Christmas Memories










*1*


 その年のクリスマス前夜は、ことさらに冷え込みが厳しかった。
 は家に帰る途中だった。その時彼女は自宅近くの公園を歩いていたところだったが、ふとした拍子に空を見上げた。
 深紺の空には小さな星がいくつもまたたいていた。きらきらと、それらがいつもよりいっそう美しく輝いて見えたのは、きっと空が凍っているせいだろう。
 そして彼女が視線を地上に戻した時、一人の少年が公園のベンチに座っているのを見つけたのも、ふとした拍子のことだった。
 彼は、空を見上げていた。ひとりぼっちで街灯下のベンチに座り、星を見つめていた。それから少年は、ため息をついた。少年の口元に白い霧が浮かんだのが見えたので、にもそうと分かったのである。少年は自ら生んだ霧を振り払うように小さく頭を振ると、星から目をそらし、のほうに顔を向けた。
 思いがけず少年と目があったは、ちょっとドキッとし、とっさに
「こんばんわ。」
 とあいさつしていた。少年のほうも少し戸惑ったようだが、すぐにこんばんわと返事をした。暗くて彼の表情はよく見えなかったが、微笑をともなった声だった。
「あの、君、こんな所で何してるの?」
 引っ込みがつかなくなったはとりあえずそう尋ね、少年の方へ歩み寄った。
「星を見てた。」
 少年は答えた。
 彼は十歳かそこらの、まだ幼い少年だった。ツインテールに結い上げた髪を帽子の外に出しており、上着かマントのようなものを一枚、体をくるむようにして羽織っていた。
「星を見てた……って、こんな時間に。」
 マントからはみ出た少年の寒そうな太ももを眺めながら、はあきれて言った。
「早くお家に帰りなさい。お父さんもお母さんも心配してるよ。」
 少年はしかし、首を振った。
「オレ、バンカーなんだ。一人で旅してるんだ。だから、帰る家はない。」
 こともなげな言い方だった。は言葉を返そうとしたが、もれ出た息は音にならず、宙で白く凍った。
「じゃあ……。」
 ようやく彼女は言う。
「今日は外で寝るっていうの?」
 うん、と少年はうなずいた。
「大丈夫、慣れてるから。」
 思わず懸念の表情を浮かべたを見て、彼は笑いながらそう付け加えたのだった。だが、その笑顔にどこか無理が見えた気がしたのは、辺りが暗かったせいだけではないだろう。
 ひゅうと風が走り、少年はマントをぎゅっと体に巻きつけた。
 寒気団の影響により、今夜は今年一番の冷え込みとなりそうです。お休み前は暖かい格好をして、風邪など引かないようお気をつけ下さい――今朝の天気予報でのキャスターの言葉がよみがえる。そして目の前の少年は、ひいき目に見ても暖かい格好をしているとは言いがたかった。
「ねえ……。」
 しばらく少年を見つめ、考えていたは、とうとう言った。少年がを見上げる。
「もし良かったら、今晩うちに泊まってく?」


