12.エーテル財団職員の写真

前編






 とハウはエーテルパラダイスの船着場にいた。
 ビッケに連絡を取って事情を説明し、近いうちに会いに行く旨を伝えたら、快く財団の連絡船を出してくれたのだ。
 運んでくれた操舵係の職員に礼を述べていたら、「アローラ、さん、ハウさん」と声が聞こえた。二人が顔を上げると、ビッケが出迎えに来てくれていた。
「アローラ、ビッケさん!」
「ちょっと久しぶりだねー。」
「ええ。ようこそエーテルパラダイスへ。みんな、お二人がいらっしゃるのを楽しみにしていたんですよ。写真撮影に参加予定の職員も、もうすぐ業務に一区切りつきますので、少しお待ちいただけますか?」
 リーリエに送る手紙の件は、すでに説明を終えていた。リーリエが喜ぶ写真を撮れるよう、ビッケはいろいろと手配してくれていたようだ。とハウはビッケに礼を言うと、もちろんゆっくり待たせてもらいます、と答えた。
「そうだ。グラジオはいますか?」
 余裕があるなら彼に会うのもいいだろう。そう思ってが尋ねたところ、ビッケは申し訳なさそうに眉を下げた。
「グラジオ様は現在ご出張中で、いらっしゃらないのですよ。早ければ明日には戻られると思うのですが。」
「そっかー。いないんじゃ仕方ないねー。」
「すみません。」
「いいえ、たちも急に来てしまいましたから。グラジオが帰ってきたら、また連絡もらえると嬉しいです。」
 そういうわけでとハウは時間を潰しがてら、二階の保護区を見学することにした。写真を撮る準備が整ったら、館内アナウンスで呼んでもらえるとのことだった。


