序章

安立純守との対面





 目が覚めると、は薄暗い青色の空間に立っていた。空間には所々文字や数列が浮かんでおり、きぃんとした静けさがひんやりと辺りを包んでいる。
 はアンダーバンクにいるんだ、とは判断した。
 少し先に、機械装置がいくつか置かれていて、その前で白衣を来た細身の男性がモニターをのぞき込んでいた。と、男性が顔を上げ、の方に視線を移した。
「やあ、おはよう。」
 安立純守だと、は判断した。
「気分はどうだい。」
 安立は穏やかな微笑みを浮かべ、を手招く。がそれに応えて側に寄ると、彼はの顔をじっと覗きこんだ。この空間の色にも似た灰青の瞳がを映している。彼の左側の顔面を大きく切り裂いて皮膚に残る古傷が、もはや痛むことも癒えることもないように、それは全く動きのない時間だった。
「まだ少し眠いかな?」
 安立はつと目をそらし、再びモニターを見た。そして、分かっているとは思うが、と画面を見たまま話し始めた。
「君は私が造った自律型プログラムだ。名前を教えてくれるかい?」
 造った本人がの名前を知らないのはどういうことだろうか、というの疑問は顔に出たらしい。黙ったままのをちらりと観察し、君はね、と安立は言葉を続けた。
「自律型プログラムとして、すでに自分の意思で、自身のデータを上書きしているんだよ。……そう、君自身の名前と口語の特徴についてだ。 その初期意識が現在の君の意識と合致するかどうかまでは、私の預かり知らぬところだがね……。 」
 ふふと安立は口の端を歪め、再びモニターに戻る。数度操作をし、なるほど……と手をあごに当てた。
。」
 今度は体ごとの方を向いた。
「君の使命は、桜田セキトを守護することだ。遂行してくれるね?」
 桜田セキトの名を聞いて、は容易にその姿を思い浮かべることができた。桜田セキトの画像情報には、最重要を示すタグが付与されている。の根幹を成すプログラム――桜田セキトを守護しなさい。
 はうなずいた。
 君の最大の特徴はと、安立はを上から下まで眺め、その表象データに異常がないことを満足げに確認してから言った。
「極めて人間に近い思考を持ったデータ体だということだ。 その点において、君は人間だと言っていい。君の思考回路そして感情は、プログラムされたものではなく、ある特殊な方法で人間から落とし込まれている。その落とし込みプログラムが君であり、落とし込まれた思考と感情もまた君なのだ。」
 分からない顔をしているねぇ、と安立はどことなく愉快そうだった。
「とにかく君は非常に人間的な情緒をもった実体プログラムだということだ。その人間性をもって桜田セキトを導いてやってほしい。
 桜田セキトの守護と、人間性の伝播。それが君という存在の役割だ。」
 は再びうなずいたが、安立の物言いにはどこか引っ掛かりを感じた。安立はほんの少し眉を上げる。
「もっと人間らしい言葉を使う方が、君には分かりやすいかな……。」
 少し表現を考え、発音しようとしてやはり止め、結局最初に選んだ口の形を、安立は作った。
「桜田セキトを、愛してやってくれ。」
 はうなずいた。
「……はい。分かりました、。」
 これが、桜田セキトの守護プログラム、の稼働が始まった日だった。



次(序章 桜田セキトとの対面)→
目次に戻る