Christmas Candle










 は夜空を眺めていた。月も星もない、暗い空だった。だが視線を落としたその先の町は、一転して明るい。赤や青やオレンジのライトが楽しそうにまばたきしていた。それもそのはずである。今日は、クリスマスイブの日なのだから。
 は町の中央広場、大きなクリスマスツリーの根元に腰掛けていた。モミの木の周りを囲むようにして積まれたレンガが良い椅子になっていた。
 だが、かといっては誰を待っているわけでもなかった。ここで何かをするわけでもなかった。ただぼんやりと、美しく輝く町のイルミネーションを眺めているだけだった。
 イブの夜にたった一人、こんな所でぼうっとしているなんて淋しいことだが、暗い家の中に一人きりでいるよりはましであった。こうしていると、まだ楽しげな町を眺めていられるのだから。
 は周りを見た。ツリーの下には、ぽつりぽつりとしか人がいなかった。本来ならばここは格好の待ち合わせ場所――とくにカップルの待ち合わせ場所になるはずなのだが、多分、もう皆町に繰り出していってしまったのだろう。広場の時計はすでに十一時を回っていた。
 今ここにいる者も、例えば一人ぽつりと立っている若い男だったり、ようやく相手が来て、もうすぐにでも二人でツリーの下を立ち去ろうとしている者だったり、家に帰る途中でモミの木に飾られた数々の光に思わず魅入ってしまった者だったり、まあそんなところだった。
 いいなあ、なんて思ってしまう自分が悲しくて、ははあっとため息をついた。それは夜の冷たい空気の中で白く凍り、やがて溶けていった。
 町はまるで宝石箱のように美しく、金や銀に輝いていた。は飽きもせず、それらの光を見つめていた。
 冬の夜が冷たくの肌を刺し、彼女は身震いした。もうすぐ真夜中である。家に帰っても良かったが、そうしたらあとはもう寝るだけだった。誰にだって眠れない夜が、ベッドに入るのが惜しい夜があるものだ。の場合、今夜がそうだった。
 は再びはーっと息を吐き、真っ白な霧を作った。ツリーの下の雑踏はもう消えていた。ただそこにいたのは、一人ぼっちのと、そしてもう一人、ぽつりと立っている若い男だけ。
 この人、さっきからずっとここにいるな。
 は思った。永遠に来ない彼女でも待っているのだろうか? 幸せな時間を過ごす男女もいれば、悲しい失恋を味わう若者もいるのが、このツリーの下である。まあ、いろんな事情があるのよね、と、は半ば傍観者的な視点で側の男を眺めていた。
 彼は、綺麗な銀髪の少年だった。春の若草色のバンダナを深くかぶり、先程ののようにじっと輝く町を眺めている。しかしクリスマスツリーの光に照らされたその瞳には、失恋の悲しみなどはみじんも見えなかった。ただその緋色のまなざしに、何か強い思いがうかがえる。少年がここにいる理由は、恋焦がれる若者のものとも、のものとも違うようだった。不思議な少年だった。
 やがて彼は、顔の前に小さく白い霧を作り、よりも少し離れた位置に腰掛けた。はちょっと控えめに隣の彼を観察した。この変わった少年に興味がないわけではなかった。それに、これ以上一人でたたずんでいるのも淋しいものだ。いいや、どうせ彼だって一人きりなんだろうし……。は思い切って、少年に近寄った。
「ねえ。」
 少年の赤い瞳がに向けられた。当然のごとく、不審の色を浮かべている。だが、乗りかかった船だ。は気にもせず言葉を続けた。
「あなたも一人?」
「……まあな。」
も一人なんだ。淋しいよねー、イブの日に一人きりだなんてさ……。」
 ハハ……と、は空笑いをしたが、少年は表情の一つも変えなかった。は小さく咳払いをし、彼の顔をのぞいた。
「ねえ、あなたこんな所で、こんな時間に、一体何してたの?」
「別に何も。ただ……」
 少年は一瞬目を泳がせた。だが、彼は結局その言葉の続きを言おうとはしなかった。代わりに彼はに尋ねる。
「そう言うお前は、こんな所で、こんな時間に何をしていた。」