 エーテルパラダイスのポケモン保護区は、この巨大な人工島のメイン区画だ。建物の高い位置に造られた広大な部屋は、屋根や壁の一部がガラス張りになっていて明るい。傷ついたポケモンたちは、水と緑にあふれる安全な室内で、降り注ぐ陽光の優しい部分だけにぬくぬくと包まれ暮らしていた。
 ポケモンたちを世話する職員や、見学者の姿もちらほら見えた。あちらの水辺では、島巡りを始める歳にも満たない数人の子供らに、一人の男性職員がヤドンの手入れ方法を実演説明していた。幼稚園の遠足だろうか。白い制服に金色のバッジが輝く装いは、きっと大きな憧れとして年少者たちに映っているだろう。職員の手付きを見つめる彼らの表情がそれを証明していた。
「ビビッ、エーテル財団の職員さん発見ロト! 写真撮影はボクにお任せロト!」
 ロトム図鑑が嬉々としてカメラモードを起動した。今日エーテル財団の職員たちを撮影することは教えていたので、さっそく出番だと思ったのだろう。
「ビッケさんが今準備してくれてるから、撮影はもう少し後でいいよ、ロトム。」
「ビッ? 写真、撮っちゃだめなロ?」
 の言葉にロトムはボディを傾ける。周囲に撮影禁止の注意書きはない。だめってことはないけど……まで言っては、ロトムのちょっぴり寂しそうな表情に気がついた。
「まあ、いいんじゃないのー。選ぶ写真は多いほうが、良い手紙にできるだろうしー。」
 ハウが上手に言葉を継いでくれる。それでも、そうだねとうなずいた。
「それじゃあロトム、たくさん写真を撮ってきてくれるかな。職員さんのお仕事を邪魔しないようにね。」
「了解ロト! ボクにお任せロトー!」
 ロトム図鑑は生き生きと飛んでいった。きっとたちの役に立てるのが嬉しくて仕方ないのだろう。とハウは微笑んでロトムを見送った。がハウに「ありがとう」と伝えると、「楽しそうなロトムと一緒にいるのが、おれも好きだからねー」とハウは答えた。
 ロトムは最初、子供たちにヤドンの説明をする職員を遠巻きに撮影していた。けれどしばらくすると一人の子がロトム図鑑に気がつき、他の子らも次々にロトム図鑑に興味を示した。ロトムがを見る。その視線を追って職員も図鑑の持ち主を見つける。は慌てて謝罪のジェスチャーをしたが、職員は笑って「きみの図鑑とロトム、少し借りてもいいかい?」と声を上げた。がうなずくと、彼はロトム図鑑を側に呼び寄せながら、子供たちにロトムのことを解説した。さらにポケモン図鑑の機能を使って、ヤドンや保護区にいる他のポケモンたちについても、より深く説明してみせる。どうやらあの職員は、ロトム図鑑についての知識がある者だったらしい。
 和気あいあいとロトムや他のポケモンと触れあう子供たちと、それを見守る財団職員を眺めて、ハウがしみじみとつぶやいた。
「なんだか、あんな大事件があったの、嘘みたいだなー。」
 エーテル財団のほとんどの職員たちはきっと、ルザミーネの危険な思想については知らなかっただろう。職員たちの多くはポケモンを助けたいと願い、人間とポケモンの関係をより良いものにしたくてこの仕事を選んだはずだ。
 彼らは今、ルザミーネやルザミーネの行動を理解していた一部の職員のことを、エーテル財団のことをどう思ってこの仕事を続けているのだろうか。
 がそんなことを考えた時、不意に甲高い鳴き声が響いた。
「待って、待ってヨーテリー!」
 続いて聞こえたのは女性の大声。見ると、一人の女性職員とハーデリアが慌てた様子でヨーテリーを追いかけ、こちらに向かって通路を駆けていた。ヨーテリーはひどく焦った様子で、道の先にたちがいるのに気づくと、行き場を失って足を止めた。
「大丈夫だよー。おいでー。」
 ハウはかがんで背を低くすると、ヨーテリーに優しく手を差しのべた。しかしヨーテリーはその温度には決して触れようとせず、他の逃げ道を探しているうちに、ハーデリアが追いついた。ハーデリアはおびえたヨーテリーの顔をぺろんとなめて落ち着かせると、腹の下にヨーテリーを隠し入れた。
「ごめんなさい! 助かりました。」
 追いついた職員が二人に向かって頭を下げた。
「ずいぶん臆病なヨーテリーなんだねー。」
 ハウはハーデリアの下で丸くなっているヨーテリーを心配そうに見つめた。隠れきれずにはみ出たしっぽが、単純に臆病な性格だからという理由だけでは片付けられないくらい、ぶるぶる大きく震えていた。職員はうなずいた。
「この子、スカル団にいじめられていたところを保護されて来たの。よっぽど怖い思いをしたんでしょうね。今でもちょっと大きな音がしたりすると、こうやってすぐパニックになっちゃうのよ。人間には全然懐いてくれなくて、やっとこのハーデリアだけは敵じゃないって認識し始めたところなの。まだ小さいのに可哀想に……。」
 職員がハーデリアをなでながら説明してくれた。せめてハーデリアを通じて、人間が敵ではないことが伝わればいいと願うような動作だった。
「スカル団にいじめられて……。」
 ハウの声のトーンが一つ落ちる。ひどいよねスカル団、と職員も応じた。
「スカル団なんて、いなければ良かったのに。」
 決して荒くはない口調だったが、突き刺すような憎しみと悔しさの色を乗せたその声に、もハウも何も答えられなかった。少しの間を置いた後、職員は「でも」と自答する。
「どれだけ恨んでも悲しんでも、この子の傷が癒えるわけじゃないからね。そんなことより私は、この子が元の生活に戻れるように、全力で向き合うだけ。それがポケモンを傷つけてしまった人間としての責任だわ。」
 彼女の言葉に、ハーデリアもウォンと声を上げた。このハーデリアはきっと彼女の手持ちポケモンだろう。確かめずともそう思えたのは、彼女らの声にぴんと通った芯の形がよく似ていたからだった。
「あのー、おれもハーデリアなでてもいいー?」
 ハウが申し出た。なでなでしてもらえるって、と職員は相棒に語りかけた後、
「ヨーテリーを驚かさないように、そっとお願いします。」
 ハウに向かって微笑んだ。
 ハウはハーデリアと目線を合わせると、下から静かに手を差しだした。
「アローラ。おれねー、ハウ。きみたちに会えて嬉しいよー。」
 穏やかに話しかけて、好意を伝える。おびえたヨーテリーにも気持ちが届きますように。ハウはハーデリアの首元の毛に手をうずめると、優しくわさわさと動かした。ハーデリアが心地良さそうに目を細めた。



「良かったらあなたも一緒に、お願いします。うちの子、首をなでてもらうの大好きなの。」
 職員がにも微笑みかけた。それではハウと並んで、一緒にハーデリアの首へ手を置いた。「アローラ」と声をかけてからゆっくりと動かすと、ハーデリアは口を半開きにしてハッハッと短い呼吸を繰り返した。気持ち良さそうだ。もしかしたら願望だったかもしれないけど、ヨーテリーの震えがほんのちょっぴり収まった気がした。
「おれはやっぱり、スカル団のことは許せないよ。」
 女性職員とハーデリアが、無事にヨーテリーを連れて去っていくのを見送った後、ハウはに対してぽつりと言った。
「でも……。」
 続く言葉は音にならない。
 はしばらくハウを待っていたが、彼が答えを見つける前に、ブツッとスピーカーの電源が入る音が響いた。
<お客様のお呼びだしを申しあげます。メレメレ島よりお越しの様、ハウ様。準備が整いましたので、一階エントランス受付カウンターまでお越しくださいませ。繰り返し、お客様のお呼びだしを申しあげます。メレメレ島よりお越しの様、ハウ様……>
「あっ、ビッケさん呼んでるー。エントランスに行こう、。ロトムー! 行くよー! おいでー!」
 ハウの口調が一転、明るいものに変わった。それは心に生じたもやを引きずったままの表情でビッケたちを心配させないようにとの思いやりであり、それ以上思考を進めないようにする逃げでもあった。



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