青い禁貨窃盗事件!

―後編―











 とT-ボーンは教会に向かっていた。
「本当に教会にあるべか?」
「教会の、鐘。そこにきっと禁貨が隠されてるはずや。」
 T-ボーンは少し首をひねったが、すぐに彼特有の朗らかな笑顔になり、
「ま、がそう言うならきっとあるべさ!」
と言った。
 教会は街のはずれに建っていた。てっぺんには鐘が見える。そろそろ夕焼けの紅色を帯びてきた日の光を反射して、その鐘は鈍い金色に輝いていた。
「あの鐘の所まで一体どうやって行くんだべ?」
「教会の中にあそこまで続く階段か何かあると思うんやけど……。」
「入っても怒られねえか?」
「今日はミサの日やないからな。」
 二人は顔を見合わせうなずくと、教会の重々しい扉を開いた。
 誰もいなかった。真正面でステンドグラスが煌々と輝き、その真下には大きな十字架と、女神像が見えた。
「うわあ……綺麗だベー……。」
「うん。」
「……神父さんは?」
「たぶん、懺悔ざんげ室やないかな。もしかしたら、誰かの話聞いてるかもしれん。そーっと行こ。」
 T-ボーンはちょっと正面を見た。右手には鈍色の扉が、そして左手には白い扉があった。
「あの女神像の左の扉……だべか?」
「いや、あっちは懺悔室。女神像の右のほうの扉が、たぶん鐘ん所まで続いてる。」
 T-ボーンはうなずき、そして二人は祭壇まで敷いてある真紅のじゅうたんの上を歩いて右の扉の前まで来た。扉に鍵はかかっていなかった。
 中は真っ暗だった。たぶん、ここは鐘の掃除の時などにしか通らないのだろう。やけに埃っぽい気がした。そしてその暗がりの中にぼんやりと階段らしきものが見える。おそらく彼らを教会の屋上へと導く階段だろう。とT-ボーンは再び顔を見合わせてうなずき――といっても互いの顔はほとんど見えなかったが――階段の一段目に足をかけた。
 長いらせん階段だった。おまけに暗くて足元がよく見えずゆっくり進むものだから、道のりはさらに果てしなく感じられた。静かでひんやりした空気の中に二人の足音だけが響く。その音もすぐに闇に吸い込まれていった。
。」
 後ろからついてきているT-ボーンに突然話しかけられ、はふっとそちらを向いた。
「オラ、ずっと思ってたんだけど、この街でみたいな話し方するの、だけだよな?」
「……そうや。」
 は、もとはこの街の住人ではなかった。父親の仕事の都合で引っ越してきたのだ。だから厳密に言うと彼の父と母も同じような話し方をするのだが。がそう話すと、T-ボーンはふーんとうなずいた。
「でも、T-ボーンのなまりも相当きついやん。」
「あはは、お互い様だべさあ〜。」
 暗闇にT-ボーンの笑い声が響いた。そういえば、引っ越してきた当初は言葉の違いに苦しんだものだ。こんなにすんなりと自分のなまりを受け入れられたのは初めてだった。それはT-ボーン自身が独特の方言を持つことも原因だったのかもしれないが、とにかくあらためてそのことに気付いたは少し嬉しかった。
 それから少し上ると、扉のすき間からこぼれる光が目に入った。ついに目的地に到着だ。
「T-ボーン! 着いたで!」
 T-ボーンは残りの階段を一気に駆け上りの横に立った。扉の向こうに教会の大きな鐘と、青い禁貨があるだろう。T-ボーンが取っ手に手をかける。
「ほいじゃ開けるぞー!」
 目もくらむ光――それも淡いオレンジ色の光が飛び込んできた。西を向いて建っている教会からは夕日がよく見えるのだ。が何かを言おうと口を開いた瞬間、彼が見ていた赤く輝く夕日と夕焼けが真っ黒に染まった、とは思った。だが実際はもちろん違った。
