*8*


 の頭の中は混乱していた。
 アバター叔父の言う「鍵」が何を指しているのかは分からなかった。しかし、の記憶にかすかに残っている「片方の鍵」という単語、カラスミの探すゴーグルを入手するために必要な二つの鍵、そしてアバターがバンカーであるという事実。の記憶がはっきりと戻らない以上、これらのつながりを確かめない手はなかった。
 ヴァンの口数は行きよりもずいぶん少なくなっていた。その上はアバターに再び会うため、焼け落ちた家から教会までの道程を覚えることに神経を集中させていたから、帰り道にヴァンと話した内容はほとんど頭に入らなかった。この町での滞在期間や、次の目的地などを聞かれたような気もするし、たぶん、共に暮らさないかとも誘われたのだろう。
 教会に到着し、が礼と別れを告げると、ヴァンは小さな紙切れに何かを走り書きし手渡してきた。
「それ、僕が今住んでいる所。」
 彼は寂しそうに微笑む。
「思い出しても、思い出さなくてもいい。帰って来てくれるのを、ずっと待ってる。」
 は答えられなかった。
 ヴァンはそれじゃあ、と片手を上げると暗い道をひとり歩いて去っていった。はなんとなく、その背中が見えなくなるまで見送った。
「戻ったか、。」
 ヴァンの姿が消えた後、教会の陰から声がした。タンタンメンだった。彼はゆっくりとこちらに歩み寄る。
……。」
 は安堵と疲労がどっとあふれ出るのを感じた。続く言葉は見つからず、ただ強いめまいがした。
!」
 よっぽどの足元がおぼつかなかったのだろう。タンタンメンがの肩に手をやった。少年には不釣り合いなほど大きな青い爪が、少女の小さな肩をへたくそに包む。タンタンメンは、何と声をかければよいのか分からないらしかった。やや間を置いて、
「けが、してるのか。」
 とようやく尋ねた。
「ううん、大丈夫。ちょっと疲れちゃって……ふらっとしただけ。」
 タンタンメンはそうか、と答えながらの全身を眺め、その言葉に偽りがないことを確かめると、少し表情をゆるめた。
「ならば、行くぞ。カラスミ様がお待ちだ。」
 青爪がするりとの体から離れる。支えを失ったは急に不安によろめいて、タンタンメンの後に続く一歩をすぐには踏み出せなかった。
 タンタンメンが振り返る。
 そして再びの側に来ると、肩を抱いた。
「歩けるか。」
 間近でこちらをのぞくタンタンメンに、はうなずいた。
「じゃあ行こう。」
 たぶん、は自力でも歩けたのだろうと思う。だがを支えるタンタンメンの力は強く、わずかに震えていたから、それを振りほどくことはできなかった。
「無事で……良かった。」
 道すがらタンタンメンがぽつりと落としたつぶやきは、ほとんど呼吸と同化していた。
 ひやりとした青爪の先っぽがの肌に触れて、少しだけ痛かった。

 カラスミは教会からそう遠くない場所に宿を取っていた。皆が待つ部屋にとタンタンメンが到着すると、扉を開けるなり、! とモッツァレラが飛びついてきた。
「お帰り! 心配したんだよー! けがしなかった? ホワイトキーのこと何か分かった?」
 少し黙れよモッツァレラ、とタンタンメンがにらみつけた。
 それからは緊張にこわばった顔を洗い、衣服をゆるめた。ピロシキが温かい飲み物を持ってきてくれて、カラスミは言葉少なく椅子に座るよう促した。
「ご苦労だったな、。何かつかめたことはあるか。」
 教会での兄らしき者が現れたところまでは、タンタンメンたちによって説明が終わっていた。それでは、ヴァンと共に焼け失せた自宅を訪れたこと、そこで叔父を名乗るバンカーと遭遇し、鍵について問われ、真夜中に再び会うよう言われたことを報告した。
「二つの鍵を合わせて扉を開けようと、アバターはそう言っていました。」
 カラスミはしばらく沈黙していた。のどの奥で低くうなり、考えているようだ。
「アバターという男が言った二つの鍵とは、ブラックキーとホワイトキーのことなのでしょうか。」
 たまらずタンタンメンが質問すると、カラスミはおそらくな、と返答した。四人の頬が一斉に紅潮する。笑みを浮かべて互いを見交わし、モッツァレラはのおかげだね、やったあ! と再度飛びついてきた。
 だが、喜ぶのはまだ早いぞとカラスミがいましめると、皆ぴりりと緊張した面持ちを取り戻した。
「以前ココット町に来た時は、禁貨ゴーグルの情報を追い求めてだった。あの時は根も葉もない噂として終わったが、今再び可能性が浮上した。にもこの間話したな。」
 カラスミに視線を向けられはこくんとうなずいた。
「ココット町には、やはり禁貨ゴーグルが隠されている。ホワイトキー、ブラックキーによって開く扉の先にそれはある。そしてホワイトキーと扉のことを、の叔父を名乗るアバターというバンカーが知っている。」
 揺るぎない決意を込めたカラスミの声が、密やかに重厚に部屋のなかに響く。
「アバターから、鍵と扉の秘密を奪うぞ。」
 四人の獣たちは、その指示を黙って承諾した。
 カラスミの作戦はこうだった。まずがブラックキーを持ち、あたかも誠実に約束を果たしに来た様相でアバターと会う。ブラックキーを一旦アバターに渡し、泳がせ、ホワイトキーと扉の存在を確認した後、アバターから全てを強奪する。
以外の者は禁貨ゴーグルの確証が得られるまで身を潜め、最後に奇襲をかける。 不測の事態が起きた場合は俺の指示に従え。」
 そしてカラスミはを見た。幾度となくの心を捉えた赤い眼差しが、今、を見据えている。
……この作戦の成功はお前にかかっている。負荷は大きいが、やれるな。」
 はごくりと唾を飲み込み、はい、と答えた。カラスミはにやりと笑った。
「では各自、食事と仮眠をとり備えるように。作戦決行は真夜中だ。」
 四人は声をそろえて返事をした。
 長きに渡る探索の旅がいよいよ終わろうとしていることに、誰もが興奮を隠せなかった。


To be continued...

←BACK   NEXT→



鎮魂火シリーズのメニューページに戻ります