約束










 雨が激しく降っていた。空は灰色に染まり、地面に跳ね返った雨粒ははじけて地面近くに霧をつくっていた。そんな日だったから、この出会いが生まれたのかもしれない。

 ここはとある山。標高はやや高めで、崖も多い。まさにバンカーの修行の場所としてはうってつけだった。だが、それは一般の、大人で、しかもそこそこの実力を持っているバンカーの場合だ。小さな少年バンカーがこんなところで、天候は最悪だというのに修行をするのは少し無理がありすぎた。だが、はそこにいた。
 はバンカーである。年は12、3歳ぐらいだろうか。バンカーとしてはだいぶ幼いほうだ。年として幼いだけでなく、彼はバンカー歴も浅かった。つい10日前にバンカーになったところなのである。だからよけいに早く強くなりたいという気持ちが強いのだろうが、やはりこれは無茶すぎた。は激しい雨にたたきつけられてもうびしょびしょである。呼吸も荒く、時折大粒の雨が口の中へすべりこんできた。自身、少しやばいかな、と思い始めていた。意識がもうろうとしてきて、立っているのがやっとだ。もう修行どころの話ではない。ついに足元がふらつき、そして――。

「おい、大丈夫か? 大丈夫か?!」
 誰かに呼ばれ、体を揺さぶられた気がして、ははっと目を覚ました。見るとそこはどこか家の中で、目の前には一人、男がいた。はベッドの上に寝かされている。男は心配そうにこちらを見ていた。
「ああよかった。気がついたな。」
「ここは……? は一体?」
「ここは山小屋だ。ほら、登山者のための休憩所さ。君はこの近くに倒れていたんだよ。」
 男はそう言った。は少しぼうっとしながらも部屋を見回した。なるほど、よく見ればワンルームの小さな小屋だ。家具といったらこのベッドと、中央にある机とイスだけ。もう長い間使われていなかったのだろうか。あちこちが傷んだり、壊れたりしている。すみのほうには粗末な台所があって、鍋が火にかけられていた。外からはあいかわらず激しい雨の音が聞こえてくる。
「あなたが助けてくれたんだ。」
「あんな雨の中で倒れてたら死んじまうぜ。一体何やってたんだ?」
「……修行。」
「え?」
「修行だよ。強くなるための。」
「強くなるため……って、君はもしかして、バンカー?」
 のバンカーマークを確認して、男はそう言った。はこくりとうなずく。
「見たところ、あなたもバンカー?」
「そうだ。オレは、バンカーフォンドヴォー。」
 と、そのときが大きなくしゃみをした。フォンドヴォーと名乗る男は微笑し、火にかけてあった鍋からスープをついでくれた。
「飲め。少し熱いぞ。」
「ありがとう。」
 フォンドヴォーのスープは美味しくて、の体をしんから温めてくれた。
「そういえば、君の名前は?」
 フォンドヴォーが尋ねる。
。バンカーさ!」
 は満面の笑みで答えた。
「まあ、世の中にはいろんなバンカーがいるからな。こんなに小さいやつがいたって、別におかしくはないか……。」
のことバカにしてるの?」
「いやいやそんなわけないだろ。それで? バンカーを始めてどれくらいになる?」
「今日で10日目ぐらいかな。」
「10日目!? 何だ、君はやっぱり初心者バンカーだったのか……。そりゃあなあ、。強くなりたいのはわかるけど、この山は普通のバンカーでも手を焼く所なんだぞ。にはまだ早い。」
「……。」
 は黙ってスープをすすった。フォンドヴォーの言うことはわかる。だがやはり少しくやしかった。
 と、彼はいいことを思いついた。この人の弟子になったら……?
 フォンドヴォーは自分用にもスープを注ぎ、ゆっくりと口にしている。のどうきが少し速くなった。さすがに、こんな見知らぬバンカーが弟子にしてくれなんていきなり言い出したら、この人はあきれるか、それとも笑い飛ばすかな?
「どうした?」
「あっ! い、いや……その……。」
 不意にフォンドヴォーに話しかけられ、戸惑うだったが、やはり今言うしかない。は覚悟を決めて話を切り出した。
を……を弟子にしてくれませんか?」
「えっ?」
 思わずスープを口に運ぶ手を止めるフォンドヴォー。そしての方をじっと見ている。はもう一度、同じ言葉を口にした。
を弟子にしてくれませんか?」
 フォンドヴォーは何も答えなかった。黙ってを見つめている。はどきどきした。
 そして、には永遠にも思える沈黙の後にフォンドヴォーは口を開いた。
「弟子って、バンカーのか?」
「そう。やっぱり、ダメかな……?」
「うーん……。」
 フォンドヴォーは苦笑した。
「オレもついこの間まで弟子の立場だったからなあ。急にそんなこと言われても……。だけど、おまえの気持ちはわかるよ。たぶん、オレがバーグ師匠に弟子入りしようとした時と同じ気持ちなんだろう。」
 バーグ? この人今、バーグって言わなかったか? バンカーバーグといえば、その名を聞くだけでたいていのバンカーは恐れおののくほどの実力の持ち主だ。このフォンドヴォーという男がそんなバンカーの弟子だったとは。はあらためて目の前にいる男を感嘆のまなざしで見つめた。
「そうだな、よし。」
 フォンドヴォーはうなずき、その金色の瞳をに向けた。はどきりとした。
「この山にいる間で、オレがバンカーとしておまえに教えられることは教えてあげよう。」
「えっ? 本当に?! やったあ!!」
「ただし!」
 喜ぶを、フォンドヴォーは手で制した。
「オレのことを『師匠』って呼ぶのはやめてくれ。オレ、そういうのは慣れてないんだよ。」
「じゃあなんて呼べばいいの?」
「そうだなあ。まあ、が適当に考えてくれよ。」
が? ええっと……。」
 は少し考えてから答えた。
「じゃ……!」
ねえ……まあ、いっか。」
 フォンドヴォーは笑みをこぼした。そして、にスープをもう一杯注いでくれた。

