*6*


 その後、たちはホワイトキーについての有力な手掛かりを得ることなく、待ち合わせ場所の中央教会にたどり着いた。他の二人はすでにそこにいて、たちを見つけると手を振って合図した。
 合流した彼らは互いに報告をし合ったが、カラスミに胸を張って言えるような情報は、どちらも持ち合わせていなかった。沈痛な表情でうつむく四人。
「……日没までにはまだ時間があるな。」
 西方を仰ぎ見てタンタンメンが言う。
「じゃカラスミ様が来るまで、この教会を皆で探索しましょ。」
 と提案したのはモッツァレラ。それがいいねと賛同するとピロシキ。タンタンメンも文句はないようだ。
「フン。たまにはマシなこと言うじゃないかモッツァレラ。」
 ぼそりとつぶやいた彼の言葉は、だけが拾っておいた。
 町はずれからでもよく見えていた教会は、大きいの一言に尽きた。見るからに立派な感じだが、ごてごてとした装飾はなく、白く洗練されていて美しい。正面扉は堅牢な木で出来ていて、上部に鳥か獣か、何か複数の生き物を描いたような浮き彫りがあった。
 ピロシキが扉を開け、四人はそろって中に入った。
 外見にたがわず、中も広かった。入口から真っ直ぐ進んだ突き当たりの所に祭壇があり、一体の女神像が安置されていた。様々な色彩で模様が描かれた窓ガラスからやわらかな西日が入り、教会内は厳かな空気に包まれていた。人はまばらにちらほら。礼拝に来たのであろう町人が数人と、観光客らしいのも一組いた。
「古いけど、きれいな教会でしゅね。僕あのステンドグラス好きでしゅ。」
 ピロシキが感想をささやいた時、若い修道女が四人に近付いて来た。
「こんにちは。礼拝ですか。ご両親は一緒ではなくて?」
 四人が兄弟に見えたのだろう。にこやかに問いかける。
「ええ、観光でこの町に立ち寄りました。ここで兄と待ち合わせをしています。」
 タンタンメンがしれっと嘘をついた。たち三人は思わず顔を見合わせ心の中でくすくす笑う。便宜上、この手の嘘をつくことはよくあった。そして何度ついてもこの嘘は――カラスミを長とし五人に血縁があるという嘘は、妙な快感を伴って心をくすぐるのだった。
「そうですか。ではもし良ければ、お兄様がいらっしゃるまで教会をご案内さしあげますわ。」
 修道女は少しも違和感を覚えなかったようで、そう申し出た。四人はわずかでもホワイトキーの手掛かりが見つかる望みを懸けて、彼女の好意を受け入れた。

 信仰の対象として、古今東西を問わずよく選ばれるのはバンキングだ。たちもその手の教会がある町や村を訪れたことがある。しかし、ココット町の信仰はバン王にも禁貨にも関係していなかった。この土地の宗教は、山岳信仰に近いものらしい。修道女が経典を引用しながら一所懸命に説明してくれた内容を要約すると、ここでは山、そこに起こる山火事、それを鎮める雨、そして雨水が集まってできる川を一連の神の具現化とみなして崇めていた。
「ああ、なるほど。あのステンドグラスには山、火事、雨、川がそれぞれ描かれているんでしゅね。」
 ピロシキはまだ窓に夢中である。
「神はそのようにして御身を現すだけでなく、時として使者を遣わすという形で我々に接触されることもあります。その使者の像が、これです。」
 修道女は四人を祭壇の近くまで案内し、そこに佇んでいる女性の石像を指した。玄関を入ってすぐに目についたあの女神像だった。この教会と共に昔からココット町を見守り続けてきたのだろうその像の表面はなめらかに光り、端正な顔には優しい微笑みを浮かべていた。瞳には紅玉ルビーがはめこまれていて、その深い赤をじっと見つめていると吸い込まれそうだった。
