夢色花火










 真っ暗な夜空に、花が咲いた。それは青から黄への美しいグラデーションを描き、大きな音と光と共に、夜を彩った。さらに間を置かず、今度は赤い花が空に咲く。どーんと響く音を耳にしながら、は思わずそれらに見とれてしまった。そしてふっと我に返り、ため息をつく。
 ここはが住んでいる所の隣町で、今日はその町の収穫祭――まあ簡単に言えば秋祭りの日だった。は友人達に誘われてその祭りに遊びに来たのだ。この秋祭り、なかなか大きなイベントらしく、こうして季節はずれの花火まで上がるという盛大ぶりなのだが、それだけに人も多かった。その人ごみのおかげで、は友人とはぐれてしまったのだ。さらに悪いことに、道にも迷ってしまった。みんなを探してあちらこちらへとさまよっているうちに、はどうやら町外れまで来てしまったようだ。ここまで来ると、もう誰の姿も見当たらない。きっとみんなお祭りに行ってしまったのだろう。祭りの明かりが家々の向こう、ずっと遠くに見えた。
 は再びため息をついた。
 今度は紫の花火が空に咲いている。先程からずっと歩き通しで疲労を感じていたは、側を流れる川の土手に腰かけた。土手は緑の草で覆われていたから、座り心地は上々だった。どこかでリー……リー……と鳴いている虫の声に耳をすませながらそうしてぼうっとしていると、なんだかとても気持ちが良い。はしばらくそのまま、空を眺めていた。
 あ、また花火が上がった。
 とその時、はふと背後に人の気配を感じて、くるりと振り返った。はたしてそこには誰かがいた。
 長身の男だった。いや、それは彼が土手の上の方にいたからそう見えただけなのかもしれないが。男は黒いマントに身を包み、空を見上げていた。辺りが暗かったためその表情までは読み取ることはできなかったが、彼の髪の色が美しい金髪だということぐらいは判断できた。
「あの……」
 がそう口を開くと、男が視線をこちらに落としたのが分かった。
「あなたも、花火見物?」
「……。」
 男はちょっと空を見やり、それから再びの方を見た。
「……今晩は妙に明るいと思って、それで来た。」
 くぐもった、低い声だった。もし周りに満ちていたのが虫の声だけでなかったら、きっと聞き取れなかったに違いない。それにしても、変わった返事だった。はちょっとこの男に興味を抱き、立ち上がって男の側に寄った。男は少し戸惑ったようだったが、別にそこを去ることもしなかったし、彼女をとがめようともしなかった。
「ここからじゃ、花火あんまりきれいに見えないよね。会場からずいぶん遠いし。」
 男は答えなかった。
 やはり背の高い男だった。それも、まだ若い。前髪が長く伸び、彼の顔の半分を覆っていた。その上、口には黒味を帯びた赤銅色の、鉄製のマスクを当てていたから、たとえ周りが明るかったとしても、彼の表情はほとんど読むことができないに違いなかった。
「花火、見るの初めてなの?」
 が尋ねると同時に、夜空に黄緑色の花が咲いた。どーんと低い響きを残して、それはすぐに散っていく。
「いや、初めてではない。……いつ見たのかは、思い出せないが……。」
 ふうんと、はうなずいた。そして彼女は彼に、土手に腰かけようか、と促す。男は黙っての方を見たが、さっさと彼女が座り込んだのを見て、半ば仕方なさそうにそれに続いた。
っていうの。あなたは?」
「答える必要などないだろう。」
「……冷たいなあ。女の子にはもっと優しくしようよ。……なーんて、まあ、言いたくないならいいけどさ。」
 今度は赤と黄色の花火が上がった。確かに、ここは会場とは離れていたので、花火にとても迫力があるわけではなかったのだが、それでも綺麗なものはやはり綺麗だった。
 赤と黄色の鱗片が闇に溶けてから、は口を開いた。
「今日はこの町の収穫祭で、それで花火とかが上がってるの。知ってた?」
「初耳だ。」
「へえ……。ここの秋祭りって割と有名なのに……。町にもポスターとか貼ってたよ。前日なんかは皆この日の話題で持ちきりだし。」
「オレはあまり町だとか、人のいるところは好きじゃないからな。」
 そう、とはつぶやいた。再び花火が上がる。はさらに質問をしようとして彼を見た瞬間、出かかった言葉を飲み込んだ。花火の光に照らし出されて、彼のマントのボタンがきらりと光って見えたからだ。それは紛れもなく、バンカーマークをかたどっていた。
 この人、バンカーなんだ。
