これが片方の鍵だよ――その声はが気にする故だろうか。その後も何度か、確かに誰かの言葉を聞いた記憶として、の中に蘇ることがあった。しかしはそのことを結局カラスミに話せずにいた。
その日、カラスミは特に機嫌が良かった。というのも、少し前からしつこくカラスミ一行をつけ狙ってきていたバンカー共の潜伏場所をついに突き止め、今しがた五人で完膚なきまでに叩きのめしたからだった。十数人からなるそのバンカーの群れから得た戦利品――今までに見たことのない量の禁貨を前にして、さすがのカラスミもしたり顔を隠さなかった。 集団を相手にする戦闘の疲れを癒す目的も兼ねて、一行は最寄りの町に宿を取り、部屋で禁貨の枚数を確認していた。 「今回はお前たちもよくやった。相応分の禁貨を受け取るといい。」 カラスミがそんなことを言うのは初めてだった。達はきょとんとしてカラスミの顔を見つめた。 「で、ですがこれだけの禁貨があればカラスミ様の願いも叶うのでは……」 なんとかして言葉を見つけられたのはタンタンメンだった。だが、カラスミは首を振る。 「有史以来、貯金箱を禁貨でいっぱいにできたバンカーは一人しかいないと言われている。この程度の禁貨では、必要量の半分にも満たないだろう。いいから取っておけ。」 そう言われても、タンタンメンはカラスミに対する遠慮の方が勝ったらしく、困った表情でを見た。そんな唐突に助けを求められても、だってカラスミの提案に驚くやら喜ぶやらの真っ最中なのだ。きっとその時のは、鏡よろしくタンタンメンとまるきり同じ表情で彼を見つめ返していたに違いない。 「でもカラスミ様、僕たちは貯金箱を持っていないでしゅ。」 助け舟、というわけでもないだろうが、ピロシキがそう言った。カラスミはそれもそうだなとうなずき、晴れて禁貨はすべてカラスミのものになるかと思いきや 「ではお前たちの貯金箱を調達しに行くとしよう。」 と言い出したので、一行はええっと声を上げた――いや、モッツァレラだけはわあいお買いもの! と素直に喜びを見せていた。 そんなわけで、達は町の雑貨店を訪れていた。いかにも老舗といった感じの重い扉をカラスミが押し開けて皆で店の中に入る瞬間、はわくわく興奮する気持ちを隠しきれなかった。このようにカラスミを含む皆で買い物をするなどそうそうないことだったし、しかも今日はこの店の中から一つ、自分だけの貯金箱をカラスミに買ってもらえるのだ。頬がゆるまないわけがなかった。ただ、以上にモッツァレラがはしゃいでいて、扉が開くなりいっちばーん! と歓声を上げながら店の中にすべりこんで行ったから、ははしゃぐ機会を逃してしまった。続いてピロシキが待ってようとモッツァレラを追いかけ、タンタンメンはすました表情で子供め、とモッツァレラの背中に吐き捨てたが、その横顔からはモッツァレラと同じ子供の心中がはっきりと見て取れた。カラスミは四人が店内に入るまで扉を支えていた。が見上げると、 「早く貯金箱を選んで来い。」 と言ったが、その顔はたぶん微笑んでいた。 店にはあらゆる物がそろっていた。日用消耗品、食器、椅子や棚などのちょっとした家具、置物、調度品。売り物は整然と、しかし所狭しと並べられていたから、店内はうっすらと暗い。建物の匂いなのか品物の匂いなのか、木や土や金属や紙や様々なものの入り混じった空気は独特の雰囲気を醸し出していた。 店内には達以外に客はいないようだ。奥の方に低い売り台があり、その向こうに老人が一人、椅子に座って本を読んでいた。店主だろう。 皆はどこに行っただろうと思い見て回ると、ピロシキは園芸用品に見入っていた。タンタンメンは棚を一つ一つ物色している。モッツァレラは、 「、ちょっと来て!」 姿を見つける前に声がした。呼ばれた方に向かうと 「ばあ!」 角を曲がったところで突然不気味な形相の顔がの視界をふさいだ。 「ひゃあ!?」 すっとんきょうな声を上げて尻もちをついただったが、よく見るとそれは異国の仮面をつけたモッツァレラだった。しわくちゃの奇怪な顔の下から、くっくっと可愛らしい笑い声がもれる。 「あはは! ひゃあ!? だってー!」 「もうー! !」 「あはは、ごめんごめん。そんなに驚くとは思わなくて。」 仮面を外しながらモッツァレラは詫びた。 モッツァレラが見ていたのは異国風の道具や装飾品の並ぶ棚だった。を驚かせた仮面を元あった壁にかけて――壁には他にも人間や獣をかたどった大小の仮面が並んでいてちょっぴり怖かった――モッツァレラは次の品物を手に取って見せた。 「これなんか禁貨入れるのに良さそうじゃない?」 陶製の香炉か何かだった。透かし模様が美しいが、子供の手の平にすっぽり収まる大きさなので貯金箱としては少し小さいだろう。なによりふたがすぐ取れる造りだった。そう伝えると、モッツァレラはんー駄目か、と首を傾げて別の棚を眺め始めた。人一倍はしゃいではいたが、ちゃんと当初の目的も忘れていなくて感心感心、とが思って見ていると 「これ素敵じゃないー?!」 色とりどりの硝子玉をつなげて作った首飾りを嬉しそうに試着しているモッツァレラがいた。 「まったく少しは静かにできないのかモッツァレラ。」 ため息をつきながらやって来たのはタンタンメンだ。モッツァレラはべーと舌を出して見せる。