*5*


 ガーリは確かに戦意喪失していた。すんなり二人に禁貨を渡すと、これでもう用は済んだろ、と早々に二人を追い払った。去り際にダイフクーがもう一度、村を荒らさないようにと念押しすると、分かってるって、と苦々しく、しかしはっきりと返事をした。
「ま、これで当分は大丈夫だろ。」
 帰る道々、ガーリから受け取った禁貨のぎっしり入った布袋をジャラジャラ鳴らしながら、ダイフクーは言った。
「なんとかうまくいったね。」
「んー、ちょっとうまくいきすぎたんじゃないかとも思うけどな。……ガーリのやつ、えらくあっさり降参しやがった。」
「ま、らが相手じゃしょうがないよ。」
 ダイフクーの憂慮を吹き払ってあげようと、は冗談めかしてそう言ったが、彼は依然として神妙な顔つきをしていた。幾度か何かの気配を感じたように振り返る。
「あー……あっ、そうそう。そういえばダイフクー、ケガはなかった?」
 尋ねられて、ダイフクーはようやく後ろばかり向くのをやめた。
「平気平気。あんなチンピラバンカーにやられるオレ様じゃねーよ。のほうこそ、大丈夫だったか?」
 犬にかみつかれたほうの足が今さらのようにじんじんしてきたし、ダイフクーをかばったとき床にぶつけた体もまだ少し痛かった。しかしは、笑って言った。
「大丈夫だよ。よりあの犬のほうが心配だな。ちょっとやりすぎちゃったかも。」
「仕方ないさ。最初はむこうからしかけてきたんだしよ。」
 答えながらダイフクーは、の様子をチラッと盗み見た。が歩く時、わずかに左足をかばうようにしているのに、彼はさっきから気づいていた。だがダイフクーはそれ以上の気遣いの言葉をかけない。代わりに彼は黙って、歩く速さをいつもより少しだけ遅くした。
「……なあ、あのさ。」
 それからダイフクーは口を開いた。
「何?」
「お前さ……あの時なんでガーリの犬にトドメをささなかったんだよ。」
「あの時?」
「オレをかばった後。」
「ああ。なんで、ってそりゃ……。犬、もう戦えそうになかったし。」
 ダイフクーはふーんとつぶやいての顔をまじまじと見つめていたが、
「……ちょっと見直したんだぜ、。」
「えっ。」
「お前って、最初はただのガキバンカーだと思ってたけど、本当は強くて、優しいやつなんだな。」
 彼がお世辞を言っている様子はみじんもなかった。彼はただ少し笑みを浮かべながら、まっすぐにを見ていた。はちょっとくすぐったさを覚える。
「た、ただのガキバンカーとはヒドイなあ!」
 その言葉が実際よりも余計に怒った口調になってしまったのは、声に照れっぽさが響くのを防ぐためだった。そのままは足を速めてダイフクーの数歩先を行く。ダイフクーはおい待てよ、と言って笑いながら、彼の後を追った。

 その後さらに歩を進めると、二人は森を抜け、川沿いに出た。ところがそれは来た時の場所とは違い、橋の残骸も見当たらなかった。先の場所との類似点があるとすれば、のどかな日の光の静けさの中に、楽しくも激しい川の歌が響いていたということぐらいか。
「あれ? 道間違えたのかな。」
がさっさかさっさか歩くからー。」
「えー、のせいかよ。」
 ちょっとムスッとした顔をするだったが、ダイフクーは、まあ大丈夫だって、と彼の肩をぽんとたたいた。
「川沿いに進めば村には着くだろ。」
「でもどこかで川を渡らないと。」
 ダイフクーは少し辺りを見回した。
「いい所に木があるな。」
 対岸には数本の木が生えていた。
「オレの腕なら届く。あれを使って川を渡ろうぜ。」
「そだね。」
 今度はお前から先に渡らせてやるよ、とダイフクーが申し出た。がうなずくと、大きな白い両手がしっかりと彼をつかみ、持ち上げた。
 キラキラと速く流れる水が眼下に見える。こうやってダイフクーに運んでもらっていると、なんだか空を飛んでいるみたいで気持ちいい。
 だがその心地良い時間は一瞬にして去り、はあっという間に対岸に生えた木のそばに着地した。ダイフクーはそのまま長く伸ばした手で適当に太い木の枝をつかまえると、今度は自分自身が川を渡り始めた。はどんどん縮んでいく彼の腕をおもしろげに眺めていた。
