禁貨よりも、大切なもの










*1*


 その村には、禁貨を探す旅の途中で立ち寄った。前に立ち寄った町を発ってから丸一日かけて山を越え、谷川の急流沿いの人気もない淋しい道を進んでいたバンカー、は、ようやくゆっくり休む場所が確保できそうなことへの安堵の表情を隠せなかった。川も急いで走ってきて疲れたのだろうか。この辺りでは、流れもすっかりゆるやかになっていて、はその川から村に引いた水路とともに、村の中へと立ち入った。
 村は良い雰囲気の場所だった。水が豊かな村は緑も豊かだ。青々と葉を茂らせる作物に覆われた畑や田んぼが優しい風をうけて美しくうねり、流れる小川のせせらぎは疲れた旅人の心をいやした。川面には鮮やかな赤色をしたトンボが何匹か楽しそうに舞っていて、ふと空を見上げると、山中で最後に休息したときには頭の真上にあった太陽が今や西方に傾き、空の端っこをうす赤い黄色に染めていた。ああ、もうそんなに時間が経っていたのか。そう意識した瞬間、のお腹は突然ぐう、とうなり声をあげた。
「腹減ったなあ……。」
 完全に日が暮れるまでには、まだもう少しかかるだろう。はとりあえず、どこか食事ができる場所を探すことに決めた。こんなに自然あふれる、いい村なんだ。うまいものが食べられるに違いないぞ。そう思いながら道を行くの足どりは、自然と速くなった。
 ただ、彼の村に対するそのような好印象は、村人を見かけるまでのものだった。料理店を探しながら道を行く途中、は何人かこの村の人とすれ違ったのだが、最初は全く気がつかなかった。次に何か変だな、と違和感を抱いた。最後は、はっきりした事実を理解した。
 すれ違う人々が皆、のことを多かれ少なかれ、避けているのだ。
 理由はすぐに見当がついた。それは、が誰にでもよく目につくよう、バンカーマークをつけているゆえん。彼が、バンカーという存在であるゆえんだった。
 バンカーは煙たがられるものだ。それが個人レベルにしろ、地域ぐるみにしろ、あるいは一つの国中で共通する態度にしろ、「バンカー」というだけで敬遠されることは少なくない。そんなことは周知の事実だったし、実際にその事実を目の当たりにするのもこれが初めてではなかったから、その時もはさしてショックを受けなかった。今日はたまたまそういう認識を持つ人々の生活域に入ってしまったのだ。仕方がない。ただ頭ではそう分かっていても、本音のところではやっぱり少し、悲しかった。
 しかしそうは言っても、バンカーだってお腹がすく。もそろそろ本当に飢えはじめてきた。料理店も見当たらないし、たとえバンカーだからといって嫌われているとしても、できれば腹ペコの旅人として誰かに道を尋ねたいところだった。
 その時ちょうどよい具合に、前方から村人とおぼしき女性がやって来ていた。は道を教えてもらおうかどうしようかちょっと迷った。ところがそのちょっとの間に、女性は道の先にいる少年を見、彼のバンカーマークを見つけ、一瞬驚いたようだったが、ごく自然に、そそくさと道を変えてしまった。は、彼女の行動をただ見ていることしかできなかった。
 そもそも「バンカー」ってだけで嫌われなきゃならないのは、すごく理不尽なことだよな。
  は思った。
 確かに世の中には凶暴で、禁貨さえ手に入れば何をしてもいいと思っているバンカーもいるにはいるだろうが、それが全てというわけではない。のように、一般人とバンカーの区別をしっかりつけている者だってたくさんいるのだし、一部のバンカーがやったことで、自分にまで悪いレッテルを貼られてしまうのはどうにも納得のいかないことだった。は村の人に対して何もしてないし、する気だってないのに。
 そう思った時、はさっきまでバンカーが冷たい扱いをされるのは仕方がない、なんて考えていた自分をバカらしく感じた。そうだよ。は悪いことするつもりなんてさらさらないんだから。どうして村人に話しかけるのに、が引け目を感じなきゃいけないんだよ。
 そんな不満が頭の中を駆けめぐっていたものだから、側の畑で仕事をしている一人の男の姿を見つけた時、今度はは道を尋ねるのをためらわなかった。は正当なんだ。その考えが、彼を支えていた。
 は道をそれてうねに入り、大きな声で農夫に呼びかけた。
「すみません。」
 男が顔を上げ、畑の野菜からのほうに視線を移した。
「ちょっと道を教えてほしいんですが。」
「どこまでの道だい?」
 男はいったん仕事の手を休め、そう叫び返しながら作物の間をぬってのほうへ近寄ってきた。しかし途中、彼がをはっきりと見られる距離にまで近づいた時、バンカーマークを見つけたことを疑う余地はないだろう、明らかに一瞬、その歩みが止まった。
「どこか、食事できるところを探してるんです。料理屋さんみたいなの、この村にありますか。」
「ああ……ええと、それは。」
 さっき叫び返してくれた時の優しさと親しみはなくなって、かわりによそよそしさと恐れの色をつけた声でうめきながら、農夫はちょっと思案した。ああ、やっぱり。分かってはいたが、は心の奥底でがっかりした。この村はバンカーを――を嫌っている。
「村の真ん中のほうに、大食堂があるぜ。そこに行けば何か食わしてくれるだろう。店長はお人好しだから……。まあもっとも今は、ロクなもんがあるかどうか分からないけどな。」
 この道をまっすぐ行って、突き当りの水車小屋を右に曲がればすぐだと、農夫は指差しながら説明してくれた。は軽く頭を下げて、
「ありがとうございます。」
 農夫に礼を言った。だが彼はさもバンカーとこれ以上言葉を交わすのは我慢ならないといった様子で、さっさとに背を向けて仕事に戻ってしまった。は取り残されたように農夫の背中を見つめていたが、まあ、とにかく必要なことは聞けたのだ。彼は気を取り直して、農夫が教えてくれた「大食堂」とやらに行ってみることにした。もとい、その時にはのお腹のほうが、早く行けと彼にしきりに命令していた。

