本章

もちもちブーチョッキン





 ブーチョッキンをなでまわすのはのお気に入りだ。ARペットであるにも関わらずその感触はまるで本物のようで、ブーチョッキンの体をすべすべと触り、弾力のある頬をつんつんとつついて遊ぶのはとても愉快だった。ブーチョッキンもまんざらではなさそうで、になでられると心地よさそうにしていた。特に耳の後ろと、背中側の首の付け根辺りが好きそうだ。足はちょっぴり嫌がる。頬と間違えて口の端をつつくとくすぐったがった。
「お楽しみのところ悪いんだが、。」
「ひゃい!」
 急に背後からセキトに話しかけられて、思わず返事の声が裏返った。セキトは表情をぴくりとも動かさず、ブーチョッキンを抱いたまま振り返ったを見つめている。いや、少し呆れの色が混ざっているか。
「仕事だ。現実空間に生じたバグの回収。今は勝堀神社周辺で多く出ているらしい。」
「う、うん。分かった。」
 それは最近安立から依頼されるようになった仕事だった。何者かがアンダー・バンクにアクセスした影響で、あるいはその何者かによって既にどこかで運用されているかもしれないアンダー・バンク技術の影響で、現実空間に小さなバグが観測されるようになった。
「今は何ともないが……放っておくと箱状になって、正規データを包み込んでしまう類のものだ。そうなる前にデバッグ処理してきてくれ。あと、バグの詳細を調べたいから、デバッグ後のデータ回収も忘れないようにね。」
 デバッグプログラム自体は単純な構造だったのでにも扱うことが出来たが、データの回収はセキトにしか出来なかった。二人は各々バグの発見、デバッグを行い、が処理したものは後でセキトが回収するという流れで、作業を行った。

 勝堀神社にはとセキト以外誰もいなかった。これは好都合と、二人は早速バグ探しに取り掛かる。
「オレとブーチョッキンはこっちを探すから、はあっちから境内裏の方まで頼む。」
「ブーはセキトよりもと一緒に行きたいのう。」
「オレがデータ回収してる間に、お前がバグを見つけるのが合理的だろ。じゃあ、また後でな。」
 背中を向けるセキトと、ブーブー言いながらもセキトについていくブーチョッキンにちょっと手を振って、も自分の持ち場についた。
 今回は特にバグが多かった。セキトと離れてすぐ足元に一つ。その処理が終わって顔を上げた数メートル先に一つ。は着々とバグを処理する。
 セキトたちのほうも順調のようで、デバッグデータを回収しているセキトにブーチョッキンが次のバグがある場所を報告していた。どうやら二つ続けて見つけたようで、あまり上品ではない口調でセキトを急かしている。セキトは少しうるさそうに、分かってるあと七秒待てとブーチョッキンに答えた後、ちらっとを見た。ぶつかった視線。と思うやセキトはすぐに目をそらした。
 ブーチョッキンが、計算より三秒遅いじゃきんとセキトをあおっている。
 も早く終わらせてしまおうと、仕事に戻った。ブーチョッキンのにぎやかな声とそれに時々ぼそりと答えるセキトの言葉はまだ聞こえている。バグを潰しながら捜索場所を移動するにつれそれらも次第に遠くなり、境内裏でふと顔を上げた時には、セキトたちの音も姿もなくなっていた。少しデバッグ作業に集中し過ぎたようだ。
。」
 おそらくセキトたちがいるであろう方向に向かって呼びかけてみる。返事はない。
「ブーチョッキン?」
 は最初の場所に戻り、きょろきょろと辺りを見回した。セキトとブーチョッキンがいない。
 と思ったらいた。セキトはすでに担当範囲を片付けたようで、境内前の段差に腰かけ、抱えているブーチョッキンと何か話をしている。
 はそっと二人に近付いた。
「うひゃひゃ、セキトくすぐったいじゃきん!」
 どうやらセキトはブーチョッキンをなでまわしているようだった。がそうしていたように。
「ブーチョッキン、口の端っこはくすぐったがるよ。」
「うわ!」
 話しかけると、セキトは本当にに気が付いていなかったようで、思わず声が裏返った。ブーチョッキンを抱いたまま振り返ってを見つめている。
……!」
「……も、ブーチョッキンもちもちしたかったんだ?」
「ち、違う。そんなわけあるか。」
「嘘じゃきんー。セキト、はこれが楽しいのかってつぶやきながら、ブーのことつっついたんじゃ。」
「まあ。」
「おい、余計なこと言うな!」
 ブーチョッキンはへへへと歯を見せながら宙に逃げた。セキトはチッと舌打ちし、ブーチョッキンを捨て置くとの方を見た。
「それで、そっちのデバッグは終わったのか。」
「うん、終わった。」
「よし。じゃあデータを回収する。デバッグポイントに案内しろ。」
 すっかり仕事に戻ってしまったかと思われたセキトだったが、その頬はまだ少し紅潮していた。それではふふと笑う。
「ねえ、。」
 歩きながらセキトの顔をのぞいた。
「ブーチョッキン、やわらかかったでしょ。」
「ふん……まあな。があれを触って遊びたくなるということは理解した。」
 でも、とセキト。
「擬似的なものだ。ただのデータだからな。ブーチョッキンも、オレも。」
 その言い方は、ただのデータにしてはあまりにも意味を伴っているように、には聞こえた。
 君のもうひとつの役割は、君の人間性を桜田セキトに伝えることだ。
 もしかするとそれは、守護よりも難しい使命かもしれないと、はツンとそっぽを向いたままのセキトを見て、こっそりため息をついた。


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