14.グラジオの写真

後編






 白い雲が浮かぶ真っ青な空。それよりももっと濃い青色の海に、波頭が白く光っている。空と海は同じポケモンから生まれた、なんておとぎ話を聞かされたら、今なら簡単に信じてしまえそうだ。
「潮風を浴びながら食べるランチは、格別だねー。」
 そう言ってハウは、勢いよく手元のハンバーガーにかぶりついた。満足そうにもぐもぐしている口回りは、ソースでべとべとだ。がそう伝えると、ハウはぺろんと舌なめずりをしてそれを片付けた。とおんなじ、とこっそり思うの前で、ハウはえへへと笑っていた。
 とハウとグラジオは、クッキー屋での買い物を終えた後、ロッカーに荷物を預け、フードコートでハンバーガーをテイクアウトした。ビーチサイドエリアまで移動してベンチに腰かけ、海を眺めながらの青空ランチというわけだ。
 潮風を好む厚葉の街路樹が、熱い日差しをやわらかな緑の影に変えて、三人の上に落としていた。
 のジュナイパーとハウのアシレーヌとグラジオのシルヴァディが、向こうの砂浜の上で追いかけっこをしていた。ロトム図鑑も、海水に濡れないよう十分距離を取って、三体の上を飛んでいる。アシレーヌが海に逃げると、ジュナイパーはロトムに合流して上空をくるくる飛び、シルヴァディは足の先っぽだけを波に浸してがうがう吠える。一人で泳いでいるのもつまらなくなったアシレーヌが上陸するとまた三体そろって走り回り、砂まみれになったところでアシレーヌが海に入る。ジュナイパーとロトムが旋回する。シルヴァディはがうがう呼ぶ。そんなことを楽しそうに繰り返していた。今日はビーチで遊ぶのには、最高の天気だ。
「でも、グラジオならもう少し落ち着いたレストランとかが好みかと思ったよー。」
 ハンバーガーを飲みこんでハウがそう言うと、「オレだってハンバーガーくらい食べるさ」とグラジオはすまし顔だった。その手に持っているハンバーガーからレタスが飛び出していなければ、完璧な絵面だったとは思う。
「エーテル財団のお仕事はどう?」
 が尋ねると、グラジオは「ん」と短く返事した。落ちそうなレタスに気がついたようだ。
「大変なことも多いが、なんとかやってる。……オレはひとりじゃないからな。」
 無事にレタスを確保して落ち着くと、そう答えた。
 もハウも、最初に出会った頃からはずいぶん変化したグラジオのものの言い方に、自然と目を細めた。
「オマエたちはどうだ。島巡りを終えて、今は一息ついている、といったところか?」
「まあねー。リーリエに送る写真を撮って回って、二周目の島巡りって感じー。」
「ほう、いいじゃないか。スカル団も解散したと聞いたし、一周目よりも回りやすいぐらいじゃないのか。」
 グラジオは何の気なしに言ったのだろう。しかしハウはその言葉を聞いて、動きを止めた。写真と寄せ書きを集めるこの島巡りに、スカル団の影が全くないとはとても言えなかった。むしろスカル団が解散したことで、それはよりいっそう深い混沌の色になったようにも見える。
 とハウの表情の変化を、グラジオはすぐに察した。
「……何かあったのか?」
「あった、ってほどじゃないんだけどー……。」
 ハンバーガーの包み紙をやたら丁寧に剥きながら、ハウはそう前置きして話し始めた。
 写真を撮るため会った人たちから聞いたスカル団のうわさ。エーテルパラダイスでの事件がスカル団の暴動だったとして報道されていたこと。プルメリや元スカル団員たちの話。そして、今もスカルマークを身に付けたままどこかを放浪している、グズマを慕う二人組の男のこと……。
 ハウが詰まったところは、がつなげた。そうして、島々を一周や二周した程度では変わりそうもない、アローラに色濃く落ちた影の色を、グラジオは二人と共に見つめてくれた。
 話が終わった頃、喉を潤そうとハウが手に持ったサイコソーダのカップは、すっかり露に濡れていた。
「なるほどな……。」
 グラジオは短く息を吐いた。それから、言葉を組み立てる時間を少し取った後、言った。
「拒絶するのは簡単だ。」
