ふじをたずねて










「あなたは『ふじ』を、どういう意味だと思った?」
 エーフィが尋ねるとボクレーは、
「まずは、花の『藤』だと思ったかな。」
 と答えた。


 アローラ地方はアーカラ島の南方に、メモリアルヒルと呼ばれる墓場があった。
 亡くなった者をしのぶ人やポケモンが訪れるその土地の、ひっそりとした草むらの中で、エーフィはボクレーと言葉を交わしていた。

 エーフィがメモリアルヒルにやって来たのは半月ほど前のことだった。ふらふらとさまようように墓石の間を歩き、まるでゴーストタイプのポケモンかと見間違うほどの雰囲気をまとって宙を眺めているところを、ボクレーが見つけた。
「なんだあいつ。見かけない顔だな。」
 おーい何してるんだい、どこから来たんだい、とボクレーが近づくと、エーフィはおもむろにボクレーへ顔を向けた。
「主人に……トレーナーに捨てられたの。」
 消え入りそうな声で、エーフィは言った。
 ボクレーは一瞬言葉につまったが、そうかい、とつぶやいた。
「まあ、ゆっくりしていきなよ。ここはなかなか居心地のいい所だからさ。君の名前は?」
「わたしは、ふじ。主人にはそう呼ばれていた。」
 エーフィはそう答えると、誰かに話しかけてもらえて少し元気を取り戻したのか、ぴょこりと大きな耳を動かしながら首をかしげた。
「あなたは、誰?」
「ボクはボクさ。」
 ボクレーはそう答えた。それが名前なのか、名前はないという意味なのか、ふじにはよく分からなかった。

 メモリアルヒルのポケモンたちは、ふじを快く迎えてくれた。中でも最初にふじを見つけたボクレーは、もともと世話好きなのかそれともふじのことが気に入ったのか、連日ふじをあちこち案内した。メモリアルヒルじゅうを歩きながら、美味しいきのみの見分け方や心地良いねぐらの場所を教えてもらうたび、ふじは尊敬のまなざしでボクレーを見つめる。ふじはそういうことに関しては詳しくないポケモンだった。
「あまりお外には出なかったから。いつも主人とお部屋の中で遊んでもらってたの。」
 ははあ、箱入り娘だなとボクレーは思う。
 それからふじは主人に遊んでもらったこと、一緒にご飯を食べたこと、見せてもらった本には遠い地方の写真がたくさん載っていて、いつか行こうねと主人と約束したことなどを話した。
 主人のことを口にする時、ふじの瞳はきらきらと輝き、それでいて夕陽が沈んだ後わずかに光の残る空のような、寂しい色にゆれるのだった。


 ふじがボクレーに「ふじ」の意味について尋ねたのは、そうしてメモリアルヒルでの穏やかな時を過ごしていたある日のことだった。
 花の藤、とふじは繰り返す。
 ボクレーは、どうしてそんなこと聞くんだい? と質問した。
「主人はどんな意味でわたしの名前を呼んでいたのかなって。」
 ふじの瞳が宵色にゆれる。
 また主人か、とボクレーは不機嫌そうにふんと息を吐いた。
「君の主人が『ふじ』にどんな意味を込めていたにせよ、それはボクらには知りようもないよ。人間の気持ちなんて、本当のところは分かったもんじゃない。そもそもボクらに対して感情なんて何も持っていないのかもしれない。だから君だって捨てられたんじゃないか。」
 ボクレーがはっとして、言い過ぎた、と思った時にはもう声は空気を震わせ終えていた。
 しかしふじは意外にも、そうだねとすんなりボクレーに同意した。
「わたしね、もうふじでいることに疲れちゃったんだ。」
 ふじは目を伏せてつぶやいた。
「ふじって名前で呼ばれる度に主人のことを思い出して、主人はどうしてわたしを捨てたんだろうって考えるけど、分からなくて、すごく悲しいから。だからもうふじって名乗るのやめようと思う。」
 でも、とふじは顔を上げた。その表情には、ふじなりの覚悟が見てとれた。
「わたしがふじでなくなる前に、どうしても『ふじ』の意味を知りたいの。主人が何を思ってわたしをそう呼んでいたのかを。」
 藤という花はどこに行けば見ることができる? とふじは聞いた。
 ポニ島の花園に咲いている花のことをそう呼ぶ者もいるようだと、ボクレーは答えた。
 それでふじは、自分の名前の由来かもしれない「ふじ」を訪ねて、ポニ島に向かった。


