握手をといた瞬間、は唐突に自分のからっぽの胃のことを思い出した。と同時に、ひときわ大きくお腹がぐうと鳴った。人々の非難のまなざしからとりあえず逃れられたという安心感と、テーブルの上にすでにのっていたダイフクーの分の食事が、さっきまで眠っていた彼の腹の虫をたたき起こしたのかもしれない。お腹の音はダイフクーにまで聞こえたらしく、彼は腹へってるのか? とに尋ねてきた。
「そう……。今日は一日中山歩きしててさ。やっと村に着いたと思ったらこのありさまだし……。」 ダイフクーは同情の微笑を浮かべた。それから彼は厨房のほうを振り返ると、奥にいた店員を大声で呼んでくれた。 しばらくしてからお冷を持って現れたのは、あごひげを生やしたいかつい顔の大男だった。彼はの前にコップを置くと、ご注文は? と尋ねた。顔に似合わぬ優しい声だった。 「えーっと……。」 はメニューを眺めながらどれを頼もうか考えた。しかし実際は、食欲が満たされるなら何でもよかったのだ。正直、そうして悩む時間ですらも惜しかった。とにかく何か食べたい。 「じゃダイフクーのと……これと同じので。」 テーブルの上の食事を指してはそう注文した。それが一番早い注文法だった。 「Aセットだってさ。」 ダイフクーが付け加えた。 店員はちょいとお待ちを、と言い残すと、いそいそと厨房へ戻っていった。 はふうーっと長いため息をつくと、とりあえず一口水を飲んだ。それから厨房の方を見やり、また視線を戻してしばらくテーブルの上の食事を眺めていたが、たまらなくなってもう一度厨房を振り返った。当然ながら、料理が運ばれてくる気配はない。 「ほんとに腹へってんだな。」 ダイフクーが笑いながら言った。 「もうペコペコだよ。」 テーブルに突っ伏して、力なく答える。 「じゃあ先にオレの食う?」 「えっ、いいの?」 「まだそんなに手つけてないから。」 言ってダイフクーは、皿をのほうに押しやった。は急に元気になって体を起こすと、ありがたく彼の申し出を受け入れることにした。空きっ腹の少年には、目の前のものが世界で唯一のごちそうに見えた。腹の虫が喜びにぐるるとうなり、それが食事開始のゴングとなった。 ダイフクーは苦笑ともとれる笑みを浮かべて、食べ物にがっつくを眺めていたが、今のにはそんなことを気にする余裕はなかったし、ダイフクーのほうもまた、無駄なおしゃべりでの邪魔をするようなことはしなかった。 そうしてしばらくのち、の空腹がようやく一段落した時には、いつ運んでこられたのだろうか、さっき注文した方のAセットがテーブルの上にのっていて、ダイフクーはにやった食事の代わりに、そちらの方を食べ始めていた。 今度はのほうが、そうして食事をするダイフクーを眺める番だった。改めて見てみると、最初は柱だと思った彼の体は実は、柱よりももっと滑らかで、やわらかそうで、それにきれいな白色をしていた。顔にあたる部分にぽっかり開いた四角い穴には今、テーブルの上の食事がひとつ、またひとつと運びこまれている。たぶん、あれがダイフクーの口なんだろう。その穴のような口のちょっと上のほうに視線を動かすと、小さくて穏やかな二つの目があった。そしてそのさらに上、ちょうど額のあたりにくっきりとついたバンカーマーク。黒色に縁取られた黄色い円の中心で、二本の黒い直線が交差しているそれはまさしく、ダイフクーがと同業であることを示すものだ。それの存在を確認した後、はもう一度視線を下げた。優しくて穏やかなダイフクーの目が、そこにあった。 ダイフクーもこの村では、と同じ境遇のはずなのに。なんで、こんな目をしていられるんだろう。 「なに見てんだよ。」 ジロジロとこちらを観察している相方の様子に気がついて、ダイフクーが尋ねた。は慌ててなんでもないよ、と答えた。 「ただ……あのさ。ダイフクーもバンカーなんだよね。」 「少なくともこれがバンカーマークである限りはな。」 ダイフクーは額を指す。 「で、バンカーだったらなに?」 「……ダイフクーは、すごく落ち着いた目をしてるなあと思ってさ。」 ダイフクーはの意図するところがつかめないようで、いったん食事の手を止め、彼の次の言葉を待った。そこでは一拍おいてから続けた。 「ダイフクーはこの村にいて平気なの?」 「平気、とは?」 「だってさっきだって一人で普通にここにいたわけだし……。は村に入ってからここに来るまでにも、あんまりいい目で見られなかったんだ。ダイフクーは冷たくされても平気なの? もう慣れちゃったの?」 ダイフクーは少し答えを考えていたが、やがて止めていた手を再び動かす。皿の上のものを口に入れながら、彼は答えた。 