翌日、は王の用意してくれた部屋で、一人で自分の剣の手入れをしていた。父はいなかった。リゾットに稽古をつけに行ったのである。は今日も練習につき合わせてもらえなかったのだが、まあ仕方がない。
リゾットの稽古が終わったら、今日は城の近くにある森に行く予定だった。昨日リゾットと約束したのだ。 「そうだ。」 は手入れの具合を確認するため、剣の刃に光を反射させてみてからつぶやいた。 「リゾットにの剣、見せてあげよう。」 実際に剣を交えなくても、リゾットなら彼の自慢の剣の良さを分かってくれるはずだ。うん、決めた。今日は剣をさげて行こう。 そんなことを考えていると、剣の手入れをする手にも力が入った。 そろそろ稽古も終わった頃かなと思い、は中庭へ行った。もちろん腰には剣を差してある。庭に出てみると、彼の予想は見事的中、たった今父とリゾットが剣を片付け終えたところだった。 「!」 を見つけたリゾットが叫ぶ。も彼に向かって手を振った。 「グッドタイミングだな。ちょうど今終わったところだ。早速行こうぜ!」 「行くって……遊びにか?」 父が尋ねる。はそうだよ、とうなずいた。 「近くの森まで。リゾットが案内してくれるって。」 「ほぉ。もうすっかり仲良くなったんだな、二人とも。」 まあね、ととリゾットは顔を見合わせて笑った。そんな少年たちを、の父は目を細めて眺めていた。 「それじゃ行ってくるね、父さん!」 「行ってきます。」 「ああ、気をつけてな。暗くなるまでには帰ってこいよ。」 「はーい。」 少年たちは走ってその場を去った。の父はしばらく二人の背中を見送っていたが、やがて彼自身もきびすを返した。 「なあ、森って、リゾットはよく行くのか?」 廊下を一気に駆け抜けた二人は、ようやく一息ついて歩きだす。ただ、早く森に遊びに行きたいというその気持ちは、彼らの歩調の速さによく現れていた。 「ああ。小さい頃からよく行っていた。」 「ここから近い?」 「すぐそこさ。」 城門まで来ると、衛兵が二人いた。彼らは王子の姿を認めると、さっと敬礼する。 「お出かけですか、王子。」 「うん。森まで。」 「そちらの方は?」 「ほら、昨日オレの剣術の先生の、代理の人が来ただろう。その先生の息子さんだ。」 ああ、と衛兵たちが同時にの方を見た。は少し戸惑ったが、二人に向かって軽く会釈した。 「それではお二人とも、どうぞお気をつけて。」 「ああ。」 「暗くなる前に帰ってきて下さいね。」 「分かった。」 行こう、とリゾットがを促して城門を抜けた。も彼の後に続いたが、去り際にちょっと後ろを振り返って見た。衛兵たちは再び城の警備にあたっている。 「どうした?」 「いや、なんでもない。」 は答えた。それから、少し笑みを浮かべる。 「ただ、言われることってみんな同じなんだなあって思って。」 ああ、とリゾットも微笑した。 それからしばらく行くと木々の数が増え、しだいに歩く道は林道となり、やがてそこは森になった。どこかで小鳥が鳴いている。木々のすきまから陽がこぼれ、下草をきらきらと照らしていた。仰ぎ見ると、目の覚めるようなグリーンの中に、ちらほらと快晴のブルーが光る。 「いい所だね。」 は思わずつぶやいた。だろ、とリゾットは嬉しそうに答える。 「静かで、綺麗な所だ、ここは。オレの好きな場所の一つなんだ。」 はうなずいた。 「分かる気がする。ここはたちが旅の途中で通る森なんかとは、雰囲気が全然違うもんな。」 「が見てきた森は、どんな森だった?」 「どんな森って……。」 は考えをめぐらせた。目の前の美しい緑に囲まれてそれはなかなか困難なことだったが、彼はなんとか父親と歩いてきた道をたどる。 「そうだな。バンカーがいたよ。森ではけっこうバンカーに遭った。」 「バンカー……。」 リゾットがつぶやいた。それからふっと思い出したように言う。 「そういえば、の父上ってバンカーじゃないんだよな?」 「うん、違う。でも剣なんか持ってるし、間違われることもよくあるけどね。」 