 翌朝、が目を覚ました時にはもうフォンドヴォーは起きていた。
「おはよう、!」
「ああ、おはよう。」
、さっそく修行に行くの?!」
「え? はは……はやる気満々だな。よし、じゃあ行くか。」
「うん!」
 こうして2人は起きて早々、修行に出かけた。フォンドヴォーが選んだのは、木々もまばらなひらけた空き地だった。
「山でもこんな所があるんだね。」
「この山がバンカーたちの修行の場所に選ばれる理由の一つに、どんな地形でもそろっているということがあるんだ。こんな平地はもちろん、崖、茂み、岩場、滝……頂上近くには一年中雪が残っている所だってあるしな。」
「ふうん。すごいんだね!」
「その中でもこういう平地は、おまえみたいな初級者にはうってつけの場所なんだよ。」
 その言い方がなんだか自分を見下しているようで、は少しむっとした。
「どうせは初心者バンカーだよ……。」
「まあまあ、そう卑屈になるな。誰にだって最初はあるんだ。初めから強いバンカーなんているわけないだろう。みんなバンカーとしての修行をたくさん積んで、それで強くなっていくんだ。そういった意味で、は他のバンカーより早くバンカーになったんだからたくさん修行を積むチャンスがある。おまえは強くなれるぞ。」
 フォンドヴォーはそう言ってに笑顔を向けた。その笑顔を見て、はなんだか自分が少し恥かしいような気がした。
「さて! じゃまずは体をしっかりほぐせよ。けがしないようにな。」
「はいっ!」
 準備体操を始める2人。それを終えた後は、基礎体力作りだった。自分もいっしょにやるフォンドヴォー。この地道な基礎のトレーニングは辛かったが、フォンドヴォーに励まされては必死になって単調なトレーニングを繰り返していた。
「よしっ! 基本終わりー!」
「あー、疲れたあ。」
「まだまだこれからだぞ。どうする? 少し休むか?」
「だ、大丈夫だよ! さあ、次は何っ?」
 が意気込んだ。フォンドヴォーはハハハと笑った。
「……それじゃあ、ちょっとパンチをしてみな。」
「えっ、どこに?」
「ここに。」
 そう言うとフォンドヴォーは右手の平をに向けた。
「思いっきりやってみろ。」
 はしばしちゅうちょした。だが、フォンドヴォーが早く、と催促したので、彼は右手を握り、フォンドヴォーの手の平めがけて拳をくりだした。
 