 アーカラ島からポニ島まではずいぶん距離があった。
 ふじは何度も道に迷い、その度に他のポケモンに道を教えてもらった。
 海を渡る時はペリッパーやホエルオーの群れにお願いして、その背中を借りた。
 ふじは助けてくれたポケモンたちにお礼を言うついでに、「ふじ」の意味も聞いてみた。多くはボクレーと同じく花の藤だと答えたが、時々それ以外の答えが返ってくることもあった。彼らはそれぞれに道案内をしながら、一緒に海を越えながら、道中の彩りにと「ふじ」にまつわる物語を聞かせてくれた。
 巨大なジャローダの群れの話。ムクホークとナマコブシの大バトル。「ふじ」という名前の人や物について聞かせてくれる者もいた。永遠の病魔の悲しげな物語や、藤の色が鮮やかに目に浮かぶような美しい散文。穏やかな日常をつづった言葉の束に、波乱の冒険譚。互いを助けようとする心の動きと、死を知らぬと言われてまで生きた者の静かな想い。
 一つとして同じものはなかったが、全てが「ふじ」で繋がり集まった物語だった。
「いろんな『ふじ』があるんだなあ。」
 ストーリーテラーたちの話を聞いているとなんだかとても楽しくなって、ふじは大きな瞳にさまざまな景色を映しながら、ポニ島への旅を続けた。


 ふじがようやくポニの花園に着いた頃には、出発した日から一か月あまりが過ぎようとしていた。
 初めて見た花園の光景は、ふじの心から消えることはないだろう。
 かすみがかった空気の中、紫色の花があちこちから垂れ下がり、天を覆うカーテンを作っていた。やわらかな甘い香りで満ちた静けさに、かすかな水音が響いていて、なんだろうと進んでいくと奥に澄んだ泉があった。水面には天空の藤の花が映り、上も下も紫色になったその場所はまるでこの世ではないような気さえした。
 ふじはここに来た理由も忘れて、ただただ目の前の風景に見とれていた。

「ポニの花園へようこそ。」
 声をかけられて振り向くと、ふじの後ろに一羽のオドリドリがいた。この空間から抜け出したような紫色の、ゆったりとした物腰のポケモンだった。
「ここは良い所でしょう。お気に召しましたか?」
「はい。とても、とても綺麗。」
「それは何より。」
 オドリドリは嬉しそうに微笑む。
「あまりお見かけしない方ですが、どちらのご出身で?」
「アーカラ島で主人と……トレーナーと暮らしていたの。」
「ああ、トレーナーさんとご一緒でしたか。」
 言ってオドリドリはきょろきょろと辺りを見回し人間の姿を探したので、ふじはいえ、と気まずそうに続けた。
「主人はここにはいないの。わたし、主人に捨てられたんだ。とても良くしてくれたトレーナーだったけど、ある日わたしを捨てていってしまった。」
 オドリドリが申し訳なさそうな顔をしたので、ふじは慌てて明るい声を作った。
「捨てられちゃったことはもう気にしてないの、大丈夫。だって人間の気持ちって本当のところは分からないものだから。
 でもね、主人がわたしに付けた名前の意味だけ、どうしても知りたくて、藤の花を見に来たんだ。」
 ふじは、きっとこれが最後の名乗りになるだろうと思いながら、オドリドリに伝えた。
「わたしの名前、ふじっていうの。」
 その時オドリドリは、はっとした表情でふじを見た。ふじはそれには気付かず、再びぐるりを眺めながら、わたしの名前はこの「藤」なのかなあ、こんなに素敵な花から名前をもらったんだとしたらとても嬉しいなあ、などとつぶやいた。
「ふじさん、あなたは……」
 藤の花を眺め終えて戻ってきたふじの視線を、オドリドリは真っ直ぐにとらえる。

「トレーナーさんと死別したのですね。」



 主人の名を、ふじは呼んだ。
 いつもならふじの声に優しく答える主人は
 ぴくりとも動かず眠ったまま
 黙って微笑みを浮かべていた。
 なぜそんなふうに笑うのかふじには分からなかった。
 人間の気持ちなんて全然分からなかった。
 数人の人間が主人をどこかへ連れていく。
 いかないで、とふじが叫んでも
 その願いは届くことなく

 主人はふじを置き去りにして
 いってしまった。





「……どうして、それを。」
 ふじはようやくそう答えた。
「わたくしはあなたのように人間と一緒にいたことがありませんから、トレーナーに付けてもらった名前というものを持ち合わせておりません。けれども周りのポケモンたちはわたくしのことを『ツナグモノ』と呼ぶことがあります。」
 オドリドリの目が、天も地も紫色の花園を映し、きらりと光る。
「わたくしは、死者の魂の声をこの世に繋ぐことができるのです。」
 一か月半ほど前のことでした、とオドリドリは話した。
「若い人間の男の魂が一つ、この花園を訪れました。藤の花が咲き誇るさまをどうしても見たかったのだと。彼はその花がとても好きなのだと語りました。」

