Christmas Cake










 粉砂糖のかかったチョコレートケーキが一つ、フルーツのたくさん乗ったカラフルなカップ入りケーキが一つ、それから、クリームでおしゃれにお化粧をした純白のケーキが二つ。
「ありがとうございました。」
 四つのケーキが入った箱を客に渡し、代わりにいくらかの小銭を受け取りながら、はにっこりとそう言った。
 今日はクリスマス。が勤める町はずれの小さなケーキ屋は、今日は大繁盛だった。今朝たくさん作っておいたケーキもすっかり売り切れ、今はほとんど空になってしまったショーウィンドウを眺めながら、彼女は満足そうにため息をつく。ガラス越しに外の通りに視線を向けると、とっくに日も落ち、暗くなった町の中に、聖夜の明かりがあちこちで輝いていた。多くの民家では、もうクリスマスのパーティが始まっているのだろうか。
「お疲れ様、。」
 と、店の奥から現れたのは当ケーキ屋の店長である。小さいながらもいつも町の人の姿が絶えないこの店の人気の秘密は、他ならぬ彼のケーキ職人としての手腕にあった。その彼は今、自慢の口ひげをなでながら、と同じく満足げにショーウィンドウを眺めている。最近ちょっぴり色あせ始めた彼のひげがすっかり白くなってしまったら、きっとサンタクロースみたいだろうなと、は密かに思っていた。
「売れ行きは上々だな。」
「ええ。残ったのは……」
 はさっとウィンドウを見回す。
「クリスマス用のショートケーキが二つだけ。」
「よしよし。それじゃあ少し遅くなったけど、今日はこれで店を閉めるか。」
 はうなずいた。
「余ったケーキ、どうします?」
「そうだな……。が持って帰るといい。」
「えっ、いいんですか?」
「もちろん。今日はよく頑張ってくれたからな。」
 店長は微笑んだ。それから自ら二つのケーキを箱に入れ、に手渡した。
「ありがとうございます。」
「なに、構わんさ。さ、遅くならないうちに早く家に帰りなさい。」
「はい。お疲れ様でした!」
 お疲れ様、と返事をすると、店長はまた店の奥へ戻っていった。彼の背中を見送った後、はちらっとケーキの箱に目をやる。
 でも、ケーキ二つもどうしようかな。
 甘いものは嫌いではないが、一度に二つも食べては太ってしまうかもしれない。かといって明日の朝まで置いていたら、せっかくのケーキの味が落ちてしまうかもしれないし。やっぱり、帰ってから二つとも食べてしまおうか?
 そんなことを考えながらコートを羽織り、かばんを提げ、空いた手にケーキの箱を持つと、は店を後にする。店を出る前にちょっと振り返って、
「店長ー。シャッター閉めておきましょうかー?」
 店の奥に向かって尋ねた。やや間を置いて、ああ、と返事が聞こえたので、はシャッターを閉めようと外に出た。その時。
 店の前に人がいた。青年だった。みかん色の手袋をはめ、それと同じ色をしたニット帽をかぶったその青年は、じっとの方を見つめている、と思ったのは早とちりで、彼がその瞳に映していたのは、どうやら彼女の後ろにあるケーキ屋のほうであるようだった。
「えーっと……」
 が言葉を発したとたん、白い息がたちのぼった。やはり外は寒い。
「すみません。お店、もう終わっちゃったんですけど。」
「えっ、ああ……」
 話しかけられたのに気がついて、青年はケーキ屋からのほうに焦点を合わせる。
「そうなんだっぺか。ああ、いや、いいんだ。オラ、お金持ってないから。ただお店のケーキがうまそうだったから、つい立ち止まって眺めてただけで。」
 言って彼はにこりと笑った。はしばし彼のその笑顔を眺めていたが、そうですか、とつぶやき、店のほうに振り返ると、シャッターを下ろし始めた。ガラガラガシャンと、少しさびた金属のきしみ揺れる音が響いた。町のケーキ屋さん、本日はこれにて終了。
 それから後ろを向くと、青年はまだそこにいた。彼は依然として微笑を絶やさぬまま、シャッターを閉める少女の姿を眺めていたようだったが、灰色の金属壁に閉ざされたケーキ屋を見つめる彼の瞳には、わずかにかげりが見えた。だが青年はすぐに、自分はもうここにいる必要のないことに気づいたのだろう。静かにケーキ屋とにきびすを返した。