 その時が背後に何の警戒もしていなかったのは当然であり、しかしうかつであった。
 は一瞬、背中に強烈な視線を感じた。ハッとして振り返った彼だったがしかし、時すでに遅し。木の陰に身を潜めていたその誰かは、が振り向くよりもわずかに早く現れて彼の胸ぐらをつかみ上げ、ニヤリと笑んだ。突然の出来事に驚くだったが、彼はすぐにその人物が誰かを認識し、驚愕の表情を浮かべた。
「ガーリ! なんでここに……!?」
「ここらはオレの縄張りだぜ。近道も裏道もたくさん知ってるんだ。先回りぐらい朝飯前よ。」
 それに、と彼は低い声で続けた。
「やっぱり、お前らだけは潰しておこうと思ってな。」
「なっ……卑怯だぞ! もう決着はついたんじゃなかったのかよ!?」
「うるせえな。言っただろ。オレはお前らが気にくわない。お前らだけは……許せねえんだ!」
 そう叫ぶと、ガーリはを川に向かって突き飛ばした。
「じゃあな、ボウズ。」
 あっ、と思ってももう間に合わなかった。ぐらり揺れた視界の中で、まだ川を渡りきっていないダイフクーと目が合い、激しく流れる水の音が無駄に大きく耳についた。あ、空が青い。
!!」
 叫び声とともに白い手が青い空を裂いた。仰向けに落下していくにはよく見えた。その手が勢いよく自分に向かってくるのが。その手に禁貨の入った袋が握られているのが。そして、その手がめいっぱい広げられたのが。
 禁貨が落ちる! は一瞬自身の境遇を忘れてしまうほど、その事実にぞくりとした。だがどれほど彼が焦っても、いったん重力の支配下に置かれたそれが止まってくれるはずもなかった。それはと同じように宙を舞う。数枚の輝く硬貨が袋から放り出され、残りの禁貨も争うようにして空中に飛び出す。は反射的にぎゅっと目をつぶる。全身を風が吹き抜けていく。瞬間、何者かにがっしり捕らえられた衝撃と、無数の金属片が顔や体にぶつかって消えていく感触。とても近くで川が叫んでいる声。それに混じって次々に聞こえてきたポチョンという水音。は、目を開けた。
 落下は止まっていた。
 は白い大きな手につかまれ、宙ぶらりんの状態で激しく呼吸を繰り返した。手を伸ばせば届く所に川が流れていた。体中には、冷たい汗が流れていた。
 それからゆっくりと体が上昇していき、川面はどんどん遠くなっていった。を引き上げるダイフクーの腕が時々不安定に揺れる。上からはわめくガーリの声とそれに応じたダイフクーの声が聞こえていたので、もしかしたら戦いが始まっているのかもしれない。
 はたしてが岸辺に着いた時には、ダイフクーがガーリに伸びるパンチの一撃を放ったところだった。片方の腕を縮めながら、もう片方の腕を伸ばして攻撃するとは、なかなか器用なものだ。
「大丈夫か、!」
 の到着を確認してから、ダイフクーは彼を放しそう叫んだ。は大丈夫、と返事をしようとしたのだが、地に足がついたとたん、彼はがくりと崩れてしまった。悔しいが、足が震えて立てなかったのだ。
「ありがとう、ダイフクー。」
 ようやくのことで彼は言った。ダイフクーは少し安心した様子だった。
 ガーリはダイフクーに殴られた箇所をさすりながら、ゆっくり起き上がった。それから無事に這い上がってきたを見て、チッと舌打ちした。
「変だと思ったぜ。やけにあっさり降参したからよ。やっぱり不意打ちを狙ってたんだな。」
 ダイフクーが言い放つ。
「フン。あのまま引き下がるオレ様だと思ったか。」
「……禁貨が惜しかったのか? だったら残念だったな。ついさっき、うっかり手を滑らせちまってよ。」
 言いながら、彼はガーリに向かってからっぽの両手をひらひらして見せた。ダイフクーのウソつき。思いっきり自分から袋を捨てたくせに――を助けようとして。
「ケッ……禁貨だと? そんなもんはついでだ。お前らはリックの仇だ! それだけで十分だ!」
 ガーリの目には憎しみにも近いギラギラした光が満ちていた。リックの仇だって? は最初、彼の言葉の意味するところが理解できなかった。
「仇……って、あの犬のことか?」
 ダイフクーは呆れたようにつぶやく。
「なんだそりゃ。死んだわけでもあるまいし、なあ。」
 死んだ?