「うわあ、ふかふかだー!」
 の部屋に入ると、コロッケは嬉しそうにベッドの上で飛びはねた。コロッケ――それが道すがら互いに自己紹介したときに、少年が名乗った名前だった。
「じゃあ、コロッケはベッドね。はこっちに布団を敷いて寝るから。」
「えっ。」
 コロッケはを振り返り、ハッとして慌ててベッドから飛びおりた。
「う、ううん! オレ、布団でいいよ。」
 恥ずかしそうにそう言って、彼はが運びかけていた敷布団を半ばひったくるようにして受け取ると、そのまま自分でそれを敷き、改めてそこに満足そうに寝転がった。は彼のその一連の動作を立ったまま見ていたが、やがてフッと笑みをこぼした。
「……まあ、コロッケがいいならそれでもいいけど。」
 それからはコロッケに枕と毛布を渡した。コロッケは身を起こしてそれらを受け取り、ありがとうと礼を言った。
「本当にありがとう……。泊めてくれて。」
「いいっていいって。」
 ベッドに腰かけながらは答える。
「だいたいクリスマスイブにひとりぼっちの子を、放っておけるわけないじゃない。」
「……くりすます。」
「そ。明日はクリスマスだから、今日は前日イブ。クリスマス、知ってる?」
 コロッケはうなずいた。
「プレゼントがもらえるんだよね! 父さんが教えてくれた。
 ……そっか。明日は、クリスマスなんだ。」
 どこか影の落ちた微笑とともにコロッケはつぶやいた。するとメンチがコロッケのひざの上に飛び乗って、一声鳴いた。メンチとは――公園から家に帰る途中、コロッケに紹介してもらったのだが――コロッケの生きたブタ型貯金箱バンクだ。
 コロッケはメンチを優しくなでて、黙っていた。それでも黙ったまま、コロッケを見つめていた。彼は何かを考え込んでいるようだった。あるいは、何かに思いをはせているようだった。それが何なのかには分からなかったが、触れるべきではないのだろうということぐらいは直感できた。
「オレの父さん、死んだんだ。」
 だからしばらくたってコロッケがそう開口した時、は一瞬返す言葉を見つけることができなかった。
「オレがもっと小さかった時にね。」
「……そう。」
 は、やっとそれだけつぶやいた。
「でもオレ平気だよ! だってオレ、禁貨を貯めて絶対に父さんを生き返らせてみせるもん。」
 コロッケは笑顔だった。はうなずいた。
「それがコロッケの願いなんだね。」
 今度はコロッケがうなずいた。
「父さんは、最高の父さんだったよ。はじめてクリスマスのことを教えてくれた時も……その日は、星がすごくきれいな日だったんだけどね。」
 語りながらコロッケは、つと窓の外に視線をやった。それを追っても窓を見たが、そこにはぼんやりと部屋の影が映りこんでいて、星はよく見えなかった。
「オレと父さんは星を見てたんだ。そしたら、流れ星を見つけて。父さんが、もしかしたらあれは流れ星じゃなくてサンタクロースかもしれないって言ったんだ。それでオレが、サンタクロースって何って聞いたら、サンタさんとクリスマスのこと、教えてくれたんだよ。その日は、クリスマスだったんだ。」
 だがコロッケはきっと、窓から星が見えようが見えまいが、関係なかったのだろう。彼はその時しかと、クリスマスの星空を見ていたのだから。
「サンタさんはいい子にプレゼントをくれるんだって。父さんが言ってた。でね、オレもプレゼントもらえる? って聞いたら……父さんは笑って、うなずいてくれた。」
「じゃあコロッケは、プレゼントもらったんだ。」
 コロッケは嬉しそうに、うん! とうなずいた。それから少し残念そうに、
「でもサンタさんには会えなかったんだ。オレ、サンタさんが来た時、寝ちゃってたんだって。それで父さんが、プレゼント預かっててくれたんだ。」
 はくすっと笑ったのがばれないように、そっかと相づちを打った。
「それで、何をもらったの。」
 コロッケはすぐには答えなかった。ややあって、
「覚えてないんだ。」
 ぽつりと言った。
「すごく嬉しかったのは覚えてるんだ。……でも何をもらったかは。お菓子だったような気もするけど、そうじゃないかもしれない。……覚えてないんだ。」
 コロッケの父は、コロッケがもっと小さかった時に死んだと、さっき彼自身が言っていた。ということは、今の話はコロッケがさらにもっと小さかった時の話なのだ。忘れるのも無理はないと、は思った。だが口に出しては言わなかった。
「そろそろ寝よっか。」
 代わりに彼女がそう言ったのは、ちょうどその時、コロッケがあくびをしたからだった。
 だがコロッケはごしごしと目をこすると、
「いい。まだ眠くない。」
 そう答えた。
「オレ、もうちょっととお話したいな!」
 にっこり笑ってコロッケは言った。


「しょうがないな。じゃあ、もうちょっとだけだよ。」





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