暗闇の回廊










 悲しい咆哮ほうこうが、砂漠に響きわたった。

 カラスミは二度と動かなくなった父と弟の前で、がくりとひざをついていた。彼の肩は小刻みに震えていた。
 コロッケは、そんなカラスミをただ見ていることしかできなかった――いや、実際はカラスミの姿などろくに見えていなかったのだ。涙が目をくもらせていたから。あとからあとから流れ出るそれを、コロッケはもう、ぬぐうこともあきらめていた。

 そしてどれぐらいの時が経った後だろうか。涙もかれ、くずおれたままのコロッケに影が落ちた。コロッケが顔を上げると、カラスミが二人の亡骸なきがらを抱えて立っていた。
「行こう。」
 そう言うと彼はコロッケの側を通り過ぎた。
「塔を降りるぞ。」
 コロッケは黙ってカラスミの背を見つめた。彼は不思議なほど毅然きぜんとしていた。コロッケが彼の横顔に見とめることができたのは、ただ深い赤色をした瞳だけだった。
 カラスミはコロッケを置いて一人で去って行く。コロッケは慌てて彼の後を追った。

「こんな所に階段があったなんて……。」
 つぶやいたコロッケの声はその空間に幾重にも響き、消えていった。
 長く、暗い階段だった。ゆるいらせんを描いてずっと下の方まで続いているその先は、闇で何も見えなかった。
「フォンドヴォーが見つけたそうだ。」
 カラスミが言った。コロッケは、そう……と短く返事をした。
 階段を降りながら、コロッケは何となしに壁に手を当てた。が、途端感じたざらりとした冷たさに、彼はハッとして思わず手を引っ込める。いや、それはただの壁だった。ここの壁は、今まで見てきた塔の壁とは違うらしい。コロッケは少し安心して再び壁に手をつくと、うなだれた。ここで失った仲間たちのことを、思い出したからだった。
 長い沈黙と階段が続いた。二人は何の言葉を交わすこともなく、カラスミが先に、コロッケがその後に続いて、地上へ降りていく。その歩みは遅々としていた。心身ともに疲れ果てた彼らには、その速さが限界だった。そのうえ辺りは薄暗く、足下がよく見えない。壁の所々にある窓からわずかばかりの光が差し込んでいたからまだ良かったものの、そうでなければ、二人は塔を降りることもできなかっただろう。
 ゆっくりと段に足を置きながら、どうしてこんな、と考えると、かれたと思っていた涙がまたこみ上げてくるのを感じて、コロッケはぐっと拳を握った。傷がじりりと痛い。思考はそれ以上進まなかった。ただ身体が鉛のように重かった。
 前を行くカラスミもまた、重い身体を引きずっていた。その背中はひどく疲れていた。それはそうだ。塔の頂上に姿を現した時点でカラスミはすでにずいぶんと体力を消耗していた様子だったのに、彼は今、人を二人も抱えてこんなに暗く、長い階段を降りているのだから。それにコロッケは知っていた。もうずいぶんと昔にそれを知った。

 死人しびとは、重いのだ。

「カラスミ……。」
 闇は闇を集め、地上に近づくにつれ薄れるどころか、次第にその濃さを増してきているように思われた。人の名を呼ばなければ、コロッケはその闇に押しつぶされてしまいそうだった。
「オレもどっちか連れてくよ。」
 少し歩を速めてカラスミの隣に並び、そう言ったコロッケの声は弱く震えていた。カラスミはちらとコロッケを見、
「……いい。大丈夫だ。」
 静かに答えた。それは落ち着いた、どこか強さすら感じる響きを残して、闇に溶けていった。
 提案を退けられたコロッケは、黙った。余計なお世話だったと後悔し、同時に、自分の声がまだ震えていたのを情けなく思った。
 そのままカラスミの隣を歩くこともできなくて、コロッケはやがてまた、カラスミの背を見つめていた。悲しい背だった。疲れてもいた。だがその背中は、少しも揺るいでいなかった。それが何故なのか、コロッケには分からなかった。
 カラスミは、抱えている二人が重くないのだろうか。果てしなく続く足下の闇が恐くないのだろうか。どうして言葉は震えていなかったのだろうか。どうしてその背中はそんなにも強いのだろうか。どうして――
「何だ。」
 視線を感じ取ったのだろうか。ふと振り向いたカラスミは、じっとこちらを見ているコロッケに気がつき、少しいぶかしげに尋ねた。コロッケはハッとして、思わずううんと首を振った。
「何でもない。」
 そのまま彼はカラスミから目をそらしうつむいた。
 カラスミは立ち止まり、コロッケの沈んだ顔を見た。あの深く、赤い瞳に、この悲劇を止めることができなかった少年の、闇にのまれそうな体が小さく映っていた。
 立ち止まったカラスミに気がついてコロッケは再び顔を上げた。どうしたの、と彼は問う。
「いや……。」
 カラスミはつぶやくと、コロッケから視線を戻し、またゆっくりと階段を降り始めた。コロッケは黙ってそれに従った。
 それが永遠でないことは分かっていた。だが、階段はまるで永遠に続いていた。今のコロッケにはそうとしか思えなかった。そしてまた、どうしてこんな、と痛む拳を握りしめそうになっていた。

「当然の、報いだ。」
 カラスミがぽつりと言の葉を落としたのは、その時だった。

「え?」
 だがカラスミは、それきり口をつぐんでしまった。彼はまた一段、階段を降りた。
「カラスミ……。」
 コロッケが見たカラスミの後ろ姿は、やはり毅然としていた。コロッケには分からなかった。だが、尋ねることなどできなかった。

 闇と静寂に守られた斜塔には、ただ二つの足音だけが、響いていた。


Fin.





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