島巡り初の試練を目前にして、ハウは不安、よりもむしろ期待に胸をどきどきさせていた。試練って何をするのかな? ポケモンバトルできるといいな。終わったら強くなれるかな?
ポケモンセンターのカフェスペースで思いを巡らせながら、ハウは注文した飲物に口をつけた。乾いた喉に潤いが通り、すーっと体に染みわたる。こもっていた空気が抜けるように、ほうっとため息がこぼれた。やっぱりちょっと緊張していたのかもしれない。カフェに寄って正解だった。 ハウは「おーっし!」と大きく気合いの声を入れると席を立った。これで心身ともに準備万端。 「今から試練かい? 頑張るんだよ。」 店主がにこやかに言う。それから、ちょっと待ってねと戸棚をごそごそ探ると、何かを取りだしてハウに渡した。小さなチョコレート一粒と、ポケマメ数個だった。 「気鋭の島巡りトレーナーさんとそのポケモンたちへ、応援のしるしさ。」 「わー、おじさんありがとー!」 満面の笑顔で礼を言うと、ハウは手を振ってポケモンセンターを後にした。道路に続く階段を降りながら、もらったチョコレートをひょいと口に放りこむ。とても優しい味がした。 それからアシマリをモンスターボールから出して、ポケマメを一つ投げてやった。ぱくっとそれを空中でキャッチするアシマリ。 「上手い上手い。試練もその調子で頼むよー!」 任せろと言わんばかりに鳴いて答えるアシマリの頭を、ハウはわしゃわしゃとなでまわした。 ふと、上げた視線の先にハウはきのみのなる木を発見する。そうだ、と瞳の光をひらめかせると、残りのポケマメをズボンのポケットに押しこみ、アシマリに付いてくるよう合図した。 「試練の前にー、きのみ採りに行こう! きのみ食べると元気出るもんねー。」 最高のコンディションで試練に挑むための、そうこれは作戦である。と三秒くらいは考えたかもしれない。しかし足取り軽く走るハウとアシマリの意識は、もうすっかり草むらの向こうから漂うきのみの香りに移っていた。 アローラの陽光をたっぷり受けて育ったきのみは、人もポケモンも大好きだ。たくさん落ちているのを見つけても全部は採ってしまわないのが、トレーナーである以前にポケモンと共に生きる人間としてのマナーだった。 ハウはオレンの実を一つアシマリに持たせ、ヒメリの実を一つリュックに入れ、もう一つオレンを手に取った。 「これはー、今食べちゃおっかー。」 空と海をぎゅっと煮詰めた色をした果皮に力を込めて半分に割ると、みずみずしい果肉が姿を現した。熟した香りがふわりとはじける。したたる果汁に手を濡らしながら、はいとアシマリに半分を渡すと、アシマリは喜んでかぶりついた。それを見届けてから、ハウは手についた汁をぺろりとなめとると自分もオレンに口をつけた。 「うわ、すっぱ!」 さっきチョコレートを食べたのをすっかり忘れていた。甘味にまひした舌に酸味だけが鋭く突き刺さり、口の中に反射的に唾液がにじむ。不愉快な酸っぱさをごくりと飲みこんで、なんとかオレンの果肉を胃袋に流した。 しわの寄ったハウの顔をアシマリが不思議そうに見上げている。ハウは恥ずかしそうに笑うと、こっちも食べる? とかじりかけのオレンを差しだした。半個では物足りなかったのだろうアシマリは、嬉しそうに受け取った。 木の陰からこちらをにらみつけている視線にハウが気づいたのはその時だった。 瞬間、視線の主はアシマリめがけて襲いかかってきた。 「危ない!」 ハウはアシマリをかばうように拾いあげて前転する。驚いたアシマリの小さな鳴き声。地面に落ちた食べかけのオレンの実。その側、アシマリのいた場所に一匹のポケモンが立っていた。 「マケンカニだ。」 起きあがって振り向き、ハウはつぶやいた。 マケンカニはひどく興奮していて、最初の一撃が空を切ったことを知ると、さらにいきりたちアシマリめがけて走りだした。 「水鉄砲で迎え撃て!」 とっさにハウが叫ぶと、アシマリも状況を把握したようだ。体勢を立て直し、こちらに向かってくるマケンカニをキッと見据えると、勢いよく水の束を発射した。激流に進路を阻まれその場に止まるマケンカニ。よし、ここから一気に接近戦に持ちこもう。水が切れた直後にしっぽではたくよう指示して――とハウが考えるよりも早く、マケンカニは吐き終わりで弱まった水流をかき分けてアシマリの目の前におどり出た。ハウとアシマリがはっと思考を切り替えるわずかな隙を狙い、岩をも砕く勢いの拳がアシマリに降りおろされた。 