その年のバレンタインデーに、とハウはガラル地方のシュートシティを訪れていた。 「バトルタワー楽しかったねー。アローラのバトルツリーとはまた違ってさー。」 バトルタワーでのポケモンバトルを終えて、二人は街を歩いていた。アローラでは目にしないポケモンたちの動きや技を間近で見られて、ハウはとても満足そうだった。パルスワンの素早い動きは本物の稲妻のようだったとか、キョダイマックスリザードンの炎の翼が特にかっこ良かったとか、ハウの多弁は止まらない。 「でもおれ実は、ダイマックスさせるのまだ慣れないんだー。ポケモンあんなに大きくなっちゃうでしょ。おれの気持ち届いてるかなって、ちょっと不安でー。」 眉を下げて苦笑するハウ。確かに彼はポケモンをダイマックスさせる時、妙に緊張した面持ちだった。そんなことを不安に思っていたのか。はふふっと微笑むと、ハウの手を握った。 「大丈夫だよ、ハウ。ダイマックスポケモンにもハウの気持ち、ちゃんと届いてると思う。もしそれでも不安なら……次はと一緒に投げよう、ダイマックスボール。」 の提案に、ハウは笑顔をぱっと咲かせた。 「それめっちゃいいねー。と一緒なら、絶対大丈夫な気がするー!」 ハウが意気揚々と右手を掲げた時だった。その手首に付けっぱなしになっているバンドを見つけて、もハウも同時にあっと声を上げた。 「ダイマックスバンド、借りたまま来ちゃった!」 ありゃーと頭をかいた後、まあいっかーとハウは口調を明るく切り替えた。 「レンタルポケモンたちを返す時に、一緒に返せばいいよねー。一応カシダさんに連絡しとくよ。」 そう言ってハウは、スマホロトムを取り出す。 実は今とハウは、バトルタワーのレンタルポケモンたちが入ったボールを三個預かって出てきていた。 バトルタワーには、誰でも気軽にバトルを楽しめるよう、レンタル用の備品やポケモンが用意されている。ハウはバトルタワーデザインのダイマックスバンドがお気に入りで、いつも好んで借りていた。今日はたまたまバンドだけでなく、ポケモンもレンタルして連戦を楽しんでいたのだが、指示を出し、技の成功を褒め、勝利の味を分かち合っているうちに、レンタルポケモンたちはすっかりとハウに心を開いていた。特にゴリランダー、エースバーン、インテレオンの三体が二人にべったり懐いてしまい、バトルを終えてレンタル担当のカシダ氏にポケモンを返そうとした時も、カシダ氏が驚くほどしょんぼりと悲しげな様子を見せた。それでとハウはカシダ氏から、彼らを連れて散歩をしてきてくれないかと頼まれたのだった。 「この子らもバトルタワーの景色ばっかりじゃ飽きてしまうだろうから。どうだろう、お願いできるかな?」 もとよりとハウはバトルタワーを楽しんだ後、バレンタインディナーのために予約したレストランの入店時刻まで、シュートシティ内を観光する予定だった。旅路はにぎやかなほうがいい。とハウはカシダ氏の依頼を快く受け入れた。 「そろそろゴリランダーたちと一緒に歩こうか。」 ハウが連絡を終えたのを見計らってが言うと、ハウはもちろん賛成してくれた。 かちりとスイッチを押してボールを開放すると、光の中に三体が躍り出た。 ゴリランダーが上げた吠え声の意味は、ポケモンの言葉が分からなくたってすぐに知れる。やったあ、待ってました! とその輝く表情に書かれていたからだ。 エースバーンはひときわ高く鳴いたとたん、豪速で道の向こうまで駆けて行ってしまった。が慌てて「エースバーン!」と呼ぶと、同じ速度で戻ってきて、嬉しそうにとハウの間でぴょんぴょん跳ねた。 インテレオンは最も紳士的な様子で静かにたたずんでいたが、実はそわそわと辺りを観察しており、その視線に合わせてしっぽの先がぴこぴこ動いているのが、の位置からはバレバレだった。 とハウが三体それぞれを軽くなでてやると、ポケモンたちはめいめいに喜んで体を揺らした。みんな真面目でバトルも強い、とってもいい子たちだ。 「よーし、それじゃあみんなでシュートシティ散策に、レッツゴー!」 ハウが天高く突きだした拳に、とゴリランダーは同じように片手を上げて「おー!」