「ならないんだろうか、バンカーに。」 「えっ?」 「いや、だっての父上はとても強いし……叶えたい願いとか、ないんだろうか。」 「ああ……。」 昔、も同じことを考えたことがあった。父さんはすっごく強いのに、どうしてバンカーにならないの? そのとき父はこう答えた。 「『面倒くさい』ってさ。」 「そうか……。」 何かを考え込むように、リゾットはうつむいた。はそんな彼の顔をのぞく。 「リゾットは、叶えたい夢とかあるのか? バンカーになって。」 「叶えたい夢?」 しばらく黙り込んでから、リゾットは答えた。 「強いて言うなら、そうだな。この国をずっと守っていけたらいい。平和で、皆が幸せに暮らせる、このグランシェフを。」 「へへ、リゾットらしいや。」 「は?」 「えっ、?」 今度はが考え込む番だった。うーん、とうなり声をあげて彼は悩む。 「まだ分かんないな。」 「……そっか。」 歩いているうちに、二人は小川が流れる所まで来た。この辺で座ろうか、とリゾットが提案し、二人は川の側の木陰に腰を下ろした。 「あ、そうだ。」 は腰につけていた剣を外す。 「自分の剣、持ってきたんだ。」 「ここで手合わせする気か?」 「ううん。の剣、リゾットに見てもらおうと思ってさ。」 リゾットはから剣を受け取った。鞘から剣を抜くと、銀色の剣身が陽の下にあらわになる。その切っ先に一瞬葉の間からこぼれた陽光がぶつかり、美しいきらめきの破片が辺りに飛び散った。磨きあげられた刃の上には、周りの風景がぼんやりと映りこんでいた。 「いい剣だな。」 感心したようにリゾットがうなずく。 「リゾットなら分かってくれると思ったぜ! の自慢の剣なんだ。」 「オレも自分の剣を持って来ていたら、に見てもらえ……」 リゾットは急に言葉を切った。がどうしたんだ、と不思議そうに尋ねると、彼は気まずそうにちょっと笑った。 「稽古の後に剣外すの忘れてた。」 言ってリゾットは差していた剣を外した。なあんだ、とも笑い、早速リゾットの剣を受け取った。その瞬間、彼は心の中でうわっと小さくつぶやいた。 リゾットの剣は鞘からして格が違った。それのいたるところに高価な宝石が散りばめられていた、というのではない。確かに一つ二つ小さな宝石がはめこまれてはいるのだが、が驚いたのはその作りの丁寧さに対してだ。こんな鞘は初めて見た。たぶん、作る時の材料から厳選しているのだろう。それに鞘に細かく入っている複雑で美しい文様。職人技としか言いようがない。 剣を抜くと、刃が静かに力強くきらめいた。剣を空に向かって掲げ、柄を握る手を軽く動かすと、その度に剣は白銀の光をに返す。きれいだ。は思った。魅入られそうになりながらさらによく眺めると、角度によって剣身の中に空を舞う雄々しい鷲の姿が見えることが分かった。 「すげえ……。」 がやっと言えた言葉はそれだった。そうだ。リゾットって、一国の王子なんだよな。改めてそれを認識したは、剣を鞘に収め、リゾットに返す。 「こんな剣、初めて見た。」 「扱いはなかなか難しい。」 リゾットもに剣を返した。 「それにオレ、本当言うと剣術はあまり得意じゃないんだ。」 「げっ、それであの強さかよ!? 自信なくしそうだな……。じゃあ、何が得意なんだ、一体?」 「実際に自分の体を使う格闘技、かな。蹴りは特に得意だぜ。」 「へえ。」 「見せてやろうか。」 リゾットはにやりと笑って立ち上がった。それから手ごろな木の前に立ち、に向かって、いくぜ、と声をかけてからすうっと息を吸いこむ。 「はあああっ!!!」 は一瞬自分の目を疑った。リゾットが木に向かってくりだしたのは、大量の、しかも超高速の蹴りだったのだ。ドドドドッと低い音が響き渡ったかと思うと、次の瞬間にはリゾットが最後の一発を決めた後だった。 「……すっ、すげーー!! 何だよ今の!?」 は興奮して叫ぶ。リゾットは少し得意げな顔をして、再びの横に腰かけると、 「ちょっとした連続蹴りさ。」 