!!」
 何がなんだかよく分からないまま、はT-ボーンに突き飛ばされ、次に目を開けた時には頭の真上に鐘があった。
「な、なんやあ……?」
 予測もしない光景だった。開け放たれた扉の向こうではT-ボーンが何者かの拳をまともにくらっていた。その何者かとは……
「お、お前はアブラミー!! と、スージー・ニック!!」
 まさかT-ボーンは自分をかばって? の頭にそんな思いがよぎった。禁貨泥棒の犯人たちはのほうを振り返り、にやっと薄笑いをうかべた。
「まさか本当にスージーの暗号を解いちまうとはな。誉めてやるぜ小僧!」
「そうそう、親分でも解けなかったあの暗号を……」
 余計なこと言うな! と、アブラミーがスージーの頭をごつんと殴った。
「じゃ、じゃあやっぱりここには青い禁貨が隠されて……」
 が言い終らないうちに、アブラミーが青い禁貨を高々と掲げてみせた。
「そのとおり! だが、少し遅かったようだなぁ?」
 アブラミーたちのバカにしたような笑い声が響く。
 と、は倒れたT-ボーンがもぞもぞと動くのを見た。立ち上がろうとしている。今ここでアブラミーたちにT-ボーンのことを気付かれたら、彼はまた攻撃をくらってしまう。注意をそらさなければ。
「どうやって逃げ出したんや! 縛られてたのに……。」
「オレ様たちがいつまでもあーんな老いぼれどもに捕まってると思ったか?」
「親分がちょっと力を入れたら、あんな縄いつでも引きちぎれるんだ!」
 スージーが拍車をかけ、また嫌味に笑ったが、はそれどころではなかった。アブラミーたちが起き上がろうとしているT-ボーンに気付きはしないかとヒヤヒヤしっぱなしだった。
 ようやくT-ボーンがゆっくりと体を起こし、そして殴られた箇所をさする。が祈るような気持ちで彼を見つめていると、T-ボーンは倒れる前に何が起こったかをやっと思い出したようだった。
「あーーーーっ!!!」
 大声をあげたT-ボーンを振り返ったアブラミーの顔面に右ストレートがヒットした。
「さっきのお返しだべっっ!!」
 T-ボーンの不意打ちに倒れるアブラミー。スージー・ニックは驚嘆と怒りの入り混じった表情で仰向けに倒れた親分と、その親分を倒した青年を交互に見つめるばかりだった。
、大丈夫か!?」
「う、うん。は大丈夫。T-ボーンこそ平気なんか?! あいつのパンチ食らって……。」
「オラは平気だっぺ。あんな奴にやられるようなヤワな体の鍛え方はしてねーべさ!」
 スージーに助けられ、アブラミーがむっくりと起き上がる。怒りもあらわにT-ボーンをにらみつけ、こめかみには血管が浮き出ていた。
「ゆ、る、さ、ねえーーっ!!」
 T-ボーンとアブラミーが対峙した。どちらも今にも相手に飛びかかりそうだ。T-ボーンは持っていた荷物の中から巨大な骨を二本取り出し――いや、どうやらそれは彼の武器らしい――そして構えた。
 次の瞬間何が起こるのかと、は二人のバンカーから目を離せずにいた。と突然、は自分の身体に何かが強く巻きつくのを感じた。驚いて振り返ると、
「気付くのが遅かったなあ小僧。」
「す、スージー・ニック!?」
 スージーの五指からは細い縄状のものが伸びていた。それがの身体を締めつける。彼がT-ボーンたちに気をとられている間に、いつのまにか後ろにまわりこまれていたのだ。
「くっ……そっ!」
「あがいても無駄だ!」
 縄がさらにを締め上げる。肺や心臓がきつく圧迫されるのを感じてはうめいた。
「でかしたぞスージー!!」