 はハッとした。その言葉は妙に重い可能性として彼にのしかかる。脳裏に、力なく横たわっている一匹の茶色い毛皮の塊の姿がちらついた。いや、そんなまさか。あの犬がそう簡単に死ぬものか。だが、それだったらガーリのあの形相は何だ? まるで亡き者の仇を討ちに来たようなあの目は。「許さない」と叫んだガーリの言葉の意味は。
「……でも、ひょっとしたら……」
 ダイフクーが少し驚いたようにの顔を見る。
「おい。変なこと考えてるんじゃないだろうな、。」
 だがが返事をする前に、ガーリは第二撃を開始した。
 彼は言葉にならない言葉でわめきながら二人に突進してきた。その強烈な視線が自分に向けられている気がして、はそれを避けたかったのか、あるいは応戦しようとするバンカーの本能なのか、とにかく彼はその時ようやくにしてへたっていた腰を上げ、立ち上がった。ダイフクーも慌てて攻撃態勢を整えた。
「くそっ……伸身弾ーー!!」
 あるべき射程範囲を大幅に越えて襲いかかる拳は、見事ガーリにヒットした。ガーリは二人に近づくどころか、大きく後方へ吹き飛ばされ、地面をもんどりうった。
「犬は死んでない。」
 腕を引き戻しながら、ダイフクーは言った。
「オレ見たもん。ガーリが禁貨を取りに行った時、あの犬ちょっともぞもぞ動いてたぜ。あいつ、逆ギレしてるだけだよ。難くせつけたいだけなんだ。」
 倒れたガーリはまだなお起き上がろうとして身じろいだ。彼の気力の源が何かを思うと、はぞくっとした。
 ところがその時だ。風の中にわずかに雑音が混じって聞こえてきた。それは、犬の声。はハッと辺りを探した。
 対岸に、こげ茶色の犬がいた。
「ダイフクー……あれ!」
 ダイフクーはの視線の先にいるものを見つけると、おお、と声を上げた。
「な! やっぱり。」
 犬はけたたましく吠えていた。それで、ガーリもようやくその存在に気がつく。彼は声のしている方向へ顔を向けた瞬間、驚きに起き上がることも忘れたらしかった。
「リック……なんでここに。来るなって言っただろ!」
 リックはなお吠え続けていた。それは主人に応えているようでもあったし、とダイフクーに対する威嚇かもしれなかった。いずれにせよはリックの姿を認識し、紛れもなくホッとしていた。犬は死んでなかった――殺してなかったんだ。
 ところが彼が安心したのもつかのま、信じられないことが起こった。
 倒れている主人に向かって、リックはもどかしそうにまた数度鳴いた。それからせわしなく地面のにおいを嗅ぎまわり、グルグル円を描くようにして岸辺を駆けまわり、いったん岸から離れたかと思うと突然川めがけて猛ダッシュし、そして――跳んだ。
「うそっ……!」
「川を越える気か!?」
「ダメだ届かない!」
「リックーーー!!」
 ガーリはもがくようにして起き上がると、自分までほとんど川に落ちそうになりながら、リックをつかもうと手を伸ばした。が、わずか届かず。主人に触れることもかなわぬまま、犬はなすすべなく落下した。ドボンと鈍い音が響き、水柱が上がった。それから、茶色の塊がもがきながら流されていくのが見えた。
「り、リック! リックー!」