と続き、エースバーンは両手の突き上げとその場の跳躍で答えた。インテレオンは手を上げはしなかったけれど、すました顔でさっさと歩き始めたので、もしかしたら心中では誰よりも一番お散歩を楽しみにしていたのかもしれない。 待ってよーインテレオン、と声をかけながら、とハウとポケモンたちは、シュートシティの街並みに繰りだした。 ガラルの首都は華やかだ。あらためてそう思ったのは、街中が花の香りに満ちているからだった。普段でもシュートシティには、スタジアムの前や川沿いの道に出店の類いが連なっているが、今日は特に花屋が多く出店している気がした。スコーン屋とかアクセサリー屋まで、店頭に販売用のバラを並べている。 花の香りは草タイプのポケモンを誘うのだろう。野生のポケモンなのか、近くにトレーナーがいるのか、スボミーやヒメンカがふわふわと楽しげに辺りを歩いていた。 ゴリランダーも例にもれず、立ち止まって大きな花バケツに顔を近づけ、くんくんとにおいをかいでいた。バケツには、紫の小さな花がぶどうのようにしだれて咲くライラックの束が入っていた。 「その花が好きなの?」 が尋ねると、ゴリランダーは遠慮がちに目を細めた。すると、ハウがさりげなく出店の店員に声をかけ、ライラック一枝分の金額を支払うと、にウィンクした。は目線で礼を返し、一番きれいなライラックを一本選び取って、ゴリランダーの頭に飾ってやった。彼の大樹にも似た深緑と黒檀色の体毛の上で、ライラックの紫がしっとりと揺れた。 「うん、すごくよく似合ってるよ、ゴリランダー。」 ゴリランダーは少しの間、目をぱちくりさせてとハウを見つめるばかりだったが、やがて出店に置いてあった鏡に自分の姿を映すと、ぱあっと大きく口を開けた。喜びに二、三度胸をたたくと、ウォーと声を上げながら道を駆ける。どうやら先を行くエースバーンに自慢したかったようだ。誇らしげにライラックを見せるゴリランダーと、ゴリランダーの話を聞いて跳ねるエースバーンと、彼らのやり取りを一歩離れた所で観察しているインテレオンを、とハウはにこにこと一緒に見守った。 「なーなーー。あそこなんだかすごそうだよ。行ってみよー!」 そんなふうにみんなで歩いている途中、ハウが指したのは一軒の花屋だった。出店ではなく、通常もそれを生業としている戸建ての店舗だ。ふわんと良い香りが漂い、店の前にいくつも花バケツが置かれているのは他の出店と同じだが、変わっているのはそのバケツの中身だった。咲き誇る花の色は、赤、白、黄などの見慣れたものに加え、ウルトラマリンブルー、緑と橙のバイカラー、漆黒、さらには虹色まであった。染色花だ。 鮮やかな色彩の花の側には、おそらく花屋のポケモンなのだろうロゼリアが何体かいて、道行く人々を甘い香りで呼びこんでいた。 「、見てー。このバラ虹色だー。どうやってこんなの作るんだろうー?」 七色のバラをしげしげと眺めながら、ハウがそう言った時だった。 「それはね、茎を何本かに裂いて、染色液を吸わせるとできるのよ。」 店の奥から、長い亜麻色の髪を後ろで一つに束ねた壮年の女性が現れて、ハウの質問に答えた。きっとこの花屋の店主だろう。ロゼリアたちがぴょこぴょこと足元にすり寄っていた。 「いらっしゃいませ。おしゃれなゴリランダーを連れたトレーナーさんたち。何かお探しの花がありますか?」 名前を呼ばれて、ゴリランダーはライラックの花かんざしを揺らす。 「えっと、花を探しに来たってわけじゃないんだけどー。」 ちょっぴり気まずそうに、ハウはみんなで散歩をしていたこと、たまたまこの店の染色花に目が留まって思わず立ち寄ったことを話した。 「真っ黒な花や、虹色の花が、目立って見えて。今日はどこでも花を売ってるから余計にさー。」 「ああ、今日はバレンタインデーだからね。ガラルではバレンタインデーに、愛する人へバラの花を贈ることが多いのよ。」 なるほど、それで街中に甘い香りが満ちていたというわけか。 と、たちが感心したところで、花屋に一組の若い男女がやって来た。お客さんだ。店主が彼らの対応を始めたので、たちは邪魔にならないよういったん店を離れることにした。 