ひかりのいし










◆◆◆◆◆

 ここは、人間の暮らす場所からは少し離れた森の中。大きな樹の下に掘った広い巣穴の中で、一匹のブラッキーが寝返りを打った。風がすーすー入って寒い。ここは一人で暮らすには、ちょっと大きすぎる巣穴だ。

「もしもし、ブラッキーさん、ブラッキーさん。」

 声がしてブラッキーは目を開けた。寒いと思ったら、巣穴の入口をふさぐ草をかき分けて、誰かがブラッキーを呼んでいた。聞き覚えのない、幼い声だ。まったく誰だ、こんな朝早く。ブラッキーはしぶしぶ起き上がって、巣穴から顔を出した。

「誰?」
「ブラッキーさん! おはようございます! はじめまして! ぼく、隣の森に住んでるイーブイです!」

 小さなイーブイがしっぽをぱたぱた振って、ブラッキーを見上げていた。ブラッキーはまだ半分眠っている目で、まじまじとイーブイを観察した。

「何か用?」
「はい! ブラッキーさん、恋のヒケツを教えてください!」

 ごほっ、とむせた息と共に眠気がいっぺんに吹き飛んだ。
 はぁ? と問い返したブラッキーに、イーブイはもう一度「恋のヒケツを教えてください!」としっぽをぱたぱたさせる。恋どころか秘訣の意味さえ分かっていないようなあどけない顔が、ブラッキーを見つめてきらきら輝き、答えを待っていた。
 ブラッキーは大きくため息をつき、突然やって来たこの幼いイーブイの事情をとりあえず知ることにした。

「誰から私のことを聞いたんだ?」

 聞けば出てきた名前は、この森に住むブラッキーの旧知、ドダイトスだった。たまたま散歩をしていたドダイトスが、しょんぼりしているイーブイを見つけて、声をかけてくれたのだと言う。

「あのー、ぼく、チラーミィちゃんのことがとっても好きなの。だけど、どうしたらいいか分からなくて、どうしようって困ってたら、ドダイトスおじさんがブラッキーさんのこと教えてくれたの。『そういうことならブラッキーが詳しいだろう。あれも昔はイーブイだったからね』って!」
「……あのバカ。余計なことを。」

 ぼそっとこぼしたブラッキーの悪態は、イーブイには聞こえなかったようだ。イーブイは相変わらずきらきらと瞳を輝かせて、ブラッキーが語る「恋のヒケツ」を待っていた。チラーミィに恋をして、親切なドダイトスに助けてもらって、頼った同族に冷たくされる可能性などみじんも考えていない幼いイーブイがあまりにもまぶしくて、ブラッキーはその光の意思に屈した。「分かったよ」と、二度目の大きなため息をつく。

「で? チラーミィちゃんには、好きって何回伝えたんだ?」
「うん? まだ一回も伝えてないよ。」
「はぁ?」
「まだ一回もお話したことないもん。」
「えぇ……。」
「あのね、チラーミィちゃんは歌がとっても上手なんだ。いつも切り株原っぱで歌ってるんだよ。とってもきれいな歌声で、耳やしっぽなんか湖のさざ波みたいに光って、うっとりしちゃう。ぼく、チラーミィちゃんのこと、大好きになっちゃったんだ。これって恋でしょ? ねえブラッキーさん。ぼくの恋、どうやったら上手くいくかなあ。」

 ブラッキーの三度目のため息が森を渡る風に溶けるまで、そう時間はかからなかった。



◇◆◆◆◆

 ともかくブラッキーとイーブイは、チラーミィに会いに行くことにした。さらに詳しく聞いたところ、イーブイは本当にチラーミィのことを遠くから見ているだけだったらしい。ということはチラーミィもイーブイのことは知らないはずで、下手にチラーミィから嫌われているよりはましか、とブラッキーは無理やり自分を慰めた。

「森の境にニンゲンがつくった道があるでしょう。そこに建ってる赤くて四角いニンゲンの巣が、切り株原っぱへ行く目印だよ。」
「ポケモンセンターのことだな。」
「へえ、そう言うんだ。ブラッキーさんは物知りなんだね。ぼくはニンゲンのこと全然知らないけど、ニンゲンって面白そうだよね!」
「さあ。私は興味ないな。人間にはあまり近づきたくない。」

 というブラッキーの言葉の後半と、イーブイの「あーっ」という叫び声が重なった。あれあれ、ポケモンセンター! とイーブイは木々の間から見える赤色を指し、覚えたての単語を楽しそうに舌の上で転がした。それから、ニンゲン見に行こうよとはしゃぎながら、ポケモンセンターの方向へ駆けていく。案の定、人間に近づきたくないというブラッキーの意向は届かなかったようだ。
 ブラッキーはこれでもう何度目になるか、はあぁと息を吐いて、イーブイの後を追った。