 ガーリは矢も楯もたまらず、流れていくそれを追いかけて岸沿いを走り出した。もはやたちのことなど、彼の頭にはみじんもないようだった。残された二人は、ぽかんとして去っていくガーリの背を見送るしかなかった。
「な、なんだってんだよ、一体……。」
 ダイフクーが気の抜けた声で言った。
「分かんない……。」
 も似たような調子で答えた。
 バンカーの喧騒の絶えた川岸は、突然にして元の静けさを取り戻した。リックをさらっていった川は相変わらず急ぎ足で駆け、輝く空を青く映す。
 ダイフクーは大きくため息をつき、しばらく疲れた表情を浮かべていたが、
、大丈夫だったか?」
 と声をかけた。
「うん……なんとかね。」
「そうか……。驚いたぜ。気がついたら突き落とされてたからよ。ガーリはあそこで待ち伏せしてたのか?」
「みたいだね。なんからにすごく怒ってるようだった……。」
 お前らだけは潰す、とつぶやいたガーリの顔は、まだ克明に思い出された。突き飛ばされて落ちていく感覚も、その時に見えた景色も鮮明だ。落下する、禁貨の輝きも。は無意識のうちにぐっと拳を握っていた。
「……なあ、ダイフクー。」
 ダイフクーはのほうに顔を向けた。自身は地面に視線を落としていた。
「なんで、を助けたんだよ。」
「なんで? なんでって、なんで?」
「だって禁貨が!」
 落ちていく禁貨をは見ていることしかできなかった。もちろんあの状況で何かできたとは思えないが、それでも悔しかった。自分さえ不覚をとって突き落とされていなければ、という思いがこみ上げてきておさえられず、それで彼の言葉はなかばダイフクーに八つ当たりする形になってしまった。
「禁貨、なくなっちゃったんだよ。川の中に落ちて。二人で分けようって言ったのに。あんなまとまった禁貨、そう簡単に手に入るもんじゃない。……バンカーなのにさ! なんでダイフクー、袋から手を放せたんだよ。を見捨ててたらダイフクーだけでも禁貨を手に入れられてたのに。ダイフクーのバカ。を、見捨ててたら」
。」
 ダイフクーが彼を制した。は口をつぐみ、やっとダイフクーを見上げた。ダイフクーは一瞬間をおいてから、ちょっぴり照れくさそうに、言った。
「バカだな、。だってオレたち、友達だろ。」


 ダイフクー、たちさ……
 友達、かな。


「お前が先に言ったんだろ。友達を見捨ててどうすんだよ! 禁貨は、また探せばいいけどよ。は……。」
 と、ここでダイフクーはぷいとそっぽを向いてしまった。本当に照れくさかったのだろう。結局うまく言葉をまとめることもできず、彼はごまかすようにして小さく怒ったため息をついた。でも、にはそれで十分だった。
「ダイフクー……。」
 彼は落ち着きを取り戻す。
「ありがとう、ダイフクー。」
「さ、さあ! とにかくこんな所で突っ立ててもしょうがねえし、ガーリを追いかけるか。それに……そうだ。下流には村があるんだぜ。あいつが村に入ったら、また面倒くさいことになりそうな気がする。」
「うん、そうだね。急ごう!」
 たちは駆け出した。彼らをさえぎるものは、もうどこにもなかった。


To be continued...
BACK   NEXT




男性主人公夢小説メニューのページに戻ります