 大食堂には、さして迷わずにたどり着けた。ただ、それはその名の割には小さなたたずまいで、どうしてこの大きさで大食堂なんだろう、村の人にしてみればこれでも十分「大きな」食堂なのだろうか、などと不思議に思っていると、戸口の近くに、独特にレタリングされた文字で「大食堂」と書かれた看板を見つけた。「大食堂」という、店名だったのだ。
 名前のことはさておき、のお腹はもう本当に限界だったので、彼は急いで扉を開け、店内に入った。扉についた小さな鐘がカランコロンと軽快に鳴り響いて客の来訪を告げた後、店の奥から、いらっしゃーいという男の声が聞こえた。
 外見どおり、店内はそれほど広くはなかった。しかし、狭いわけでもない。三、四人がけの丸テーブルが数脚床の上を占め、店の奥の方にあるカウンターの向こうには厨房が見えた。右手の壁にはいくつものビンが収められた棚があり、側にはタルが置いてある。たぶん、お酒か何かだろう。
 テーブルには各々、一人か二人が座っていて、あいにく空いているものは一つもなかった。仕方がない。合席を頼もうか。だけどまた嫌な目で見られたらどうしよう。は迷った。しかしさっきも考えたとおり、が遠慮しなければならない理由はない。そうそう、差別する方が悪いんだよ。そう納得したは、座っている人に声をかける心づもりで、店内をぐるっと見回した。がその時。
「おい。バンカーだ。あの小僧、バンカーだぞ。」
 扉に最も近い席に座っていた男が、隣の客にささやいた。とたん、静かなざわめきが波となって店内に広がり、刺すような視線が次々とに襲いかかってきた。バンカーだって? バンカーだ。でも、まだ子供だぜ。
 はたじろいだ。その瞬間、バンカーへの冷遇に対する正当な不満もすっかり吹き飛んでしまい、彼は逃げ出したい衝動に駆られた。しかし彼がそうしなかったのは、彼のからっぽの胃がそれを許さなかったためである。どうにも身動きが取れなくなったは、ただその場に立ち尽くしていた。
「バンカーだって?」
 救いの手が差し伸べられたのはその時だった。
「へえ、奇遇じゃねーか。おうい、こっち来て座れよ。合席でよかったら。」
 声は店の奥の方から聞こえていた。合席かどうかなんて問題じゃない。今はとにかくこの状況から抜け出すのが先決だった。は逃げるようにして店の奥に進み、テーブルからテーブルをきょろきょろ見回して彼を招いてくれた声の主を探した。すると、カウンターに近いテーブル席の一つに座っていた者が、に向かってこっちこっち、と手を振っているのが目に入った。
 白くて、太い、長い柱。最初の印象はそれだった。
 だがよく見るとそれは柱ではない。もっとも、手も足も顔もついていて、いかにも食事の途中だといったふうで片手にフォークを持っているものを、柱という定義に含めるなら話は別だが。
 彼は優しく微笑むと、改めてに席をすすめた。は促されるままに彼の向かいのイスに腰かけたが、その時、この白い柱のような人の額に、くっきりとバンカーマークが刺青されているのを彼は見つけた。
 この人も、バンカーなのか。
「大変だったな。」
 彼は苦笑しながらささやいた。はおずおずとうなずいた。
「あの……ありがとう。助けてくれて。」
「はは、助けたなんて言うほどのことじゃねーよ。お前もバンカーなんだろ?」
 はこくりとうなずいた。白い彼は、オレもなんだ、と言った。
「バンカー、ダイフクー。よろしく。」
。よろしく、ダイフクー。」
 するとダイフクーはテーブルの上にニュッと手を差し出した。白くて、大きな手だった。はちらりと彼の顔をのぞく。ダイフクーはにっこり微笑んでいた。
 それでも、ようやく彼に向かって笑みを見せると、ダイフクーの手を握った。
 それが、とダイフクー、二人のバンカーが初めて知り合った瞬間だった。


To be continued...

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