 アブラミーが叫んだ。T-ボーンはの異変に気付き、彼を解放しようとスージーに飛びかかろうとした。
「動くなあっ!!」
 スージーがをしっかりと締めつけたまま言い放つ。
「こいつがどうなってもいいのか?」
「ぐああっ……!」
 縄がさらにの身体に巻きついた。T-ボーンは歩みを止めた。
「あかんっT-ボーン! は……は大丈夫……早くそいつらを!!」
 胸が強く圧迫されていたが、はあえぎながら必死にそう言った。
「だっ、だけど……」
 T-ボーンはちゅうちょしている。
「T-ボーンっ!!」
「静かにしろっ!!」
 スージーの縄がさらに強くを締め、は咳込んで続きを言うことが出来なかった。
「どうする小僧? 困ったなあ? ハッハッハー!」
 アブラミーが高々と笑った。
を放せ!」
「せっかくの人質を放せって言われて誰が放す。安心しな。てめえがおとなしくやられちまえば、そっちのボウズは痛めつけねえぜ。オレ様は一般人をむやみに傷つけるなんてことはしねえのよ。なあ、スージー?」
「そのとおりっス!」
 アブラミーはゆっくりとT-ボーンに近づいた。
「その妙な武器を放せ。」
 T-ボーンの持つ巨大な二本の骨のことだ。T-ボーンはしばらくアブラミーをにらみつけていたが、他にどうすることもできず、武器を捨てた。
「いい子だ。ごほうびをやろう!」
 アブラミーの拳はまともにヒットした。しかもかなりの至近距離だ。T-ボーンはそのまま壁に激突した。そして起き上がるすきも与えずアブラミーはT-ボーンのもとへ走り、胸ぐらをつかんで持ち上げた。
「くっ、くっそう! 放せ!」
「さあどうしてくれようか。オレ様自慢の怒すこいプレスでもおみまいするかな?」
 T-ボーンの抵抗はむなしかった。T-ボーンは知っていた。下手に抵抗すればが傷ついてしまうことを。
「T-ボーン……!」
「へへへー! ざまあみろだ! 親分に逆らうとどうなるか、ああいうやつには体で覚えさせないといけねえからな!」
 と、アブラミーが拳を構えた瞬間、T-ボーンの一切の動きが止まった。アブラミーに持ち上げられたまま両手足は急に硬直し、瞳は吸いつけられたように空を見つめ続けていた。
「T-ボーン……?」
 一瞬の頭に最悪の事態が浮かんだ。が、その思いはすぐに否定された。突然T-ボーンが激しく咆哮しだしたのだ。
「うがあああああっ!!!」
「な、なんだ!?」
「親分っ!」
「てぃ、T-ボーン??」
 アブラミーは慌ててT-ボーンを放した。T-ボーンは呼吸も荒く、しかしその身体が徐々に変化していくのは明らかに見てとれた。
 いつのまにか太陽が空から立ち退き、西に赤い名残を残すだけとなった空には、淡い銀色の光を放つ月がうっすらと見えていた。
「ウオオオオーーーーッ!!!」
 T-ボーンが猛々しく遠吠えした。誰も次の瞬間の光景を予想だにしなかった。そこにいたのはT-ボーンでもない、荒い声をあげる猛獣でもない、ただの、小さな犬だった。
「うっそおおーー!?」
 アブラミーとスージーはただ小さな仔犬を驚愕の表情で見つめていた。は驚きのあまり声もでなかった。
 仔犬はあたりをかぎまわり、アブラミーを目にすると小さく甘えた声を出した。しっぽを嬉しそうに振っている。
「あ、あれが……T-ボーン?」
「なっ、なんだこいつ!? ……っこ、こらっ!!」
 犬はうろちょろとアブラミーの足の間を歩き回った。アブラミーはうっとうしいこの仔犬を踏み潰してしまおうと足を上げたり下げたりしたが、それは仔犬をさらに喜ばせることしかできなかった。
「キャン、キャン」
「くっそお〜〜こいつオレ様が誰だかわかってんのか?!」
