*6*


 ほどなくして到着した村の入り口の辺りは、騒然としていた。ちょうど川が村に最も接近している場所に、幾人かの人だかりができていたのだ。その中に、ガーリらしき男の姿もちらりと見えた。彼は地面にうずくまり、じっとしていた。
 たちは急いで人だかりに近づいた。すると、何人かが彼らに気がついたらしい。あっ、という声がもれ、一人がこちらを指差しながら隣の者の肩を叩き、また別の者は驚いた顔で彼らを眺め、さらに別の者がつかつかと彼らのほうに歩み寄ってきた。
「あんたら! どういうことだよ。あのバンカー、また村に来たぞ! ほら、あそこに。話をつけてくれるんじゃなかったのかよ!?」
らはちゃんと話したよ! だけどガーリのほうがさ……。」
 は村人がいらだたしげに指した方をのぞき見る。――やはりあそこでうずくまっている男はガーリに間違いないらしい。よく見ると彼の側には茶色い犬もいた。ガーリはしきりに犬の背をさすり、介抱しているようだったが、リックはぐったりと地面に横たわっている。溺れ死んでしまったのだろうか。ここからではガーリの表情が見えず、犬の安否は分からない。
「だけども何もあるかよ! ……ああ、これだからバンカーは。」
 村人はさらに怒った口調で、最後は半分ため息をつくようにしてつぶやいた。その言い方は少しのかんにさわるもので、彼はまた何か言い返そうとしたのだが、
「まあ落ち着けって。ガーリのやつも、今は悪さをする気はなさそうだしよ。」
 聞き覚えのある声にさえぎられた。見ると、あの大食堂の店主が側に立っていた。が思わず、あっと声を出すと、彼はひげもじゃの顔でにっこり微笑んだ。……それはいいが、店を放っといて大丈夫なんだろうか、この人は。
「ご苦労だったな、ボウズたち。……それで。」
 店長は一変して真剣な顔つきになる。
「何があったんだ?」
「村はずれの小屋でいったん話をつけたんだけど、帰る途中、ガーリに襲撃されてな。」
 ダイフクーが言った。それでも、その後現れた犬のこと、川に落ちた犬をガーリが追いかけ、自分たちも彼を追ってここまで来たことを話した。自身も川に落ちそうになったこと、その結果ガーリから手に入れた禁貨を失ってしまったことなどについては、触れなかった。
 気がつくと、その場に集まっていた村人の大部分がたちの周囲にむらがり、彼らの話を聞いていた。事情を知った村人たちは、めいめいにうーむとうなったり、困ったようにガーリのほうを見やったりしていた。ガーリは、逃げる気配もない。ひたすらリックの介抱を続ける彼は、まるで自らへの制裁を待っているようにすら見えた。
「それで、犬は無事なのか?」
 話が一区切りついた後に尋ねたダイフクーに、店長はさあ……と首をひねった。
「わしは騒ぎを聞きつけて、さっきここに来たばっかりだから。」
「私が犬を見つけたの。」
 若い女性が名乗り出た。
「びっくりしたわ。川から何か流れてくると思ったら、犬だったもの。慌てて助けたんだけど、あのバンカーがやってきて犬を見つけた瞬間、ひったくるようにして犬を取っていっちゃって。」
「それからずっとあんな調子?」
「そうなのよ。」
 村の側を流れる川は、穏やかに平地を流れ、上流とはうって変わってゆるやかだった。ガケになった岸もなく、川幅も広い。もしも下流まで急な流れが続いていれば、リックを拾い上げることすら不可能だっただろう。その点では、不幸中の幸いだった。
 は村人の間を抜け、ガーリに近づいた。ダイフクーも後を追う。
「ガーリ。」
 呼んでも彼は顔を上げなかった。ダメ元でダイフクーも声をかけてみたが、やはりダメだった。彼はただひたすらにリックを介抱――というよりは、ひたすらにリックをなでてやっており、その作業に没頭することで、何かから逃れようとしているようにも見えた。