 ペチッ

 何とも情けない音だな……は自分でもそう思った。
「どうした! それがの限界か?」
 フォンドヴォーが問う。やはり自身、知らないうちに遠慮してしまっているのだろうか。今度はもっと強く、はフォンドヴォーの右手を叩いた。

 パシッ!

「いいぞ! なかなかの力だな!」
 その拳をしっかりと受けたフォンドヴォーはそう言った。
 その後も数発を繰り出す。フォンドヴォーは一発ごとにいいぞ、その調子だ、と彼に声をかけた。
「今度は助走もつけてみるか。」
「えっ? で、でも……。」
「オレは大丈夫。さあ、あの辺りに立って。走りながらオレの右手を叩け。」
 少し戸惑いながらも、は言われたとおりにした。数歩後ろに下がってから、フォンドヴォーの右手に向かって走り出す。
「やあっ!!」
 だが彼の気合いは空回りして、の拳はフォンドヴォーの手の平を少しかすっただけだった。
「あれ……?」
「どうだ、難しいだろう。離れた所から狙うと、威力は数倍になるが命中率が下がる。何度も何度も練習して、命中率も上げていくんだ。」
「うん……。」
「さあ! もう一回!」
 は今度はフォンドヴォーの右手によく狙いを定め、駆け出した。と、その途中で彼はぬかるみに足をとられ、勢いあまって派手に転んでしまった。
!」
「いってて……。」
「大丈夫か? こりゃあ、昨日の雨の名残だな……。けがしなかったか?」
 フォンドヴォーがかけよってきて手をさしのべた。
「うん。は大丈夫。でも、服がべちゃベちゃになっちゃった。」
「うわあ……こいつはひどいな。着替えなきゃ。一度小屋へ戻ろう。」
 はうなずき、2人はいったん小屋へ引き返した。

「そういえばオレたち、朝飯まだだったなあ。」
 フォンドヴォーが何気なくつぶやいた。もあいまいにうなずく。服についた泥の水分がじんわりしみこんできて、気持ち悪かった。
「あったあった。オレのお古。ほら、こんなんだけど着るといい。その泥だらけのよりはましだろう。」
 そう言うとフォンドヴォーは服とズボンをに投げてよこした。
「少し、大きいか?」
「うん、まあ、ちょっと。でも大丈夫だよ。なんとか。」
「そうか、よかった。実はそれ、オレが弟子時代の時に着てた服なんだ。だからちょっとくたびれてるんだけど……すまんな。」
「いいよ、別に。」
 白い服と紺の半ズボンは、少し大きくはあったがにはよく似合った。それになんだか変な話ではあるが、フォンドヴォーのかつての修行用の服を着ることによって、に勇気と自信がわいてきたような気もした。
「それじゃあ、早く修行に行こうよ!」
 がそう言った時だ。突然、彼のお腹がぐうと鳴った。
「あ……。」
「はっはっは! 修行もいいが、どうやらのお腹は限界みたいだな!」
 は真っ赤になった。だがフォンドヴォーは気にせずににっこり笑って言った。
「それじゃあメシにしよう。もっとも、この時間だと朝メシ兼昼メシだけどな。」


