龍と舞う人










 岩塊のような灰色の巨躯に、金色の鱗が何枚も連なって揺れている。
 マイトの視界は、突然現れたそのポケモンの背中で一杯になった。
 ジャラランガ。
 混乱する頭の中でマイトはなんとかその一単語を引っ張り上げた。
 ジャラランガは、背後で間抜けに尻もちをついている若い人間の男などには目もくれず、ゆっくりと右腕で弧を描いた。続いて左腕もその動作にならい、さらに足で二度地面を踏み鳴らす。シャン、シャンと尾を振って節を取りながら、腕を突き出しくるりと回り、徐々に激しくその場で踊る。ジャラランガの爪が空気を裂くごとに、ひるがえした体の上で鱗が光を跳ね返すごとに、その内側からほとばしる力が周囲にあふれるかのようだった。
 幼い頃に祖母から聞いた伝説の、闘龍様とうりゅうさまの龍の舞だ。
 十分に力を高めたジャラランガは、鋭い眼光で前方の敵を見据えた。
 一体のロズレイドを連れた密猟者の男が、ジャラランガの金の鱗をねめつけてにやりと口の端をゆがめた。
「ようやく出やがったか。待ちくたびれちまったぜ。」
 ジャラランガが怒りに狂った咆哮を上げ、ロズレイドめがけて突進した。



 ポニの大峡谷に密猟者が侵入したようだと、マイトが報を受けたのは昨日のことだった。
「野生ポケモンたちの挙動がおかしい。普段はねぐらにしない場所に移動しているし、ずいぶん気が立っているようだ。」
 数年前に島巡りを終えた後、マイトはその腕を買われハウオリシティの自警団に入った。自警団と言っても半分はボランティア活動のようなもので、街に入ってけんかをしている野生ポケモンをなだめて野に返すとか、迷子になったポケモンの捜索をするとか、そんな仕事が多い。しかし時折は厄介な案件も舞い込むもので、しかもそういうのに限って隣の島の問題だったりする。もっともポニにはハウオリのように大きな街がないからこそ、こちらに話が回ってくるのだろうが、そんな時は団の中でも特に実力のあるマイトのようなトレーナーに声がかかるのだった。
「狙われているのは、おそらくジャラコ。鱗の密売が目的だろう。」
 数枚の資料をマイトに差し出しながら、団長が問う。
「引き受けてくれるな、マイト。」
「はい!」
 自警団の筆頭としての誇りをもって袖を通した青い服を、年少の者はエリートトレーナーの証として憧れの眼差しで見つめる。彼らの視線に恥じない答えを、マイトが選ぶのに時間はかからなかった。