「お前じゃなくてよ。の名前は
 も……あなたと同じ。別に何かあってここに来たわけじゃないの。なんとなく……よ。
 ね、ところであなたの名前はなんていうの?」
「……答える必要などないだろう。」
「言わない必要だってないじゃない。」
「……。」
 彼はそれ以上言い返す気もなかったようだ。少しの沈黙のあと、
「リゾットだ。」
 とつぶやいた。リゾットか、と、はその名前を繰り返した。
 しばしの沈黙。リゾットと名乗った少年は空を見上げていた。つられても天を仰ぐ。深い深い濃紺の闇がそこには広がっていた。
「……星、見えないね。」
「……そうだな。」
「曇ってるのかな。本当に真っ暗な空……。」
「町が明るすぎるのかもな……。」
 そうだね、とはうなずいた。彼らが口を開くたびに、淡い霧が光の中に踊り、そして闇の中に消えていった。
 そうして彼らは、しばらくずっと並んで腰掛けていた。服を着込んでいるとはいえ、夜の凍てついた空気はじわりじわりと彼らを冷やしていく。それに耐えられなくては何度かマフラーをぐいと引っ張りあげたが、そこを立ち去ることはしなかった。リゾットも同じだった。双方とも、沈黙の中に身をうずめたまま、ゆっくりとその時を過ごしていた。
 は横の少年を見た。人のことを言えた義理ではないが、彼女は見ず知らずの女が話しかけてきても、夜の空気がどれほど冷たくとも、ここを離れようとしない少年のことが気になって仕方がなかった。その好奇心はの中で奮闘していた理性を押し流す。聞いてはいけないと思いつつ、はとうとう彼に尋ねてみた。
「ねえ、リゾット?」
「……なんだ。」
「あなたが今日一人きりなのは、もしかして彼女にフラれちゃったりして?」
 リゾットは一瞬驚いたような表情を浮かべたが、それはすぐに呆れに変わった。どうやらこの質問は大ハズレだったようだ。リゾットはクリスマスツリーの淡い光の下、小さくフン、と答えただけだった。
「そんなことに興味はない。」
「そ、そう……。でも、じゃあどうして一人で?」
「……。」
「今夜を一緒に過ごす人はいないの? ……あっ、別に彼女とかそういうんじゃなくてさ。家族だとか、友達だとか。」
「…………。」
 リゾットは押し黙ったままだった。ルビーの瞳をわずかに伏せ、どこかに思いをはせているようにも見えた。
 は、まずいことを聞いてしまったかな、と思った。浅はかな質問だったかもしれない。彼女は変なことを聞いてしまったことを謝ろうと、口を開きかけた。だがそれよりも早く、リゾットが「オレには……」と続ける。
「オレには……今は、そのような人はいない。」
「今は?」
「かつては、大切な人と一緒にこの夜を過ごしていた。だがその人達は、今は遠く離れた場所にいる。……いや、オレが遠く離れた場所に来てしまったと言った方が正しいかな……。」
「……そう。」
「必ず帰ると、誓ったんだ。」
 リゾットは白く息を吐き、必ずな、と繰り返した。
「じゃあ、その人達は今もリゾットの帰りを待っているんだ。」
「……ああ。」
 リゾットは再び遠方に目をやった。彼の目の前には、美しい光にあふれた町と、漆黒の空が広がっていた。
 ……そうか。彼はさっきからずっとこうして、彼を待つ人のために思いをはせていたのだ。
 が見たリゾットの横顔は、とても淋しげに見えた。
、とか言ったな。」
 急に彼がのほうに目線を移しそう言ったので、彼女は驚いた。慌ててうんとうなずく。
「お前も……一人なのか。」
「ええ……そうよ。さっきも言ったとおり。イブの日に独りぼっちの、カワイソウな女の子。」
 冗談めかしてそう言うと、リゾットは口元に微かな笑いを浮かべた。
 町はまだ明るかった。背中にそびえる大きなモミの木も、今日ばかりは見事な化粧を施され、嬉しそうに輝いている。そんな木の下にたたずむ二人の若い人。どちらも、理由があってここに来たわけではなかった。ただ美しすぎる町のネオンライトに誘われてしまっただけだった。しかしそういった出会いも、またありなのではないかと思う。
