君の隣へ










 ウスターは迷っていた。暑い、夏の日だった。せみの唄がシャワーのように降り注ぐ陽光の中、とある町、とある公園の入口で、人と猫の姿を兼ねそえたその獣人は、うろうろとその辺を行ったり来たりしていた。彼は行きつ戻りつを繰り返しながら、時々ちょっと園内を覗き込む。彼の視線の先には一人の女性がいた。公園の奥の方にある白いベンチに腰かけ、彼女は本を読んでいた。ウスターはその女性に声をかけようかどうか非常に悩んでいたのである。
 悩むウスターの心境は二つだった。
 ひとつは、声をかけたところで冷たくはね返されるに違いないという、自分に対する卑下の心。ウスターには今までにも、女の子にお誘いをかけた経験が結構あった。しかしその結果はいつも、良好とは言いがたかった。だからウスターは、少しばかり恐かったのだ。
 もうひとつは、この女性に対する強すぎる好奇心だ。今あそこに座っている女性は、ウスターと同じ族であると見て間違いなかった。つまり、彼女は半分猫の血の流れる、獣人であったのだ。自分と同じ仲間であるのなら、ひょっとするともしかして……。ウスターはそんな期待を拭い去ることは出来なかった。それに彼女はとても可愛らしい白猫だった。遠目から見ても、その純白の毛はとても美しい。
 ウスターはこれでもう何度目か、もう一度公園の中を見た。何度見ても可愛い娘である。彼は早鐘を打つ自分の心臓を押えて、深く息を吸い、ゆっくりと吐き出した。
「ちくしょー、フラれるのが恐くてバンカーやってられるか!」
 ウスターはそう自分に一喝すると、公園へ一歩足を踏み入れた。

