エネコロロとゲンガーの
幸せな月の夜










 エネコロロはゲンガーが大好きです。
 二人の出会いは偶然でした。ある日、エネコロロはいつものように、人間と一緒に暮らしている家を抜け出して、町外れの森に遊びに行きました。ひらひら舞い踊るアゲハントの群れを追いかけるのが面白くて、うっかり森の奥深くまで足を踏み入れてしまったことに気がついた時には、夕暮れの空に三日月がほっそりと白く浮かんでいました。夜になって道に迷ってしまっては大変と、慌てて森の中を走り回っていたエネコロロは、うっそうと茂る木々の中にぼろぼろの屋敷を見つけました。その屋敷の主が、ゲンガーだったのです。
 古びた屋敷には、昔はお金持ちの人間が住んでいたのでしょうが、今はゲンガーの他にもたくさんのゴーストポケモンたちが住みついていました。エネコロロは最初ちょっと怖がりましたが、彼らが気さくに話しかけてくれたり、屋敷の中を案内してくれたり、帰り道を教えてくれたりしたので、すぐにみんなと打ち解けました。中でもゴーストポケモンたちのリーダーとして、口数は少ないけれど仲間たちを優しく見守っているゲンガーのことが、エネコロロは大好きになりました。ゲンガーもまた町から来たエネコロロの話を聞くのが楽しいようで、いつでも喜んでエネコロロを屋敷に迎えてくれました。



 ですからその日もエネコロロはいつものように、人間と一緒に暮らしている家を抜け出して、町外れの森の一番奥にある古びた屋敷に遊びに行きました。もうすぐゲンガーに会えると思うと嬉しくて仕方ありません。おしゃべりしたいことが山ほどあって、何から話そうかしら、と考えながら森の小道を駆けていると、

「ネコチャン!」

 ゲンガーが道の向こうで手を振っていました。ネコチャンというのは、屋敷のゴーストポケモンたちがエネコロロを呼ぶ時の愛称です。本当はエネコロロには人間に付けてもらったエリザベスという名前があるのですが、ネコチャンと呼んでもらうのも気に入っているので内緒にしています。

「ゲンガー! ゲンガー!」

 エネコロロはぴょんぴょん跳ねながらゲンガーの側に寄りました。

「今日は何して遊ぼう! 聞いて聞いて! この間ね、町の広場で外国から来た人間がショーをしていたの。大きな玉の上に立ったり、ポケモンと一緒に輪っかを次々空に放り投げたり、すごかったんだよ! だから今日はみんなでショーごっこしない?」

 今にも待ちきれない様子で屋敷に走りだそうとするエネコロロに、しかしゲンガーは黙って首を振りました。エネコロロはちょっと意外に思いましたが、それじゃあ、とすぐに話題を変えました。

「例の開かずの部屋、今日こそ開かないか挑戦しよう! みんなはいいよ、壁をすり抜けられるから。でもアタシだって中で一緒に遊びたいもん。なんとかして扉を開けてみようよ!」

 けれどもゲンガーは、やっぱり黙って首を振りました。エネコロロは不思議そうに目をぱちくりさせましたが、すぐに元気よく言いました。

「じゃあ、何して遊ぶか屋敷に着いてからみんなで決めよう。それならいいよね?」

 そして歩きだそうとしたエネコロロの前にゲンガーが立ちふさがりました。押し黙ったまま、細い三日月のような口を黒い体にゆらりと浮かせているゲンガーの姿に、エネコロロもただならぬ気配を感じてこくんと唾を飲みました。

「ど……どうしたの、ゲンガー?」
「屋敷には、行かない。ネコチャンは、ここで、ワタシと、バトル!」

 ぎん、とエネコロロを見据えたゲンガーの目は、今までに見たことのない黒い光をたたえていました。エネコロロは足がすくんで動けなくなります。
 屋敷の仲間たちはバトルが好きで、ゲンガーも指南役としてよく相手をしてやっていました。でもエネコロロはいつも見ているだけ。人間といる時も、ゴーストポケモンたちといる時も、エネコロロはバトルなんてやったことがないのです。

「ゲンガー! アタシはバトルなんてできないよう!」

 大きな声で訴えますが、ゲンガーはにやりとゆがめた口の形を変えないまま、両手の中に影の玉を作りました。それは見る間に頭ほどの大きさになって、勢いよくエネコロロに向かってきました。エネコロロは思わず「にゃあ!」と悲鳴を上げてぎゅっと目を閉じます。ぶわりと凍えるような冷気に包まれて、全身の毛が逆立ちました。
 どうしてゲンガーはこんなことをするのでしょう。ゲンガーは確かに無口ですが、いきなり乱暴するようなポケモンではありません。きっと何か理由があるはずです。
 エネコロロは目を開けました。ゲンガーが黙ったまま、口に弧を描いて、エネコロロを見つめていました。

