玄関扉が開いたのはその時だった。
ハラが帰宅した。次いでタッパとスリープ、さらにラップとズバット。 スカル団員たちの姿を見たとたん、ロトム図鑑はまたの鞄の中に隠れてしまった。今やハラの道場の門下生になったとはいえ、やっぱり彼らに対する怖い気持ちがぬぐえないのだろう。 タッパとラップは今にも倒れそうなほど力なく歩を運び、実際、家の中に入ったとたん糸が切れたように床にへたりこんだ。ポケモンたちが心配そうに彼らに寄り添い、顔をのぞきこんでいる。 「あー……あれはたぶん、いきなりじーちゃんにしごかれたねー。」 ハウが憐みの苦笑を浮かべた。 「休憩を終えたら次は炊事場の案内ですな。ポケモンたちをボールに戻し、手をよく洗っておくように。」 言いつけて去っていくハラに対し、スカル団員たちはほとんどうめくような声で返事をした。 ハウがすっと席を離れ、炊事場の中に消えた。ほどなくして戻ってきたハウは、水の入ったグラスやコップを四つ、トレーに載せて持ってきた。 「お疲れ様ー。」 ぐんにゃりと座りこんでいるスカル団員たちに、それらを差しだす。グラスに入っているのは人間の分。取っ手付きのプラスチックコップはスリープ用で、ズバットには平皿に水を入れてやっていた。 ポケモンたちは喜んですぐに喉を潤した。黙ってグラスを受け取ったタッパとラップは、ハウを見上げ、ごくごく水を飲むポケモンたちを見やった後、それぞれにグラスを傾けた。 「あのさ。」 彼らが一息つき、しおれていた体も水を得て少々しゃっきりしたのを見て、ハウは切り出した。 「グズマさんの写真。きみたちに返すよ。」 ハウが差しだした写真に先に反応したのはラップだった。昨日も「グズマさんの写真どーするっスカ!?」と一番に写真を気にしていたのは、彼だった。渇きをいやして満足したズバットを頭の上に乗せ、ラップはグズマの写真の方に体を傾けた。 タッパは、しかめっ面のままハウの手元を見つめていた。手を伸ばせばすぐ届く場所に、グズマの写真があった。そして彼は、 「いや。おれらはこれを受け取らねえ。」 手を伸ばす代わりに、ハウのほうを見てきっぱりと言った。 予想外の反応に、ハウもも口にすべき言葉を思いつけなかった。勘違いするなよ! とすかさずタッパは続けた。 「グズマさんのことは今でも尊敬してるよ。だからこそ、グズマさんが変わったように、おれらも変わんなきゃいけねーって思ったわけ。……姉御にも言われたんだけどよ。写真なんか眺めていつまでもグズマさんに甘えてる場合じゃねーよなって、おれらグズマさんの写真を失くして良かったんだって、そう話してたんだ。なあ相棒。」 同意を求められたラップは、ほんの一瞬だけ間を置いて、「おう」とうなずいた。 「だからその写真、おまえらにやるよ。グズマさんの写真だぜ。ありがたくもらっとけよな!」 ハウは、まだ戸惑っていた。彼らがグズマの写真を手元に置いておかない理由は納得できたけれども、本当に返さなくていいのかためらっていた。その写真は彼らの手元にあってこそ、価値のあるものだろうから。 そんなハウの姿を見てか、ラップが「あの……」と声を発した。 「それ、あんたらにとっては何の価値もない写真かもしれないっスけど。でも、おれらも含めて、グズマさんがいたことで一時的にでも救われたやつは、多かったんでスカら。」 プルメリの言っていたことと、同じだった。 同時に、エーテルパラダイスの保護区で、人間への信頼をすっかり失いおびえるヨーテリーの姿も頭に浮かんだ。 スカル団がいて良かった。スカル団なんていなければ良かった。 それはどちらも、一側面から見た主観にすぎなかった。電波で見るのと可視光線で見るのとでは、宇宙が全く違って見えるように。どちらか一方の見方をすることが、別の見方を拒絶する理由にはならない。 「だからそういう人が……うちのボスがいたって証を、どっか机の奥でいいから、しまっといてくれないでスカ。」 ズバットも、ラップの頭上でキィと小さく鳴いた。 はちらっとハウの方を見た。するとちょうど同じ動作をしたハウと目が合った。ハウは決心したように、こくんと頭を動かした。 「だったらさー。」 ハウがスカル団員たちのほうに視線を戻し、口を開く。 「このグズマさんの写真、リーリエに送ってもいいー?」 想定外のことを言われると、とっさに返事ができなくなるのは、誰でも共通のことだった。突然出てきた名前に困惑し黙ってしまった二人に、ハウはリーリエに手紙を送ろうとしていることを説明する。