 はこの青年が少し気の毒になった。それで、慌てて彼を呼び止める。
「あの! ……もし良かったら、」
 青年が振り返った。は手に持っている小さな箱を青年に見せるようにして持ち上げてみせると、尋ねた。
「ケーキ、食べる?」
「えっ。」
「二つ入ってるの、この中に。もしよければ、いかが。」
 青年は驚きに目を真ん丸くして、を見つめた。
「で、でも。それはお姉ちゃんのだっぺ?」
「うん。でもこれ、売れ残りなんだ。それで店長さんがにくれたの。持って帰って食べるようにって。」
 青年はそれでもまだためらっているようだった。だがその表情が確かに一瞬期待にひらめいたのを、は見てとった。
「本当に、いいんだっぺ?」
「いいよ。どうせ一人で二つも食べられないなって思ってたところだったんだ。」
 それで青年は決めたようだった。たちまちパッと顔を輝かせたかと思うと、ありがとう! と言っての差し出した箱を受け取った。ケーキ屋のオシャレなロゴが入れられたその箱を、彼は嬉しそうに眺め回す。その笑顔がまるで子供のようで――本当に純粋な笑顔だったので、もつい嬉しくなって微笑んでしまった。
「なあなあ、これ、今食べてもいいっぺか!?」
 尋ねられてはちょっと戸惑ったが、うん、いいけど……と答えた時には、彼はすでに店の前の段差に腰かけて箱を開けていた。本当に子供みたいな人だ。はそう思いながら呆れの混ざった優しいため息をつくと、青年の隣に腰をおろした。こぼれた吐息は白く舞った。
 青年は箱の中身をのぞき見たとたん、わあ! と歓声をあげた。そしてはやる心をおさえながら、潰れてしまわないようにそうっとそれを箱から取り出す。
 現れたケーキは、雪色の小さなショートケーキだった。真っ白なクリームに降り積もった粉砂糖の新雪の上に、かわいらしいサンタの人形がのっている。その側には緑鮮やかなヒイラギの若葉がそえられ、スポンジケーキの間にはさまったイチゴは、オシャレなうすピンク色でケーキをより一層おいしそうに見せていた。
「うまそうだっぺー……。」
 手に持ったケーキにしばし見とれる青年。
「でしょー。そのケーキ、けっこうオススメなんだよ。」
「そうなんだっぺか。それじゃあ、いっただきまーす!」
 ペロッと舌なめずりをしてから、彼はぱくっとケーキにかぶりついた。とたん、うめえーっ! と叫び声をあげる。
「すっごくうまいっぺ、これ! オラこんなにうまいケーキ、初めて食べたっぺよ!」
「そう、それは良かった。」
 自分の店のものがほめられて悪い気はしない。はもう一口ケーキを食べる青年の横顔を嬉しそうに眺めていた。
「……ん。なあ、お姉ちゃんは食べないんだっぺ?」
 がこちらを見つめているのに気がついて、青年は問う。
「一緒に食べようよ! こんなにうめーんだから、オラ一人で食べるんじゃもったいないっぺ。」
「そう? でもそれ、あなたにあげたのに。」
「けど、もともとはお姉ちゃんのだっぺ。ほら、お姉ちゃんの分!」
 言って彼はもう一つのケーキを箱から取り出し、に手渡した。
「ありがとう。」
「どういたしましてだっぺ。
 ……あっ。そういえばオラ、お姉ちゃんの名前、まだ聞いてなかったっぺな。」
よ。そういえばも、あなたのお名前まだ聞いてないんだけど。」
「オラの名前はT-ボーンだっぺ!」
 答えて彼はにっこり笑い、それからまたケーキを一口食べ、もう一度、うまいっぺなあと満足げにつぶやいた。も自分のケーキにそっと口をつけた。ほのかな甘い香りが口いっぱいに広がった。
 聖夜の明かりがぽつぽつと、あちらの家にもこちらの家にも灯っていた。冷たい夜の中の、温かな光だった。ほとんど人通りも絶えてしまったこの店の前を今、一人の男が急ぎ足で通り過ぎていく。彼がどこか嬉しそうな様子だったのは、彼の行き着く先にもまた、温かな場所が待っているからなのかもしれなかった。
「……見たっぺ? 今の人、すごくきれいなハコ持ってたっぺな。」
 T-ボーンがささやいた。
「きっと、家族へのクリスマスプレゼントじゃない?」
「ああ……そっか。家族、だっぺか。」