「もしかしてアタシにバトルを教えたいの、ゲンガー? みんながバトルしている間、アタシがひとりぼっちだから。でも、それなら心配いらないよ。アタシはみんなのバトル見てるだけで楽しいんだもの!」

 勘違いをしているゲンガーに思いが伝わるように。エネコロロは愛らしい毛玉がついたしっぽをぶんぶんと機嫌良く振って、精一杯の気持ちを込めました。
 しかしゲンガーの返答は、二発目の影の玉でした。またしても冷たい闇に飲みこまれて、エネコロロはぶるると体の奥底から身震いします。痛くもなんともありませんが、どうも愉快な感覚ではありません。
 ひょっとするとゲンガーは、エネコロロのためにバトルがしたいのではなく、自分のためにバトルがしたいのでしょうか。エネコロロ自身はバトルにあまり興味がないので、以前屋敷に住むサマヨールにバトルの何が面白いのか尋ねたことがあります。

「そうだなあ。自分の力がいろいろな技の形になるのが面白いってのもあるけど……」

 サマヨールは屋敷の庭を眺めて思いあぐねました。そこではカゲボウズやヨマワルやゲンガーたちがバトルをしていました。幼いゴーストポケモンたちがせがむので、ゲンガーが相手をしてやっているのです。子供らが放つ影玉はまだへろへろの軌道で、バトルとは呼べないくらい避けるのも弾くのも簡単にできてしまうのですが、ゲンガーはなんだかいつにも増してにこにこしているように見えました。技の打ち合いが終わり、彼らがじゃれて笑い始めた頃、サマヨールは答えました。

「バトルって一人じゃできないだろ。ぶつかり合う力と力を通じてだけ、相手と感じられる何かがあるんだ。それが何なのかオレにもよく分からないけど。」

 サマヨールの言葉が本当なら、ゲンガーはバトルを通じて「何か」を感じたいのかもしれません。それが何なのかもちろんエネコロロにもよく分かりませんが。
 ゲンガーは目にらんらんと黒い光をたたえ、エネコロロを見つめています。わずかに体を揺らしながら、相手の出方を伺っているようです。
 エネコロロはゲンガーが大好きです。だからお互いのことをもっとよく知れたらと思います。今まではおしゃべりをすることや一緒に遊ぶことこそがその方法だと思っていましたが、ゲンガーにはゲンガーなりの方法があるのかもしれません。もしゲンガーが「何か」を感じるためにこのバトルを仕掛けてきたのだとしたら。それに応えたいという強い願いが自分の中でむくむくと形になるのを、エネコロロは感じました。

「ゲンガーがどうしてもアタシとバトルしたいっていうのなら……」

 正直に言って自信は全然ありませんでした。おしゃべりをするための言葉や一緒に遊ぶための元気ならたくさん持っていますが、バトルをするための力なんて自分に備わっているのか分かりません。上手くできないかもしれません。でも、それでも、ゲンガーのためならば。エネコロロの勇気に火が付きました。

「アタシだって、技を使ってみせるよ!」

 エネコロロの内側が、かっと熱くなりました。瞬間、熱は一気に体の外に出て輝く大きな星を形作ります。頭上でこうこうと光を放つ塊を見て、これがアタシの力、とエネコロロが思った直後、ぱんと高い爆発音が響いて光が破裂しました。

「にゃあ!?」

 まばゆい光で視界が真っ白になり、エネコロロはそのままひっくり返って倒れてしまいました。「ネコチャン!」と叫ぶゲンガーの声に続いて、遠くから別の声が重なりました。

「おーい! ゲンガー! ネコチャーン!」
「うわあ、やってるやってる!」
「バトルだバトルだー!」
「ボクたちも混ぜてー!」

 くらくらしながらエネコロロが起き上がると、助け起こそうと側に来たゲンガーの姿と、その向こうから小道を飛んでくる屋敷のゴーストポケモンたちの群れが目に入りました。
 ぴゅーんと最初に側にやって来たのは三人のカゲボウズです。カゲボウズたちはきゃっきゃと笑いながら小さな影玉をぽいぽい落としました。続いて到着したヨマワルは、目玉をちかちか怪しく光らせて飛び回ります。サマヨールは鬼火をいくつも宙に浮かべています。あっちのポケモンと打ちあったり、こっちのポケモンの影に潜ったり、みんなで技の比べっこです。いつもの屋敷でのバトルと違って、開放的な森の小道では技の調子も異なるのか、みんなはいつにも増して夢中で力を見せあいました。
 エネコロロは頭の上を横切った影の玉に「ひゃあ!」と驚いたり、もくもくわいた黒い霧の中で「にゃあ!」と声をあげたり、大忙しです。けれども先ほどゲンガーに向かって放とうとした光が思ったよりも体を温めていたのか、エネコロロはすったもんだの真ん中でも上手に技をかわしていました。それに気がついたゴーストポケモンたちも、エネコロロの思いもよらぬ身のこなしに目を丸くしました。

