*7*


 とヴァンは、焼け落ちた廃屋の前にいた。
 教会を出ると、ヴァンはを自宅に招こうとした。そこで茶でも飲みながらゆっくり話そうと。だがはそれを断り、かつて自分が住んでいた家に行きたいと申し出た。
「ヴァンさんの家は、にとって本当に知らない場所だから。少しでも知っているかもしれない場所に行って、思い出したいの。」
 それでもヴァンが渋るので、は自分の記憶は猛火の中から始まっているのだと打ち明けた。そして、もしかして達の家は焼けてしまったのかと、尋ねた。
 ヴァンはうなずいた。
「そうか……あの日のことは覚えているんだね。そうだよ。僕たちの家は燃えたんだ。全部燃えて、何も残らなかった。父さんと母さんも、その時に死んだ。」
 は一瞬言葉を失った。それは一般的に言って悲しい事実だった。だがやはり両親の顔は思い浮かばなかったし、従って感情を伴うはずもなかった。はつとめて冷静に、うなずいた。
「焼け跡でもいい。がいた場所に、連れて行ってください。」
 ヴァンは少し黙った後、承諾した。

 その場所は一見、雑草の茂る空地だった。凄惨せいさんな火事の臭いはとっくの昔に吹き払われており、しかしそこが確かに住居の焼け跡であると判断できたのは、空地の所々に黒焦げ色に朽ちた柱や、焼けて崩れた石壁の残骸が散らばっていたからだった。
 は雑草を踏み倒し、かつて家だった場所に入っていった。草の下には日用品の燃えかすでも残っているのだろうか。足裏にぼこぼこした感触が伝わってきた。
「足元、気を付けてね。」
 ヴァンが声をかける。
「だいぶ片付けたとは思うんだけど。」
 はゆっくりと歩を進めながら、ぐるりを観察した。家の間取りはもうすっかり分からなくなっていたから何も思い出さなかったのは仕方がない。だがそこから見える景色、隣家の屋根も、市街地に続く道も、裏手にある雑木林も、の心に響くことはなかった。
 やっぱり何も思い出せないのか。
 絶望に負けそうになりながら、それでもは焼け跡の中を歩いた。すると、敷地の端の所に不自然にくぼんだ地面を見つけた。足首を少し越えるくらいの深さだろうか。苔むした小石が幾らか転がっていた。
「そこには池があったんだ。」
 くぼみを眺めるの側にヴァンがやって来てそう説明した。
「覚えてないかい、。この池に向かって火を放っていたことを。」
 は知っている。水に向かってなら、火を出しても大丈夫。火は水面に踊り、その冷気に当てられてすぐに死んでしまうだけだから。
「きれいな火だった。……あ、もしかして、火を出せたことも忘れてしまっているのかな。」
 は首を振る。
「火は自在に操れます。この池に火を出していたことも、なんとなく、覚えているような気がします。」
 ヴァンの顔が一瞬ぱっと明るくなった。そしてどちらかというと自分に言い聞かせるために、焦らなくていいからね、ゆっくり思い出していこう、と言った。
「ヴァンさんも火を操れるの?」
 ふと気になってが尋ねると、ヴァンはいいや、と首を振った。
「家族の中でそんな特殊な力を持っているのはだけだった。この池は、の能力が分かってからのために作られたんだよ。みんな心配して……というか恐かったのかもしれないね。でも僕はの火、好きだよ。」
 は神妙な顔つきで、かつては池だった、今となっては雑草が生い茂るばかりの地面のくぼみを眺めた。ヴァンはの火を好きだと言った。自分の火を見せてもいない相手からそんなことを言われるのは変な感じだった。何より、カラスミたち以外の者でのことをそう思う人間がいるということが、くすぐったいような、重苦しいような、何かわけの分からない感覚で胸を締めつけた。
「よお、ヴァン。また会ったな。」
 突然、知らない男の声がして振り返ると、壮年を少し過ぎたくらいの中肉中背の男がこちらに向かって来ていた。ヴァンはあからさまに嫌な顔をした。
「アバターだ……。父さんの弟、つまり僕らの叔父だよ。」
 にささやく。
「んん? ヴァン、その女の子は誰だ? 恋人か? いや、待てよ……おい、まさか、! じゃないのか!?」
 アバター叔父はに駆け寄り、が戸惑う間もなくその大きな両手をの肩の上に置いた。
「おお、やっぱりだ。面影がある。こんなに大きくなっていたから分からなかったよ。死んだと聞いていたぞ? 今までどこにいたんだ? 叔父さんのこと覚えてるか?」
「やめろ、やめろ!」
 ヴァンが二人の間に割って入り、アバターの手をから引きはがした。突き飛ばされるような形でアバターは二、三歩後ろによろめく。
は記憶を失くしているんだ! もう僕達には構わないでくれ。あんたなんか、もう叔父でも何でもない!」
「へへ。すっかり嫌われちまったねえ……。」
 アバターはかすかに淋しそうに、しかし別段傷ついてもいないふりをして、薄ら笑いを浮かべた。
「それじゃあ邪魔者はおいとましますかね、っと。」
 そして歩き出し、わざわざヴァンとの横をゆっくり通る。
「気の毒になあ、。記憶を失くしちまったなんて。あんなに懐いてくれていたのに、叔父さんのことも忘れちまったのかあ。……鍵のことも?」
 最後の一言は、だけに聞こえるようにささやかれた。は飛び上るほど驚き、アバターを見た。アバターはしたり顔でを見つめ返した。そしてヴァンとから数歩離れた所で立ち止まり、少し身をかがめてを手招いた。どうやらヴァンには聞かれたくないらしい。ヴァンがの名を呼んだ。だがは、アバターの手招きに応えた。その時は、アバターの上衣の肩口にバンカーマークが縫いつけられているのに気がついた。
 アバターはに耳打ちした。
「鍵のことを覚えているってことは……、記憶喪失ってのは嘘か?」
「それは本当です。けど、記憶のかけらの中に『これが片方の鍵だよ』って言いながら誰かがに鍵を差し出している場面があって。あれは……叔父さん、だったの?」
 アバターは、さあてね、そいつは分からないが、と答えながらもその顔にはにんまりと笑みを浮かべていた。先程ヴァンに拒絶された時には絶望の色さえちらりと見えていたのに、今や希望に野心という花が咲いている。
「今日の真夜中に、再びここで待つ。」
 アバターはそう言った。
「そして二つの鍵を合わせて、扉を開けよう……俺との二人で。な?」
 叔父が何を言っているのかには分からなかった。だが、とにもかくにもカラスミ様のために事態を動かさねば。はうなずいた。それを見とめて、アバターは背を向けて去っていった。
 、とヴァンが再び呼んだ。
、行こう。もう日も暮れてしまったし、冷え込む前に僕の家へ行こう。」
 言いながら、ヴァンの目は悲しみをたたえていた。きっと次にがヴァンと行動を共にしないことを選んだら、彼の悲しみは行き場を失くしてあふれてこぼれて、彼をずたずたに切り裂いてしまうに違いなかった。だからは、ヴァンの方を見ないようにして言った。
「ヴァンさん。教会まで、送ってもらえませんか。」
 短い沈黙の後、分かった、と言の葉が落ちた。

To be continued...

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