「オレもここには来たばっかりだからな。確かにこの村の人たちがバンカーに対して冷たいってのは事実だし、慣れるもなにも、そんな扱いされたら誰だって辛いに決まってる。」 「じゃどうして……。」 「たださ。バンカーじゃない人が悪いってわけでもないだろ。現にここの村人だって、根っから悪い人なんていねえし。」 はまだ釈然としない顔をしている。ダイフクーは不満そうな彼のその顔を少し困ったように眺めていたが、ふと何かいい話題を思いついたようで、実はさ、と続けた。 「この村の人がバンカーを警戒して、嫌うようになったのはつい最近ことらしいんだ。」 「えっ、そうなの? なんで?」 「聞きかじった話によると、なんか近頃この村に、乱暴なバンカーが現れるんだってさ。それで、村人のバンカーに対する印象が変ってきてるらしい。」 それを聞いとたん、は不快もあらわにまゆをひそめた。 「それでたちまで冷遇されなきゃいけないわけか。」 彼は深いため息をついた。 「納得いかないよ。一部の身勝手なバンカーが悪いんだろ。はなにも悪いことしてないのに、バンカー、ってだけで一緒にされるなんて。」 大食堂に入ってきた時にしぼんでしまったあの憤りが、再び自分の中でふつふつとわいてくるのをは感じた。ダイフクーは、まあオレもそう思うけどよ、と一応同意する。 「けど、仕方ないだろう。それがバンカーなんだから。」 はうっと言葉をつまらせた。反論できなかった。確かにその通りだ。ダイフクーが正しい。そう思った瞬間、唐突にわいてきたはずの憤りが、沸騰することもなく、悲しげに冷えていった。 「やっぱり……そう割り切るしかないのかな。」 ようやくこぼれた言葉は小さくてか弱く、それがまた情けなさを倍増させた。ダイフクーは答えず、また一品皿から料理を取って口にした。そして突然、何を思ったかおかずの一部をの空の食器に移した。はちょっと驚いた顔でダイフクーを見た。 「やるよ。」 彼は言った。 「さっきお前にやったやつの、最初にオレが食べちゃってた分。」 「あ……ありがと。」 腹の虫はおさまっていたとはいえ、まだまだ満腹というわけにはいかなかったから、は特に遠慮せず、素直にダイフクーの厚意を受け取った。再びフォークを手にし、それを口に入れる。それから、どうしようもないことでへこんでいても仕方ないなと思った。それで彼は元の話題――村人がバンカーを嫌うようになってしまった原因に話を戻す。 「村に現れるその、乱暴なバンカーってのは、どんな感じのやつなの? 一人? 複数?」 「さあ……。オレも詳しくは知らないんだ。」 「あ、そう。じゃ会ったこともないんだ。」 「ああ。もし会ってたらとっちめてやってるよ。バンカーのくせに一般人相手に悪さするなんて、あんまり誉められたことじゃないからな。」 「そりゃそうだ。だってダイフクーと同じだ。そしてとっちめた後は――禁貨をいただく。」 「おっ、実はオレもそう思ってた。」 そこで二人はアハハハ、と笑い声をあげた。 「……なあ、それなら本当にとっちめてくれないか?」 第三者の声がしたのはその時だった。 突然の割り込みに驚いて二人は笑うのをやめ、声のしたほうを振り向いた。隣のテーブルに座っていた一人のやせた男が、切実な表情で二人のバンカーたちの顔を見ていた。 「すまないな。盗み聞きをするつもりじゃなかったんだが……。しかし話を聞いているかぎりじゃ、どうも君たちはいいバンカーらしい。それで、君らを見込んでのお願いなんだが……頼む。どうか村に現れる悪いバンカーをこらしめてくれないか。」 は戸惑ってダイフクーのほうに顔を向けた。すると、同じように助言を求めてこちらを向いた彼と目が合った。 「本当に困ってるんだよ。」 男の声は途方にくれていた。 「具体的には、どんな被害が?」 沈黙したままというのも失礼だと思ったのだろう。ダイフクーが尋ねた。男はそうだな……と少し考える。 「食料が奪われたり、金目の物が取られたり……。この間はとうとう怒った村人とそのバンカーとでもみ合いになってな。結局捕まえられなかったうえに、あの野郎、水車小屋まで壊していきやがった。」 「それにあいつが来た後は毎回、酒ダルが一つ二つ消える。」 横からそう付け加えたのは、いつからそこにいたのか、さっきの注文を聞きに来たあのヒゲ男だった。 「もう六つか七つはやられたな。」 「貴重な酒だっていうのにな。腹立つぜ、まったく。」 悲嘆にくれたため息とともに、最初にたちに話しかけた男が言い、その後でヒゲの店員が、酒は隣町まで行かなきゃ手に入らないんだよ、と補足してくれた。 「そのバンカーってのは、集団?」 