星降りの夜










 バジルはまだ帰ってこない。
 は暮れ残る空を見やり、ため息をついた。
 バジルは今、里の外に仕事に出ていた。先日、ある重要筋から里に依頼が入った。極めて危険かつ隠密に行わなければならない仕事で、この里でそれをこなせるのはバジルしかいないと言われた。それでバジルが、任に就いたのだった。
 日没までには戻ると言って出かけたバジルは、まだ帰ってこない。
 はうつむいて、ため息をついた。
「バジルが心配かえ、?」
 話しかけてきたのはグラハム老婆だった。彼女は鬼の一族きっての知恵者で、薬、占い、呪い、予言……様々な知識と知恵で里を支えていた。どこか斜に構えた見方をし、時には人をからかうような発言もする老婆だったが、皆にはグラハム様と呼ばれ、一目置かれて慕われていた。
「ええ、まあ。グラハム様、バジルの武運はいかようですか。」
「ほほ、案ずるな。婆めの占いなど見ずとも、あやつの実力はそなたもよく知っておろう。」
 老婆がニヤリとし、それでも少し笑った。
 ただ、と老婆が言葉をつなぐ。
 黄昏たそがれの空にざわりと寒風が吹き、からすか何かが遠く鳴いた。
「ただ……何ですか?」
 グラハムは目を閉じ、耳をすますように上を向いた。
「黒い影が……あやつに近づいておるのが見える。追手か、卑賤なバンカーか。いずれにせよ、任を終え疲れきり油断した相手ならば、裂くのはいとも簡単であろうな。」
 さっと血の気の引いたの顔を見て、グラハムは満足そうにうなずいた。
「迎えに行っておやり、。それが吉と出ておる。」
 はうなずくと、ぺこりと一礼し、一目散に駆けだした。
 一番星が、薄紫色の空に輝いていた。

 はグラハムの言った黒い影を警戒しつつ道を急いだ。
 程なくして道の向こうに人影を見つけた。
 金色の髪。赤銅の両角。口元を大きく覆う面。
「バジル!」
 バジルは驚いた様子でを見た。彼は大きな怪我もなく、無事のようだった。はひとまず安堵してバジルに駆け寄った。
! どうした、里に何かあったか!?」
 バジルの問いかけに首を振る
「里は何事もないよ。それよりバジルは? 任務は終わったの?」
 里に問題がないことを知り、バジルは少し表情を緩めた。
「ああ。無事に達成した。」
「そう……でも気をつけて。どこかに最後の敵が潜んでるかもしれないから……。」
「最後の敵?」
 きょろきょろと辺りを探るように見回すを、バジルはきょとんとして見つめた。
「グラハム様が言ってたの。バジルに黒い影が近付いてるって。油断したところを襲おうと狙ってるのかもしれないわ。」
 なおも警戒態勢を崩さないを、バジルはしばらく眺めていた。それから不意に、くっと笑った。
「グラハム様にかつがれたな、。」
「へ?」
「黒い影、それはのことだ。」
「ええ!?」
「お前、俺に近付いてきてただろう。」
「そうだけど、でも……」
「大丈夫。任務は完了した。それにもし本当に危機が迫っているなら、グラハム様は以外の者にも助力を促すはずだろう?」
 その通りだった。バジルが危ないと言われ、そこまで考えもせず単身飛び出してきた自分を恥じて、はうつむいた。そんな彼女の顔を、バジルはそっとのぞき込む。
、心配して迎えに来てくれたのか。」
「うん……まあ。」
「ありがとう。」
 バジルが微笑んだ。口元は仮面で見えないけれど、彼の優しい眼差しがそれと分からせた。
 陽はとうに暮れていた。満天の星がきらめく下を、二人は並んでゆっくりと歩いた。
 はバジルをねぎらい、身体を心配した。バジルは、大丈夫だが疲れは少しあるかな、と答えた。
「あと、腹が減った。」
 はくすりと笑った。
「じゃあ、帰ったらおいしいもの作ってあげるね。」
 言っているうちに、二人はもう里のはずれまで戻っていた。早くバジルを休息させ、料理の支度にとりかかろうとは道を急いだが、当のバジルが待ってくれと彼女を呼び止めた。
に渡したい物がある。」
 そう言ってバジルは、首をかしげるの前で、おもむろに何かを取り出した。それは小さな長方形の箱だった。
「開けてみてくれ。」
 はうなずき、箱にかかっているひもをほどいた。
 ほのかな月明かりの下でもなおキラキラと輝く透明な石が、銀色の台座に収まっている。首飾りだった。
「バジル、これ……。」
「金剛という名の石だそうだ。」
「……きれい。」
「今日は外国とつくにの祭の日だと話に聞いてな。そういうものに乗じるのは好むところではないのだが……」
 バジルは、箱の中の美しい石をしげしげと眺めているを、少し見つめた。
「たまには、良いかと思ってな。その、には何かと世話になっていることだし。」
 は石からバジルへ視線を移した。月色の髪に隠れた瞳の奥から、彼はそっとの様子をうかがっていた。平静を装っているが、本当は不安なのだろう。気に入っただろうか、喜んでくれただろうか……夜が辺りを覆ったくらいで、にバジルの気持ちが伝わらないわけがなかった。
 は微笑んだ。
「ありがとう、バジル。とっても嬉しい!」
 バジルはほっと安心した様子だった。
 は、早速身につけてみてもいいかと問うた。するとバジルは、俺がつけてやろうと申し出た。
 彼は箱から銀色の鎖を丁寧に取り出すと、留め金を外した。鎖の端を両手にそれぞれ持ち、の正面に立つ。そして少しだけ前かがみになり、の首の後ろに手を回した。ひやっと冷たいバジルの手がの首筋に触れた。
 それからバジルはゆっくりを眺めた。何も言わなかったが、満足そうだった。彼はの髪を優しくなでた。
「ありがとうバジル……」
 言い終わらないうちに、バジルがを抱きしめた。
 里を出発した時には茜色だった空は、もうすっかり宵色だった。紫紺の空の一面に星がまたたき、まるで金剛石のかけらをばらまいたようだった。バジルの肩ごしにその光を眺め、は酔いしれる。
「早く帰らないとね……。」
 ぼんやりとつぶやくと、バジルも一応うむ……とうなずいた。だが、二人は足をとめたままだった。
 バジルが静かに赤銅の仮面を外した。が見た彼の口元は、やはり優しい笑みを浮かべていた。も微笑んだ。
 そしては、目を閉じた。






Fin.



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