「リゾット……。一人きりのクリスマスは、やっぱり寂しい?」
「……かぶりを振れば、嘘をつくことになるのかもな。」
 彼の素直な反応に、は小さくうなずいた。独りぼっちがどんなに辛いかぐらい、彼女だって知っていた。愛する者が側にいない、空白の夜。そんな夜を、彼は一人で過ごそうとしているというのか。
 はそっと、リゾットの方に身を寄せた。それは哀れみとか同情などではなかった。ただリゾットを一人にしておくのが嫌だったから、とでもいう理由が一番近いだろうか。彼は一瞬身じろいだが、をとがめはしなかった。
「リゾット……」
「……。」
「あなたが一人にならないように、今夜だけはが一緒にいてもいい?」
 それは彼のためだけではなかったのかもしれない。独りぼっちのリゾットが壊れてしまわないようにするのと同時に、自身を壊れないようにしていたのかもしれない。
 リゾットは肩が触れ合うくらい、とても近くにいた。周りの空気は凍えるほど冷たかったというのに、は自分の頬がほんのり熱くなるのを感じた。
「バカか。夜風に長く当たると……風邪引くぞ。」
「平気だよ。」
 リゾットと一緒なら。
 が思ったその言葉は音になることなく、白い霧の中に溶けた。リゾットはそれ以上何も言わなかった。ただ少し、頬を赤らめているようにも見えたけれど。
 と、は視界に何か小さくて白いものが現れたのに気づいて、ふと顔を上げた。
「あ。」
 リゾットも顔を上げ、そしてその小さな白い結晶に気づいたようだ。
「雪……か。」
 はそっと手を伸ばし、空から舞い降るそれを捕まえた。だがそれを確認するかしないかのうちに、雪の粒は溶けて消えてしまった。
 夜の中に踊る小さな白い雪たちは、ツリーの光を浴びて美しくきらめいた。
 と突然、その雪に見とれていたたちを、冬の冷たい風が襲う。その風に身を打たれ、は思わずくしゅん、と小さなくしゃみをした。
「さむ……。」
 言って、は身震いした。その直後だった。自分の肩が、何か温かいものに覆われたのを感じたのは。
 リゾットが自分の上着を脱いで、にかぶせたのだった。
「リゾット……。」
「風邪引くって言ってるだろ。」
 彼はそっぽを向き、すねたようにそう言った。照れているのが見え見えだった。そんな彼がどこか可愛くて、可笑しくて、はくくっと笑った。
「優しいんだねー、リゾット。初めて会った女の子にこんなことしてくれるなんて。」
「なっ……! さ、最初に近寄って来たのはお前の方だろう!」
「はいはい、そうでした。……でも、ありがとう。」
 リゾットはまだ照れているのを隠し切れないまま、小さくフン、と答えただけだった。
「だけどこうしちゃったら、リゾットが寒いでしょ。」
「オレは別に……。お前に風邪を引かれたら、オレが困るからな。」
「えっ、それってどういう……」
「オレのせいで風邪を引いたなんて言われたら、後味悪いだろう。」
「……なーんだ、それだけか。」
「なんだ、他に何かあるのか?」
 別にー。と、は白い息を吐いた。その霧の中を、真っ白な雪がゆっくりと舞い降りていった。雪は、リゾットの服の上にも降り積もる。
 彼はああ言ったけれど、真冬の夜に上着なしで寒くないわけがなかった。
 はしばらくリゾットがかぶせてくれた上着の温もりを感じていたが、やがて思いたった。彼女はかぶせてもらった上着の端をつかみ、
「はい!」
 と、その半分をリゾットの肩にかけた。リゾットはかなり驚いた様子でを見た。
「なっ、何を……!」
「こうすれば二人ともあったかいでしょー。」
 確かに二人で一枚の上着を着た彼らの体はぴったりとくっついていて、とても温かかった。リゾットはの厚意をむげに振り払うことも出来なくて、ただただ頬を紅潮させるばかりだった。
「……照れてる? リゾット。」
「照れてなんかいないっ!」