「わあ、ネコチャン、技を避けるの上手だね。」
「ボクのシャドーボール、ちっともきいてないや。」
「ネコチャン、すごい!」

 誉められれば悪い気はしません。エネコロロは「えへへ」と目を細めました。
 それからやっと尋ねることができました。

「でも、どうして今日はこんなところでバトルなの? いつもは屋敷で遊ぶのに。」
「ああそうだ、すっかり忘れてた! 屋敷の準備ができたから、みんなで二人を迎えにきたんだ!」
「準備って、何の?」
「いいからいいから! 早く行こうネコチャン!」

 不思議そうに首をかしげるエネコロロの背中を、カゲボウズたちが並んでぐいぐいと押します。ゲンガーのほうを見ると、ゲンガーは黒い体に赤い目玉と三日月の口を浮かべて、黙って微笑んでいるだけでした。その目からはもう、相手を射すくめる黒い光は消えていました。



 屋敷に着いた時、エネコロロはうわあっと声を上げました。

「これ、全部、みんなが飾りつけたの!?」

 屋敷の一面に、数えきれないくらいの花が生けられていました。いいえ、花だけではありません。金色のきのみや真っ赤な石のかけらなど、いろとりどりの装飾が屋根に、窓に、ひび割れた壁に取り付けられていて、しかもそれが周りに何十個も浮かぶ鬼火に照らされているのです。古びた屋敷は、どんな大富豪だって住むことができない、虹色の豪邸に様変わりしていました。

「その通り! だって今日は、ネコチャンがこの屋敷に来た日と同じ形のお月様が、初めて空に浮かぶ日だからね!」
「ネコチャンとボクたちの友達記念日だよ!」
「ハッピームーンナイト、ネコチャン!」

 夕暮れの空に三日月がほっそりと白く浮かんでいました。
 エネコロロの言葉は、驚きと喜びでいっぱいになった胸につかえて出てきませんでした。でも、きらきら揺れる瞳とふるふる震える頬を見ただけで、エネコロロの気持ちはその場にいた誰もに伝わりました。友達記念日のサプライズが上手くいって、ゴーストポケモンたちも嬉しそうです。

「ネコチャンにびっくりしてもらえて良かった!」
「飾りつけが完成するまで、ゲンガーに『ネコチャンを森の小道で止めておく係』になってもらった甲斐があったね。」
「バトルでもしとけばいいんじゃない? って言ったけど、その通りだったね! ネコチャンがあんな身軽だなんて知らなかったよ。」

 ゴーストポケモンたちが口々に言います。それでエネコロロにも、どうしてゲンガーがいきなりバトルを仕掛けてきたのか理由が分かりました。
 ゲンガーはエネコロロの隣に立ち、黒い体に細い三日月を浮かべ、黙って微笑んでいました。その顔は、目に黒い光を燃やして影の玉を投げつけてきた時とは全然違います。でもあの時のゲンガーの表情は、バトルを通じなければ知らないままだったとも思うのです。
 あのね、とエネコロロはゲンガーにささやきました。

「今度、アタシにも、バトル教えてね。」

 ゲンガーはちょっぴり意外そうに目を開きましたが、すぐに優しくうなずきました。

「ネコチャンが出した光。あれはネコチャンの、とっておき。もっと上手に、使えるようになると思う。ワタシも、手伝う。」

 それはエネコロロが今まで横からしか眺めたことのなかった、バトルの先生の顔でした。初めて正面から見たその目に自分の姿が映っているのが、くすぐったくて心地よくて、エネコロロは耳をぴこぴこ動かしました。
 屋敷の中からユキメノコがみんなを手招いています。なんだかきのみ料理のいい香りがするようです。きっと屋敷の外だけでなく中も、友達記念日のための特別な準備がされているのに違いありません。ぴゅーんと一番にユキメノコのもとに飛んでいったカゲボウズ三人組が、ゲンガーとネコチャンも早くおいでよ! と二人に向かって叫びました。
 エネコロロとゲンガーは顔を見合わせて笑い、仲良く並んで屋敷に入っていきました。



Fin.



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