銀の星降る下で










 舞踏会の日は、月が細く浮かぶ暗い夜だった。
 会場を抜け出して、は一人、中庭にたたずんでいた。きらびやかな世界からは程遠い、闇に沈んだ夜の中。は舞踏会に招待されたとある貴族の従者だった。
 地味な黒色ワンピースが今日のの正装。それすらもすっかりしわだらけの染みまみれ。朝から主人の準備に奔走し、到着してからも細々とした要望をこなし、おまけに手が足りないとかで本来ならば招待主側の仕事である給仕まで手伝った。さすがのも疲れはててしまい、ふらりと倒れかけたのが先程のこと。少し外の空気を吸ってきなさいと、使用人長に中庭を案内してもらったのだった。
 噴水の側に置かれたベンチに腰かけて、はくったりと身を預け目を閉じる。
 会場の音楽がここまで聞こえていた。今ごろは高貴な人々が、この日のために用意した豪奢ごうしゃなドレスを身にまとい、高く結った髪にティアラを添えて、華やかなダンスホールでステップを踏んでいるのだろう。業務の合間に目に入った金銀ダイヤの輝きが、今もまぶたの裏にちらちら見えるようだった。
 いいなあ、とは思う。
 だって一人の女性だ。そういうものにまったく興味がないわけはなかった。もしもあんなきらめきを身にまとって踊れたら――束の間だけ夢を見るが、現実のは名もなき召し使い。身分不相応な空想は、大きなため息となって夜に溶けた。
「こんばんは。」
 不意に話しかけられ、は驚いて目を開けた。舞踏会の正装を着た銀髪の少年が、の目の前に立っていた。
「隣、いい?」
 戸惑って返事もままならないに構わず、少年はもうベンチに座っていた。
 透き通るように白い肌の人だった。切れ長の目は赤く、その肌に映えてルビーのようだ。上質の生地で織られているのが一目で分かる衣服、物怖じしない風格。どう見てもかなり高貴な身分の者だった。
(最重要来賓の……銀髪の男の子……)
 はっとは思い当たる。グランシェフ王国の第一子王子、リゾット。
 彼が、こんな所で、何をしているのだろう?
「こんな所で何してたんだ?」
 と思ったら先に尋ねられてしまった。
「休憩を……頂いておりました。」
 おずおずと答えるの緊張を知ってか知らでか、あーなるほど、とリゾットは答える。
「舞踏会って息が詰まるもんなあ。あのさ、オレもさ、」
 リゾットは声を潜めると、そっとの耳に口元を寄せた。
「こっそり抜け出して来たんだ。」
 人差し指を唇に当ててにっと笑うその表情は、一国の王子というよりもやんちゃ盛りのいたずらっ子というほうがよっぽど似合っていた。
 もつられてふふっと微笑む。
「あの、あなたのお名前は、もしかして……」
「ああ、グランシェフ王国のリゾットだ。」
 やっぱり。はベンチから降りるとリゾットの足元に深くひざまずいた。
「お声がけ誠に恐れ入ります。」
 それは下の身分の者から高位の者に対する当然の振る舞いだった。
「おい、やめろよ、そんなの。顔上げてよ。」
 が言われた通りにすると、赤い瞳がを見つめていた。
 は自分から言葉を発することもできず、舞踏会場からもれ聞こえるかすかなピアノのメロディだけが、夜の中にこんこんころりと響いていた。リゾットはきまり悪そうに頭をかいていたが、そのうちに「んー」と小さくうなると、ベンチから立ち上がった。
「なあ、オレと踊ってくれない?」
「えっ?」
 リゾットの提案をが理解するまで数秒の間があった。きらめく舞踏会場で、貴族の紳士淑女が手に手を取って体を動かすあの舞を、今、ここで、自分と共に踊らないかと、リゾットが誘っているのだ。
 恥じらいとも歓喜ともつかぬ熱がぽーっと顔に上ってきて、は埋まりそうな勢いで再び頭を下げた。
はただの召し使いです。一国の王子様と一曲を共にするなど、とても……!」
 答えは返ってこなかった。沈黙に耐えきれずが顔を上げてうかがうと、寂しそうなかげりを宿したルビーが二粒、星明りを映していた。思わずどきりとしては息を飲む。
 リゾットはわずかに微笑んで、ひざを折り、手を差しのべた。その瞳の色をさらにくすませるわけにはいかないと思ったから――というのは後付けの言い訳だろうか。気がつけばは、差し出されたその手に、そっと、自分の手を重ねていた。
 夜の中で冷たくなったの手に触れる、なめらかなリゾットの肌。彼の手は温かい。
「リ、リゾット様、、ダンスのお作法なんて何一つ分かりません……。」
 促されるままに立ち上がったところで、は再び赤面した。ああ、とリゾットはこともなげに答えると、の腰に手を回し、
「大丈夫。オレがエスコートするから。」
 の周りをくるりと一回転した。
「ひゃあ!」
 いや、がリゾットの周りを回ったのだろうか? あるいは二人で回ったのかもしれない。
 目をぱちくりさせているを見て、リゾットはくすくす声をたてた。
「はは、ごめん。簡単なのから始めよう。」
 そう言ってと両手をつなぐと、軽く体を揺らしてリズムを取り始めた。とん、とんと決まった間隔で左右に移動するリゾットの足の動きを、も戸惑いつつ真似てみる。
「上手い上手い。」
 ぎこちない動きがかみ合って一緒にリズムを刻み始め、リゾットは声を弾ませる。も照れてはにかんだ。
 会場から聞こえてくる音楽は遠くかすかで、高鳴る心臓の音の邪魔さえしなかった。夜は二人がまとう布地の違いを隠しながらも、少しずつ息の合っていくとリゾットの舞を、星の銀色で優しく照らす。
 それは誰が開催したのでもない、偶然のような、あるいは運命のような、幻想的な舞踏会場だった。
 やがて音楽が終わり、リゾットはの手を取ったままゆっくりと動きを止めた。それから少し見つめ合い、
(やっぱりこんなに綺麗な色のルビーは見たことがない。もしかしたら別の名前の宝石だろうか。)
 がぼんやりとそんなことを思っているうちに、ふいとその視線が離れた。ダンスの終局の儀礼、リゾットが頭を下げてお辞儀をしている。も慌ててワンピースの両すそをつまみ、体を傾けた。貴族たちは確かこんな感じで礼を交わしていたはずだ。するとリゾットがまたくすくすと笑うので、は顔を赤らめた。
「ごめんなさい。おかしかったでしょうか……。」
「いや、そうじゃないんだ。とても楽しかったから。」
 それがうそ偽りない心からの感想であることは、彼の屈託のない笑顔から一目で分かった。
 リゾットは、じゃあオレそろそろ戻らなきゃ、と身をひるがえす。
「きみと踊れて良かった。そうだ、名前は……」
と申します。」
。ありがとう。また一緒に踊ろう!」
 また、だなんて、住む場所も身分も違う二人にそんなことがあるとは夢にも思えなかったけれど。でもそんな二人がこうして出会い、秘密の舞踏会でダンスをしたのだから、ひょっとするともしかすることもあるのかもしれない。
 それは豪奢なドレスも輝くティアラも持っていない者だからこそ夢見ることのできる、胸の奥の大切な箱にしまっておくような、淡雪色の約束だった。
 はくすっと微笑んでリゾットの背中を見送ると、紅に染まった頬を夜風に当てた。


Fin.



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