 犬はまだかすかに苦しそうな息を続けていた。なんとか死はまぬがれたようだが、すっかり衰弱しきり、風前の灯といった感じだ。
 はもう一度バンカーの名を呼んでみた。彼は応えない。背後で村人たちが、やっぱり……バンカーなんて……と不信もあらわにささやくのが聞こえた。
「なあ、ガーリさんよ。」
 どうしようもなくなったの隣にひょっこり現れてそう声をかけたのは、大食堂の店長だった。
「今日はなんで来たんだよ。また、わしの所にメシ食いに来たのかい?」
 それまでずっと沈黙を保っていたガーリは、その時一瞬だけかすかに動いた。実際に顔を上げはしなかったが、そうしようとしたのかもしれなかった。店長はガーリのその反応を見て、少し間をおいてから、ずっと気になっていたんだが、と続ける。
「お前さん、どうして村を荒らすんだ?」
「どうしてもなにも、そいつがバンカーだからだろ。」
 村人の一人が鋭く言い放つ。だがその言葉を聞いた店長が恐い顔でその人をキッとにらむと、彼は口をつぐんだ。
 ガーリはしかし、黙ったままだった。沈黙に耐えかねたは、ちょっとダイフクーの方に視線を向けてみる。ダイフクーは小さく肩をすくめて応えただけだった。それでは、自らこの沈黙を破ってやろうかとも思ったのだが、その瞬間、
「すまなかった。」
 ガーリが不意につぶやいた。
 まさかガーリが、しかもこんな言葉で、この静寂に変化を与えるとは予想もしていなかった、ダイフクー、そして村の人々は、驚いた様子でいっせいにガーリに視線を注いだ。彼はうつむいたままだった。その後しばらく、彼はまた黙りこくってしまったのかのように見えたが、やがて、ぽつりぽつりと話し出した。
「オレ……オレは、本当は、バンカーをやめようと思っていたんだ。」
 そしてこの村に腰を落ち着けたいと思っていたのだと、彼は言った。彼の愛犬リックをもうバンカーバトルに巻き込みたくないという、切な願いがその理由だった。
 リックは忠実だった。主人の戦いに加勢することを全くいとわなかったし、実際リックのおかげでどれほどの禁貨を得ることができたか、ガーリにはもはや分からなかった。
 だが、リックはあまりにも忠実すぎたのだ。身を呈して主人を守り、その結果があの欠けた耳とつぶれた目だった。傷ついた愛犬の姿を見たとき、ガーリはようやくリックを失うことへの不安を覚えたという。自分がバンカーであることで、いつかリックは死んでしまうのではないか。そんな思いが、いつからか彼の心を占めるようになっていた。だから彼は落ち着く場所が欲しかった。バンカーをやめて、リックと二人、暮らしていけるような場所が。この村のような場所が。
 村人たちはしんとしてガーリの絞り出す声に耳を傾けていた。今さらそんな調子のいいこと、などとヤジを飛ばす者は誰もいなかった。あるいはそう思った者もいたかもしれないが、誰もそれをあらわにはしなかった。たちも同じだった。大食堂の店主はガーリの一番近くで、うずくまり弱りきったそのバンカーをじっと見つめていた。
「この村は、」
 ややあってガーリは続ける。
「初めてここにやって来たオレを拒まなかった。オレはバンカーなのに……。食堂で食ったメシもすごくうまかったよ。ここだったらって、期待していた。」
 けどよ、とガーリは逆接でつなげる。
「オレ自身がダメだった。ガキの時から分かってたさ。オレはバンカーにすごく向いてる性格だってな。乱暴で、ごう慢で、自分勝手で。」
 彼は人と仲良くなる方法を知らなかった。彼が知っていたのは、バンカーとして禁貨を手に入れる方法。誰かから何かを奪う方法だった。しかし胸に抱いたかすかな希望は、彼を村の近くにいとどまらせ、それがさらに皮肉で残酷な結果を生み出した。
「こんなことなら、とっととここを去るべきだった。」
