コロッケはいろいろな話をしてくれた。先日戦った相手のバンカーがとても強かったこと。メンチがエサと間違われて危うく大きな鳥にさらわれそうになったこと。だが、とりわけ多く彼の口から語られたのは彼の父、バンカーバーグのことだった。
バーグはとても強いバンカーだったそうだ。強くて、優しかったとコロッケは言った。それから、炎をまとう必殺パンチの打ち方を初めて伝授してもらった時の話や、誕生日をお祝いしてもらった日の話、教えられた数々の言葉を、に聞かせてくれた。父のことを話すコロッケはとても生き生きとしていて、あまりにも話に熱中するものだから、彼が幾度目かのあくびを見せた時、はとうとう彼をさえぎらなければならなかった。 「さあ、もう寝る時間だよ、コロッケ。」 コロッケもやはり睡魔には勝てなかったのだろう、少し間を置いた後、うんとうなずいた。それでは部屋の電気を消しに行った。 パチンとスイッチが鳴った瞬間、部屋は真っ暗闇に包まれる。窓のほうだけがぼんやりと明るくて、コロッケはその、わずかに光が見えるほうを向いていた。 「星、きれいだね。」 先の興奮もいくらか落ち着いたらしく、コロッケが言った。それではコロッケの隣までやって来て、コロッケと同じ目線になるように腰をおろし、窓の外を見た。小さな星がきらきらと、凍った空にやわらかく輝いていた。 「ほんとだ。」 「サンタさん見えるかなー。」 「ふふっ。運が良ければ、もしかしたらね。」 「ねえねえ。オレ、いい子に見える?」 暗い部屋の中には声だけが響いていた。は、コロッケプレゼントが欲しいんだ、と笑った。 「何が欲しいの。」 「ううん、オレ……何もいらない。父さんに会いたいって、お願いするんだ。」 の顔から笑みが消えた。甘い食べ物とか、ピカピカのおもちゃとか、ちょっとした物だったら、サンタクロースの代わりに買い与えてやることもできただろうが、その願いばかりはにはどうにもならなかった。 は黙ってコロッケの肩に手を乗せた。するとコロッケは、そっとのほうに体を傾かせた。 「最近、父さんの夢を見ないんだ。」 コロッケがつぶやいた。 「だからホントは、寝たくないんだ。」 「どうして? 今夜は見られるかもしれないじゃない。」 うん、とコロッケは一度はに同意してから、でもと逆接をつなげた。 「また見られなかったら……悲しいから。」 その寂しい言いように、はコロッケの胸の内を推し量った。しかし量りきらないうちに、コロッケがねえ、、と続けた。 「昔のことをずっと覚えておくのは、無理なのかなあ。」 は少し考えてから、優しく答える。 「毎日毎日、何度も思い出していればね、記憶ってのはそう簡単になくならないのよ。」 「だけど……。」 その後のコロッケの沈黙は長かった。はしばらくコロッケの開口を待ったが、彼は黙りこくったままだ。もしかして寝ちゃったのかな、とが思った頃、コロッケはようやく口を開いた。 「オレ時々、父さんが生きてた時のこと思い出せなくなるんだ。前はちゃんと覚えてたはずなのに、今はなんだか所々ぼんやりしててさ。さっきだって。……父さんの夢を見なくなったのも、オレが父さんのこと、忘れちゃってるからなのかもしれない。」 オレ、恐いよと、コロッケは告白した。その声は明るい所で聞くよりもずっと、震える色が濃く見えた。 「恐い……。嫌だよ。父さんとの思い出、全部覚えていたいのに、このままだと、もしかしたらオレは……。」 そこでコロッケはまた止まった。その続きを言うのは、彼にはとても勇気のいることらしかった。それでも彼は、言った。 「いつか父さんの顔さえも、忘れちゃうのかも。」 は暗がりの中で、コロッケを見つめた。ようやく闇に慣れてきた彼女の目には今、星明りにたたずむ少年の影が見えていた。コロッケの体温と不安とが、彼の肩に置いたの手にじんとしみていた。 「忘れるわけないじゃない。」 は言った。 「大好きなお父さんなんでしょ。絶対、忘れないよ。」 コロッケがもたれていた体を起こし、を見つめ返したのが分かった。 「そうかな。」 「うん、そうだよ。」 の微笑みは、コロッケには見えなかったかもしれなかった。だがあるいは、見えたかもしれなかった。その部屋には、星光のさす窓があったから。 「…………。」 コロッケは再び、半身をにあずけた。 「そっか……そうだよね。」 コロッケはつぶやいた。小さなつぶやきだった。だが声は肌を通じ、確かにに響いた。の声もきっと、そのようにしてコロッケに伝わっていたに違いなかった。 それから二人は、黙って一緒に窓の外の星を見た。暗い部屋の中、聞こえるのは互いの呼吸音だけだ。小さく光る星を眺めながら、はふと、コロッケのそれが寝息に変わっているのに気がついた。