と答えた。 「ちょっとしたって……。一体何発蹴ったんだ?」 「さあ……数十発ぐらいだな。」 ほあー、とは感嘆の声をあげた。 「もう少し一発一発の効率が良かったら、百発ぐらいは蹴れるはずなんだ。」 「本当にすげーよ、リゾット! なんか『人間マシンガン』って感じだった。」 「マシンガンかー。」 はははっと、二人は声をあげて笑った。 「それにしても、リゾットはめちゃくちゃ強いんだな。」 「ふふ。だが、世の中にはまだまだ強いやつが多いと聞く……。……。」 「も頑張らないとな。もっともっと剣の腕を磨いて……」 「!」 リゾットがを小突いた。は少し驚いて、何だよリゾット、と尋ねる。リゾットは答えずに、しっと人差し指を口元にあてた。そのまま声をひそめてに言う。 「何か聞こえないか?」 「何かって……。」 は耳をすませた。すると確かに森の中から、風の唄とも川のせせらぎとも違う何かの音が聞こえる。これは……人の声? 「誰かいる?」 「おかしいな。この森はそう人が来る場所じゃないのに。」 話し声はだんだん大きくなってきた。どうやらこっちに近づいてきているようだ。それは数人の男の声だった。何を言っているかまでは聞き取れないが、怒鳴り声にも似たひどくいらついたものだった。 「隠れたほうがいいかな?」 「そうしよう。」 二人は近くの茂みの中に身を潜めた。そうしてしばらくじっとしていると、やがて話し声の主たちが現れる。彼らはお世辞にも上品とは言いがたい、三人の男だった。一人は他の二人に比べてかなり背が高い。あとの二人は身長はほとんど変わらなかったが、一方がとても太っていた。彼らの粗野な服装からのぞく浅黒い肌には、幾多もの傷がついている。物騒なことに、手にはめいめい何かしらの武器を持っていた。 直感だったが、は恐る恐る隣のリゾットに尋ねる。 「なあ……あいつらひょっとして……バンカー、かな?」 「だろうな。見ろ。体にバンカーマークの刺青をしている。」 リゾットの言ったとおりだった。やっぱり、とはうなずく。 「ああ、ったく何なんだよ! 結局何にもありゃしねえじゃねえか!!」 三人のうちの一人、小柄でやせたほうの男が突然叫び声を上げた。茂みの中の少年たちは一瞬ビクッとする。 「デマだったとかじゃ許さねーからな。」 「落ち着け。オレ様のつかんだ情報は確実よ。それよりわめくな。せっかくここまで忍び込めたんだぞ。誰かに見つかったらどうする。」 「けっ。こんな森の中に誰がいるってんだ。もうずいぶんうろついてるが、誰にも出会わなかったじゃねえか。」 最初にわめいた男はそう言い、ペッと唾を吐き捨てた。 「少し作戦を立て直したほうがいいんじゃないですか、ホワン。いくらあなたの情報が確かでも、私たちは事実として結局何一つ手にはしていない。」 のっぽが太った男に言った。ホワンと呼ばれたその男は少し不機嫌そうに分かったよ、とつぶやき、そのまま三人は草の上に腰をおろす。ちょうど、さっきまでたちがいた辺りだった。 「いいか。ようやくにしてグランシェフ城の近くまで来たんだ。お宝とはもう目と鼻の先よ。」 「へっ。何がお宝とは目と鼻の先だ。森に入ったとたん迷いやがったくせに。」 「お前は少し黙ってやがれ。さっきからゴチャゴチャうるさいんだよ。」 なんだと! と小柄な男と、リーダー格のホワンという男がこぜりあいを始める。しばらく彼らを見ていたは、小さな声でリゾットに話しかけた。 「宝ってなんだろう。グランシェフ城に強盗にでも入る気かな?」 「さあな。だが城の警備は堅いぞ。そう簡単に入れるものか。」 リゾットもささやき返した。 とうとう殴り合いを始めそうになる二人を、のっぽの男が止めに入る。 「あー、もう、いいかげんになさい! ホワン、続けて。」 「……フン! それで、だ。さっきも言ったが、城には入らねえ。宝は城の近くのどっかに隠されてるんだそうだ。」 「だそうだァ!? てめえその程度の情報で探し物しようってのかよ。」 