◇◇◇◆◆

 イーブイたちがタマゴを拾った場所は、なるほど確かに様子がおかしかった。何の変哲もない森の小道のはずなのに、木々の細い枝はいくつも折れ、地面の草はなぎ倒されてぺしゃんこになっている。まるで巨大なポケモンがここを通ったようにも見えるが、それにしては根元から折れている木は一本もないし、破壊の程度が中途半端だ。

「ここ、ここ! タマゴを見つけたのここだようー!」

 茂みの深い場所を示して、イーブイが言った。ブラッキーが近寄って見ると、タマゴが上に乗っていたのであろう形に倒れた草と、その側にきらきら光る何かが確認できた。粘液だった。やはりこのタマゴの親はヌメイルで間違いなさそうだ。
 粘液は切れ切れではあったが、森の奥へ続いていたから、ブラッキーたちはそれを追いかけた。
 風の強い日だった。ざわざわ鳴く木々が落とす葉っぱや小枝に埋もれて、何度か粘液を見失いかけたけれど、その度に三対の目鼻のうちどれかが手がかりを発見した。
 草木を中途半端に破壊する何者かの所業も続いていた。というか、粘液の軌跡を見る限りヌメイルはそれから逃げようとしているふうにも見える。タマゴを置いていくなんてよっぽどの慌てぶりだが、この森にそんな危険なポケモンがいただろうか。人間の仕業とも違うようだし。
 考えるブラッキーの傍ら、協力してタマゴを運んでいたイーブイとチラーミィが、突風にあおられてきゃあっと声を上げた。

「今日は本当に風が強いねえ。目がしぱしぱしちゃうよ。」

 言って何度もまぶたを開閉させるイーブイを見て、ブラッキーもあれと思った。そう、この風はなんだかただ強いだけの風じゃない。不快感を伴う何かが混ざっている。ぱちぱち体に当たり、目が痛くなるような、これは、

「砂嵐……。」

 木々がざわざわ鳴く。いや聞こえるのは葉擦れだけではない。空気を響かせているのは、薄羽がこすれ振動するような、能動的な音。大量の空を飛ぶ生き物が、ぐんぐん、わんわん、こちらへ近づいてきている音。

「伏せろ!!」

 ブラッキーが叫んだ直後、無数の黒い影と轟音が彼らの頭上をかすめ飛んだ。ビブラーバの大群だった。

「うわあああ! 何、あれ!?」
「ビブラーバだ! そういえば聞いたことがある。この辺りのナックラーは数年に一度、満月の日に集団で進化をすることがあると!」
「なんで!?」
「知らん!! おいまた来るぞ、伏せろ!」

 ビブラーバたちは狂ったように森の中を飛行した。進化したての体に戸惑い、歓喜し、自らの限界を確かめるべく力を放出した。周囲の弱い草花はなぎ倒され、木々の小枝が吹き飛んだ。
 イーブイとチラーミィはタマゴの上にかぶさって小さくなり、ブラッキーは彼らを覆うように身を低くした。

「くっ……これでは動けないな。二人とも大丈夫か。大人しくやつらが過ぎるのを待とう。」

 しかし、事はそう簡単にブラッキーの思惑通りにはいかなかった。
 暴れ飛ぶビブラーバのうち一体が、ブラッキーたちを視界に捉えた。透明な緑色の目の奥、真っ黒な瞳が同胞ではない何かを映して、狂喜に輝いた。

「チカラが満ちる! オレのチカラを! チカラを! ミテ!!」

 薄羽が激しく振動し、ビブラーバの中に新しく生まれた力を練りあげていく。空気のうねりは激しい竜の息吹となって、ブラッキーに真っ直ぐ狙いを定めた。

(だめだ、避けられない!)