 そうしてたち四人がその美しい石像を眺めている時、奥の方から初老の男が現れて、彼らを案内してくれていた修道女を呼んだ。彼女ははあいと返事をすると、
「ごめんなさいね。案内はここまでです。どうぞごゆっくり。」
 そう言い残して去って行ってしまった。
「さて……。」
 タンタンメンは再び女神像を上から下までゆっくり眺め、ため息をついて言った。
「どうもホワイトキーと関係ありそうな話ではなかったな……。」
「モッツァレラ、山だの火事だのの神様の話してる時、もー寝ちゃうかと思ったわよ。」
「僕はステンドグラスはとっても気に入ったんでしゅけど……。」
 少し沈黙した後、たちはため息合奏を行う。
「こうなったら頼みの綱はの記憶だけだな。。何か思い出さなかったか。」
「え、えと。」
 皆の目にかすかな希望の灯がともり、の方を見る。それを消してしまうのは非常に忍びなかった。だが、それを消すしかには選択肢がなかった。
「……ごめん。」
 分かっていたことではあるが、やはり三人とも肩を落とした。
 一度でもココット町に住んだことがあるのなら、町の中央にあるこの大きな教会を知らないはずがなかった。季節ごとの行事、個々人の冠婚葬祭。きっと折に触れてこの教会を訪れているはずだ。ところが、紅玉の瞳をもつ女神像も、山と火と雨と川の描かれた窓も、厳かな空気に包まれたこの広い空間そのものでさえ、の懐かしさを誘うことはなかった。それらは全く初めての経験としての前にあった。
 妄言だったのかもしれない。の頭にそんな考えがよぎった。「片方の鍵」だなんて、そんな言葉は端からの記憶には存在していなくて、ホワイトキーのことを考えるあまり聞こえてしまった空耳あるいは妄想だったのかもしれない。それのせいで、カラスミ様の時間と労力を割いてしまった。そう思うと耐えられないほど悲しかった。は口をきゅっと結び拳を握りしめて床を見つめた。
 その時だった。
……。」
 若い男の声がした。は振り向いた。
 そこにはよりも五、六歳、いやもっと上だろうか、年上の細身の青年が立っていた――というよりは立ち尽くしていた。彼は黒い目を見開き、震える声でもう一度、、とつぶやいた。
「間違いない、だ。本当にだ……。!!」
 叫ぶと、青年はまっしぐらにに駆け寄り腕を伸ばした。反射的には身を引く。と同時にタンタンメンとピロシキが青年との間に割って入り、その手を遮った。
「何者だ、貴様。」
 青年ははっと我に返ったようにタンタンメンとピロシキを見、一歩下がった所で警戒の構えを取っているモッツァレラとを見ると、一度深呼吸をして、すまない、と姿勢を正した。
「僕の名前はヴァン。コ・コ・ヴァンといいます。」
 そして彼はを見る。
「そこにいる……コ・コ・の、兄です。」
 皆が一斉にを見た。
 コ・コ・? 自分の名前に聞き慣れない文字をくっつけられたその音の響きは、の脊髄をつつっと撫で上げた。はヴァンと名乗る男と視線を合わせたまま、ごくりと唾を飲んだ。
 栗色の短髪に、黒い瞳。優しげな面立ちはどことなく老いているようにも見える。苦労してきた人なのかもしれない。きゃしゃな体は、いまだ興奮して小刻みに震えていた。この人が、コ・コ・ヴァン――の兄――いや、やはり全く見知らぬ男だった。
はねー、記憶を失ってるのよ。」
 今度はモッツァレラがとヴァンの間に立った。ヴァンの顔からさっと血の気が引く。
「記憶、を……!?」
 がヴァンに対して警戒態勢を取るのは、ただ年月が妹に兄を分からなくさせているだけだと、彼は思っていたのだろう。
「じゃあ、僕のこと……兄さんのこと、覚えてないっていうのか、?」
 は黙ってうなずいた。ヴァンはその場にくずおれた。そのまま頭を抱え、やっと会えたと思ったのに……とか、まさかこんな……とかいうようなことを悲痛な声でつぶやいていた。