 数日がすぎた。この数日間というもの、とフォンドヴォーはずっと修行三昧の日々だった。二人は平地から岩場、崖、木々が生い茂る場所、頂上……様々な所へ行った。の上達ぶりはとても早く、彼はすぐに強くなっていった。
「な? だからオレは言っただろう。おまえは強くなれるって。」
 フォンドヴォーがそうやってをほめるたびに、彼は少し恥かしいような、誇らしいような気持ちになるのだった。
 ある日のことだ。その日も彼らは自らを鍛えるべく修行に出かけた。
、今日はどこへ行くの?」
「さあ、どこへ行こうか。もうこの山の大方は行ったことがあるしなあ……そろそろこの山も降り時かも知れない。もだいぶ強くなったしな。」
「そんな……、まだまだの足元にも及ばないよ。」
 と、その時。の体に一瞬緊張が走った。殺気を感じた。誰かに、いや、何かに? 鋭く睨みつけられた気がしたのだ。
「おまえも感じたか、。」
 フォンドヴォーがどこか一点を凝視してそう言った。はこくりとうなずく。
「思えば今までこういうのに襲われなかったほうが不思議なんだよなあ……――来るぞ!!」
 フォンドヴォーが叫んだのと同時に、茂みから無数の狼が彼らめがけて襲いかかってきた。は機敏な行動で最初の一撃をかわし、すかさず狼の腹部に強烈な蹴りを入れる。狼は悲鳴をあげて逃げていった。だが、飢えた狼たちはまだまだたくさんいた。うなりながら、彼らをとりまいていた。
「ちょっと厄介かもな……。大丈夫か、?」
「平気だよ。は?」
「大丈夫だ。こいつら、一頭一頭は大したことないから、確実に仕留めていけよ。」
「わかった。」
 再び狼たちが牙をむいた。自分でも不思議だったが、これがこの数日間の修行の成果なのか、の体は自然に動いた。狼の牙をかわし、足払いをかけ、爪を避けてはなぎ払った。ちらっと目をやると、フォンドヴォーも同じように狼と戦っているのが見えた。どうやら自分たちの方がかなり優勢であるようだ。
(さすがはだ……!)
 が、このよそ見の一瞬は命取りだった。倒したと思っていた狼が突然牙をむき、に飛びかかってきた!
「うわあっ!!」
 その一撃は直接のダメージとはならなかったものの、の体は大きくバランスを失った。ふらつくに、別の狼が攻撃をしかける。間一髪で避けたものの、次の瞬間、左肩に鋭い痛みが走った。
「くっ!」
 狼の牙にかかってしまったのだ。肩から赤い液体が流れ出る。
 だが、もはや肩の傷などにかまっている余裕などなかった。一頭の狼がうなり声をあげて、の喉元を狙い飛びかかってきた!
(うわああっ!)
「赤き閃光!!」
 一瞬覚悟を決めた。しかし、次にが目を開いた時、狼のその鋭利な爪は決して彼を襲おうとはしていなかった。かわりに見えたものは、すでに倒れた狼と、フォンドヴォーだった。
「大丈夫か! !!」
!!」
 またも襲いかかってくる狼からを守りながら、フォンドヴォーは戦っていた。
「肩をやられたのか?」
「うん……ごめんなさい。」
「謝ることなんかないだろう。動けるか? 戦えるか?」
「うん。それは大丈夫。少しズキズキするけど、戦えないほどじゃない。」
「よし。じゃあそっちの狼は任せるぞ。」
「OK!」
 はうなずき、狼の群れと対峙した。狼はまだ何頭もいたが、最初に比べるとかなり減っているようだ。この群れをやっつけるのも、時間の問題だろう。は最初の調子を取り戻し、再び狼より優勢に立った。肩の傷というハンデを背負いながらも、戦闘はさっきよりもずいぶん楽だった。狼の数が減ったからか? それともがさっきよりも強くなった? ……まさか。そんなに短時間で強くなれるなら誰も苦労はしない。じゃあ、何故?
 答えは自分のすぐ近くで戦っているフォンドヴォーにあった。フォンドヴォーは、なるべく狼をにまわさないように、をかばいながら戦っていたのだ。