 無論、犬に人間の言葉が通じるはずはない。仔犬はつぶらな瞳でイライラする男を見つめ、小さく首をかしげた。その後再びアブラミーの周りをちょろちょろと動き回り、彼の右足をしきりにかいだかと思うと……放尿した。
「だあーーーーっ!!? ……こんのクソ犬ー!!」
 アブラミーの怒りは最高潮に達した。もう相手が仔犬だろうがなんだろうが関係なかった。大きく右手を振りかぶり、仔犬めがけて力強く振り下ろした。犬を叩きつけて殺す気だ。
「危ないっ!!」
 は目を閉じた。今にも仔犬の悲鳴が聞こえてくるんじゃないかと恐ろしかった。

 ゴーーーーン……

「えっ?」
 急に頭上の鐘の音がうるさいぐらいあたりに響き、は驚いて目を開けた。見ると、アブラミーがどさりとすぐ近くの床に落ちてきたところだった。鐘はまだ響きを残している。犬はというと、先程の場所に無傷で立っていた。
「親分ーーっ!!」
 不意にを縛りつけていた縄がほどけて、彼はバランスを失い倒れこんでしまった。スージーがアブラミーのもとに駆け寄ったのだ。
「あ、あの犬、一体何をっ……?!」
「親分、カウンターくらったんスよ! あの犬に……。」
「な、何ぃっ!? それでここまで飛ばされたってのか!?」
 スージーがうなずく。犬は平然としたもので、後ろ足で耳の後ろをかいているところだった。
 あの巨体にカウンターをかまし、鐘に衝突させるなんて、あの小さな仔犬のどこにそんな力があるというのか。にわかには信じられない出来事だった。
「ほんまにあれがT-ボーンなんか……。」
 今度は犬は自分の体をペロペロとなめていた。そんな犬を見て、アブラミーたちの怒りは爆発していた。ただの仔犬にやられたことでプライドも傷つけられたのだろう。そして次に彼らがとった行動は、あまり賢いとはいえなかった。
「うおおおーーー!! もう許さねえぞこの犬っころーー!!」
「親分の仇ーー!!」
 仔犬の動きは俊敏だった。一瞬毛づくろいを中止たかと思うと、次の瞬間には襲いかかる二人の男の腹部に強いダブルパンチをおみまいしていた。
「うっ、うわああーーー!」
 は呆然として、宙を舞い、そのまま雲の彼方の星になっていくアブラミーたちを見送った。彼らが見えなくなった後には、まだ少しだけ明るい薄紫の空に一番星が光っていた。
「きゃうん?」
「うわっ!」
 気付かぬうちにあの仔犬が側に来ていた。無邪気にこちらを見つめている。はしゃがみ、そっと仔犬をなでた。
「ありがとう。おまえのおかげで、助かったよ。」
 になでられて、犬は気持ち良さそうに目を細めている。
「……なあ。おまえさ、ほんとにほんとにT-ボーン?」
 なで続けながら、答えてくれないとは分かっていながらは問いかけた。
「でも……もしおまえがT-ボーンやないとしたら、T-ボーンはどこに消えたんやって話になるからなー。やっぱりT-ボーンやねんやろうなあ。このニット帽もT-ボーンのと同じやし……。」
 と、なで続けるの手をついとくぐりぬけ、仔犬はどこかへとっとっと歩きだした。
「あ、おい! どこ行くねん。」
 犬はちらっと振り向いたが、それからまたすぐに地面をくんくんとかぎ始めた。ちょうどアブラミーが鐘に激突して落ちたあたりだ。
「……何かあるんか?」
 次に仔犬が振り向いた時には、何かをくわえていた。それは夕闇の中のわずかな光を受け止めて青く光っていた。
「あ、青い禁貨?!」
 犬は禁貨をくわえてこちらへ戻ってきた。まちがいなくあの青い禁貨だ。半分以上は犬の口の中だったが……。