「どうする、。」
 タンタンメンが渋い顔でささやく。
「大の男がまーあんなに取り乱しちゃって。」
 とモッツァレラは呆れ顔だ。
「でもちょっと可哀想でしゅ。、本当に覚えてないの?」
 ピロシキはヴァンに同情していた。は視線を沈ませる。
に兄がいたって事実は、かすかだけど覚えてる。でもその事実とあのヴァンって人は結びつかない。懐かしいとは……思わない。やっぱ、あの人知らない人だ。」
 が言い切るので、三人は沈黙してしまった。それからモッツァレラがぽつり、
って意外とざっくり切っちゃうタイプね。」
「切りたくて切ってるわけじゃないって! ほんとに覚えてないんだからしょうがないでしょー。」
「しかしあの男が嘘をついているようにも見えないし、本当にお前の兄なんだろうな。」
「うーん、分からないけど、たぶん。」
 そうこう言い合っているうちに、ヴァンが重い声での名を呼ぶのが聞こえた。彼はなんとか再び立ち上がっていた。ざっくり切られたようにふらついてはいたけれど。
「聞きたいことも、話したいことも、山ほどある。とにかく家に来てくれないか、。家でゆっくり話そう、ね。」
 四人は顔を見合わせた。ピロシキとモッツァレラは不安げな表情だったが、タンタンメンだけはきりりとを見据えていた。
「思いがけずお前の記憶の手掛かりが見つかったな、。」
 そして彼はふっと顔を曇らせる。
「……怖いか?」
 四人で町中回って、それでも情報は得られなかった。ホワイトキーを入手する最後の希望が、の記憶だ。片方の鍵ホワイトキーに接触したことがある。おそらくの記憶が沈んでいる場所、この町で。――それは妄想かもしれない。カラスミを想うあまり作り上げてしまった絵空事なのかもしれない。だが記憶を取り戻さない以上、そうでないとも言えないのだ。そしてヴァンの出現は、記憶を取り戻す絶好の機会だ。はにやりと笑ってやった。
「望むところよ。」
 はタンタンメンたち三人に向き直った。
、あのヴァンって人について行ってみる。」
「僕も一緒に行こうか?」
 ピロシキがそう言ったがは首を振った。
「ありがとう。でも一人で大丈夫。」
 そしてはヴァンの側に歩み寄った。
「ヴァンさん。は記憶を失くしてて、あなたのことも、この町のことも覚えていません。でも、家に行けば何か思い出せるかもしれません。だからあなたと一緒に行きます。」
 ヴァンは他人行儀なの口ぶりに改めて失望した様子だったが、ようやく眼前の事実を理解し、の返答をとりあえずは前向きに捉えることができたようだ。
「じゃあ……行こうか。」
 ヴァンはちらとタンタンメンたちを見た。忘れ去られた兄の代わりににとっての近しい存在となっているのが彼らであることは、今までの言動から明らかだった。そしてそれを認めることは、が記憶を失ったという事実以上にヴァンの心をかきむしった。タンタンメンたちに配慮した別れの挨拶など、ヴァンにできたはずもない。
「じゃあ、。ちょっと行ってくるね。カラスミ様への説明よろしく。」
 ヴァンの顔色に気が付いたは、そう言って自分から手短に声をかけた。いくらヴァンのことを赤の他人としか思えないとはいえ、あえて傷つける必要もない。
「うん。気をつけてね。」
「カラスミ様への説明はまかせて。」
「頃合になったら再びこの教会で待っているから、終わったら戻って来い。」
「分かった。ありがとう、みんな。」
 そしてはヴァンを促した。
 ヴァンはタンタンメンたちに向かって黙ったまま浅い会釈をし、そうしてとヴァンは教会を後にした。



To be continued...

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