……。」
 と、気のせいかもしれないが、木立ちが揺れた。は確かに見た。周りにある木のうちの一本で、木の葉が不自然に動いたのを。狼の攻撃に気を配りつつも、はもう一度よくその木を観察した。再び葉が不自然に揺れる。……誰か、いる?
 そう思った瞬間、葉と葉の間で何かがきらりと鋭く光った。は直感した。あれは刃物のきらめき……! 敵…?! そして、あの刃物のターゲットは……?!
!! 危ないっ!!!」
 が駆け出したのと、木の上にいる誰かが刃物を放ったのとはほぼ同時だった。はそのままフォンドヴォーを突き飛ばし、自分は勢いあまってもんどりうってしまった。刃物――それは一本の矢だったが――は、フォンドヴォ―には当たらず、地面に深く突き刺さった。
!?」
! あの木の上に、誰かいる!! こっちを狙ってる!」
 はしつこく襲いかかってくる狼をなぎ払いながらそう叫んだ。フォンドヴォ―はその言葉と、地面に突き刺さった矢を見てすべてを理解したようだった。こくりとうなずき、じゃまな狼を避けながら、が指した木に狙いを定めた。
「赤き閃光っ!!!」
「うぎゃああっ!!」
 フォンドヴォ―の針金のように変化した髪の毛は、木の上に潜む誰かに見事命中したようだった。悲鳴に続き、人が一人、木から落ちてきた。と、そのとたん、狼が攻撃を止めた。落ちてきたのは男で、上半身は獣の姿をしていた。
「じゅ……獣人?」
「そうみたいだ。人と、狼か、山犬か……そのあたりとの混血だろう。」
 男は落ちた時にどこか痛めたのだろうか、苦痛に顔をゆがめている。フォンドヴォ―はすっと男に近づいた。
「ひっ……!」
「矢を放ったのはおまえだな?」
 男が持っている弓矢を見てフォンドヴォ―はそう言った。
「そ、そ、それがどうした!」
「手下の狼たちを使い、こっちの体力を消費させてから一気に矢でとどめをさす……か。なかなか上等なことをしてくれるじゃないか。」
 フォンドヴォーが男をにらみつける。男はかなり怯えているようだった。慌てて後ずさり、鋭く口笛を吹く。とたん、狼たちが男の方へ寄ってきた。
「お、覚えてやがれっ!!」
 男と狼は一瞬にして木立の影へと消えていった。
、追いかけないの?」
「なあに、あいつはたいしたバンカーじゃないさ。ほっといても大丈夫だろ。」
「え? あの人もバンカー?」
「貯金箱と、バンカーマークが見えた。間違いなくバンカーだ。ま、こういうことはよくある。バンカーとバンカーが接触すれば、禁貨をかけた争いが始まる。必然的なことだろう? もっとも今回は、がいなかったらやられてたけどな。ありがとう、。」
 フォンドヴォーはにっこり笑った。は少し照れた。
「そんな……だって、を助けてくれたじゃない。」
「ははは。お互い様ってことだな。」
 戦闘の後だからか、あたりは妙に静かだった。所々に気を失った狼が転がっていたが。
「あいつには悪いことをしたな。手下を半分くらいやっちまった。」
「だけど、びっくりした。あの狼たちが誰かの命令で攻撃していたなんて。」
「世の中にはいろんなバンカーがいるのさ。とくに獣人型バンカーは、結構他の動物と手を組んでたりするからな。バンカーに、性別も人種も、歳も関係ない。あいつもまさか、おまえなんかに計画を阻止されるとは思ってもいなかっただろう。」
「……どうせと比べたらまだまだ小さいからね。」
「ほらほら、またそういうふうに考える。おまえは確実に成長してるぞ。バンカーとしての実力も、もちろん体つきもな。」
 フォンドヴォーはそう言ってに微笑みかけたが、すぐにの肩の傷に目をとめた。
「こうしてみると結構深くやられてるな……。急いで手当てしないと。とにかく、小屋へ戻るか。」
 もうなずいた。

