メンテがその診療所を訪れたのは、怪我をしたからではない。病気になったわけでもない。その医者がどんな超獣でも――火に棲むものも、水に棲むものも、異界に召喚されしものでも治すことができるとの、噂を聞いたからだった。
その医者、ドクター・メテオは、人間界に召喚された超獣を治療するため、こちらとあちらを行き来していると言われていた。 地図を頼りにたどり着いたのは開けた平原。そこに診療所はぽつんと建っていた。どの超獣の集落にも属さず、遠くはるかにどの超獣の集落も見渡せるような場所だった。 空を仰ぐと、白い光の中で雲間に浮かぶ天使の居城が見えた。そのきらめきを青く跳ね返すのは海辺の水人都市。振り返った山脈の緑豊かな自然の中で獣が遊び、その谷の黒い闇に悪魔のささやきがうごめいている。向こうの方では赤い山の上を舞う火竜の呼気で、空がちりちりとくすぶっていた。 これがデュエル・マスターズ界。メンテが生きる場所。そしてかつて、ヒーローと一緒に必死になって駆け回った世界。あの頃は二人で地図を見ていたんだ。いや、焔はいつも衝動のままに突っ走っていたから、やっぱり一人で見てたかな。 メンテの手の中で、地図がかさりと音を立てる。 診療所はサイコロのような四角い形で、案外こじんまりしていた。どうせ超獣たちの大きさは千差万別だから、建物の外で診察と治療を終えてしまうのかもしれない。それとも往診の方が多く、診療所はあまり使わないのか。窓にはカーテンがかかっていて、中の様子は見えなかった。診察中なのか、誰かいるのかどうかすらよく分からない。 ドキドキと高鳴る鼓動で、メンテに灯った勇気が吹き消えてしまいそうになった時、診療所の扉がガチャリと開いて、白銀のヴェールを被った小獣がひょっこりと現れた。 「あれ、患者さん? こんにちは!」 「こ、こんにちは。」 「メテオー! 患者さんだよ! さあどうぞ、中に入ってください。」 たぶんドリームメイトの一族だろうその獣は、開けた扉を指し示すと、自分はいそいそと平原の向こうに走って行ってしまった。 メンテはそうっと薄暗い部屋をのぞく。一歩足を踏み入れると、消毒液と何か薬草の臭いにつんと歓迎された。それから奥の方で、白衣を着た銀髪の男がちょうど今カーテンを開け放ったのが見えた。にわかに明るくなった部屋に立つ医者の、その風格はまるでダークロードで、メンテは一瞬どきりとする。 「よお。どうした?」 医者が尋ねる。黒く長い前髪の間から鋭い目付きでメンテを観察しているが、その口調は穏やかだ。彼はヒューマノイドだった。 中はやはり広くはなく、 ぱっと見で確認できたのはベッド、薬品棚、本棚、それから中央に書類その他雑貨が乗った机と、椅子が二脚といった程度のものだった。医者と患者のための必要最低限の設備だ。そこに自分の居場所はない気がして、戸惑い突っ立ったままのメンテに、医者は悪いな、臭うだろと話しかけて窓を開けた。 「薬の調合をしてたんだ。暗い場所じゃねえと上手くいかない調合法でな。毛皮を持つ自然文明獣によく効く薬だが、闇文明の縄張りの奥地でしか原料の植物が採れねえ。」 座れよ、と彼はメンテに椅子をすすめた。メンテは言われるままに腰かけた。 「あの……あなたがドクター・メテオ?」 「ああ。オレに診てもらいに来たんだろ。見たところ外傷は無さそうだが、頭痛か? 腹痛か? それとも……」 「い、いえ、違うんです。ボクはどこも悪くありません。」 メテオが眉をくっとひそめた。再び鋭くこちらに向ける視線は百も承知。メンテは深く息を吸い込んだ。 「ドクター・メテオ。人間界に行く方法を教えてください!」 メテオは、すぐには答えなかった。刺すような観察眼は少し困惑の色を帯びて、やがて机の上をさまよう。 