クリスマスの街はとりわけにぎやかだった。通りに立ち並んだ店のショーウィンドウはどれも、きれいなドレスや美味しそうなケーキやキラキラのおもちゃで一杯だ。人々は楽しそうにおしゃべりしながら、道を過ぎていた。クリスマスセールのお知らせをしている売り子の声が響く。誰かが、素敵な贈り物を見つけたと言って誰かを呼んでいる。子どもの笑い声が、どこからか湧く。時折空気に混ざるのは、商店からもれ聞こえてくる軽快なクリスマスソングと、それから、ギターの歌声。
僕の夢 君の願い
銀色の影は 背を向けたまま
やがて遠くに
ライラライラライ……
歌声の主は、一人の若い男だった。にぎやかな通りの片隅で見つけた小さなスペースに楽譜とギターケースを広げ、彼は高々と歌っていた。だが、道を行く人々は誰一人として彼の歌を気にとめない。彼の前に開け放して置かれたギターケースは、からっぽのままだった。
僕の夢 君の願い
金色の風は 僕を追い越して
やがてどこかへ
ライラライラライ……
しかし彼は構わなかった。今日はクリスマス。皆きっと、自分の幸せで忙しいのだろう。それに、行き交う人々が彼のために立ち止まってくれないことを憂うほど、彼のストリートミュージシャンとしての経験は浅くはなかったし、そもそもケースに硬貨を投げ入れてもらうことが彼の目的ではなかった。彼が本当に欲しいのは、硬貨は硬貨でも、バツ印が刻まれた、金色に輝く特別な硬貨。
ある時は道ばたのギタリスト。またある時は孤高のバンカー。青年の名は、といった。
禁貨を探す旅の途中に立ち寄る場所で、こうしてギターを弾くのはの習慣だった。運がよければ、彼の歌を気に入った客がお金を払ってくれる。お代は禁貨でいいよ、なんて時々冗談めかして言うのはご愛嬌で、いくら禁貨を集めるバンカーだといっても、食料を買ったり宿に泊まったりするためには通貨が必要なのだから、この習慣にはけっこう生活がかかっていた。
ただ、そうでなくてもはギターを弾くのが好きだった。それは彼がバンカーになる以前からの趣味だった。だからにとって、こうして道の端で弾き語ることは全く苦にならないし、むしろ旅の合間の息抜きとなっているこの時間を、彼は気に入っていた。
僕の夢 君の願い
輝くのは
ただ街のイルミネーション……
クリスマスの街はにぎやかだった。歌の合間、は何ともなく楽譜から目をそらし、チカチカとまぶしい電飾で埋めつくされた街を眺める。とその時、彼はふと、忙しそうに行ったり来たりする群衆の中にたった一人立ち止まってたたずんでいる少女の姿を見つけた。彼女は、がはじく弦の震えをじっと見つめていた。
あ。
の歌、聴いてくれてるんだ。
そう気づいたはちょっと気を良くして、再び楽譜に目を落としギターをかき鳴らした。そうしてしばらく彼は歌に集中していたが、やがてまた楽譜から視線をはずし、少女の様子をちらと観察してみる。
綺麗な金髪の少女だった。肌は夕闇に沈んだ空の薄紫色を帯びている。歳はよりも幼く見えるが、それは単に彼女が小柄だからだろうか。ぞっとするほど美しい紅い目を少し伏せ、ギターを鳴らす青年の手の動きをぼんやりと見ている彼女の顔は、可愛い少女のようにも、すました大人のようにも見えた。不思議な娘だ。
はしばらくは彼女の存在に気が付いていないフリをした。それから、歌が一区切りついたところで、
「の歌、気に入ってくれた?」
伴奏は止めずに唐突につぶやいた。少女は一瞬驚いた表情を浮かべた。が、何も答えなかった。
シャイな子なのかな、とは思った。まあいいや。気に入ったにしろ、気に入らなかったにしろ、の歌を聴いてくれてるんなら、それだけで十分。
は軽くハミングしながら、指をギターの弦の上で遊ばせた。少女はそんな彼の様子を、じっと見ている。いつものなら、そうやって客に眺められるのなんて慣れっこのはずなのに、あの真紅の瞳に見つめられているのかと思うと、なぜだか妙に緊張した。
「あんた、バンカーなのね。」
それまでずっと沈黙を保っていた少女が突然発した言葉に、今度はが不意をつかれる番だった。彼は手を止め、少女を見た。街の雑踏からギターの響きが消える。
「よく分かったね。」
「バンカーマークつけてるじゃない。」
そっけなく答えた彼女に、はそれもそうだ、と笑ってみせた。少女はたいして面白くもなさそうに、ぷいとそっぽを向いてしまった。と、そうして彼女が顔を背けたとき、彼女のチョーカーに禁貨を模した飾り――バンカーマークがついているのに、は気が付いた。
(へえ……この子もバンカーなんだ。)
バンカーにしとくにはもったいない娘だな。は、彼女のなめらかな頬にかかる美しい金髪を眺めながら、そう思った。
「ねえ、もう弾かないの。」
少女が問うた。つんとした態度を見せながらも、実は彼女は歌の再開を待っていたのだった。静かになったギターとを交互に見つめている。
「あ……いや。」
客が目の前にいるというのにぼんやりとしてしまった自身を少し恥じ、はギターを持ち直した。それから、得意の笑顔を浮かべる。
「どんな歌がお望みかな。」
「なんでもいいわよ。さっきの続きは?」
よしきた、と了解したは弦をはじこうと構えたが、その前にちょっと手を止め、
「お代は禁貨でいいよ。」