「あれ、ニンゲン誰もいないねえ。」
「そういう時もあるんだろ。」
「あっ、いた! ほらあっちの箱の前で何かしてる。」

 イーブイは壁みたいに大きなガラス窓から中をのぞいていた。ブラッキーは落ち着かなさそうに周囲をきょろきょろと警戒していたが、突然イーブイが「あああ!」とすっとんきょうな声を上げたので、思わず何事かとイーブイの視線の先、ポケモンセンターの中を見た。

「チラーミィちゃん!」
「何!?」
「あっ、ポケ違いだった。」
「なんだよ……。」
「でも見て、あのニンゲンの横にいるの、チラーミィだよ。あっ、いなくなった。」

 四角い箱形の機械の前に立つ人間が、手にしているモンスターボールにチラーミィを収納したのだった。それから人間は機械を少し操作すると、ややあって再びボールからポケモンを出した。現れたのは、

「うわぁ、イーブイだ! チラーミィがイーブイになっちゃった!」
「ああ、あれはたぶん、ポケモン交換だな。」
「ポケモンこうかん?」
「人間は自分のモンスターボールに入っているポケモンを、他人のものと取り換えることがあるんだ。それがポケモン交換。機械を使うと、ここにいない遠くの相手ともやり取りができるって、聞いたことがある。」
「えーっ、あんな一瞬で!? じゃあさっきのチラーミィ、もうここじゃない遠くへ行っちゃったの?」
「……さあな。」
「ぼく、いきなり大好きなチラーミィちゃんが側にいなくなったらやだなあ。」
「心配しなくてもおまえは人間に捕まってはいないし、チラーミィちゃんもまだ側にいない。さあもう気が済んだだろう。行くぞ。」

 言い捨ててブラッキーはくるりとポケモンセンターに背中を向け、歩き始めてしまった。イーブイは慌ててブラッキーの後を追った。
 ポケモンセンターから百歩進んだ所に生えている、オーロットみたいな形の木を朝日の方向に曲がる。小川を二つ飛び越えたら、苔むした岩の側、オレン林の奥にあるのが「切り株原っぱ」だった。名前の通り、森の中でちょっと開けた場所で、真ん中に大きな切り株がある。
 その切り株の上に今、一匹のチラーミィが立っていた。高く澄んだよく通る声で歌を歌っている。観客は風にそよぐ草木と、森に丸く切り取られた青い空くらいなのに、チラーミィはじつにのびやかに、まるで誰かに語りかけるような音を紡いでいた。ひょっとすると辺りには、同じようにこっそり耳を傾ける他のポケモンたちがいるのかもしれない。

「あの子だよ、チラーミィちゃん。ね、とっても歌が上手でしょう? ああ、今日も素敵だなあ。可愛いなあ。どきどきしてきた。どうしようブラッキーさん。どうしよう!」

 原っぱのすみっこからチラーミィを遠目に見て、イーブイはもう緊張し始めていた。落ち着け、とブラッキーは自分の前足をぽんとイーブイの頭に乗せる。

「とにかくはじめましての挨拶から始めなければ、どうにもならんだろう。」
「どきどきしちゃってできないよう。」
「困ったやつだな。ならばまずは素晴らしい歌への称賛を込めて、何かプレゼントを一緒に持っていくのはどうだ。」
「プレゼント?」
「うん。そうだな例えば、きれいな石とか……ああ、花もいいな。ほら、そこに咲いているだろう。」

 原っぱのすみっこのさらにすみっこに、小さな花の固まりがあった。花畑と呼ぶにはたいそう控えめな、けれども誰にも知られずに咲くのはあまりにも惜しい、月色の花だった。
 イーブイはその花にぴょんと寄り、鼻面を近づけた。

「わあ、これ、チラーミィちゃん喜んでくれるかなあ。」
「褒められて悪い気にはならないだろう。」
「よーし、ぼく、これをチラーミィちゃんに持っていくよ。そんで好きですって言うんだ!」
「待て待てそう急くな。いいか、まずは『はじめまして』だぞ。それから歌を聞いていたこと、その花が歌を聞かせてくれたことへの感謝と称賛であることを伝えて、その後に……」

 ところがイーブイは、ブラッキーが言い終えないうちにもう花を摘んで口にくわえ、喜び勇んでチラーミィの方に駆けだしていた。そしてちょうど歌い終えたチラーミィの足元、切り株の上に月色の花を置き、大きな声で言った。

