フォンドヴォーとバーグは、バンカーとしての師弟関係を結んだ仲にあるのだそうだ。それでは、出会った時フォンドヴォーの優しい瞳に見た面影の正体を理解した。それは彼の師匠、バーグの優しいまなざしに似ていたのだ。きっと無意識のうちに弟子は師匠に似てくるのだろう。
二人はバンカー修行の途中に立ち寄ったこの町で、かたや食料その他の買出し、かたや宿探しにと別行動をとっていたそうで、フォンドヴォーが襲われているを見つけたのは、ちょうど買い物帰り、バーグとの合流地点へ向かう途中だった。 はフォンドヴォーに、先程バーグと宿屋で出会ったことを話した。それからバーグに、フォンドヴォーに助けてもらったいきさつを説明し、彼の忘れ物を無事に手渡した。バーグはその時まで本当に自分の忘れ物に気がついていなかったようで、しっかりして下さいよ師匠、と弟子に叱られていた。 「それで、の宿屋はどこに?」 フォンドヴォーが尋ねた。 「あー、いや、それなんだが、フォンドヴォー。」 バーグは気まずそうな顔をした。 「宿屋は休みらしいんだ。」 フォンドヴォーは数度まばたきした。それから、そうなんですか、と言葉を発する。 「それじゃ仕方ないですね……。」 じゃあ、オレたちはここで、とフォンドヴォーが軽く手を挙げあいさつをした。二人のバンカーは、彼女に背を向けて去っていく。 バンカーは野宿をすることが多いんだよ。そう父親から聞いたのは、いつだったか宿屋が一杯になっていて、たまたまやって来た一人のバンカーの宿泊を断らざるを得なかった時だった。あの時去っていったバンカーの背中は、今の二人の背中とよく似ていた。 宿屋の娘ともあろう者が、恩人を外に放り出し草の宿を与え、平然としていて良いのだろうか? は、こくんと唾をのんだ。 「待って!」 彼女は叫んだ。二人のバンカーが振り向いた。 宿屋に泊まっていきませんか。 がそう言った時、彼らは少なからず驚いた様子だった。だが、彼女の言葉が何を意味しているかを理解すると、喜んでその提案を受け入れた。 宿屋に着くと、は台帳に三人の名を書きとめた。バーグ、フォンドヴォー、それからバーグの小さな赤ん坊――コロッケ。 正直なところ、まだためらいはあった。彼らの名前をそこに書くということは、父親を裏切ることになるからだ。しかしそれ以上に、自分の恩人や、小さな子供を抱えたバンカーを追い払うということが、には嫌だった。それに、このバンカーたちは信用できる。なぜだか分からないが、そんな確信があった。お父さん、ごめん。は心の中でつぶやくと、バーグ、フォンドヴォーの名前の横に、小さくバンカーマークを書き足した。 「バーグ師匠、オレ、ちょっと……。」 フォンドヴォーがささやき、宿屋を出て行ったのはその時だった。が顔を上げると、外に出て行くフォンドヴォーの後ろ姿が見えた。 「ま、晩メシまでには帰ってくるさ。」 バーグが言った。 「フォンドヴォーの荷物はオレが持ってくから。部屋、どこかな。」 「あ、ご案内します。」 は台帳を閉じ、二階の彼らが泊まる部屋――二○一号室に向かった。バーグが後に続く。 「悪いな、なんか無理して泊めてもらっちゃったみたいで。」 に従って階段を上りながら、バーグが言った。いえ、そんなとは答えた。 「フォンドヴォーはの恩人ですし。」 「困っている人を放っておけないヤツだからな、あいつは。」 「優しい人なんですね。……それにしても、どこに行っちゃったんですか?」 と、ここで部屋に到着し、はどうぞこちらです、とバーグを招き入れた。バーグはありがとう、と言って部屋に入り荷物を置くと、 「たぶん、バンカー修行だろう。」 との問いに答えた。 「ふうん。熱心なんですね。」 バーグはうん……とうなるようにしてうなずいた。 「熱心というか、熱心すぎるというか……。」 含みのあるその言い方に、は問うような視線でバーグを見た。バーグはその視線に気づいたのだろうか、コロッケをベッドに寝かせた後、 「フォンドヴォーも難しい時期だからなあ……。」 とつぶやいた。それは弟子を気づかう師匠というよりは、まるで思春期の子どもを思いやる親のような口ぶりで、はちょっと笑みを浮かべてしまう。 「難しい時期、ですか。」 「ああ。あいつ、スランプみたいなんだ。」 「スランプ?」 「バンカーとしての自信をちょっと失くしてるんだな。それで、熱心というよりも、がむしゃらに修行しちまうんだ。自分の弱さが、嫌だから。」 「そうなんだ……。心配ですね。」 「うん……オレもそう思って町に来たんだが……。ずっとバンカー修行で山にこもってたから、たまにはベッドで寝たほうが気分転換にもなるかなと思って。」 はうなずいた。そういう理由があったのか。