 フォンドヴォーはの肩の傷に消毒液を塗っていた。
「ったあ!! しみるー。」
「男だったら我慢しろ。」
「はーい……。それにしても、の貯金箱の棺桶って、何でも入ってるね。」
「うん。禁貨のほうが少ないかもな……ハハハ。これ、大きいから結構便利なんだよ。」
「……。」
「……なあ、。」
「何?」
「明日にでも、この山を降りるか。」
 包帯を巻きながら、フォンドヴォーはそう言った。
「えっ……。」
「もうこの山にいても同じことだ。おまえは充分強くなったし……。それに、オレがおまえに教えられることはもう大方教えてしまったよ。」
 は最初にフォンドヴォーに弟子入りした時のことを思い出していた。あの時フォンドヴォーは言った。
『この山にいる間で、オレがバンカーとしておまえに教えられることは教えてあげよう。』
 つまり、今のこのフォンドヴォーの発言は、師弟関係をやめるということになる。
「そんなっ! ……」
 フォンドヴォーは何も言わなかった。

 翌日。重苦しい雰囲気のまま、朝がきた。荷は全てまとめられており、昨日フォンドヴォーが言ったことはウソではないようだった。フォンドヴォーはに山を降りるよう、目で合図した。外に出てからも2人はしばらく無言だったが、ようやく口を開いたのは、だった。
……。」
「ん、どうした。」
、言ったよね。『この山にいる間で、オレがバンカーとしておまえに教えられることは教えてあげよう。』って。」
「ああ。」
「じゃあやっぱり……」
 はうつむいた。続きは言わなかった。……言えなかった。言えば、全てが終わってしまう気がしたから。
 フォンドヴォーはそんなを見て、やわらかな笑みを浮かべた。
。おまえは充分強くなったし、これからもどんどん強くなっていくだろう。オレなんかより、はるかに。」
「無理だよ。はまだまだ弱いし……。、ダメなの? がずっとの弟子でいることは出来ないの?」
「弟子は、いつか師匠から離れていくものだ。」
「それにしたって……」
 涙がこぼれそうになった。それをぐっとこらえて、は残りの言葉を言った。
「早すぎるよ……。」
 フォンドヴォーが歩みを止めた。それにつられても立ち止まる。
。」
「……。」
「あのな、。よく聞いてくれ。オレがその、おまえと別れるのには二つの理由があるんだ。」
「……?」
「一つは……オレは、ある男を追わなきゃならないんだ。」
「ある男?」
 フォンドヴォーはうなずいた。どこか彼方を見つめていた。
「そいつを追う旅は、とても危険なものになるだろう。」
もついていく!」
 は力んだ。
「お願い、! 足手まといなんかにならないから! 約束するから、もその旅に連れて行って……!」
 とうとうの目から涙がこぼれ出た。それほどまでにはフォンドヴォーとの別れが辛かった。フォンドヴォーは、何か、自分を取り巻いていたもやを取り払ってくれた。優しくしてくれた。いろいろなことを教えてくれた……。
 だが、フォンドヴォーは首を振った。
「それはできない。なぜならそいつは……オレの師匠、バーグ師匠を殺した男なんだ。」
「……!」
「だから俺は師匠の仇をとる。それに、孤児になってしまった師匠の息子さんのことも心配だし……。その男は人を平気で殺すようなやつだ。おまえを連れてはいけない。オレ自身、生きて帰ってこられるかどうか、自信がないよ。」
 フォンドヴォーは苦笑し、再び歩き出した。
「もう一つの理由は、、おまえだ。」
「えっ? ?」
 急に名前を呼ばれて、思わずはきょとんとしてしまった。
「そうだ。この数日間、オレはおまえの上達ぶりをずっと見ていた。そして思ったんだ。は、オレなんかのもとで成長してる場合じゃないってな。」
「どういう意味?」