「はじめまして! 大好きです! ぼくの恋人になってください!」

 チラーミィが目をまん丸くして、花とイーブイを交互に見つめていた。
 その日最大の絶望的に疲れたため息が、目を覆って頭を垂れたブラッキーの口からこぼれ落ちた。



◇◇◆◆◆

「もしもし、ブラッキーさん、ブラッキーさん。」

 幼いイーブイの声で目が覚めて、ブラッキーは起き上がった。
 結局、イーブイと一緒にチラーミィに会いに行ったあの日、下手な告白をしたイーブイをブラッキーは全力でフォローしに飛びだした。突然のことに驚き戸惑っているチラーミィに、イーブイの言う「大好き」は歌への称賛だということ、イーブイはまだ幼くて「恋人」の意味があまりよく分かっていないこと、ただチラーミィと仲良くなりたい主旨だということを伝え、事態はなんとか収束した。チラーミィはそういうことならと理解し、あれから二人は友達としてまあまあ上手くやっているらしい。
 イーブイはその後もよくブラッキーを訪れては、今日のチラーミィちゃんはどうだっただの、自分のことをイーブイちゃんと呼んでくれただの、逐一嬉しそうに話すようになった。ある時などは、早くチラーミィちゃんの恋人になれるよう大人になりたい、どうすればブラッキーさんみたいな大人になれるのと答えをせがんできたから、「大切なものを自分で守れるようになったら大人だ」と適当に言ってあしらったら、妙に納得して感謝された。
 だからその日のイーブイの訪問も、いつものことだった。やれやれ今日はどんなチラーミィちゃんの話だかと、あくびをして巣穴からのそりと這いだしたブラッキーの目に入ったのは、ところが、いつもと違うイーブイの様子だった。
 イーブイは、ポケモンのタマゴを持っていた。しかも今日はチラーミィも一緒だった。

「ブラッキーさん、どうしよう。チラーミィちゃんとお散歩してたらね、道にこんなのが落ちてたんだ。放っておいたらいけないと思って、とりあえず持ってきたんだけど。」

 それは薄い紫色のつやっとしたタマゴで、何かの抜け殻のようなものに包まれていた。へばりついた抜け殻ごとタマゴを抱え、イーブイとチラーミィは困り果てて耳を垂らしていた。

「タマゴの親は?」
「誰もいなかった。拾った場所の雰囲気も、なんかちょっと変だったの。」
「ねえブラッキーさんどうしよう。」
「うーん……ちょっと待ってろ。」

 そう言うとブラッキーはいったん巣穴の中に引っこみ、すぐに戻ってきた。ブラッキーは口に小さなノートをくわえていた。イーブイたちは興味津々で首を傾げる。

「それ、なあに?」
「これはノートだ。人間の道具。そのタマゴにくっついてる殻には見覚えがある。ほら……これだろう、きっと。」

 ノートを開き、何枚か紙をめくって、ブラッキーはあるページの上に指先を置いた。そこには抜け殻らしきもののスケッチと、人間が使う文字がいくつか書きつけられていた。

「『きれいなぬけがら』って書いてあるんだ。それからこっちの文字は『ヌメイル』。これはヌメイルの抜け殻だ。」

 イーブイたちは目を瞬かせながらブラッキーの手元をのぞきこんでいた。ノートには他にも、きのみやポケモンの落とし物などのスケッチが描かれていて、それぞれに人間の文字が添えられていた。もちろんイーブイとチラーミィには何と書いてあるか分からない。二人は尊敬と憧れの眼差しで、ブラッキーを見つめた。

「すごいなあ! ブラッキーさん、ニンゲンの文字が読めるんだ!」
「いや、私はほとんど読めない。内容を覚えているだけさ。これを読めたのは……」

 言いかけて、ブラッキーは急に口をつぐんだ。それからノートをぱたんと閉じると、それをくわえていったん巣穴の中に引っこみ、すぐに戻ってきた。ノートはもう持っていなかった。

「さあ手がかりは見つかっただろう。きっとヌメイルがそのタマゴのことを知っている。もしかすると親かもしれない。探すぞ。」

 イーブイたちは、どうして急に話をやめてしまったのかと不思議そうにブラッキーを見つめたが、答えが見つからなかったので互いに顔を見合わせた。なんとなく触れてはいけないところに踏みこんでしまったような気がする。それで二人とも、ブラッキーの気を損ねないよう、素直にうんとうなずいた。本当は、どうしてニンゲンのノートを持っているのとか、また今度見せてくれるとか尋ねたかったけれど、今はそれよりもタマゴのことを考えなきゃ。
 こうしてブラッキーとイーブイとチラーミィはきれいな抜け殻とタマゴを持って、タマゴの親探しに出かけた。



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この小説は「ポケモンストーリーテラー25」に投稿した作品です。
本文中の表現など、企画を意識した内容になっておりますので、ぜひ企画ページと一緒に楽しんでいただけると幸いです。
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