勇気を出して彼らを引き止めて良かったと、彼女は改めて思った。 「ところで、風呂はいつから入れるのかな。」 尋ねられては、そういえばまだ浴槽を整えていなかったことを思い出した。 「もうしばらくお待ち下さい。すぐに準備しますので!」 はいそいそと部屋を出た。メシの後で構わないよ、とバーグが声をかける。その声がに届いたのかどうか、彼には定かではなったが、バーグはしばらく、彼女が去った後の閉じた扉を眺めていた。それから、ベッドの端に腰かけ、ひとつ息をつく。 「いい娘だな。」 息子の寝顔を見やりながら、彼はぽつりとつぶやいた。 階下に降りたはまず浴室へ向かい、風呂の用意をした。入浴は食事の後でいい、と去り際にバーグが言ったのが聞こえていたが、とりあえずは湯を張っておく。 夕食の準備も必要だった。客に出す料理なら親の手伝いでよく作っていたし、幸い食材も十分にあった。あまり自信はないが、まあ三人分の食事ぐらいならなんとかなるか。 はよし、とつぶやきエプロンを着た。何を作ろう。あの赤ちゃん――コロッケには、離乳食のような物のほうがいいかな。せっかくだから、とびきり美味しいものを作ろう。フォンドヴォーも元気を出してくれるような――。 にはバンカーのことはよく分からなかった。バーグはああ言っていたが、正直フォンドヴォーは全然悩んでいるようには見えなかったし、嫌になるほど弱いわけでもないだろう。を助けてくれた時のことを考える限りでは、彼はむしろとても強い。 やっぱり、バンカーのことは分からないな。 ただ、フォンドヴォーが早く「スランプ」から脱出することをが願っているのは確かだった。さっきはフォンドヴォーに助けてもらったのだから、今度はがフォンドヴォーを助けてあげたい。そう思いながらは、黙々と夕食のしたくを続けていた。 玄関扉が開く音が聞こえたのは、もうすっかり食事も作り終えた頃だった。は厨房から顔を出し、玄関のほうを見た。案の定、フォンドヴォーが帰ってきたのだった。 「おかえり、フォンドヴォー。」 声をかけると、フォンドヴォーは一瞬不意をつかれたようだったが、声のしたほうを振り向き、の姿を見つけると微笑んだ。 「ただいま。」 彼の声は少し疲れていた。 それからフォンドヴォーはのほうに歩み寄り、きょろきょろと辺りを見回す。 「なんかいい匂いがするな。」 「ちょうど晩ごはんができたところ。今から部屋に持って行こうと思ってたんだ。」 「ああ。」 フォンドヴォーは厨房をのぞきこみ、うなずいた。 「オレも運ぶの手伝うよ。」 「えっ、でも……。」 「だって一人じゃ大変だろ。」 そう言うとフォンドヴォーはの返事を待たずに、ひょいと厨房に入ると、料理の載った盆を手に取った。盆の中身を見て、彼はうわあと声をあげる。 「うまそう……の手料理かー。」 「味の保証はできないけどね。」 「いや、絶対うまいよこれ! 早く部屋に行って食べよう。」 フォンドヴォーはいそいそと部屋に向かった。心なしか、疲れの色は薄くなったようだ。はちょっと嬉しくなって、残りの盆を手に取ると、フォンドヴォーの後を追いかけ、隣に並んだ。それからこっそりと彼の様子を観察する。 フォンドヴォーのきれいな青い肌の上には、随所に傷が浮いていた。古い切り傷も、治りかけのケガもあったが、ついてからわずかも経っていないであろうすり傷も――特に右手拳のあたりに、見受けられた。今までどこかに行っていて、一人でバンカー修行をしていたとすれば、簡単に説明のつく傷だった。やはりバーグの言っていたことは本当らしい。さすが、師匠には弟子の行動などお見通しというわけか。 「フォンドヴォー、ひとつ、聞いてもいい?」 「何?」 「どこに行ってたの?」 フォンドヴォーは一瞬、答えを考えたようだったが、すぐに笑って、 「ちょっと体を動かしにね。じっとしてるとなんか落ち着かなくって。」 と言った。意外にもあっさりとした答えだったが、その微笑は、無理をしているといえば無理をしているようにも見えた。は、そっか、と短く答えた。 「このお粥は、コロッケの?」 ふとフォンドヴォーが言った。盆の上にある料理のうちの一品、小さな椀の中に入ったそれを指して彼は尋ねたのだった。 「うん、そう。まだ赤ちゃんだから、食べやすいものがいいかなと思って。」 「へえー、すごい。気がきくなあ。」 彼は感心したようにまた盆の上を眺めた。の不安げな表情には少しも気づいていないようだった。あるいは、バーグやの心配はただの杞憂にすぎないのだろうか。だといいんだけど。そう思いながらは、盆の上でカチャカチャと危なっかしい音を立てている料理を、慎重に運んでいった。 To be continued... ←BACK NEXT→ ![]() |