「あはは、素直じゃないんだから。顔、真っ赤だよ?」
 そう言われ、リゾットは何も言い返すことができなかった。はそんな彼を見てくすりと笑った。ただ、そう言う彼女自身も、リゾットとのあまりの距離の近さにドキドキしているということは、内緒だった。
「でもいいでしょ、あったかいから。」
「……。」
だって、リゾットに風邪引かせちゃったら後味悪いんだからね。」
「……。」
「リゾット?」
 彼が黙ったままだったので、はリゾットの顔をのぞきこんだ。彼は赤い瞳にちらりとを映す。
「……なんだ。」
「もしかして、迷惑? ……怒ってる?」
 そう言った彼女の顔に反省の色と、そして寂しさが浮かんでいるのが見えて、リゾットはどきっとした。の問いに、慌てて答える。
「怒ってなどいない! ……温かいさ。……ありがとう。」
「……ほんと?」
 はにこりと微笑んだ。リゾットは火照った頬が夜風に冷まされるのを心地良く感じながら、小さくため息をついた。誰かが隣にいることが、とても温かかった。
 そうして二人は、どちらもそこを立ち去ることなく、ツリーの下に並んで座っていた。イブの夜の町は先程と少しも変わらず、美しい光を放っていた。その光を受けて、舞い降りる雪が静かに輝く。寒さはあまり感じなかった。それはやはり、二人一緒にいたからなのだろうか。
 はふっと、広場の時計を見た。針は今まさに十二時で重なろうとしているところだった。
「リゾット、リゾット!」
 は彼を呼び、時計を指す。リゾットが彼女の指したその先を見たのと、長針がカチリと動いたのは、ほぼ同時だった。二本の針はぴたりと重なり、真夜中を告げる。日付が変わった瞬間だった。
「メリークリスマス。」
 はリゾットにそう言った。
「……メリークリスマス。」
 彼もそう言葉を返した。
 雪がすぐ目の前でちらりと舞い、は少し嬉しそうに笑った。
「ホワイトクリスマスだね。」
「ああ、そうだな。」
「リゾット……」
「ん?」
「……一緒にいてくれて、ありがとう。」
 ヒュウと、夜風が吹きぬけた。冷たいそれは、寄り添う彼らの側をも駆けていく。その空気の冷酷さにぞくりとするかしないかのうちに、は自分の体がぐっとリゾットの方に引き寄せられるのを感じた。リゾットがの体に腕を回し、彼女を抱き寄せたのだった。
「礼を言うのはこちらのほうだ。」
 低く、ポツリとリゾットはつぶやいた。から視線をそらしたままの彼の顔は、恥ずかしさに染まっていた。はそんな彼をちらりと見やり、そして同じように頬を染める。
 なぜならリゾットが、とても優しく、彼女を抱いていたから。
 リゾットは、夜の冷気を避けるための最も適切な策として、そうしただけなのかもしれない。本当はのことなど、なんとも思っていないのかもしれない。しかしいずれにせよ変わらない事実は、寄り添う二人の体が、とても温かかったということ。
 はふっと微笑し、つぶやいた。
たち、さっき会ったばっかりなのにね。」
「フン……。お前が馴れ馴れしく近づいてくるからだ。」
「へえー、人抱き寄せといてよく言うよ。」
「……っ! さ、寒いからだっ。この服の羽織り方だと風が多く入ってくる。」
「ははは、それもそうだねー。」
 言ってはほんの少しだけ、リゾットの方に寄りかかった。独りぼっちじゃないことが、幸せだった。
 彼とずっと一緒にいられるわけはないのだが、それだけ彼の体温が温かかった。
 漆黒の空から、純白の雪が舞い落ちる。冷たい風が空気を裂き、二人の男女はその分だけ身を寄せ合った。町の明かりは、永遠の炎のようにキラキラと輝いていた。
 この温もりを、もう少しだけ。
 は宝石きらめく夜の中に、そっと願った。
 白い雪が彼女の上に落ち、すっと溶けていく。
 クリスマスの夜は、ゆっくりと更けていった。


Fin.



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