 ポニのしまクイーンや警察関係者への連絡も滞りなく済んだ後、マイトをはじめとする五名のトレーナーたちが密猟者探索の任に就いた。手分けして峡谷内を調べ、怪しい者を見つけ次第すぐ仲間に連絡すること。一人で遭遇した場合は深追いせず、自身の安全を第一に確保すること。お互いにそう約束して散らばったのが、一時間ほど前。
「炊事の跡らしいのを見つけたわ。誰か来て一緒に周りを調べてくれる?」
「俺が一番近い。行こう。」
「では私は念のためその周辺を警戒します。そちらは頼みますね。」
 そんな通信が入って、三名がマイトとは反対の方角に向かった、少し後のことだった。
 ほとんど偶然に、そびえる岩の角を曲がって小さな谷間に入った時、マイトは炊事の主――件の密猟者と対面した。
 一目でそれと分かる出で立ちだった。こんな人里離れた険しい谷で、数日かけて「仕事」をするのに適した頑丈な服装と大きなバックパックを身につけた中年男。傍らのロズレイドはアローラに生息しているポケモンではない。そして何より引きずっている麻袋の口から、ぐったりしたジャラコの姿が見えていた。
 マイトはこっそりと仲間宛に救援を求める信号を打ち、ボールホルダーに手をかけた。
「あーあーあー。なんか嫌な予感がするなぁと思ったら、お兄ちゃんポケモンレンジャーか何か?」
「まあそんなところです。そのジャラコについて詳しく教えてほしいんですけど、いいですか?」
「そうだねえ。こっそり持って帰って売り飛ばすつもりだって答えたら、どうするわけ?」
 男が自ら密猟者だと告白した。それもへらへらと余裕の薄笑いを浮かべながら。その訳をマイトが理解するのに、ものの五分もかからなかった。
 密猟者のロズレイドは、圧倒的な強さだった。
 マイトは島巡りを終えたトレーナーだ。彼と彼の相棒たちは、何人もの手強いトレーナーと戦ってきたし、ポニ島の奥地にいる荒っぽい野生ポケモンにもひるまない。それなのに、たった一体のロズレイドに防戦一方。手も足も出ないまま、じわじわと毒にやられ、刃物のような花びらに翻弄され、あっという間に全滅した。深追いだと自覚する暇もなかった。応援もまだしばらくは来ないだろう。
 打ち砕かれたプライドと、自らを守るものが何もないという恐怖に、マイトは眼前から光が消えていく感覚に襲われた。
 勝利の確信を持って、密猟者が冷たい笑みを満面にたたえる。
 不思議な音が谷の空気を震わせたのは、その時だった。
 シャラ、シャララと鈴の鳴るようなそれは、ものすごいスピードでこちらに近付いてくる。鈴の音は次第に金属板の激しくこすれ合う騒音になり、天から谷に降り注いだ。一体何事かと見上げた瞬間、巨大な影がマイトの目の前に降ってきた。着地の振動、風圧、怒りの雄叫び。驚いてマイトが尻もちをついてしまったのも、無理のないことだった。
「ジャラランガ……。」
 マイトがそのポケモンを知っていたのは、幼い頃、祖母に何度もその伝説を聞かされていたからだった。普段は三つ束に編みこんで結ってあるマイトの長い黒髪は、祖母の血筋を受け継ぐ証。祖母はかつてジャラランガを崇拝し彼らと共に生きた、アローラ先住民の末裔だった。
 闘龍様の雄々しい舞は、人にもポケモンにも力を与えてくださるのじゃと、祖母の口から繰り返し語られた舞が今まさに、マイトの目の前で披露されている。自らが打ち震わせる鱗の響きを伴奏に、四肢の躍動を天へと捧げるその動きは、光にきらめいてたいそう神々しいと言う祖母の表現は、伝説がよくなびく衣をまとった結果にすぎないと心のどこかで思っていた。今日この時、ジャラランガの龍の舞を間近に見るまでは。それはジャラランガ自身の力を高め、敗北に意気消沈するマイトの勇気すら蘇らせる、力強くも美しい戦いの舞だった。
(共に戦ってくれるのか、ジャラランガ……?)
 なんとか起き上がったマイトがその問いを口にするよりも早く、相手のロズレイドが動いていた。大地に当てた両腕から、黒々としたいばらが生長している。ジャラランガが舞っている間から仕込まれていたのであろうそれは、すでに猛毒の鉄条網と化して、バトル場を取り囲んでいた。
「待て、ジャラランガ、早まるな!」
 マイトが叫んだ時にはもう、ジャラランガは仲間を返せと怒号に吠えながら、ロズレイドに大きな竜の爪を振りかざしていた。
 確実に刺さった強力な一打。だが、密猟者はにやりとした笑みを崩さなかった。
「ベノムショック。」
 毒液を振りかけられて、ジャラランガはいったん退く。
 やはり、とマイトは唾を飲んだ。自分のポケモンもあれにやられた。あれは傷口から入りこんで体内の毒を増幅させる特殊な毒液だ。ロズレイドは、ジャラランガを毒状態にした上であれを当てることを狙っている。
「ロズレイドの体には毒のとげがある! 接触戦は危」
 マイトの言葉は、ジャラランガの咆哮にかき消された。再び駆けだし、爪を振りかぶるジャラランガ。それを避けようともしないロズレイドは、まるで自分から攻撃の軌道に乗っているようにすら見えた。
 刺さるジャラランガの爪を、今度はロズレイドの体から放たれた激しい風がなぎ払う。
 花びらが吹雪のように舞い、ジャラランガの体は大きく吹き飛んで、猛毒いばらの茂みの中に落ちそうになった。今、毒に侵されてはまずい!
「ジャラランガ!」
 助ける、とかどうやって、とか考えている余裕はなかった。気が付けばマイトは走りだして、体勢の崩れたジャラランガといばらの間に滑り込んでいた。
「ぐうぅっ……おぉっ……!」
 ジャラランガの体重がマイトの腕に乗る。背中には毒の茂み。黒いとげが何本か、ブツッと服の繊維を突き破り肌に刺さったのを感じた。さあっと体温が下がり口の中が乾いていくような気がしたが、構っている場合ではない。
 ジャラランガが驚いたようにマイトを振り返って見た。
「お願いだ、ジャラランガ……力を貸してくれ。僕もジャラコたちを助けたいんだ。」
 震える体に脂汗をにじませた人間の言葉が、どこまで届くものかマイトは知らない。だがその時マイトの腕はふっと重圧から解放された。立ち上がったジャラランガが、赤い瞳にじっとマイトの姿を映していた。



