銀色の足跡










 グランシェフ王国の幼い王子は、雪の降る日を楽しみにしていました。なぜならその日は午後の武術稽古がお休みになるからです。はらはらと雪が舞い散る曇天の午後、城をこっそりと抜け出して町に遊びに行くのが、最近の王子のお気に入りでした。
 ですから、ひときわ冷え込んで空に白い結晶がちらちらと見えるその日も、リゾットは勝手に城を出てはいけないという言い付けを破り、城と外界をつなぐいつもの裏口に体を滑りこませていました。
 窮屈な塀に囲まれた場所とは違い、城の外で見上げる空は広く高く、何か特別美しいような気がしました。もっとも今日の天気は雪ですから、綺麗に澄んだ青い空、と表現するわけにはいきませんが。
 城下へ続く丘を下り、雪道でそこだけ黒くなっている馬車のわだちにそって駆けていくのも、たいそう気分の良いものでした。
 リゾットの銀色の髪が、雪にはね返された光を受けてきらりと揺れます。
 しばらく転がるように走っていくと、リゾットはやがて町外れの小さな広場に出ました。そこは町の子供たちの遊び場。言葉を覚えたばかりのやんちゃな幼子も、末の子を背負っている年長児も、男の子も女の子も、近所の仲間と楽しい時間を過ごそうと自然に集まる場所がここでした。
「ねえ、あの子来たよ!」
 子供たちのうちの一人がリゾットの姿を見つけて叫びます。皆、リゾットが雪の日だけに姿を現すことを知っていました。
「雪だるま作ってたんだ!」
「一緒に作ろうよ。」
「こーんなおっきいの作るんだ!」
「ほら、炭も持ってきたの。」
「変な顔にしようよ。」
「ええー、ほんとに?」
 高く響く子供の笑い声。リゾットもすぐにそこに紛れ込みました。
 実はリゾットは、名前と身分を明かしていませんでした。王子であることが知れれば、きっとこんな風には遊ぶことができない気がして。
 初めてこの広場にやって来た日、リゾットが名前を告げられずに困っていると、子供たちは何か事情があることを察した様子でした。それで、変な奴と言いながらも、リゾットを輪の中に入れてくれたのです。彼らにとって名前よりも重要なのは、一緒に遊ぶかどうかでした。
 とはいえ名前がないと何かと不便ですから、雪の降る日にしか現れないことにちなんで、リゾットはいつのまにかユキノコとかユキノヤツとか、もっと短くユキなどと呼ばれるようになりました。
「よーし頭乗せるぞ。」
「ユキ、ユキそっち支えて。」
「うん、大丈夫!」
「いくよ、せーの!」
 皆で力を合わせ、雪だるまの顔が胴体の上に乗りました。いよいよ次は楽しい飾りつけです。大きな子が小さな子を抱え上げて、雪だるまの目鼻の位置に炭が置かれていきました。眉毛つり上げようぜ! 口はもっと小さい炭がいいよ! なんて回りの子供たちもやいやいと賑やかです。
 リゾットは、そうして歳も性別も立場も異なる子供たちが一つの目的に向かっている状況に、そこに自分も含まれていることに、なんだかドキドキしていました。
「できたー!」
 ついに雪だるまが完成しました。子供たちは高く手を合わせたり笑みを交わしたりして、皆の努力の結果を喜びました。もちろん、リゾットも。
「でも、何か足りないな?」
 盛り上がりが一段落した時、誰かが言いました。確かに、雪だるまの飾りは顔の表情だけ。子供たちは少し首をひねり、それから思い付いた順に木の枝で腕を作ったり、丸い炭を胴着のボタンに見立てたり、円の中にばつ印が入った模様を背中に描いたりしました。
「あれ、何の模様?」
 リゾットが尋ねると、バンカーマークだ! と答えが返ってきましたが、幼い王子にはまだその意味が分かりませんでした。
 少し歳を重ねた子供が、黙って雪だるまの背をごしごしとこすっていました。
「だいぶ良くなったんじゃない?」
「うーん、なんかさあ、色が足りないと思う。」
「色ー?」
「色のついた飾りなんて……あっそのマフラー貸してよ。」
「やだあ。ママが編んでくれたやつだもん。」
「ええー、だって他にいいのないよ。」
「じゃあ、オレのこれはどう?」
 提案したのはリゾットでした。彼は首もとから何かを引っ張り出すと、皆に差し出して見せました。
 金色の鎖に繋がれた、赤い宝石のペンダントでした。
 子供たちはびっくりして、あるいは驚くべきなのかどうかも分からず戸惑って、誰も何も言わず固まってしまいました。
 リゾットは雪だるまに歩み寄り、その首にペンダントをかけました。白い雪の上で、石はひときわ赤く輝きました。
「あ……なんか、案外合うかも。」
 一人がそう言ったのを皮切りに、他の子も口々にきれいだね、いい感じ、雪だるま完成だ! などと喜んでくれたので、リゾットも満足げに笑いました。
 その時、広場に一人の女性がやって来て、誰かの名前を呼びました。すると子供たちの中から男の子が飛び出してその人に駆け寄って行きました。どうやら彼女は母親で、日が暮れる前に息子を迎えに来たようでした。
「オレも……そろそろ帰るよ!」
 リゾットはくるりと背中を向け、広場の隅を通って逃げるように走り去りました。なるべく大人には姿を見られたくなかったのです。
 女性は自分と入れ替わりに広場を去る銀髪の少年に気が付きました。しかし不審に思う間もなく息子が手を握ってきて、今日は雪だるま作ったんだよと話すので、母親はすぐに視線を戻し微笑みました。
「あれだよ、見て見て! 大きいの出来たでしょ。皆で作ったんだよ。」
「ええ、頑張ったわね。……あら? あの雪だるま、ペンダントつけてる?」
「うん。ユキがくれたんだ。」
「ユキ?」
「雪が降る日だけ遊びに来る子だよ。あんなの持ってるし、グランシェフ王国のレキシとか色々知ってるし、ちょっと変わった子なんだ。」
「王国の歴史を。」
「うん。どこから来てるのかもわからないから、あいつのこと雪の妖精なんじゃないかって言う子もいるんだよ。」
「まあ……。」
 母親は少年が去っていった方角に目をやりました。少年はもう姿を消していて、遠方の丘に佇むグランシェフ城が視界に入りました。
「それは、やんちゃな妖精さんだこと。」

 その後の数日間、グランシェフ王国では季節はずれの高温日が続き、子供たちが作った雪だるまもすっかり形が崩れてしまいました。ただの雪の塊になってしまったそれの側には、何個かの炭と木の枝だけが落ちていました。色のない飾りの名残だけが。
 雪の降る日にだけ姿を現す少年は、それきり二度と広場に遊びに来ることはありませんでした。


Fin.





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作品解説(あとがき)