ゆったりと、規則正しく聞こえるその音をいくつか数えてから、は彼をそっと布団に寝かせ、自分もベッドにもぐりこんだ。 翌朝が目を覚ました時、コロッケはまだ眠っていた。すごい寝相だ。まず思ったのはそれだった。コロッケをベッドに寝かせなくて良かった――もしそうしていたら、彼は夜中のうちにベッドから落ちてしまっていただろう。 ただ、そんな格好でもコロッケはメンチをしっかりと腕に抱いて眠っていた。は口端にちょっと笑みを浮かべると、コロッケの体から半分ずり落ちてしまっている毛布を、きちんとかけてあげた。冬の朝は冷える。コロッケの毛布がいつ落ちてしまったのかは分からないが、コロッケが風邪を引いてなければいいんだけど。そんなことを思いながら、はぶるっと体を震わせた。 「とうさん……。」 声がしたのはその時だった。寝言かとはコロッケを見たが、いつ起きたのだろう、彼の目は開いていた。 「おはよう、コロッケ。」 が声をかけると、コロッケはゆっくりとこちらを見た。そこにいる女性に焦点を合わせるのに少し時間がかかったようだが、やがて彼はの名をつぶやくと、はっと笑顔になり、おはよう、と返事をした。 コロッケは起き上がり目をこすった。メンチも目覚めたようで、コロッケの腕の中で可愛いあくびをしていた。 「コロッケ今、父さんって言った?」 が尋ねた。コロッケは眠い目をこすりこすり、うん……とつぶやいたが、次の瞬間そうだ! と大声を出した。 「。オレ……父さんの夢を見たよ!」 「えっ、本当!?」 「うん!」 はずんだ声でコロッケは答えた。彼の喜びはにも伝播したようで、彼女は長くため息をついた。 「……良かったねえ、コロッケ。」 コロッケはもう一度大きく、うなずいた。メンチも会話の内容を理解しているのだろうか、二人の顔を交互に見ながら、ブヒッと一声鳴いた。コロッケはメンチに向かってにっこり微笑んだ。 「夢の中のお父さんはどんな感じだった。」 の問いに、コロッケはゆっくりとひとつまばたきをしてから、答えた。 「父さん……笑ってた。夢の中でオレは父さんと、メンチと、一緒に旅をしてて、父さんはオレのちょっと先を歩いてた。それで振り返って、さあ早く行くぞって、笑って……いつもみたいに……。」 その時コロッケの目に涙が浮かんでいるのを、は見た。 「オレ、父さんのこと……父さんの笑顔、忘れてなかった。」 それはに向かってというよりはむしろ、コロッケが自身のためにつぶやいた言葉だった。はうなずいた。 「そしてこれからも、忘れない。」 コロッケはの目を見つめた。涙は彼の頬を伝うことはなく、ただ彼の瞳をいっそうキラキラと輝かせていた。 「うん!」 コロッケの出立は早かった。が引き止めなければ、彼は朝ごはんも食べずに行ってしまうところだった。 はコロッケを見送るため、彼と一緒に外へ出た。クリスマスの朝は快晴だった。コロッケはメンチを頭に乗せ、マントを羽織り、風邪引くといけないからといってがくれたマフラーを巻いて、勢いよく朝日の中に飛び出した。 「、ほんとにいろいろありがとう!」 振り返り、コロッケは言った。は首を振る。 「いいのよ、全然。……あ、そうだ言い忘れてた。」 「何を。」 「メリークリスマス!」 コロッケがきょとんとした様子を見せたので、は、クリスマスのあいさつだよと付け加えた。 「ああ、そうなんだ。……めりーくりすます、!」 微笑んでから、コロッケは何か思い出したらしくあ、とつぶやいた。 「そういえばオレ、またサンタさんに会えなかったなあ……。」 が何か適当な慰め言葉を見つける前に、でも、と彼は笑顔を取り戻した。 「まあいいや。に会えたから!」 コロッケの笑顔は、やっぱり日の光の中で見るほうが断然輝いて見えた。は照れ隠しに少し笑った。 「じゃあコロッケ……元気でね。」 「うん、もね。 ……ねえ、。」 歩きだしてしまうのをちょっとだけ名残惜しんで、コロッケはを見上げた。 「また、会えるかな。」 コロッケの深いすみれ色の瞳が、遠慮がちにを映している。は、声に出してうなずいた。 「いつでも遊びに来てよ。」 「ほんと!? ……へへ、じゃあ次に会う時は、オレの父さんを紹介するね。」 コロッケは駆け出した。のあげたマフラーが、彼の背中でふわりと揺れる。 「またねー、!」 最後にもう一度だけ振り向いて、コロッケは大きく手を振った。も手を振ってそれに応えた。元気いっぱいの小さなバンカーは、そしてあっという間に見えなくなった。 はしばらく、コロッケの去った方を見つめていた。ほんの少しだけ寂しい気もしたが、でも、きっと彼なら大丈夫だろう。 そうしては、コロッケの願いが叶いますようにと祈りながら、ため息をつく。白く宙に広がったそれは、りんと澄んだクリスマスの空に、静かに溶けていった。 Fin. ←BACK ![]() |