「闘龍様の龍の舞には、舞でお返しするのが人間の礼儀。よくご覧なさい。こう……こうじゃ。」
「わあ、おばあちゃん、かっこいい! ぼくもやるー!」
「ほっほっほ、上手上手。お前はきっといい踊り手になるね。闘龍様の龍の舞が我らに力を与えてくださるように、我らもまた、舞によって闘龍様に力を与えることができるのじゃよ。」
「とうりゅうさまに? すごいなー! ぼく、とうりゅうさまと一緒に踊りたい!」
「うむうむ。ではその時のために、たくさん練習しておかないとね。舞を通じて、人とポケモンは一つになれる。絆を紡ぎ、どんな困難にだって共に立ち向かうことができる。お前の名前にはそういう意味が込められているんじゃよ。ゆめゆめ忘れないようにね……舞人マイト。」



 シャン、と高い音が響いた。
 ジャラランガが尾を震わせ、鱗を打ち鳴らしたのだった。闘龍の舞の導入となる、高らかな音。
 マイトはゆっくりと身を起こし、ジャラランガと目を合わせた。ジャラランガがうなずいたように見えた。
 ロズレイドの猛毒に内側からじんじん燃やされているのを感じるのに、なぜだか少しも苦しくなかった。見えない力に導かれるように、マイトの体は祖母から習った動きをなぞる。
 糸を巻くように腕を上下させながら浮かせた右足を、地面に叩きつけてぱんと音を出す。手を高く空に突き出し、体を回し、流れる大地のオーラに乗るように上半身をたゆたわせて、拳を合わせる。
 ジャラランガも、隣で同じように舞っていた。
 一定のリズムでシャン、シャン、シャララと震える空気の中で、マイトの黒い三つ編みが舞い、交差するようにジャラランガの連なった鱗が踊り、二つの肉体が一心になって龍の内なる波動を呼び覚ます。
「何の真似だ?」
 密猟者が怪訝そうな顔をする。
「いい加減、遊びは終わりだ。ジャラジャラうるせえその鱗、はがして磨けばきっと高く売れるぜ!」
 ロズレイドがベノムショックの構えを取った。毒液を発射する直前、両腕を相手に向かって付き出すその構えが、まるっきり無防備であることにマイトはすでに気付いていた。後はそのタイミングをジャラランガに伝えるだけ。ジャラランガがマイトの舞に、答えるだけ。
 ジャラランガが連続して体を震わせ、谷中にこだまする響きが最高潮に達した時、ジャラランガの鱗がきらきらとした光をまとった。燃えるような魂の鼓動が、その中心に収束した。
「今だジャラランガ!」
 龍の口に見立てた両手をマイトが大きく開く動作を決めた直後、力が爆発した。
 二つの舞によって極限まで高められた闘龍の魂が、激しい衝撃波となってロズレイドに襲いかかった。すさまじい光と轟音と暴風が谷に満ち、驚きおののいて背中を向けた密猟者をも、あっという間に飲み込んだ。
 放たれた力がようやく大地に沈んだ時には、ロズレイドと密猟者は倒れ伏して気を失い、彼らの荷物はバラバラになって散らばっていた。生活用品やロープや懐中電灯などの他、無数のモンスターボールが転がっている。きっとジャラコが入っているのだろう。大猟で入りきらなかった分を、麻袋に詰めていたというところだろうか。ジャラランガは袋の中でもぞもぞともがいているジャラコの元へ急いで駆け寄った。
「マイト! 無事か!?」
 谷の入口から仲間の声がした。振り返ってその姿を確認し、手を挙げて合図した後、マイトの意識はいばらの毒の中にふっつりと溶けた。