いつもの決まり文句だった。
「やっだあ、禁貨なんて取るの?」
「ハハ、冗談冗談。でも、もしもの歌が気に入ったら、少しばかり硬貨を投げてくれると嬉しいな。」
もちろんは、彼女が何も投げなくたって歌うつもりだった。ところが彼がジャランとギターをなでた直後、キンと高い金属音が合いの手を入れた。
彼のギターケースに、バツ印の入った金色の硬貨が一枚、輝いていた。
「……禁貨。」
「ほら、入れてやったわよ。歌いなさいよ。」
は少女の素直でない紅い目をまじまじと見つめた。それからくすりと笑みをこぼし、前奏を始める。少女は少し気分を害したように、なによ、と尋ねた。
「いや、初めてだったから。本当に禁貨をくれた人なんて。」
「……それしかなかったの。モッツァレラ、今日はウィンドウショッピングだもん。」
「そう。君、モッツァレラっていうんだ。」
モッツァレラは返事をしなかった。
クリスマスの街に再びギターの音色と青年の歌が響いた。道を行く人々は誰も彼の歌を気にとめない。ただ一人の少女を除いては。少女はそこにたたずんで、じっと歌に聴き入っていた。青年は一心にギターをかき鳴らしていた。街は、寒空の下であたたかくきらめいていた。そう、今日は特別な日なのだから。
僕の夢 叶うなら 銀の月が光るだろう
君の願い 叶うなら 金の太陽が照るだろう
決して交わることもなく
輝くのは
ただ街のイルミネーション
ライラライラライ……
「安っぽい歌ねえ……。」
じいっとギターを――あるいは、ギターを弾くを眺めていたモッツァレラは、曲も半ばを過ぎた頃、ぽつりと言った。それはあまりにも小さなつぶやきで、本当にそう思って言ったというよりはむしろ、ただなんとなくその辺に落ちていた言の葉を拾って口にしてみただけ、という感じがした。
「昔の恋人にでも捧げる歌なんでしょ。」
ちょっと意地悪っぽく、彼女は聞いた。は、はん、と鼻で笑う。
「はバンカーだぜ。」
ギターの響きは街に溶けていく。
「これは誰のための歌でもねえよ……。」
ふーん、とモッツァレラは微かな笑みを浮かべた。それは嘲笑のような、それでいてどこか満足げな、少し艶な微笑だった。
ギターは楽譜の最後のページを奏でていた。手の動きは止めないまま、はふと、モッツァレラ、と彼女の名を呼ぶ。
「なんならこの歌、君のための歌にしようか。」
モッツァレラは少し驚いた顔をしたがすぐに、それを隠すようにしてフン、とそっぽを向いた。
「いらないわよ。そんな下手な歌。」
そして彼女はその「下手な」歌に最後まで聴き入っているのだった。モッツァレラのすねた顔に、は、彼女が必死で隠そうとして隠しきれていない感情を見た。素直じゃないやつ。楽譜を見るふりをして、はこっそり笑った。
夢はまだ叶わない
願いは願いのまま
それはきらめきを包んで
輝くのはただ……
ギターの音色が止んだとき、拍手も歓声も起こらなかった。モッツァレラはがギターを鳴らしている間そうしていたのと同じように、ただ黙ってそこに立ち、彼を眺めていた。
「おわり?」
彼女は聞いた。
「お望みとあらばまだ弾くけど?」
「……いいわ。あたしもう行かなきゃなんないし。あたしだって忙しいの。」
「そう……。じゃあね。の歌、聴いてくれてありがとう。」
はにっこり笑った。が、モッツァレラは笑み返しもしなければ、さっさとそこを去る様子も見せなかった。彼女はただ、
「……待っててあげる。」
ぽつりとそうつぶやいた。
「え?」
「あんたがもっと上手に歌えるようになるまで、待っててあげるって言ってんの。そしたらあんたの歌もらってやること……考えてもいいわ。」
今までよりもいっそうすねた表情でモッツァレラは言った。そうすることで、彼女はようやく照れを隠しているのだった。はフッと笑みをこぼす。
「そりゃ嬉しいな。」
モッツァレラはきびすを返した。は彼女の背中に向かってモッツァレラ、と呼びかけた。
「の名前は。」
彼女は立ち止まり振り返った。
「今度会った時、君に最高の歌をプレゼントする男さ。」
格好つけてそう言ったに、モッツァレラはささやかな嘲笑を混ぜた笑みを口端に浮かべた。
「バイバイ、。」
そしてモッツァレラは去っていった。人ごみの中でなお目立つ彼女の美しい金髪を、はしばらく目で追いかけていたが、やがてそれも見えなくなった。
の足下に開け放たれたギターケースの中に、小さな硬貨が一枚きらめいていた。はそれを拾い上げた。冬の冷気を吸った禁貨はひやりと冷たかったが、握りしめると、かすかなぬくもりを帯びるのを感じた。彼は一瞬
貯金箱を取り出そうとしたが、やはり思いとどまり、握った拳をそのままズボンのポケットにつっこむ。ポケットが、禁貨一枚分重たくなった。
それからはおもむろにギターを持ち直すと、何の曲を奏でるでもなく弦をはじき始めた。キラキラ輝くクリスマスの町に、その音は溶けていく。忙しそうに通りを歩く人々の耳には、青年のギターの音など聞こえていないようだった。だが、もしかしたらそれは、紅い瞳と金の髪をもつどこかの少女に、届いていたかもしれない。
人々の幸せそうなおしゃべり。明るい売り子の声。それから、誰かが奏でているクリスマスソング。クリスマスの街は、にぎやかに輝いていた。
Fin.