「お前、名前は?」 「……メンテといいます。」 「コーヒー飲む?」 「えっと、ちょっと苦手。」 「そうか……。」 「あっ、お砂糖二つ入れてくれたら飲めます。」 メテオはふっと笑った。 「いや、今日は紅茶にしよう。貰い物のいいのがあるんだ。」 メテオは書類や雑多の載った机からこぎれいな木箱を持ち上げると、中から茶葉缶を取り出した。それを持って台所とおぼしき場所へ行き、水を火にかける。そして戻って来るとメンテの向かいに腰を降ろし、観察でも診察でもない眼差しで、真っ直ぐにメンテを見つめた。 「結論から言うが、人間界に行く方法は、ない。」 あまりにもあっけない話の終焉に、メンテは思わずそんな! と叫んで椅子から飛び降りた。 「嘘だ! あなたは人間界で超獣たちを治療していたんでしょう? 人間界に行く方法は……」 「もうない、って言った方が正しいんだろうな。」 静かに声を紡ぐメテオは、どこか遠い宙を見つめていた。メンテはそっと椅子に座り直した。 「確かにオレは人間界に行った。そして戻ってきた。それも何度もだ。時空の穴が生じていてな、容易く行き来できたんだ。」 けれどいつの間にか穴は閉じてしまったと、以来人間界に行くことも、人間界から超獣たちの声を聞くこともなくなったと、メテオは話した。 時空の穴、とメンテは呟く。 「焔と同じだ……。」 沈黙が落ちた部屋に、くつくつと湯の沸く音が響いた。メテオが椅子を離れ台所に立つ。メンテはその背中を眺めながら、かちゃかちゃこすれ合う茶器と、しゅんしゅん鳴く鍋肌、こぽこぽ注がれる液体が奏でる、日常という名の曲をぼんやりと聞いていた。 「どうぞ。」 しばらくして戻ってきたメテオが、紅茶の入ったカップを机の上に置いた。メンテは礼を言い、一口すすると、ふんわりと甘く暖かい春のような香りが鼻腔をくすぐった。 「良い匂い……。」 「だろ。桜の紅茶。上物だぜ。」 客人が気に入ってくれたことに満足し、メテオも座って紅茶を飲む。ゆっくりとその風味を堪能した後、メテオはふうと長い息を吐いた。 「なんで人間界に行きてえのか、話してくれるか。」 メンテはうつむいたまま、うなずいた。 「会いたい人がいるんです。かつてこの世界にやって来た人間。人間なのに不思議で強大な火の力を持っていました。火文明の、ヒューマノイドたちの間で救世主と予言されていて、そしてその通りに世界を救った……」 「イチゲキホノオ、か。」 出そうとした音を拾われて、メンテは目を丸くした。 「焔を知っているの!?」 「神を倒して光の扉を開き、世界を救った人間だろ。どの文明の患者もしばらくはその話題で持ちきりだったぜ。色んな尾ひれが付いてたから眉唾だと思ってたんだが、本当だったんだな。」 「もちろんだ! 焔はっ……!」 身をのりだしぱちぱちと散らす言葉は火花のようで、メテオに火傷を負わすかもしれないことにメンテはハッと気が付いた。ひとつ深呼吸し、茶を飲む。 「焔は……ある日突然ボクたちの小隊基地に降ってきました。激しい戦いの衝撃で、時空の穴が発生していたみたいです。」 「なるほどな。オレが行き来するのに使ってたのと同じようなやつか。」 たぶん、とメンテはうなずく。 「ボクは……もう一度焔に会いたい。きちんとお別れしたつもりだったけど、でも、でもやっぱりだめだった。寂しくて悲しくて……。」 メンテの手に持っているティカップがじんわりと輪郭を失い始めた。ああ、ボクはまた泣いてしまった。ドクター・メテオに会ったら、涙をこぼさずしっかり話をしようと思っていたのに。 メンテは残りの茶をぐっと飲み込んだ。 「その時、あなたの噂を聞いて、人間界に行く方法が分かるかもしれないって、思ったんです。」 メテオは机に置いてある書類を少し手で探り、やがてその中から一束を取り出した。