 避ければイーブイたちに被害が及ぶ。ブラッキーはビブラーバの攻撃を真正面から受け止めた。体の芯からしびれるような衝撃。背中に小さな悲鳴が二つ聞こえたが、これほどの戦意をもつ相手を前に、振り返っている余裕はなかった。

「ええい、進化を受け止めきれない軟弱者め!」

 黄色い輪の形をしたブラッキーの体毛が怪しく光る。ビブラーバのガラスのような目玉の中でその光は幾重にも跳ね返り、視力を失わせ、脳を突き刺した。ビブラーバの飛行はにわかに不安定になり、何か衝撃波を起こそうとしたようだったが、木の幹に羽をぶつけ、地面に体を激突させるに終わった。
 ブラッキーは落ちたビブラーバに急接近すると、大きく口を開けて牙を見せ、喉元に食らいつく――ふりをして、強烈な回し蹴りでビブラーバをだまし討った。
 ひっくり返ったビブラーバは、完全に気絶していた。これでしばらくはこちらに手出しはしないだろう。

「ふう……。」

 とブラッキーが一息ついたのも束の間、突然、足元の地面がぐらりと揺れた。爆発するように噴きだした大地の力によって、ブラッキーの体はぽおんと高く投げだされる。成す術なく落下するブラッキーを襲ったのは、頭の割れそうな超音波、次いで全身の力が抜ける嫌な音。

「ぐあ、げふっ!」

 不快音波の二重奏の中でしたたかに地面に打ちつけられ、ブラッキーは肺の中で潰れた空気を吐きだした。イーブイとチラーミィの高い声がブラッキーを呼ぶ。ブラッキーはなんとか起き上がり、素早く周囲を見回した。
 三体ほどのビブラーバが群れから離れ、こちらに向かってわんわん羽音を立てていた。先のビブラーバと同じように、チカラを見てくれ! とかスバラシイ進化! とか騒いでいる。とても話の通じる状態ではない。といってさすがのブラッキーも一度に複数を相手にすることはできない。

(逃げなければ。)

 ブラッキーの判断と、ビブラーバたちの宴の開始は同時だった。
 あっ、と思った時にはもうビブラーバたちはイーブイとチラーミィを見つけ、技を繰り出す動作に入っていた。
 電光石火で突撃したブラッキーにより、一体が放った力は形になる前に散った。さらにその反動でもう一体を足蹴にし、なんとか攻撃の軌道をそらす。だが、残り一体だけはどうしようもなかった。
 竜の息吹が、イーブイたちめがけて襲いかかった。

「チラーミィちゃん!」

 その後の出来事は、まるでコマ送りの静止画のようにブラッキーの目に映った。イーブイたちに迫るエネルギーの塊。それに向かってためらうことなく飛びだしたイーブイ。イーブイの顔が強い光に照らされる。そして頭からしっぽまで、丸ごと竜の力に飲みこまれた。一瞬のことだった。


「イーブイ!!」
「イーブイちゃん!!」

 ブラッキーとチラーミィが急いでイーブイに駆け寄った。イーブイはぐったりと地に伏しており、チラーミィに名前を呼ばれて揺すられて、ようやく薄目を開けた。チラーミィちゃん、と名前を呼び返して微笑んだ後、イーブイはブラッキーの方を見た。

「ブラッキーさん……ぼく、大切なものを守れたよ。ぼく、大人になれたかなあ……?」

 バカ者と叱るにはイーブイはあまりにも健気で、よくやったと褒めるには事態はあまりにも悪い方向に転がっていた。ビブラーバの戦闘態勢はまだ解かれていない。どころか、こちらを見つめる緑色の目の数はさらに増えていた。
 どうする……!? 焦るブラッキーの耳に、かすかな声が届いた。

「こっち、こっちです! ここに逃げて! 早く!」

 驚いて声の方角を探すと、崖の下に小さな割れ目があるのが見えた。洞穴だ。声はあそこから聞こえる。
 迷っている時間はなかった。数体のビブラーバがすでに羽を激しくこすり合わせ、力を見せつけようと準備していた。

「チラーミィ、抜け殻をできるだけ遠くに投げ捨てろ! タマゴを持って私に付いてこい!」

 叫んでブラッキーは、倒れているイーブイの首根っこをむんずとくわえ、残りの力を振り絞って走り始めた。チラーミィはほんの少し戸惑ったが、すぐにブラッキーの言う通りにした。宙を舞いきらきら輝く抜け殻にビブラーバたちの視線は吸いこまれ、一斉に攻撃の軌道をそちらに向けた。
 その隙に、ブラッキーたちはからがら洞穴に滑りこんだ。