アローラ中を巡って、みんなの写真と寄せ書きを集めていたことも話した。 「いいんでスカ? そこにグズマさんの……スカル団の写真入れて。アローラのみんなの姿を届けたいっていう、大事な手紙じゃないんでスカ?」 ようよう口を開いたのは、グズマの写真をしまっておいてほしいと願ったラップ。ハウはうなずき、だからだよー、と答えた。 「だってグズマさんもグソクムシャも……スカル団も、アローラの大事な一員じゃない。リーリエだって、そう思ってくれると思う。」 それはスカル団員たちにとって、またしても想定外の答えだったらしい。言葉を失ったままの二人に、「そういえばねー」とハウはリーリエに送る写真の束から一葉を選び出した。 「プルメリさんたちの写真も撮ったんだよー。見る?」 見る、と声にこそ出さなかったものの、ハウの方にぐっと身を乗りだした彼らの行動が、十二分の答えだった。スリープとズバットも、トレーナーたちの動きにつられて、写真をのぞきこんでいた。 そこに写ったプルメリたちの姿を見て、彼らはぼそりと何かつぶやいた。名前のようにも聞こえたから、島巡りを始めることを決意した元したっぱたちを呼んだのかもしれない。 スカルマークを外し、新たな世界を瞳に映すかつての仲間たちの姿から、彼らはしばらく目をそらさなかった。先に動いたのは、グズマの写真を受け取らないと最初にきっぱり告げたほう、タッパだった。彼は写真から顔を上げると、「決めた!」と不意に大声を出した。 「おれはさあ、スカル団続けるぜ。グズマさんも姉御もみんないなくなっちまったけど、やっぱスカル団がおれらの居場所だよ。辞めることなんてできねーよ。スカル団がいいんだ。おれの大好きな場所なんだ。」 大好きな場所、とはライチがコニコのレストランのことを同じ言葉で表現していたことを思い出した。そう言える場所があることは、幸いだ。は隣のハウを見た。そう言える場所がなくなったら、きっと誰だって悲しいだろう。 でも、とタッパは少しトーンを落として続けた。 「このままじゃどうしようもねーってことも分かってる。だからおれらはおれらなりに、今までとは違うスカル団を目指すぜ!」 スリープが鼻を上げて鳴いた。タッパは少し口の端を上げて、スリープの体をなでてやった。頼もしいパートナーの体温に触れ、さらに輝くタッパの決意の色には、見覚えがある。 それは後輩たちに知識を伝授していた、イリマの表情に見えた色。父兄を超える料理人になりたいと語る、マオの声の色。寡黙に、けれど粘り強く果敢に、ぬしポケモンとの勝負に挑んだスイレンが浴びた水しぶきの色。プロのダンサーになることを夢見るカキと相棒ガラガラの、トーチに灯っていた光の色。キャプテンとしての務めを果たそうと、試行錯誤を繰り返すマーマネの瞳に宿る色。園児やポケモンたちを見守るアセロラが紡ぐ、優しい歌の色。 それは、アローラのキャプテンたちがそれぞれに抱いていた思いとなんら変わりなく、きらめいていた。決意を抱き未来を見るのに、スカル団もキャプテンも関係ない。ポケモンたちもいつだって側にいてくれる。 ラップとズバットもタッパの思考に賛同して、「おおっ」「キキッ」と興奮した声を出した。 「いいっスね! それで、どんなスカル団なんでスカ!?」 「ふふん、それはだな……。」 不敵に腕を組み、ちょっともったいをつけた後、 「これから考える。」 タッパが返した答えにラップはかくんと膝を落とし、はずみでズバットが頭から落ちた。なんでスカそれー、と苦笑するラップにつられてハウとも笑みをこぼすと、「あーっ、おまえらまで笑うことないだろーが」と抗議の声が飛んできた。 「ごめんごめん、そんなつもりじゃなくて。すごくいい考えだとおれも思う。応援するよー。」 「うらやましくなったら、スカル団に入れてやること考えてやらなくもないっスカら。」 ぱたぱた飛ぶズバットと一緒に胸を張って、調子良くそんなことを言う相棒の傍ら、肝心の発案主は「けっ」と息を吐き捨てたきり、ハウともとも目を合わせようとしなかった。きっと自分なりの決意と、それをすんなり受け入れてくれた人たちの存在に、タッパ自身照れているのだろう。隣のスリープが穏やかに体を揺らしていたので、悪意がないことはすぐに知れた。 壊れるのは一瞬で、変わるのは時間がかかる。けれども月が昨日と同じ形の日は、ない。 昨日は断絶したハウとスカル団員たちは、今日、互いを拒絶しなかった。 