ぱらぱらと繰る紙の数箇所に目を落としながら、時空の穴が、と口を開く。 「どうやって出来るのかは結局よく分からないままだった。仮にメンテの言う通り、戦いの衝撃がそれを生むなら、確かに救世主が世界を救った後しばらくして時空の穴は出現しなくなっている。」 「両軍壊滅するようなひどい戦争、なくなりましたものね。」 「うん。お陰でオレの仕事も、こうして美味い茶を飲んでしゃべくることの方が多くなった。」 とっさに返答できず、申し訳なく思うべきなのかどうか複雑な表情をしたメンテに、この仕事はそれぐらいのほうがいいってことさと、 暇な診療所の長は笑った。 「オレだって、もうどうしようもないバラバラの状態になった患者ばかり見るのは趣味じゃないからな。あの血を洗うための血すら残らない戦争の時代を、終わらせた救世主とやらが本当にいるなら、オレは素直に感謝するぜ。」 それからメテオは紅茶のおかわりをすすめたが、メンテは遠慮して丁重に断った。そうかい、とメテオは少し残念そうにティカップを下げる。 「悪いな。せっかく来てもらったのに、力になれなくて。」 「いえ……いいんです。ボクのほうこそ急に押しかけてすみませんでした。」 ぺこりと頭を下げるメンテ。 「ボク、もう少し人間界に行く方法を探してみます。やっぱり諦められない。どうしても焔に会いたいんです。」 メンテの心に灯る炎は、ろうそくのように一筋の芯を通して真っ直ぐ上を目指していた。 メテオはそんなメンテの強い眼差しをしばらく見つめた後、ふいと奥の書棚に向かった。 「ちょっと待ってろ。」 ほこりっぽい紙にぶつかったくぐもった声が聞こえた。 やがてメテオは何冊かのノートを抱えて戻って来た。彼はそれらを机の上に置く。 「時空の穴について調べたことをまとめてある。良かったら参考にするといい。」 メンテはノートの山とメテオを交互に見、発しようとした声はあまりに熱く、最初うまく音にならなかった。 「あ……ありがとうございますドクター・メテオ!」 「メテオでいいぜ。それに丁寧語も。堅っ苦しくって、オレの方がやりづれえよ。」 少しはにかんで、メテオは頭をかいた。 メンテはノートを手に取った。開いたページに書いてあったのは、時空の穴が出現するために必要な条件の仮説と実験、そして失敗の記録だった。仮説、実験、失敗。仮説、実験、失敗。それがびっしりと続いている。 (すごい……火炎性衝撃加速度も、地形によるマナカーブ補正率の計算も完璧だ。) メテオの深い知識と努力、そして何より情熱にメンテは感嘆した。だがそれらをもってしても結果はすべて、敗北に終わっていた。 「オレも色々と試してはみたんだけどな……。」 自分もノートを読み返し、メテオは当時の悔しさを思い出しているようだった。 「メテオにも、会いたい人間がいるんだね。」 「んん? バカ言うなよ。オレはただ人間どもに傷付けられ病気にさせられた患者たちを治療してえだけだ。」 即答したが、まあそれでも、とメテオは小さい声で付け加える。 「ちったあ懐かしく思うことも、ないとは言わねえけどよ……。」 メンテはにこりと笑ってうなずいた。 「良かったらその人間の名前、ボクにも教えてくれる?」 「……麻那タメル。」 窓の外を眺めながら、メテオはちょっとぶっきらぼうに呟いた。 どの超獣の集落も見渡せるその平原に吹く風は、五つの色を帯びていた。自由に空と大地を駆けるそれは、小さな診療所にも気まぐれにすべりこみ、彼方の世界をそれぞれに思うヒューマノイド二人の頬を、優しくなでた。 次 「スケブのはしっこ デュエル・マスターズ」のページまで戻る カイの自己紹介ページまで戻る 夢と禁貨とバンカーと☆トップページまで戻る |