「よ、よーしいい子や。それ、にくれへんかな? どうしてもそれが必要やねんて……。」
 仔犬はちょこんとおすわりをし、を見上げてしっぽを振るばかりだ。禁貨を放す気配はない。
「なあ……いい子やから、それに渡してくれません? ほら、渡せって。」
 は仔犬の前にぐっと右手を突き出した。犬のほうはとぼけたもので、その上に禁貨ではなく自分の右前足をのせた。
「ちゃうちゃう! お手やなくてやなー、禁貨を…………うわあっ!!?」
 そこにもう仔犬はいなかった。に右手を重ねているのはT-ボーンだった。
「T-ボーンっ!?」
「あ……? 。オラ一体……あーーっ!! あいつらはどこいったべさ!?」
「どっかに飛んでったけど……。」
「ヘ? がやっつけたべか?」
「そうやなくてT-ボーンが……」
「オラ? ……? オラがやっつけたべか? 確かがあいつらに捕まえられて、それでオラ……」
「犬になってんな。」
「犬?? オラは犬じゃないっぺ!」
「いや、そうじゃなくて突然変身して、」
「オラが??? すまん、オラ、が何言ってんのかよくわかんないべ……。」
「ああ、もよく分からんようなってきた……。」
 そして二人は同時にはあっとため息をついた。
「ま、いっか。」
「そうだべなー。」
 張りつめていた緊張もようやく解け、二人は声をあげて笑った。
「……あっ! そういえば、青い禁貨は……。」
「青い禁貨? 取り返したっぺか!」
「う、うーん、まあ……。」
 そう言いながらはさっきまで犬がいたあたりを探した。青い禁貨はすぐに見つかった。まっぷたつに割れた青い禁貨の半分が。
「えぇーっ!?」
「なんじゃこりゃ! きれいに割れちゃってるべさ!」
 とT-ボーンは青い禁貨の片割れを黙って見つめた。半分とはいえど禁貨は美しく青く輝いていた。禁貨はガラス細工だった。
「じゃあ、残りの半分は?」
 二人はうろうろと地面を探し始めた。はちょうど鐘の真下、そう、あのアブラミーが鐘にぶつかって落ちたところ、仔犬が青い禁貨を拾ったその場所でそれを見つけた。
「T-ボーン! あった、あったで!」
「おっ、ほんとか!」
 まちがいなくそうだった。が割れた禁貨を合わせると、ほぼぴったりだった。
「きれいだっぺ……。本当に本物の禁貨みてーだ……。」
 おそらくアブラミーが床に落ちた時の衝撃か何かで割れたのだろう。あの仔犬が口にくわえてきた時には禁貨はすでにまっぷたつだったに違いない。
「でもどうしよう。館長さんに一体なんて言って謝ったら……。」
「……仕方ないべさ。オラたちが割ったわけじゃないんだし、正直に言うっぺよ。」
「それもそうやな。」
 はふうっと息をつき、それからT-ボーンにとにかく教会を出るよう促した。

 らせん階段を下りて、扉を開けた時に目が合った教会の神父さんとの気まずい沈黙をくぐり抜け、二人は博物館へと急いだ。あたりはすでに夕闇に染まりきり、星たちが一つ、また一つと姿を現しはじめていた。
「博物館、閉まってねーべか?」
「わからん。でもまあ閉まってたとしても、誰かはおるやろ。」
 二人が道中で交わした会話はそれきりだった。は手の中の割れた禁貨を握りしめ、さらに道を急いだ。
 博物館にはまだ明かりが灯っていた。扉の『関係者以外入館禁止』の札もかかったままだったけれど。たちはもちろんその札を無視して扉を開けた。
「また君たちか!」
 彼らが博物館に足を一歩踏み入れた瞬間、あのメガネの職員のいら立った声が飛んできた。
「今度は何だ? 暗号が解けたか? それともまさか青い禁貨でも取り戻してきたとでも?」