「そろそろ休憩は終わりましたかなー?」 ハラの呼び声が聞こえた。とたん、スカル団の男たちはびくっと背筋を伸ばす。さっきの稽古がよっぽどハードだったのかもしれない。 「あんまり待たせないほうがいいかもねー。手を洗うならあちらだよー。」 洗面所の方向をハウが指し示すと、二人は慌ててポケモンたちをボールに戻し、駆けて行った。 師匠にどやされ急いで走る――今後そんなことが彼らにとって日常になるのかもしれない。なんでもないような日常の積み重ねが、これからの彼らを彩る風景になれば良いと、ポケモンと共に素朴な農耕の日々を営むハプウに思いを馳せながら、は祈った。 と、スカル団員たちの背中を見送っていたら、タッパが足を止めて振り返った。 「あー、それとよお、ハウ。」 先の照れ臭さを残してか、目を伏せてぼりぼり頭をかきながら、彼は気まずそうに言葉を引っ張りだした。 「昨日の夜は、言い過ぎた。悪かった。」 まるで重い荷物を放り捨てて逃げるように、タッパはその言葉の先っぽがハウの上に落ちたのを見届けるとすぐ、相棒の後を追った。 背負ったものを一つ減らした彼らの背中は、昨夜とは違う光の下、どこにいるのかよく見えた。 ハウは、写真を受け取ってもらえなかった時とは違う種類の戸惑いに、しばらく目を見開いていた。それからふっと口角を上げた。きっとタッパ本人には見えていなかったけれど、それはやわらかな許しの笑みだった。 何度も出会い、ぶつかった末に、互いの理解を深め、ハウの人生がさらに面白くなった瞬間だった。 「スカル団の人たち……」 いつの間にかロトム図鑑が、の鞄から顔をのぞかせていた。 「今日はなんだか、いつもと違ったロト。」 「怖かった?」 が尋ねると、ロトムはちょっとだけ考え、ううんと否定の返事をした。 「ボク、あの人たちの写真、撮ってないって考えてたロト。写真、撮らなくて良かったロ?」 「そうだなー。焦らなくても、きっとこれからたくさんその機会があるって、おれは思うよ。」 ハウがロトムに微笑みかけた。それから、「さて」とを見た。 「リーリエへの小包、仕上げちゃおっかー。」 はうなずいた。ロトム図鑑も元気よく飛びだした。 ハウは、スカル団員たちからもらったグズマの写真に再度目を落とした後、丁寧に写真束の中に入れた。 寄せ書きと写真は同じ封筒に入れることにした。「みんなからのメッセージ」感がより伝わっていいだろうと思ったからだ。 封入の前、ハウは寄せ書きを手に持って、一つ一つのメッセージを満足そうに眺めた。がハウに身を乗りだすと、ハウは紙を傾けてにも見えるようにしてくれた。 寄せ書きの内容は、一つとして同じものはなかった。それぞれの言葉選びはもちろん、文字の大きさや筆跡、インクの色も違う。可愛いイラストを添えてくれた人もいる。しかしそれらはリーリエのことを想って書いたという一点において、すべて共通していた。 「リーリエ、きっと喜んでくれると思う。とロトム図鑑のおかげだねー。ありがとう、二人とも。」 「えっへんロト! 写真はこれからもボクにお任せロト!」 「頼りにしてるよロトム。ロトム図鑑はもちろん、ハウのアイデアあってこそだと、は思う。」 褒められてぴゅんぴゅん飛び回っているロトム図鑑を見やってから、は答える。 「ありがとう、ハウ。」 「へへ、どういたしましてー。」 二人はにっこり笑み交わし、寄せ書きと写真を封筒に入れた。 エーテルハウスの園児たちが書いてくれた画用紙は、二つ折りでちょうどいいサイズになった。段ボール箱の底に画用紙を入れて、島巡りの証の小箱を入れて、その上にの手紙、ハウの手紙、写真と寄せ書きがそれぞれ入った封筒を乗せ、すき間に緩衝材を詰めた。包装紙でくるみ、ひもで結べば、小包の完成だ。 「これ、きっと、最高の手紙になったよ。リーリエに宛てた、世界で一つだけの、おれたちの手紙。」 感慨深く小包をに掲げて見せ、ハウはそう言った。 にはアローラの魅力を引き出す能力があると、マツリカが褒めてくれた言葉を、今は素直に信じたい。がハウとロトムと共に映しだしたアローラの景色を、リーリエはきっと気に入ってくれるはずだ。それに、ククイとバーネットが託してくれた島巡りの証にも、二人の手紙にも、リーリエへの想いがぎゅっと詰まっている。 「うん。最高の手紙になったね。」 は深くゆっくりと首を動かし、ハウにうなずいた。 次(17.エピローグ)→ ←前(16.リーリエへの手紙 前編) 目次に戻る |