 うなずいて、去り行く男の背中を見送る彼の瞳はなぜだかどこか淋しげで、はるか遠くを見つめているようにも見えた。はそんな彼の様子を見て、その理由を尋ねたい思いに駆られる。だが、その質問はもしかしたらとても不躾なのではないかと思われて、どう切り出そうか思いあぐねていると、彼女よりも先に、当のT-ボーンの方が口を開いた。
「オラさ、一人で旅をしてるんだ。もうずいぶん、家族には会ってないんだっぺ。」
「そう……。」
「けど、淋しくなんかないっぺよ! みんなの顔は忘れたことねーし、それに、オラが淋しいなんて言ってたら、みんな心配するっぺ。」
 T-ボーンは元気よく言った。その表情に無理は見えなかったし、彼の言葉に偽りがあるとも思えなかった。
 それから彼は残っていたケーキの塊を一気に口に押し込んだ。は彼の口の中が落ち着くのを待ってから、聞いた。
「T-ボーンの家族は、どんな?」
「オラの家族? ……へへ。そうだっぺな。とってもにぎやかで、あったかいんだ。」
 T-ボーンは空を仰いだ。夜空は町よりもずっと暗かったが、そこには確かに、小さく静かに輝く星がいくつもいくつも散らばっていた。そのきらきらの星たちを瞳に映すT-ボーンは、故郷に思いをはせているのだろう、とても穏やかな顔をしていた。
「今ぐらいの季節になると、母さんがすっごく温かくてうまい料理を作ってくれてさ。あっ……もちろん、母さんの料理はいつでもうまいっぺよ。でも、寒い時のはまた格別なんだっぺ。オラも、父さんも、弟や妹たちも、みんな母さんの料理が大好きで……。」
 彼の顔にはいつの間にか微笑が浮かんでいた。
「それから父さんはよく、冒険の話を聞かせてくれた。オラたち、父さんの話を聞くのがいつも楽しみだった。」
「素敵な家族だね。」
もそう思うっぺか?」
 嬉しそうにT-ボーンは言った。
「ああー、みんな今ごろどうしてんのかなー。」
 再び星空を仰ぎ見ながら、T-ボーンは深いため息をついた。吐息は白い霞になって、夜空にぼんやり浮かび上がった。
「きっと元気でやってるっぺな……。」
 すぐに薄れていくその白を眺めながら、二人ともしばらく黙っていた。その間には、もう一口ケーキを口にする。甘い雪が口の中でとけるような味がした。
「ねえ、T-ボーン。」
 がぽつりと沈黙を破った。
「T-ボーンはどうして故郷を出てきたの?」
「んっ? オラ? バンカーになりたかったんだっぺ!」
 こともなげに彼は言った。
「父さんの話は最高にドキドキして、ワクワクする話だったけど、それはやっぱりお話だったんだっぺ。オラは自分の目で見て、感じて、冒険がしたかった!」
 T-ボーンの瞳は輝いて見えた。それは彼の瞳に夜空の星が映りこんでいるのだけが、原因ではないようだった。
「だからオラはバンカーになって村を出たんだっぺ。それにさ、知ってるっぺか、? バンカーって、禁貨っていうぴかぴかのコインを集めるんだっぺよ。ほら……これ!」
 貯金箱バンクを取り出し、さらにその中から禁貨を一枚取り出して、T-ボーンはそれをに見せてやった。バンカーが禁貨を集めることも、禁貨が独特の金属でできた硬貨だということも、は知っていたけれど、改めて彼に見せてもらったその禁貨は、本当にキラキラと光って見えた。
「これが禁貨……。きれいだね。」
「へへっ。まあオラの貯金箱にはまだあんまり禁貨、たまってないけどな。」
 そう言ってT-ボーンは禁貨を貯金箱の中へ戻した。カランと小さく澄んだ音が響いた。
「だけどきっといつか、この貯金箱いっぱいに禁貨をためてみせるっぺ! そしたらそれを村に持って帰って、みんなにたくさんのぴかぴか、見せてあげるんだ。みんな驚くっぺよー。」
 意気揚々と口にした彼の思いは白い形になり、夜風にそっと運ばれていった。は彼の自信に満ちた横顔を眺め、小さく微笑んだ。
 それから彼女は残っていたクリスマスケーキを口に運んだ。スポンジケーキの間にはさまっていたイチゴが、ちょっぴり甘酸っぱい味を舌の上に残していった。
。」
 まだ口の中がいっぱいのうちに、T-ボーンが名前を呼ぶ。は急いでケーキを飲み込むと、何? と彼のほうに顔を向けた。