の問いにいいや、と首を振ったのは店員のほうだった。 「バンカーは一人だ。あ、いや犬を連れていたかな、一匹。バンカーの名前はガーリ。」 彼はそばの空いていたイスにどっかと腰をおろしながら言った。居座る気満々だ。仕事は大丈夫なんだろうかと、は密かに心配する。 「大柄で、頑丈そうな男だよ。」 最初の男が説明した。 「店長よりでかいかな。ねえ?」 彼はヒゲ男に同意を求めた。話をふられたほうはガハハと笑い、そうだなとうなずく。 「さすがのわしも、あのバンカーにゃかなわんかなあ。」 はその時初めて、実はこの店員こそが、ここ大食堂の店長なのだと知った。なるほどそれなら、彼の判断でちょっと仕事を休んだからといって誰も文句を言わないわけだ。そうして改めて店の中を見回してみると、他に従業員らしき者の姿はない。ということは、彼はたった一人で客の注文を聞き、料理を作り、出来上がったら運んできて、勘定もして、後片付けまでやってのけるということか。は目の前のヒゲ男を、尊敬のこもったまなざしで見つめた。 「本当は、冷たい扱いをしてきた村人の頼みなんて聞くのは嫌かもしれないけどさ。でも、皆がそうってわけじゃないんだぜ。オレだってボウズが言ってたように、一人のバンカーの態度をその他全員のバンカーの態度だとみなすのは間違ってると思うし。」 「そうそう。それにもともとこの村には、バンカーに反感を持ってるやつは少なかったんだからな。昔はバンカーやってた村人もいるぐらいなんだぜ。」 「それじゃあやっぱり、そのガーリっていう一人のバンカーのせいで、らまでさげすまれちゃってるわけだ。」 自分では努めて軽く言ったつもりだったが、そう口をとがらすの語気には、その場の誰もが感じるほどの強い不満の色が現れていた。店長はぼりぼりと頭をかき、ちょっと困ったような顔をした。 「まあ、そう怒らんでくれや、ボウズ。村人の非礼はわびる。だが、こっちにもそうならざるを得ないそれなりの事情はあるんだよ。」 「どういうことだ?」 意味深な含みに、ダイフクーは思わず尋ねた。店長は腕を組み、過去を回想する時間を一拍取った後、ガーリは、と続けた。 「はじめはふらりとこの村にやって来た普通のバンカーだった。ちょうどあんたらと同じように。本当に普通のバンカーだったんだぜ。まあ、見た目はお世辞にも上品じゃねえし、ちょっと荒っぽいところもあったが……。ここにもよく来て飯食っていってた。ところが、いつからだろうな。だんだん荒っぽさが増してきて、わがままになっていって、食事代も踏み倒すようになるし、しまいには野盗みたいになっちまった。」 「やつは野盗だよ。」 やせた男がぼそっと言った。 「ガーリを……バンカーを信用してたこっちにしてみればひどい話だよ。最初は善良なバンカーだと思ってただけにな。それ以来、皆バンカーを怖がっているんだ。ガーリに直接被害に遭った人とか、女子供は特にな。いつ態度をひょう変させるか分かったもんじゃねえから。」 は黙ってうなずいた。確かに村人は悪くない。誰だって自分の身は守りたいものだし、そのためにあらかじめ危険因子を排除しようとするのは当然なのだから。それでも彼の中にはやっぱり、どこか納得できていない自分がいた。 「で、結局どうなんだい。バンカー退治、引き受けてくれるのかい?」 最初にたちに話しかけた男が、再度二人に尋ねた。ダイフクーがちらっとこちらを見る。 「どうする、?」 彼はささやいた。 もちろん彼らに村人の頼みを聞いてやる義理はない。それどころか彼らは、さっき男も言っていたように、歓迎というには程遠い扱いすら受けているのだ。しかしよくよく考えてみれば、それもガーリというバンカーが悪いのだった。彼のせいで村人のバンカーに対する印象は悪くなり、放っておけばこれからも悪くなる一方なのだろう。それでたちまで悪者扱いされる。そう、が納得できないのはここだ。……だったら。 「よし、分かった。引き受けよう!」 ダイフクーがフッと笑った。やせた男がおお! と歓声を上げ、思わず立ち上がるとそのままの手を取った。 「やってくれるか! ありがとよ、ボウズ!」 「あ、ははは。まあらに任せといてよ。」 「ほほう。若いのに頼もしいねえ。やっぱりバンカーはそうでなきゃ。」 店長もにっこり笑った。それから立ち上がると、 「よーし、それじゃあ追加でとびっきりの料理を作ってやらあ!」 と袖をまくった。は慌てて、でもお金が……と言いかけたのだが、店長はそれをさえぎり、 「なに、勇敢で寛大なバンカー二人に、わしからのおごりじゃ。」 とウインクした。 To be continued... ←BACK NEXT→ ![]() |