「そのどっちもや。」
 が冷ややかにそう言うと、メガネの職員の嫌味な薄笑いが消えた。
「なんだって?」
 は館長のもとに歩みより、ぺこりと頭を下げた。T-ボーンもつづく。
「すみませんでした。」
「どうした、少年たち。顔を上げて訳を話してごらん。いきなり謝られてはこちらも困ってしまう。」
 は黙って、すでに壊れた青い禁貨を館長の手にそっとのせた。
「なんと……これは……。」
たち暗号を解いて、それで禁貨の隠し場所にいったんです。そしたら犯人たちに会って……」
「逃げたあいつらに会ったのか!」
 メガネの職員が口をはさむ。T-ボーンがうなずき、後を継いだ。
「それでやっつけたのは良かったんだけど、もみ合いのうちに禁貨が壊れちまったんだべさ。」
「やっつけた? それで、やつらは?」
「空の彼方や。」
 一瞬しんとなった。館長は黙って手元の禁貨に視線を落としていた。メガネの職員がため息をつく。
「……やれやれ。それはお手柄だったね君たち。禁貨はまっぷたつ、犯人はとり逃がし、本当にお手柄だよ。」
 は何も言えなかった。確かにそのとおりだったからだ。彼は、何もできなかった。
「そのくらいにしておけ。君たち、少し話があるんだがいいかな?」
 館長が事務室を目で示し、二人を招いた。
「え……? あ、はいもちろん。T-ボーンは?」
「いいっぺよ、当然。」

 事務室はとても静かだった。小さな部屋は、職員の数だけ並んだデスク、それに本棚やガラス棚でほぼ満杯だった。デスクの上はどれも煩雑としていて、書類やら本やらもう展示しなくなった博物館の品などが散らかっていたが、一つだけ、ホコリ一つかぶっていない机はおそらくあのメガネの職員のものだろう。
「狭い所で申し訳ないが、まあ座りなさい。」
 館長がイスを二つ出しながら言った。とT-ボーンは言われた通り腰かけ、館長は自分のイスに座った。
「まずは、ありがとう。禁貨を取り戻してくれて。」
「えっ。せやけど、禁貨は割れて……」
「いや、いいんだよ。もうあれの小さな破片すら拝めないと思っていた。こうしてまた彼の芸術品を……それがたとえ割れていたとしても、見ることができたのは幸いだった。それに、君たちはあれを取り戻そうと頑張ってくれたんだろう? その気持ちを考えずに君たちを叱ることはできまい。
 そうそう、先程はうちの職員があんな不躾なことを……すまなかったね。あれも普段はいいやつなんだ。ただちいっと……照れ屋なんだな。」
 館長がふっと笑みをこぼした。つられてたちも微笑んでしまった。
「本当に良くやってくれた。ありがとう。実を言うと、あの暗号を皆で考えている隙に犯人たちに逃げられてしまってね……。一体どうやってあれを解いたんだい?」
 は解読法を詳しく説明した。館長はところどころでなるほど! とあいづちを打ち、説明が終わった後には彼らを感嘆のまなざしで見つめた。
「子供の頭脳とはじつに柔軟なものだ……あ、いや失礼。とにかく、君たちの頭脳に感服だ。」
「オラは何もしてねーべさ。解いたのはだ。なっ、!」
「えっ、あ、うん……。」
 館長は満足げに微笑んだ。そして手の中にあった禁貨を机の上に置いた。カランとわずかな音がした。
「それ、どうすんだっぺ?」
「禁貨かね? ……さあ、どうしようか。もう博物館に展示することはできないな。割れてしまったし……。さすがに私自身の手で処分するのもためらわれるしな……。」
 とT-ボーンは顔を見合わせた。責任は、自分たちが取るべきかもしれない。
「館長さん、じゃあそれ、もしよかったらオラたちに引き取らせてくんろ!」
