本章

金木犀のき





 夕暮れの勝堀区。中央町をとセキトは歩いていた。アンダー・バンクに帰る途中。その日、セキトは妙にキョロキョロと辺りを見回していた。
、どうしたの?」
「いや……今日はなんだか空気が違うなと思って。」
 秋もそろそろ深まってきた季節。町中の至るところで、金木犀の小さなオレンジ色がはじけていた。
「ああ、もう金木犀が満開になる頃だね。」
「キンモクセイ……花の名前か。」
「そう。とっても良い匂いだよね。」
 宅地の庭や公園の生け垣。この時期こそ黄色い果実が鈴なりになっているようにも見えるその木は、どちらかといえば控え目な暗緑色の低木で、急いで通り抜ければ香りでしか存在に気付かない。けれども今はセキトと一緒の帰路だから、立ち止まって金木犀を愛でることも出来た。
 夕焼けを小さな粒にして集めたような花に、は顔を近付けて口元を緩ませる。セキトはそれを一歩後ろで見守っていた。
は金木犀が好きか。」
「うん、好き。甘くて上品な香り。」
 そういう表現はオレにはよく分からないが、とセキト。
「でもオレも、この匂いは悪くない……と思う。」
 そう言って視線を香り溢れる空へとやった。いわし雲が一面に群れて、鱗を茜色にぴかぴかと光らせながら、悠然と泳いでいた。
「……もう少し歩いて行く?」
「ああ。」
 うなずいた後セキトは、この先のアクセスポイントの方がアンダー・バンクにはショートカットになるからな、と何故か言い訳がましく付け加えた。
 そうだねとは笑い、秋の中をセキトと二人で、ゆっくり歩き出した。


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