むっとした顔でモッツァレラをにらみ返す彼の手には、鷲の形をした置物が抱えられていた。 「あっ、貯金箱決まったんだ。」 が言う。 「ああ。これ、中が空洞になってるみたいだから、穴を開けたら貯金箱になりそうだと思って。」 タンタンメンは嬉しそうに笑った。 「かっこいいだろ?」 「ふーん……鷲型貯金箱ねえ……。」 モッツァレラはしげしげとタンタンメンの選んだ鷲の置物を眺め、タンタンメンの顔を眺め、にやりと笑った。 「あんた、こないだピロちゃんとに鷲っぽいって言われたの、ずいぶん気に入ってたんだ。」 「そ、そういう訳じゃ……!」 タンタンメンはちらりとの方を見て、ない、と小さくつぶやいた。 「これがっ……一番ましだったんだ。鷲はたまたまだ!」 言い捨てて、タンタンメンは怒ったように二人に背を向けて去っていった。とモッツァレラは顔を見合わせて、笑った。 「あいつ、分かりやすいんだからー。」 「も知っててからかってるでしょ。」 「さーてね! とにかくあたし達も早く貯金箱決めちゃいましょ。ピロちゃんはいいの見つけたかな?」 二人はピロシキを探すことにした。 ピロシキは幼児向けのおもちゃがたくさん置いてある所にいて、ちょうど今貯金箱を決めたようだった。 「! 貯金箱見つかった?」 「あ、。それにモッツァレラも。」 ピロシキはにっこり笑って、手に持っているそれを見せてくれた。可愛らしいくまの貯金箱だった。それはまさしく硬貨を貯める目的のために作られたもののようで、ちゃんと穴が開いていた。 「ここ、貯金箱いっぱい置いてるでしゅよ。達もここから選んだら?」 ピロシキが指し示した棚には、なるほど子供向けの貯金箱が並べられていた。動物や植物、道化師や妖精などの姿をしたそれらは、目がちかちかするほど豊かな色で彩られ、皆一様に分かりやすい笑顔を浮かべていた。 「うーん、ちょっと子供っぽすぎるかなあ。」 モッツァレラが先に難色を示した。 「そうかなあ。どれも可愛いと思いましゅけど。」 「ピロちゃんの選んだそのくまさんはまあまあいいけどね。他のはあたしの好みじゃないかなー。はどう?」 ピロシキには少し悪いと感じたけれども、は肩をすくめて見せた。 「もピンと来るのはなかったかな。」 「そうでしゅか。残念でしゅ。」 「まあピロちゃんは先にカラスミ様と合流しててよ! とあっちの方も探してみるから。」 「ありがとう。」 に背中をぽんとたたかれ、ピロシキはうん、と微笑むとその場を後にした。 タンタンメンとピロシキの二人とも貯金箱を決めてしまったので、とモッツァレラはいよいよ本腰を入れて自分の貯金箱を探し始める。一緒にあっちの棚を見たりこっちの通路をのぞいたりしたが、なかなか良い物が見つからなくて、が焦りを感じ始めた時、 「、これどうかな。」 店主の座る売り台にほど近い場所で、モッツァレラが何か見つけた。 手作り逸品、と書かれた札の下に置かれた小さな棚だった。棚の最上段には木彫りの置物がいくつか載っていて、その下の段には野草の茶と装飾用に乾燥させた花の束、一番下の段には手芸品が並べられていた。その手芸品の段を指して、モッツァレラはを呼び止めたのだった。 「ね、どう。この巾着、可愛くない?」 モッツァレラが取り出したそれは、やや厚めの生地でできた布袋だった。上部のひもを絞れば口が閉じる構造になっており、禁貨の収納としては問題なさそうだ。左隅に赤いばらの花の刺繍が施されていて、モッツァレラはそれが気に入ったようだった。 「刺繍は一つ一つ違うみたい。ほら、色々あるよー。」 モッツァレラはいくつかの巾着を手に取りに提示する。犬、四つ葉、太陽……おそらく同じ制作者なのだろう。同じ色形の巾着に一か所だけ施された刺繍が異なっているのだった。どの刺繍もとても可愛らしかった。はモッツァレラから巾着を受け取って、わあと微笑みながらそれらを眺める。 「可愛い!」 「決めた! あたしの貯金箱これにする! ねえ、もそうしない?」 きらきらと輝く大きな瞳でモッツァレラが出した提案は、ほとんどそのまま通るのが常だった(カラスミだけがそれを制止できた)。そういうわけで、の貯金箱もやっと決まった。モッツァレラは赤いばらの刺繍、はの刺繍が入っているものをそれぞれ選んだ。 「皆、決まったようだな。」 カラスミは全員分の貯金箱を集めると、会計を済ませた。 「とモッツァレラはおそろいなんでしゅね。」 ピロシキがちょっとうらやましそうに言う。とモッツァレラは顔を見合わせて、いいでしょーと笑い答えた。タンタンメンは二人の貯金箱について何も感想をよこさなかったが、少し離れて様子を見ているその表情は、どことなくピロシキと同じだった。 それからカラスミが与えてくれた初めての禁貨を、四人はそれぞれの面持ちで自分の貯金箱に入れた。 「貯金箱を禁貨で一杯にして、お前たちも好きな願いを叶えるといい。」 カラスミは言った。 願いか、とは考える。 カラスミ様と、みんなと、ずっと一緒にいられるなら、他は何もいらないな。 その願いは禁貨の力で叶えるにはあまりにも漠然としていて、口にすると壊れて消えてしまいそうだったから、はそれをそっと、心の底にしまいこんだ。 To be continued... ←BACK NEXT→ ![]() |