 藤の花がとても好きだから、その花と同じ色をした僕のポケモンに、「ふじ」と名前を付けたんだ。
 最期の瞬間まで僕がその優しい色を見つめていられるように。
 治ることのない病に侵された僕と違って、あの子が永久に健やかであるように。
 不死の藤。いい名だろう。
 藤の花の淡い紫よりもずっと繊細な色の毛皮を持った、藤の花の濃い紫よりもずっと深い色の瞳をした、とても、とても綺麗な子なんだ。僕の自慢のポケモン。いつも部屋の中でしか遊んでやれなかったのが心残りだ。本当はいろんな景色を見せてあげたかったんだけど、なかなか僕の体調が良くならなくてね。
 それでもあの子は僕の期待にたがわず、最後まで僕の側にいてくれたよ。
 あの子に決めて良かった。
 僕はとても幸せだった。
 本当に幸せな人生だった……

 オドリドリを介して繋がれた死者の言葉は、じんわりとふじの心に染み込んだ。染み込んで、ふじの心をひたひたにし、それでもなお流れ込むのでついに行き場を失って、ふじの深い紫色の瞳からぽとぽとあふれ出た。
「わたしの主人は、もういない……。」
 花よりもずっと繊細な藤色の体が、不規則に小刻みに震えていた。
 オドリドリはそっと羽を広げて、ふじの体を抱いてやった。

「認めたくなかったの。主人が死んでしまったことを。」
 涙が少し落ち着くと、ふじはぽつりと話し始めた。
「主人はわたしを捨ててどこかに行ってしまったと、人間の気持ちなんて分からないんだからと、そう思い込んでいるほうがいくらかマシだと思ってた。」
 オドリドリはうんうんとうなずきながら、ふじの背中をさすっていた。
「あなたははじめから、ご主人の気持ちを誰よりも分かっていたのでしょう。この花園を訪ねずとも。」
「どうだろう。わたしたちポケモンに、人間の本当の気持ちが分からないのは事実だから。」
 ああ、とふじはため息をつき、藤色にかすむ天空を見上げた。
「だけど、今だけは、そう信じてもいいかなあ……。」

 それからふじはオドリドリに案内されて、ポニの花園を見て回った。
 ねじねじと曲がりくねった幹を登っていくのは、ちょっとした探検気分だ。花園で一番高い所に到着して地面を見下ろすと、落ちた花びらでできた模様がまるで巨大な紫色の絵に見えた。
 散策に疲れた頃、花園に住むアブリボンが花粉団子を分けてくれた。えもいわれぬ甘い香りとほろりとくずれるような食感のそれは、ふじの空腹をたちまち癒した。この花園だけで採れる蜜を使って仕上げた特製品だということだった。

 そうしているうちにふじは気分もだいぶ良くなってきて、ポニの花園に来るまでにたくさんのポケモンが助けてくれたことをオドリドリに話した。
「それでね、みんなに『ふじ』の意味についても尋ねてみたの。いろんな答えがあって『ふじ』にまつわるたくさんのお話を聞いたわ。十五……二十くらいはあったかな。どれもとても素敵で、面白いお話だった。」
 ここに来る前、わたしはふじという名前を捨てようと思っていたんだと、ふじは打ち明ける。
「だけどツナグモノさんのおかげで思い止まれた。わたし、主人がくれたこの名前を一生大事にする。この名前と一緒にいろんな景色を見に行く。そうしたらいつか……」
 ふじは長いしっぽをゆらゆらと楽しそうに振った。
「いつかわたしも、素敵な『ふじ』のお話を、語れるようになれるかしら。」
「ええ、なれますよ。あなたなら。」
 わあ、本当? とふじの笑顔が咲く。
「じゃあその時は、たくさんのポケモンにわたしの名前を尋ねてもらえるといいな。それから『ふじ』の物語を始めるの。」
 ふじの夢を、オドリドリはにこにこと聞いていた。
 そしてふじは丁寧にオドリドリにお礼を言い、名残を惜しみながらもポニ島を後にした。


 ふじの物語はここで終わり。
 あるいは、ここから始まった。



Fin.



この小説は「ポケモンストーリーテラーフェス テーマB」に投稿した作品です。
企画ページ内での掲載順序や本文中の表現など、企画を意識した内容になっておりますので、ぜひ企画ページや他の作品と一緒に楽しんでいただけると幸いです。
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