店の外で迎えてくれたのは、エースバーンだった。一緒にいたと思ったのに、いつの間に外に出ていたのだろう? と疑問が口に出るよりも先に目についたのは、エースバーンが頭に載せている花冠だった。 「わー、エースバーン、それとっても素敵だねー! どこで見つけたの?」 ハウが尋ねると、エースバーンは手招いた。彼が案内してくれたのは、隣の建物との間にある狭い路地だ。 薄暗い路地に面した花屋の勝手口の前に、一人の少年とロゼリアがたたずんでいた。 「ん、なんだよ。お前のご主人にその冠、見せてやれたのか?」 少年はそう尋ねた後、エースバーンが連れてきたたちの存在に気が付いた。 亜麻色の髪を短く整えた、まだ十にも満たない子供だった。彼は傍らのロゼリアを少し抱き寄せると、口をきゅっと引き結んで、とハウを見つめた。二人がゴリランダーにインテレオンという大きなポケモンを連れていたので、おびえてしまったのかもしれない。 「アローラー。あのー、きみがエースバーンに花冠をくれたの? どうもありがとう。」 なるべく怖がらせないよう、精一杯のやわらかな口調と笑顔で、ハウが話しかけた。少年は少し黙った後、いや、と否定した。 「花冠を作ったのはぼくじゃないよ……。そのエースバーンが、頭に花を乗せてもらいたがってるみたいだったから、ロージィが作ってやったんだ。」 ロージィ? とが首を傾げると、少年はロゼリアを二人の前に出して見せた。 「うん。ぼくのロゼリア。ロージィって名前。」 きゅるっとロゼリアが鳴いた。その腕の先に咲いたバラは、普通のロゼリアの赤と青ではなく、紫と黒の色をしていた。 「わー、すげー! 色違いのロゼリア!? おれ初めて見たよー!」 興奮するハウに、少年は得意げな様子で胸を張った。しかし、なでてもいいー? とハウが問うと、だめだめ! とまたロゼリアを抱き寄せて遠ざけてしまった。 「ロゼリアには、そう、毒のとげがあるからな。シロートが触るとけがしちゃうよ。だから、触るのはだめ。」 「そっかー。……あっ、そうだ!」 おれいい物持ってるよー、と言いながらハウが鞄から取り出したのは、光の石だった。ロゼリアを進化させられる、不思議なエネルギーの詰まった石だ。 「これ、きみにあげるー。きみのロージィ、きっとすごくきれいなロズレイドになると思うんだー。エースバーンの花冠のお礼だよー。」 ところが少年は、ハウの手に乗った石を最初は興味深そうにのぞきこんだものの、はっとして慌てたように首を振った。 「い、いらない! 別に、花冠は、店に出せない余った花を使っただけだから。お礼とかいいよ。なあ、ロージィ?」 ロージィは少し首を傾げて、それでも賛同の意を示すように、紫と黒の両花をふるると揺らした。 「それから、ぼくの名前は『きみ』じゃない。ライヤだ。花屋の息子のライヤ。お兄ちゃんたちの名前は?」 半ば話題をそらされたような気もしたが、二人が名乗っていないのは事実だった。ごめんごめんと謝りながら、ハウは改めて笑顔を向けた。 「おれねー、ハウ! アローラ地方から来たんだー。こちらはおれの恋人、!」 ハウの紹介を受け、もにっこり笑って会釈した。ああ、とライヤは納得の表情を浮かべた。 「バレンタインの花を買いに来たってことか。」 「うーん、厳密に言うと違うんだけどー。」 「ぼくがいい花、選んでやるよ。来て!」 ライヤはぱっと駆けだすと、とハウの側を通り過ぎ、ゴリランダーとインテレオンの間も身軽にすり抜け、「早く来いよ」と振り返ってたちを手招いた。ただ、ライヤを追おうとしたロージィに対してだけは、だめ、と同行を許さなかった。 「ロージィはそこで待ってて。」 ロージィは少し寂しそうな顔をしたが、素直に足を止めた。そのやり取りを見ていたとハウに、ライヤは気まずそうに口を開く。 「あ、あのさ……ロージィのこと、ママには黙っててほしいんだ。いい?」 黙るとは、ロージィの何についてのことだろう? 事情は分からないが、ライヤがなんだか思い詰めた様子だったから、とハウはとりあえずうなずいた。それでライヤは安心したらしく、再び勢いよく駆けだして花屋の中に入っていった。 次→ もどる |