「喜んでオレ様の誘いに乗ってきたのは誰だよ! ったく……。いいか、貴様の小さいオツムじゃ思いつかねーだろうから、オレ様はその辺もバッチシ目星をつけてあんのよ。これを見な。」 ホワンが何か紙切れのようなものを取り出した。地図のようだった。ホワンは紙の上を指で指し示しながら、声をひそめて二人になにやら説明を始める。男達が三人そろって一枚の紙をのぞきこむ形になったのもあって、茂みの中のたちには、その間の彼らの会話はほとんど聞き取ることができなかった。リゾットが少し困惑した顔でのほうを見る。も、同じように困った顔で小さく首を振っただけだった。とにかくバンカーたちの話が終わるのを待つしかない。 「……そんなことで本当に上手くいくんですか?」 しばらくすると、ようやくにしてのっぽが顔を上げた。続けて残りの二人も視線を紙の上から仲間に向ける。 「あったりまえだ! てめーらは黙ってオレ様にまかせとけばいいんだ。なんてったってオレは、言わずと知れた世界最強のバンカー、ホワン様だからな!」 がははと大きく笑い声をあげる仲間を、あとの二人はしらけた様子で眺めていた。 「んなこたどうでもいいんだけどよ、ホワン。そろそろ宝の正体ってのを教えてくれよ。バンカーにとっちゃ最高の宝、なんて言ってたけどさ。」 ホワンは笑いを止め、質問を投げかけた小柄な男のほうに目をやった。 「……実は、オレ様もよく分からねえんだ。」 「なにい!?」 「盗み聞きした他人の噂から得た情報だからな。」 「てめ、それでよくも確実だなんて……!」 「まあ待て! それでだな。オレ様もちょちょいと調べ物をしてみたんだ。そしたら最近、グランシェフと世界なかよし協会が裏で何かつるんでやがった! これは何かあるぜ。普通に知れわたっちゃ国がどえらいことになる何かがな。だとしたら、バンカーがらみである可能性が高いだろう?」 ホワンの説明が終わると、あとの二人はなるほど、とうなずいた。 「あなたにしちゃ考えましたね。」 「まっ、細けえことは抜きだ! とにかくとっととお宝見つけて、ずらがろうぜ。」 小柄な男がそういったのを契機に、三人は立ち上がった。そして彼らはどこかへ向かって去っていく。 「お、おい、リゾット! なんかヤバくねえか、あいつら!?」 男たちの背中と、リゾットの顔とを交互に見ながら、は焦りもあらわにリゾットに問うた。 「あ、ああ……。」 「リゾット、何か知ってるのか?」 「いや、バンカーがらみの宝だなんて、そんなものこの国には……。それに世界なかよし協会との密約だと? あいつら、くだらない噂に流されてるだけじゃないのか?」 「世界なかよし協会って、何?」 「唯一の国際機関さ。各国の民族間紛争の解決から経済格差の掃滅まで、まあ、いろんな活動をしているな。」 「ふ、ふーん。それで、グランシェフ王国もそのなかよしなんとかってのと関係してるのかよ?」 「もちろん。我が国は世界なかよし協会加盟国だ。だが、最近何か新しい条約や同盟を結んだという話は……。」 あっ、とリゾットが何かを思い出したように小さく叫んだ。なになに? とはリゾットのほうに身を乗り出す。 「……『給食完食奨励条約』……。」 「……何、ソレ?」 「ご飯を残さず食べましょうというのが骨子だ……が、あまり関係なさそうだな。」 「うん……全然関係なさそうだよ、それ……。」 一瞬二人は沈黙した。だが、すぐにははっとする。 「そ、そんなことより早くあの三人を追わなきゃ! あいつら何を企んでるのか知らないけど、放っとくわけにはいかないだろ!」 「そうだな。何をしでかすか分かったもんじゃない。よし、後を追おう、!」 「ああ!」 そうして少年たちは、すでに木立の中に消えてしまった三人のバンカーを追うために走り出した。森の中では何も知らずに川がささやき、小鳥が木の上で羽をつくろっていた。 Follow them! ←BACK NEXT→ ![]() |