「アシマリ!」 地面に倒れ伏したアシマリ。マケンカニはいったん間合いを取り、アシマリの出方をうかがった。丸いはさみをボクサーのように体の前に構え、わずかに揺れながら次の攻撃タイミングを測っている。 あれは怒っている、とハウは思った。自分の縄張りできのみを取られて怒っているんだ。 ちょっと軽率にきのみに手を出しすぎたなーと、ハウは反省した。ちゃんと周りを確認するべきだった。しかし後悔していても仕方がない。こうなってしまった以上、なんとかしてあのマケンカニを大人しくさせなければ。 アシマリが起きあがり視界にハウを探した。ハウがアシマリ、と呼んで目を合わせると安心したのかこくりとうなずいて見せる。まだ戦える。ハウもにっと笑ってアシマリにうなずいた。 「距離を取ったまま、ゆっくり左に移動して。」 接近戦は不利だ。遠距離から一撃で決める。 アシマリがそろりと動くのをマケンカニもじっと観察していた。一定のリズムで体を揺らしながら、アシマリに合わせて体の向きを変え、相手を必ず正面に捉えている。しかしアシマリの動きの意味を図りかねているのか、自分からは手出しをしない。 「まだだよ、アシマリ。そのまま移動し続けて。」 アシマリ自身、ハウの指示の意図を理解していなかったかもしれない。けれどもアシマリはハウを信じていた。それが野生ポケモンにはない、トレーナーと共に戦うポケモンとしての強さだった。 「今だアシマリ! 一歩踏みこんで水鉄砲!」 二人の息はぴったりだった。再び激しい水流がマケンカニを飲みこむ。マケンカニは今度も踏ん張ろうとしたが、不意に一歩詰められた間合い分、力が及ばなかった。マケンカニの足が地面から引きはがされる。宙に浮いた体はその分水鉄砲の威力を分散させる、かと思いきや、マケンカニの背中がきのみのなる木にたたきつけられた。逃げ場のない水圧がマケンカニを襲う。ハウが狙っていたのはこれだった。アシマリが放つ水鉄砲の軌道上に木とマケンカニが乗るように、アシマリの位置を調整していたのだ。 「いいぞ、アシマリ!」 ところが木の根元に倒れて動きを止めたかと思われたマケンカニは、勝負にしがみつくかのごとくずるりと体を起こし、まだバトルは終わってないと叫びそうな気迫で立ち上がった。その体力と根性にハウは少し驚く。 (あのマケンカニ、強いな。) それはそうだ。マケンカニはきのみが大好きで、きのみのなる木に集まる習性がある。しかし熟したきのみを食べられるのはマケンカニ同士の戦いを勝ち抜いたものだけだから、一本の木を縄張りにできるということは、相応の実力があるということ。 そんな知識をハウが持っていたのは、幼い頃から身近にマケンカニがいたからだった。マケンカニは、祖父のハラ――メレメレ島のしまキングが育成を得意とするポケモンの一種だった。 あのマケンカニを仲間にすれば、きっと今後の島巡りの強い味方になってくれるだろう。ボールを投げるなら今がチャンスだ。ハウは空のモンスターボールを取り出そうとリュックに手を伸ばした。 マケンカニを仲間にして、島巡りをしながら強く育てる。ことが自分にできるだろうか。じーちゃんと同じくらい、あるいはじーちゃんよりもっと上手に。 わずかに時間が止まる。 それからハウは、上げた手を途中で降ろした。つかむ先を失って宙ぶらりんになった指先は、気まずそうにズボンのポケットに向かい、ポケマメを探り当てる。 「勝負はおしまい! きみのきのみ、取っちゃってごめんねー。おわびにこれあげるよー。」 取り出したポケマメを一粒、マケンカニの方へひゅっと投げやった。そして労いの言葉をかけながらアシマリをモンスターボールに戻す。 唐突に対戦相手のいなくなってしまったマケンカニは、去っていくハウの背中をきょとんとした様子で見送った。それから足元に転がったポケマメを眺め、おそるおそるにおいを嗅ぎ、試しに少しかじってみた。とたん、マケンカニはびっくりした顔をして、残りも急いで口の中に入れた。ポケマメがあんまり美味しくて、誰かに取られては大変と思ったようだった。 ごちそうを投げてよこした人間の姿はもう消えていた。どうやら茂みのどうくつへ行ったようだが、あそこに人間のすみかがあっただろうか。確か大きなポケモンとその仲間がすみついているだけのようだった気がするのだが。 マケンカニはじっと考え事をするかのように、ハウの向かった方角を見つめていた。 次(ハウとピカチュウ)→ ←前(ハウとピチュー) 目次に戻る |