「はあ、はあ、はあ……」

 イーブイを降ろし、チラーミィとタマゴが無事に付いてきたことを確認すると、ブラッキーは激しい呼吸を繰り返しながらも、目付きは鋭く洞穴の様子を観察した。
 洞穴の出入口は草に隠され、ビブラーバたちはその存在にまったく気が付いていなかった。仮にあの狂乱の頭でブラッキーたちを探そうと思いついたとしても、見つかる可能性はかなり低いだろう。ここは安全だ。
 中は意外と広かった。ブラッキーたち三人が入っても、まだ奥に空間がある。その空間の暗がりの中に、ブラッキーは影を二つ見いだした。

「大丈夫ですか……?」

 影の一つがしゃべった。それはビブラーバに襲われるブラッキーたちを呼び、導いた声と同じだった。
 イーブイはまだぐんにゃりしていたが、時折うーんとうめいていて意識はある。命に別条はないだろう。ブラッキーの息も落ち着き始めていた。

「ああ、なんとか無事だ。ここに逃げられなかったら、危なかった。助けてくれてありがとう……」

 言いながらブラッキーは目を凝らし、はっとして大声を出した。

「ヌメイルか!」

 ブラッキーの興奮の理由が分からず、そうですが、と首を傾げるヌメイルたちの前に、ブラッキーはタマゴをずいと押しやって近付けた。とたん、ヌメイルたちが息を飲む。

「ああ……っ! 私たちのタマゴ! 一体どこで、どうして、これを、ああ! ありがとう! ありがとう!」

 予想的中だった。ブラッキーたちはほっとして、しばらくの間タマゴに抱きつきむせび泣くヌメイル夫妻を見守った。目のないヌメイルにとって涙を流すという動作はないのかもしれないが、感極まった言葉がぽろぽろこぼれるのと同時に身体中がてらてら粘液に光っていたから、きっと泣いていたのだろう。
 ヌメイルたちが落ち着くと、ブラッキーはタマゴの親を探していた経緯を説明した。それに答えてヌメイルたちも、突然ビブラーバの群れに襲われ、タマゴを置いて逃げざるをえなかったことを話してくれた。抜け殻はタマゴを隠すため、そして後で自分たちが見つける時の目印に、一緒に置いていったらしい。ビブラーバから逃げるために抜け殻を投げ捨ててしまったことをチラーミィが謝ると、全然気にしないでください、と笑った。

「私たちのタマゴを守ってくれて、本当にありがとう。」

 そう言って夫妻は、再度タマゴを二人で包みこみ、互いの存在を確かめあうように頭をくっつけ、触角をからませた。
 なんとか体を起こせるようになったイーブイが、そんなヌメイル一家の姿をぽーっと眺めていた。

「いいなあ。ぼくもいつか、チラーミィちゃんと……。」
「イーブイちゃん、何か言った?」
「あっ、チラーミィちゃん。いやっ、その、なんでもないよ。」

 隣にやって来たチラーミィに、イーブイは慌ててそう言い繕った。初めてチラーミィに告白した時の大失敗以来、自分の希望ばっかり相手に押しつけないようにとブラッキーにきつく戒められていたのを思い出したからだ。
 チラーミィは、ふうんとしっぽを二、三度揺らし続きを待ったが、イーブイがすっかり黙ってしまったので、やがて自分から口を開いた。

「……アタシもいつか、あんな家族ができたらいいな。いざという時は守ってくれる優しいパートナーと一緒に。」

 イーブイはちょっとびっくりしたように、目をぱちくりさせてチラーミィの顔を見た。チラーミィはいたずらっぽく微笑んで、イーブイの顔を見つめ返した。
 やれやれ、とブラッキーは深く息をついて地面に横たわり、大切な相手と時間を重ねる彼らを邪魔しないよう、そっと目を閉じた。



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