「口にクリームついてるっぺよ。」
「えっ。」
 慌てて口まわりを人差し指でなぞると、彼の言った通り、白いクリームが手についた。は照れ隠しにちょっと笑いを見せ、
「ありがと、T-ボーン。」
「へへ……いただき!」
 言った瞬間、彼は彼女の手を引き寄せ、そのクリームのついた指をぱくっと口に入れた。は驚きのあまり一瞬何が起こったのかわからなかったが、やっとそれを理解した時には、すでにクリームはなくなってしまっていて、代わりに指先には、じんとした温かさがわずかにぬれて残っていた。T-ボーンはいたずらっぽく、無邪気に笑う。
「甘くておいしいっぺ。」
「…………。」
?」
 黙りこんでしまった彼女を見て、T-ボーンは少し不安げな表情を浮かべる。
「怒ったっぺ……?」
「……えっ! う、ううん。そんなことないよ。ちょっと、びっくりしたけど。」
「そう。」
 T-ボーンはホッとして微笑んだ。
 空を仰ぐと、満天の星が静かにきらめいていた。夜の澄んだ冷気の中で輝くそれは、天然のクリスマスオーナメントだ。その美しさに、は思わずほうっとため息をつく。ふんわりと舞う息はとたんに白く凍った。真冬の空気は肌を刺すようだったが、の頬はほんのり紅潮していた。
「お星様、きれいだっぺな。」
 隣でT-ボーンが言う。は黙ってうなずいた。
「町もすごくぴかぴかだっぺ。どの家にもあったかい光……。今日は、特別な日なんだべな。」
「うん。」
「……は」
 彼女の方に顔を向けながら、T-ボーンは尋ねる。
「家に帰らなくてもいいんだっぺ?」
「そうだね。そろそろ帰らなきゃいけないかな……。」
 青年と並んで座り込んでから、どれくらいの時間が過ぎたのだろう。には分からなかった。分からなかったが、もう少しここにこうしていたいと思った。と、その瞬間、くしゅんと一つくしゃみが飛び出る。
「あんまり長いこといると、風邪ひくしな。」
 T-ボーンがちょっと心配そうに言った。
「じゃあ、そろそろ帰ろっか。」
 もようやく彼に同意する。T-ボーンが先に腰を上げ、も彼の後に続いた。そしてT-ボーンに言葉をかけようとして初めて、彼女は先程なぜ名残惜しさを感じたのかを理解した。
 立ち上がってT-ボーンに言わなければならない言葉が、「さよなら」だったからだ。
「それじゃ……」
 T-ボーンがを振り返る。彼女もまた変な名残惜しさが訪れないうちに、別れの挨拶をしてしまおうとした。が、
「オラが家まで送ってってやるっぺよ!」
 彼はにっこりとそう言った。予想していた言葉が耳に入ってこなくて、は拍子抜けする。
「えっ?」
「ケーキのお礼だっぺ。それから……」
 T-ボーンは少しうつむき、恥ずかしそうにつぶやいた。
「オラ、淋しくないなんて言っちゃったけど、やっぱり本当はちょっとだけ……淋しかったんだべ。今日はなんだか妙に家族のこと思い出しちまってさ。だどもこうしてが話をしてくれたから、淋しいのはもう、どっかに行っちゃった。今日はがオラにとっての家族になってくれたんだっぺ。だから、そのお礼の意味もこめてさ!」
 T-ボーンは再び顔を上げて微笑んだ。
「T-ボーン……。」
「さあ! 早く家へ帰るっぺよ!」
 それ以上真面目な顔を見られるのが照れくさかったのだろうか。T-ボーンはそう言うと、とっとっと夜の町の中に向かって駆けだす。
! 早く早く!」
「ちょっと……T-ボーン! の家の場所知ってるのー?」
 尋ねるとT-ボーンは立ち止まり、そして再びの元に戻ってきた。
「……すまねえけど、の家がどこにあるのか、教えてくんろ?」
 はふっと微笑みため息をつくと、こっちだよ、と彼の先に立った。
「せっかちなんだから。」
「へへ、わりぃわりぃ。じゃゆっくり行くっぺ!」
 そうして二人は温かい町の中へ、歩きだした。
 町には輝く光が、夜空には聖なる光が散りばめられ、その光はT-ボーンとをそっと包み込んだ。
 クリスマスの夜は、まだゆっくりと、時を刻み始めたばかりである。


Fin.



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