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 技神の好物が寿司だと聞いた後のこと。たまたまを訪ねてきた知人が、手土産に棒寿司をくれた。酢でしめた青魚の寿司。技神が以前食べたものとはちょっと違うかもしれないが、これならなんとか持って行けそうだ。まーは喜んでくれるだろうかと、わくわくしながら家を出たのは、彼と出会って数日が過ぎた頃のことだった。
 傷の具合も良くなってきたし、そろそろ山を下りる体力も回復しただろう。技神がどこから来てどこへ行くのかは知らないが、もし旅路の邪魔でなければ村に立ち寄ってもらってもいいかもしれない。
 そんなことを考えながら歩くいつもの山道で、は今まで見たことのないものに遭遇した。
 それは最初、大きな山吹色の丸い花が一つ不自然に咲いているように見えた。不審に思って近寄った直後、目玉だ、と気が付いた。ぞわっとした驚きに足を凍らせるを、目玉がにらみつける。目玉の周りには影が落ちていて、というよりそれは金の瞳と闇の体で出来た生き物のようで、間違いなくを認識しこちらを向いていた。
「貴様が……大根採りか……。」
 闇が喋った。そしておもむろにの周囲をめぐり、じろりじろりとねめつける。はそのくすんだ砂金色の瞳に閉じ込められたような気がして、くらりと浮いた心地がしたが、なんとか足を踏ん張って立っていた。
「大根はな……良くない。実に良くない。」
 再び闇が人語を話す。
「黒き土の中にありながら、あれは白に染まっている。実に良くないなあ。」
 闇がどこから音を出しているのか分からなかった。それに口は見当たらず、まるで鼓膜を直接なで上げられているような、耳元で叫びをささやかれているような、そんな声が頭の中にこだました。
「だがまあ今回は、もう使い物にならんと思っていた体がおかげで動くようになった。それに免じて見逃してやろうか……クカカカ!」
 突然ごうと風が吹き、闇が襲い来ては目をつぶった。凍てつく空気に心臓をわしづかみにされたような感覚が一瞬したが、すぐに去り、後にはざわざわと鳴く木々の動揺と、誰かの笑いのような響きが残るばかりだった。
 金色の目玉と闇の体を持つ生き物はいなくなっていた。
「なんだったんだよ、今の……。」
 身体中がばくばくと脈打っていた。冷たい汗がつっと流れ落ち、それが乾いてぞくりとした悪寒に変わる頃、はハッと我に返った。
「まー……!」
 嫌な予感がした。は洞穴に向かって走り、藪に引っ掛かれ、草に足を取られるのにも構わず走り、走り、ようやく目的地にたどり着いて、
「技神まー!」
 叫んだ名前は、からっぽの洞穴に虚しく反響した。技神がいない。もしかしたら近くにいるかもと、周囲を歩き回って探した。黒く長いぼさぼさの髪を。じっとを見つめる深い金色の瞳を。不機嫌そうな顔つきで面倒くさそうにの名を呼ぶ少年の声を。
 だが、技神まーはどこにもいなかった。ぬかるみの足跡とか、歩き倒した草とか、そういったものすら見つからなかった。まるで光に照らされた影のように、彼はこつ然と消えてしまった。
 はすっかり疲れて洞穴まで戻ってくると、ちょうどいつも技神が座っていた場所に、へたりと腰を降ろした。なんだよ、挨拶もなしに行っちまうなんて。
「側近にしてくれるんじゃなかったのかよ……。」
 は技神がよくそうしていたようにごろりとふて寝する。そうして地面に横たわった視界の中に入ってきたものに気が付いて、はすぐ起き上がった。
 大根が一本置いてある。
「なんでこんな所に……?」
 まさかまーが、礼のつもりで? という考えがよぎったが、それはの探している大根ではなかった。ちょっと黄色っぽくしなびた葉が頭についた、いわゆる普通の大根だ。しかも手にとってよく見ると、傷だらけだった。これでは二十の値もつかないだろう。
 はしばらく大根を眺めていたが、やがて糸が切れたような息が落ちた。
 技神まーが何者だったのか、あの闇の生き物と何か関係があるのか、大根がなぜ置かれていたのか、すべては謎のままだったが、確かにはここで彼と会話をし、共に過ごし、それを悪くない時間だと感じていた。たぶん、技神も。
(いつか、また会うこともあるかもな、技神まー。)
 その時は側近に置いてやってもいいぜと言った彼の誘いに、はっきり答えてやろうとは思った。

 その日、はおでんを作った。
 傷だらけの大根は見た目こそあまり良くなかったが、つゆはよく染み込んで、ほっこりとの身体に熱を伝えた。





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