第八章余話










 部屋にはカラスミとの二人きりだった。
 休息の命を受け、タンタンメンとピロシキは食堂に、モッツァレラは浴室にでも行ったようだ。
 どちらも口を開かず静かな空気が場を包んだ、というのがカラスミと二人きりになった時の常だったが、その日は珍しくカラスミからに話しかけた。
「ココット漬を知っているか、。」
 は昼間の探索を思い出す。
「この町の名物だそうだが、甘酸っぱ苦い、変わった味でな。俺はあまり好きではないが……。浸け手によってかなり風味が変わるらしいから、ひょっとしたらそんな物から何か思い出すかもしれんぞ。」
 いつもとは話量がまるで逆だった。 悲願の達成を目前にしてカラスミは明らかに上機嫌だったし、それを隠そうともしていなかった。
「もっとも、記憶を取り戻す事が良いだけとは限らないが。むしろこうなった今は、お前が過去を思い出していないことが好都合だ。故郷への思いは、お前の炎の温度を下げるだろうからな。」
 カラスミは、ただ相槌を打つばかりのをのぞきこむ。はどきりと背筋を伸ばした。
「不安か、。」
 は、ゆっくりとうなずく。カラスミは今後の結果に大いに期待しており、そのための鍵となるのがだった。それはとても誇らしいことであり、ひどく責任の重いことだった。カラスミの望む結末を、はもたらすことが出来るのか。
「心配するな、。お前は強い。あるいは、お前がアバターという男のことを覚えていて、血縁の情を感じているのなら話は別だが、そうなのか?」
 は急いで首を振った。ならば問題ない、とカラスミは満足する。
 それでもは自信なさげにうつむいていた。
 カラスミはほんの少し困った様子だったが、おもむろにに歩み寄ると彼女の両肩に手を乗せ、その場にかがんだ。
「安心しろ。やっと巡ってきたチャンスを、この俺がみすみす逃すと思うか。」
 カラスミはを見つめ、問う。がゆるゆるとかぶりをふるとカラスミは微笑んだ。そして彼の手がするりと肩を離れたかと思うと、の後頭部と背中に添えられ、彼女はぐいとカラスミに引き寄せられた。
 温かな闇がを包む。
 は顔が熱くなるのを感じた。それはたぶん、カラスミの衣服に吸い込まれた自身の呼気のせいだけではなかった。胸がどきどきし、同時に自分のものではない穏やかな力強い鼓動を近くに感じた。
 カラスミ様の、心臓の音。

 カラスミにすっぽりとくるまれていたその時間の長さをは測ることが出来なかった。カラスミは何も言わず、から離れた時も顔色ひとつ変えずにいつものように淡々と命じただけだった。
「作戦決行は真夜中だ。今のうちに仮眠を取っておけ。」
 はいつものように従順にうなずいた、ように見えたが、その心中は珍しくカラスミに反抗していた。
 いきなり抱きしめられて、眠れるわけないじゃないですか……。



Fin.



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