「お嬢さん、お茶でもご一緒しませんか?」
 そう声をかけられて、は顔を上げた。見るとそこには自分と同じような姿をした、一人の獣人。先程から公園の入口をうろついていた、なんだか妙な男である。はけげんそうな顔をしたが、無視するのもどうかと思ったので、とりあえず尋ねた。
「あのう……あなたは?」
「オレは、ウスター。美しい女性を見かけ、思わず歩みを変えてしまった旅の者です。」
「…………。」
 ウスターと名乗った男はそう言って、の隣に腰掛けた。なんともキザなナンパ男を見て、彼女は少し苦笑いする。
「あのね。ナンパするんだったら、直前になってウジウジ迷わないほうがいいわよ。」
「あ、あれっ……見てたの!?」
 は、パタンと読みかけの本を閉じた。
「公園の入口でうろついてるっていうのも、けっこう怪しいしね。」
「はあ……。」
 ウスターは気まずそうに頭をかいた。それからちょっと沈黙が続いたが、やがてウスターの方が口を開いた。
「お嬢さん、名前をうかがってもいいかな。」
よ。」
 はそう答えてウスターを見た。近くで見ると、青味がかった彼のグレーの毛は、とても綺麗だった。
かあ……。可愛い名前だなっ。」
 不意にウスターが笑顔を見せる。はその視線に一瞬どきりとして、慌てて目を伏せた。
、いつもここで本読んでるのか?」
「え、ええ。そう。ここって静かだから……。」
 へえーと、ウスターは辺りを見回した。公園には、二人以外に誰もいなかった。園内に植えられた木々は緑の葉を茂らせて、この白いベンチの下にも陰を作っていた。蝉がひたすらに唄っていてもなにか涼しげな感じがするのは、きっとこの緑のおかげなのだろう。風が時折、夏の陽の輝く破片をいっぱいにはらんで、側を走り去っていった。
「ウスター……だっけ。ウスターは、どうしてここに来たの?」
「オレ? はは、オレは……言っただろ。を見かけてしまったからさ。」
「あ、あのねー。あんまりからかわないでよ。」
「からかってなんかないさ! だって、は本当にすごく綺麗だぜ。オレ、好みだなー。」
 は、意思に反して自分の頬が少し赤らんでしまったのを悟られないように、ばっと顔を背けた。ウスターはそんな彼女の様子を見て、微笑を浮かべる。
 再び蝉の声が辺りを包んだ。は、そっと横のウスターを見てみる。夕暮れの紫紺を帯びた彼の黒い瞳は、どこか遠くを見ているようだった。首元につけた金の鈴は、夏の陽射しを浴びてきらりと光を反射する。と、鈴に刻まれている変わった模様を見て、は、あ、と声をあげた。
「ん? どうした、。」
「……ウスターって、もしかして……バンカー?」
「あれっ、よく分かったな。」
 ウスターの鈴に刻み込まれている変わった模様は、「バンカーマーク」――バンカーと呼ばれる者たちがつけている一種の印と見て、間違いなかった。は以前何かで読んだ、バンカーについての知識があったので、すぐにそれと分かったのである。
「へえー、それじゃあ、旅をしてるの?」
「ああ。だけどこんなべっぴんさんに遭遇したおかげで、今は小休止中だ。」
「また……。」
 へへへっと、ウスターは笑った。彼が本気でそう言っているのかは分からなかったが、ただ、悪い気はしなかった。
「旅はつらくない?」
「そうだなあ。まあ、ひとりぼっちが苦手なわけじゃないしな。」
 どこか淋しげな苦笑を伴った彼のつぶやきは、蝉の声の中にそっと溶けていった。
「禁貨は、まだあんまり貯まってねえけど。」
「ウスターのお願いは何なの?」
「えっ、お、オレの願い事? ええと……。」
 ウスターは口ごもった。それでも、彼の答えを期待して自分に目を向けているを見て、彼は意を決したようだ。
「オレの願いは……『世界一のモテモテ男になること』だ!!」
「えっ? 世界一のモテモテ男って……。」
 あまりに開き直ってウスターが夢を宣言したので、は少し笑いをこぼしてしまった。
「何だよ……。オレの願いって、そんなに変?」
「ううん、そうじゃないけど……。だけど、そのくらいの夢があるなら、ナンパはもう少し上手にやった方がいいかもね。」
「うぐっ……。はい……。」
 言い返す言葉のないウスターを見て、はくすりと笑った。
 ふと、はしゃぎ声が聞こえて、二人は公園の入口に目をやる。見ると数人の子供たちが、サッカーボールを持って公園に遊びに来たのだった。子供たちは笑い声を上げながら白いベンチの前を駆け抜け、サッカーのできる広場を目指して走っていく。夏の風の香りが、ふっと側を通り抜けた。
「でも、ウスター……」
「?」
 は立ち上がり、数歩歩いて陽光の中に身をのりだした。
「もしもその願いが叶っちゃったら、はちょっと悔しいかも。」
 背を向けたまま、ぽつりとつぶやいたのその声を聞いて、ウスターはえ、と目を丸くした。
「お、おい待てよ! それって……!」
 一人でさっさと歩き出す彼女を追って立ち上がるウスターを振り向いて、はふふっと笑った。駆け抜ける風は、ウスターに向かって発した言葉を、そっと運んでいく。
「なんでもない!」
 ウスターが追いつく。並ぶと彼は、ずいぶんと背が高かった。
「――ったく、変なヤツ……。へへっ。」
 横に並んだウスターは、一瞬だけ迷ったような気配を見せながらも、その腕をそっとの肩にまわす。こうしているとなんだか本物の恋人同士みたいだなんて、そんなことを考えてしまったの心臓は早い鼓動を打ち始めたが、それは不思議と心地良い感じのする、ドキドキだった。
「行くか。喫茶店!」
 はうなずいた。
 そうしてこの二人の若い猫人たちは、子供たちの笑い声の残る公園を後にする。
 蝉の声はまだ、止む気配を見せなかった。


Fin.



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