 たった一匹の家族と自らのふがいなさのために、バンカーとして生きることも、バンカーでない人間として生きることも選びきれなかった男は、消え入りそうな声で言った。いつのまにかなでてやるのもあきらめてしまった犬の濡れた毛が、その時川の水以外の要因でさらに小さく濡れた。
「おかげでリックも、もう……。すまなかった……。」
 その後にはもうガーリの言葉は続かなかった。さっきよりも弱々しくなったリックの息が、かすかなすきま風のような音を立てていた。
 村人たちは無言のうちにざわめき、互いに互いを見た。とダイフクーも、彼らとはまた違った心持ちで互いに互いを見た。彼らには、どうすることもできない。
「おい、ガーリ!」
 その時突然、群衆の中から声が上がった。声の主は人々をかき分け、ずんとガーリの前に立ち、じろっと彼を見下ろして言った。
「さんざん迷惑かけといて、どうにもならなくなったら泣きついてきて、勝手なもんだな! こんな飼い主をもって、その犬もさぞ不幸だろうよ。」
 ガーリは言い返さなかった。言い返せなかったのだ。彼はただ、黙って拳を固くしただけだった。は、それはちょっと言いすぎなんじゃないかと思ったのだが、
「ほら、立てよ。村に動物に詳しいじいさんがいるんだ。案内してやる。まだ助かるかもしれないだろ。」
 彼はそう続けた。ガーリはぐったりしたリックを抱いたまま、驚いた顔でその村人を見上げた。村人のほうは、ちょっと気まずくなったのか、ほら、とさらにガーリをせかす。
「あんただって、本当にその犬を不幸にしたくはないんだろう。」
 村人は先に歩き出す。数歩進んで振り返り、ガーリがまだ動かないでいるのを見つけると、今度はイラついた調子で言った。
「とにかく! あんたの処遇は後だ、後。今はその犬を助けるのが先だ。さあ行くぞ!」
 それから彼はきびすを返すと、もうガーリのほうを振り向かなかった。それで、ガーリもようやく自分が今何をすべきかを理解したようだった。彼はリックを抱いて慌てて立ち上がると、駆け足で村人の背中を追った。その時に彼が小さく、すまねえ、と泣き声でつぶやいたのを、は聞いた。
「……後は、なるようになるじゃろう。」
 大食堂の店長が、もじゃもじゃのひげの中にため息を残しながら言った。
「ガーリを、村に入れてあげるの?」
「わしの一存ではどうにもならんな。あの話を聞いてもガーリを信用できないやつも当然いるだろうし、そもそもここに来てない村人だってたくさんいるんだから。」
 ガーリと村人の背中を見送った後の村人たちの間には、じんわりと動揺が広がっていた。口々にめいめいの思いを述べているその声の断片には、賛も否も含まれていて、先に去った二人の後を追って走り出す者も何人かいた。
「オヤジさんはどう思うんだよ? 個人的には。」
 ダイフクーが尋ねる。店長は、わしか? と聞き返した後、フッと笑みを浮かべた。
「わしは最初からヤツのことが気に入っていたよ。盗みさえしなきゃあ……。
 しかし、思うんだが。」
 彼はあごひげをなでながら、笑みを崩さぬまま続けた。
「もし、村のやつらが本気でガーリと関わり合いになるのはまっぴらだと思ってるなら、やつの犬を助けようとしたり、そうする村人を止めもせず見守っているだけのはずは、ないと思うんだ。」
 いつのまにか、周囲の村人の数は相当減っていた。皆、ガーリを追って行ったのかもしれない。あるいは、まだこのことを知らぬ他の者に、事情を話すために行ったのかもしれない。
「きっと、うまくいくさ。」
 そう言って大食堂の店長は、たちに向かって片目をつぶってみせた。それは、彼が特別十八番の料理を客に供する時に見せる表情と、とてもよく似ていた。


To be continued...
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