 館長は少し驚いた表情で彼らを見つめた。しかしその表情もすぐに消え、館長は机の上の禁貨に視線を落としながらゆっくり口を開いた。
「君は昼間、自分はバンカーだといったね?」
「ああ。オラはバンカーだっぺ。」
「……君を見ていると、この青い禁貨を作った彼のことが妙に思い出される。よかろう。このように割れてしまったものでよければ、これはぜひ君たちにお譲りしよう。これも何かの縁かもしれない。」
 館長はにっこり笑って割れた禁貨をT-ボーンの手にのせた。

 もうだいぶ遅いから、と言われ、それからすぐに二人は博物館をあとにした。
「それ、うちに来て接着剤か何かでくっつける? 割れたまんまじゃ扱いにくいやろ。」
「いやあ、いいっぺよ。それに……」
 そう言うとT-ボーンは禁貨の片割れをの手に押しつけた。
「くっつけちまったら分けられないべ。」
「T-ボーン……! いや、でもこれは館長さんが」
「『君たちに』ってくれたんだっぺ。」
 そのとおりだった。は黙って半分になった青い禁貨を見つめた。
「ええん?」
「もちろんだべ。その禁貨は二人で取り返したもんだっぺ! ……オラはよく覚えてねーけど。」
 ふっと顔を上げると、T-ボーンはこちらを向いてニカッと笑っていた。
「T-ボーン……! ありがとう!」
「へ? 何でオラにお礼言うべさ?」
「……なんとなくや! へへへ……」
「あははは……!」
 しかし別れの時は刻一刻と迫っていた。二人が十字路にさしかかったとき、それが彼らの別れだった。は右に、T-ボーンはそのまままっすぐ歩まなければならなかった。
「……ここでお別れやなあ。」
「うーん、でもよ! またきっと会えるっぺ! この、二つで一つになる、青い禁貨がある限り。」
「そうやなあ。よーしT-ボーン! 絶対戻ってこいよ! だって、禁貨はまだくっついてないからな!」
「おう!」
 とT-ボーンは、互いの右腕と右腕をガッと交差させた。友情の誓いだ。
「じゃあな! !」
「T-ボーンも、元気でな!」
 T-ボーンはくるりと背を向けて去っていった。あのままあちらの方向に進むと、すぐにこの街一番の宿屋が見つかるだろう。明日も会えるだろうか? ……いや、彼のことだ。きっとすぐにこの街を発つに違いない。なぜなら彼は闘志あふれるバンカーだから。旅をする者にじっとしている理由はない。
 空を見上げると漆黒の闇が広がっていた。星はかすかにまたたき、淡い光を放つ。空に浮かぶ月は本当に丸かった。
「あ……あいつ、まさかまた犬になっちゃったりしないよなあ……。大丈夫かな?」
 T-ボーンが去っていった夜の闇に向かっては苦笑した。まあ、もし犬になったとしてもきっと誰かが何とかしてくれるだろう。
 と、はふと我に返った。
 しまった! 門限めちゃめちゃ過ぎてるやん!!
「う、うわあー、母さん絶対怒ってるわー!」
 は急いで家に向かって走り出した。しかし焦りながらも、彼の顔には少し笑みが浮かんでいた。今日一日あったこと――自分で解いた暗号文、本物のバンカー同士の闘いを目の当たりにしたこと、明るく朗らかで、月を見るとなにやら妙なクセが発覚する青年バンカーとの友情、そして、この手に握っている青い禁貨の破片――そのことを考えると、とても興奮せずにはいられないのだった。
「っしゃあ! どんな難事件でも、が解決やーーっ!!」
 は高らかにそう叫ぶと、帰路をさらに急いでいった。


Fin.



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