「なんというか、オレとでは得意分野が違うっていうか、世界が違うっていうか……。ほら、例えばだ。プロのサッカー選手になりたいやつがプロの野球選手に教えてもらってもサッカーが上達しないのは当然だろ? ……わかるか?」
「うーん……。」
「と、とにかくだ! には資質があるんだよ。言うなれば、ダイヤの原石ってやつだ。オレなんかじゃ、とてもその原石を磨きあげてダイヤにすることはできない。そう言った意味で、おまえはオレから離れていった方がいいと思うんだ。」
 どちらも何も言わなかった。
 それからしばらく歩き、2人はようやくふもとへと到着した。平地に出るとフォンドヴォーは再び立ち止まり、目を細めて遠くを眺めた。陽は少しだけ西に傾いていた。
「久しぶりの地面だなあ。ははっ。高い所から眺める景色もいいけど、こうやって低い所から眺める景色もいいもんだな。」
 そう言ってフォンドヴォーは笑ったが、の表情は晴れないままだった。そんなを見て、フォンドヴォーは優しく話しかけた。
「なあ……。確かにオレとおまえは今は別れなきゃならないかもしれない。だがな。」
 フォンドヴォーの瞳がを見すえた。それは、最初にこの男に弟子入り志願をしたときと同じ、金色の目だった。
「だが、それは今だけの話だ。いつか、いつかきっとオレは師匠を殺した男を倒す。そうしたらきっと戻ってくるから……」
 フォンドヴォーはにっこり笑った。
「その時は、もう一度師弟関係を結ぼう。」
 はうなずいた。顔を上げると、フォンドヴォーの優しいまなざしがこちらを見ていた。これから別れるなんて、誰かが言い出した冗談みたいに思えてくる、不思議で、優しい笑顔だった。
「あっ……。」
「どうした?」
のお古、借りたままだ。」
「あっ。」
 少しだけ沈黙が流れた。そして、2人は同時にふきだした。
「はっはっは……そういえばそうだったな。いいよ、その服、にやるよ。」
「いいの?」
「ああ。オレにはもう必要ない。」
 一息つくと、フォンドヴォーは遠くのほうを指して言った。
「ここからまっすぐに東へ行くと、町がある。今から歩いていけば、日暮れまでには着けるだろう。はそこへ行け。オレは……あっちへ行く。いや、行かなきゃならない。」
 今度はフォンドヴォーは陽が沈む方向を指した。まだ陽は高かったが、もうすぐあそこも夕日に紅く染まるだろう。
「ここでお別れだな。」
「うん……。でも! きっと、また会えるよね?」
「会えるさ。次に会う時は、強くなった姿を見せてくれよ。」
「うん! きっとね!」
 は微笑んだ。確信はまだなかったが、何故だかそんな気がした。それとも、そうならなければならない気がしたのか。なぜなら、それは無言の男の約束だったから。とフォンドヴォーの、大切な約束だったから。
 フォンドヴォーはに握手を求めた。はそれに応えた。
「それじゃあ、元気でな。……、強くなれよ。離れていても、オレが応援していることを忘れるな。そして、おまえの願いを叶えろ。」
「うん! も元気で……。も、ずっとのこと応援してるよ。待ってるから……!」
 フォンドヴォーはうなずき、の手をはなした。
「さよならは言わないよ。」
 は言った。
「またいつか、会うからね! それじゃ、また今度!」
 フォンドヴォーも微笑んだ。
「ああ、また今度、いつかな。」
 そして2人は、それぞれの道に立った。少年は、己が信ずる道を、強くなるために。男は、死という名の危険をあえて冒しながらも、恩師の仇を討つために。一方は東へ向かい、もう一方は西に向かって旅立った。
 陽射しはまだ強かった。風は彼らの背中を押した。いつかまた会おうと約束を交わした、2人のバンカーに。


Fin.



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