 マイトが目を覚ました時、心配そうにのぞきこむ仲間の顔が見えた。
「おお、マイト、気が付いたか。大丈夫か?」
 谷は整然として、静寂に包まれていた。どうやら応援に来た仲間たちが後始末をしてくれたようだ。向こうの方で一人が周囲の検分をしている他は、密猟者もロズレイドの姿も見当たらなかった。きっと残りの二人が彼らを引っ立てて行ったのだろう。
 マイトは少しうめきながら身を起こすと、側に付き添ってくれていた彼にうなずいた。
「ああ、なんとか。密猟者は?」
「今頃ハウオリの警察署に着いた頃だろう。ジャラコもみんな逃がしたよ。お手柄だったな、マイト。ちょっと無茶しすぎだとは思うが。ポケモンが撒いた毒びしにトレーナーが突っ込むなんて、お前らしくもない。」
「自分らしさについて考えている暇のない戦いだったもんでね。」
 力なく笑った後、ん? と相手の顔を見た。
「毒びしに突っ込んだって、なんで分かったんだ?」
 黙って目線で示された方向をマイトが見ると、岩陰にジャラランガがたたずんでいた。心配とも観察ともつかぬ眼差しで、マイトの様子をじっと眺めていた。
「身振り手振りであいつが教えてくれたよ。お陰で処置が早く済んだ。礼を言ってこいよ。あいつもお前が目覚めるの、待ってたみたいだぜ。」
 マイトはちょっとふらつきながら立ち上がり、ジャラランガの側に歩み寄った。ジャラランガも一歩こちらに近づいた。
「ジャラランガ、ありがとう。お陰で密猟者を捕まえることができたよ。ジャラコたちはみんな無事だったかい?」
 ぐるる、と喉の奥から敵意のないうなり声が聞こえた。それからジャラランガは、物を渡すような仕草で握り拳をマイトに突き出す。首を傾げながらもマイトが手を広げると、ジャラランガはその上にぽとりと何かを落とし、すぐにきびすを返して走り去ってしまった。
「あっ、おい、ジャラランガ!」
 呼んでももう、谷を吹きすさぶ風が答えるばかりだった。
 ジャラランガがマイトに残していったのは、小さな宝石だった。
「これ……Zクリスタルか?」
 島巡りで手に入れたものとは少し形状の異なる、三つ山になったクリスタルだった。ジャラランガの皮膚を思わせる土色の中に、鱗のような模様が浮かんでいる。よく分からないが、まあ何かを認めてもらえたのだろう。
 祖母がつけてくれた自分の名前の意味に思いを馳せ、マイトはふっと微笑んだ。
(おばあちゃん、僕、闘龍様と一緒に踊れたよ。)
 風の中にかすかに、金属のこすれる音が響いた気がした。



Fin.



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