、とても楽しそうにバトルしてる。というか遊んでる? すぐに電気球が消えてしまったので戻ってきたイーブイのしっぽは、さあ次次! と誘うようにせわしく揺れていた。
「よーし、おれのピカチュウだって素早さじゃ負けないもんねー! ピカチュウ、電光石火!」
 名誉挽回、と言わんばかりにピカチュウが走りだす。イーブイは駆け比べだと思ったのか、同じようにピカチュウに向かって走りだす。二匹がぶつかったのはちょうど真ん中。漫画なら大きな星がいくつも飛びだす描写でもされそうな音が派手に鳴り、ピカチュウとイーブイはごろんごろんと地面に転がった。先に起き上がったのはピカチュウだった。が、さっと次の技を繰り出す姿勢を整えたピカチュウに対して、イーブイは起き上がるやいなや、ピカチュウの周りをくるくる輪を描いて走りだした。何か歌うような鳴き声も上げていて、とてもご機嫌だ。
 めっちゃ楽しそう。
 ハウは思わず吹きだした。確かに「楽しもう」とは言ったけれど、ここまでとは。ピカチュウが少し困った顔でハウを見ている。ハウはまだおかしいのをこらえきれないまま「ごめんごめん」とピカチュウを手招いた。
「ちょっとだけ下がってて、ピカチュウ。」
 そしてハウは、空のモンスターボールを取り出した。
 ハウはポケモンバトルが大好きだ。特に、勝っても負けても、人間もポケモンも楽しかったと笑いあえるようなバトルが大好きだ。あのイーブイとなら、そんなバトルができるかもと思った。あのイーブイと一緒に島巡りができれば、嬉しいと思った。
(もしもイーブイがおれの気持ちを受け入れてくれるなら……。)
 願いと問いかけをこめて、ハウはイーブイに向かってモンスターボールを投げた。
 ピカチュウがハウの側に行ってしまったので、くるくる回る中心を失ったイーブイのきょとんとした瞳に、紅白のボールが映った。瞬間、ボールが割れ、イーブイが光となって吸いこまれる。
 くらり、
 揺れる、
 ボール。
 かちっ、と小さな音がした。イーブイがハウの気持ちを受け入れた。
 ところが「やった」とハウが思うか思わないかのうちに、ボールが割れてイーブイが飛び出した。そのまま脱兎のごとく走り去ってしまう。ゲット失敗かとボールを拾いあげ確認すると、それは間違いなくイーブイのものとして登録されていた。単純に、遊びの続きがしたくて飛びだしただけらしい。
「バトルが終わったばっかりだっていうのに……元気だなー。」
 あきれて笑うハウの様子にはお構いなしで、イーブイは向こうにあるきのみのなる木の下で呼んでいた。行こうか、とピカチュウと顔を見あわせると、ハウたちも駆けだした。

 イーブイは木の下に落ちた山盛りのきのみを指して、嬉しそうに跳ね回っていた。ピカチュウも一緒になってくんくんときのみの匂いを嗅ぐ。
「たくさん落ちてるねー。もしかしたらマケンカニっていうポケモンが落としたのかも。でも一人一個ずつくらいなら大丈夫だろうから、もらっちゃおうかー。」
 ハウが言い終えた直後だった。誰かにズボンのポケットを引っ張られて、ハウは振り向いた。ハウの背後に、まさしく今話題にしたばかりのポケモン、マケンカニがいた。
「うわあ!」
 思わず声を上げると、ピカチュウがさっと戦闘態勢に入ったが、マケンカニのほうに戦う意思が見えなかった。ハウは腕を掲げて、ピカチュウに待つよう合図する。
 マケンカニは何かを欲しがるようにぷるるん、ぷるるん、と独特な動きで右のはさみを振ると、再びハウのズボンのポケットを指すような仕草をし、じーっとハウを見つめた。
「おれのポケットがどうしたの? 何も入ってないけど……。」
 ポケットに入れる物と言えば、あめ玉を口に入れた時に出た包み紙とか、後でポケモンに見せてあげようと拾って取っておいたすべすべの小石とか、手に入れたもののとりあえず押しこんだポケマメとか、そんな程度だ。
(ポケマメ……ポケマメ? あっ!)
 そういえばメレメレ島で、確かイリマの試練に挑む前のことだったと思うが、カフェスペースでもらったポケマメをとりあえずズボンのポケットに押しこんだ後、出会ったマケンカニにそのポケマメをやった記憶がある。
 仮にあのマケンカニが欲しがっているものがポケマメだとして、それがハウのポケットに入っていたのを知っているということは。
「えっ、きみ、まさか、メレメレ島で会ったあのマケンカニなのー?」
 そう思えば、なんとなくあの時のマケンカニに似ていなくもないような気がしてくる。
 首をかしげながらもハウは、リュックからポケマメを一粒取り出すと、マケンカニの方に投げてみた。するとマケンカニはぷるるんとはさみを一振りし、大喜びで飛びついた。やっぱりポケマメが欲しかったみたいだ。
 マケンカニがポケマメに気を取られている間に、ハウはピカチュウとイーブイをボールに戻すと、急いでその場を後にした。二体ともバトルの後で体力が減っている今、マケンカニときのみを巡って争う事態は避けたい。彼が本当にメレメレ島出身なのかどうか、ちょっとだけ気になるところではあったけれども。
「ばいばい、マケンカニ!」
 今はこの場を離れるほうが得策だと、ハウは判断した。
 だからポケマメを食べ終えた後、少し寂しそうにハウの背中を見送るマケンカニの姿を、ハウが見ることはなかった。



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