 ストローから口を離したハウがグラジオを見る。
「オレはかつて、何もかもを拒絶していた。母のやろうとしていたことも、タイプ:ヌルが置かれていた環境も。そこに関わる人間が、どんな気持ちでどういう意図でその行動を取っているのかなんて、考えようともしなかった。ヌルのためだって自分に言い聞かせて、目も耳もふさいで。」
 グラジオはシルヴァディに視線を向けた。
 砂浜のポケモンたちは、今は追いかけっこを中断していた。アシレーヌがみんなにアリアを披露している。ロトムは青空リサイタルの写真を何枚も撮影し、それがますますアシレーヌの気分を良くさせたようだ。歌と一緒に虹色の泡を出し、宙に舞わせた。ジュナイパーとシルヴァディは泡に興味津々で、鼻先で触れては割っていた。それがぱちんとはじけるのが面白いらしい。歌うアシレーヌと、競うように頭を小刻みに動かしているジュナイパーとシルヴァディと、ぱちぱちはじける泡、そしてその様子をどんどん画面に収めていくロトム。
 グラジオはちょっと口角を上げて彼らの戯れを見つめた後、いや、と独り言のように続けた。
「一番拒絶していたのは、たぶん、そうやって逃げている弱い自分自身だったのかもしれないな……。」
 前髪をかきあげるようにして、左手を額に当てる。すっかりエーテル財団代表代理が板についたと思っていたけれど、それはよく見知ったグラジオの仕草で、はなんだか安心した。ちなみにいつもなら半身を覆うように右手を腰に回すのだが、今はハンバーガーでふさがっているので割愛されている。
 ハウは、拒絶……と小さくつぶやいた。ゆっくりと手元に目をやり、しかし見つめているのはどこか遠くの時間と場所だった。それからしばらくするとふっと表情をゆるめて、あのさーグラジオ、と名前を呼んだ。
「まあまあ、かっこいいよ。」
「…………。」
 グラジオがじとっとハウをにらんだのは、その言葉にちょっとからかうような響きが含まれていたからだろう。けれどもには見えていた。言葉の響きだけでは隠しきれない、どこか吹っ切れたような光の色が、ハウの目に宿っているのが。
 ハウは残りのハンバーガーを一気に口へ押しこむと、ベンチから立ち上がり「ねー波打ち際まで行こうよー!」と二人を誘った。
「待て、オレはまだ食べ終わってない……」
「おれ先に行っちゃうからねー!」
 ハンバーガーの包みをごみ箱に放り投げてナイスシュートを決めたハウは、もう砂浜に足跡を付けていた。遊んでいたポケモンたちの輪に加わって、楽しそうに「うーみー!」と叫んでいる。
「まったく……島巡りをしていた頃から全然変わらないな。むしろもっと子供っぽくなっているんじゃないのか。」
 グラジオはあきれてため息をついたが、はそうは思わなかった。二人を置いて先に行ってしまったハウは、島巡りをしていた頃に比べると、ずいぶん遠い場所にいるように感じた。広がる景色に目がくらんでも、砂に足を取られても、ハウはきっと先に進むことをやめないだろう。なぜなら出会った人やポケモンの存在が、それらと共に時間を過ごした経験が、自分を支え導く標になることをハウは知っているから。
 グラジオの言葉もきっと、今のハウに必要な標の一つだったのだろう。
「……ありがとう、グラジオ。」
「ん? 何がだ。」
「なんでもない! ほら、たちも行こう。今日はビーチで遊ぶのには、最高の天気だよ!」
 砂浜に躍りでたに、ハウやポケモンたちが駆け寄る。
「グラジオー!」
 みんなで呼ぶと、グラジオはゆっくりベンチから立ち上がった。しかしそのまま移動しないので、やっぱりあまり気乗りしないのかと思ったが、よく見ると彼はズボンの裾をまくっているところだった。なーんだ、やる気十分だ。とハウはにーっと歯を見せ合うと、手を振ってようやくやって来たグラジオを迎えた。
 そうして三人の若者とポケモンたちは、波間にきらきらとはじける光に、しばしの時間、身を浸した。





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