 一般人であるだって、バンカーマークがどういうものであるか、それをつける者が何と呼ばれているかぐらいは知っていた。
 円の中にバツ印が入った独特のマーク。それは、禁貨と呼ばれる小さなコインを求め、命がけで戦う者――バンカーの証。
「お前は、こんな所で何をしていた。」
「え?」
 ふと男の方から話をふられて、は一瞬返事に詰まった。男はが彼のバンカーマークを見たことに気付いていないのだろうか。顔色一つ変えずに話を続ける。
「お前は行かないのか。その祭りに。」
「え、ええ。ああ、ええと……。」
 は友人とはぐれ、道に迷ってこんな所まで来てしまったことを話した。その間にも花火がいくつか空を舞う。男は一言も口を挟まずに彼女の話を聞いていた。そして彼女が話し終えるとぽつり、
「……方向音痴なんだな、お前。」
「し、失礼なっ! あんまりこっちの方に来ないし、それに歩きっぱなしで疲れてたから、適当に道選んで来ちゃったのよ。それで……。」
「ふ……まあそういうことにしておけ。」
「あー、その言い方なんかムカツクなあー……。」
 その時、また花火が上がった。今度は今までのものより二回りほど小さい白い花火が、幾つも幾つも空に咲いていた。白く輝くそれらを見て、は思わずうわー、綺麗! と声をあげる。そして彼女はちらっと、隣に座っている男を見た。
 彼もまた、天上の白い花火の群れに感嘆しているようだった。じっと空を眺めている。曇り空を思わせる彼のグレーの瞳に、今は花火の光がきらめいて見えた。
「……オレの顔に、何かついているか。」
「えっ!」
 どうやらいつのまにかじっと彼の顔を見つめていたらしい。男に話しかけられてそれに気づいたは思わず頬を赤らめ、あたふたと言葉を続けた。
「い、いや、その……ああ、そろそろあなたの名前、教えてほしいなーなんて……」
「……ふん。そんなに知りたいか……?」
 男は呆れたように小さくため息をつき、に顔を背けたまま、答えた。
「オレの名は、バジルだ。」
「ヘ、へえ……そう。バジルっていうんだ……。」
 しばらく沈黙が続いた。花火がまた、ドン、ドンと上がる。もう打ち上げ花火も終局を迎えているようだった。
「ねえ、バジル……。」
 男は答えない。だがそれは彼なりの返事でもあった。は先を続ける。
「さっき、人のいる所は好きじゃないって言ったよね。」
「ああ。」
「……それなのになんで、今日は人のいそうな場所に近寄ろうとしてたの?」
 バジルは黙ったままだった。
 夜空がふと明るくなり、バジルとを照らした。ひときわ大きな花火が上がったのだった。彼らの見ている前で花火は夕焼け色からヒマワリ色、ヒマワリ色から若草色へとその姿を変え、最後には青白い炎をあげて、すうっと闇に消えていった。
「本当に、今晩は明るいなと思って、それで来ただけ?」
 先程のものとほとんど間髪をいれずに、もう一つ花火が上がった。さらにもう一つ。それらは各々に違うグラデーションを描いて、空に咲く。光より遅れて聞こえてくる低い音は、心地良い響きを残して夜に溶けた。
「オレには…………な……」
 と、バジルが何かを言いかけた。しかしその瞬間、ドドーンと大きな音が辺りを震わせる。今までのどれよりも大きく、どれよりも美しい花火が金色と銀色にきらめき、空を舞ったのだった。
「え?」
 夜空に金銀の光の粒が舞う。だがその光もやがて小さくなり、音の響きも消え、夜は再び、紺碧と静寂に包まれた。
「バジル……何て?」
「……。」
 バジルは、じっと遠くを見つめたままだった。リー……リー……と虫の声が聞こえる。夜空には、もう花火は上がらなかった。ただそこにはまばゆい大きな光の代わりに、小さくて白い星たちの、永遠の輝きがあるだけだった。
「花火……終わったな。」
 バジルがつぶやいた。はまだ少しふに落ちないような表情を浮かべながらも、そうだね、とうなずく。それからしばらく口をつぐんでいた彼女だったが、突然ああっと叫んで立ち上がった。
「いっけない、もうこんな時間! みんな探してるかもしれない!」
「そういえばお前、迷子だったっけな。」
「迷子って言うなー! ……迷子だけど。ああ、どうしたらお祭りに戻れるだろう……。」
 と、バジルもすっと立ち上がり、それから右手で川の下流を指した。ちょうど、花火会場のある方向を。
「川沿いに歩いていけば、あっちまで戻れるだろう。」
「あ……ああ、そっか!」
 はポン、と手を打った。そんな彼女を、バジルは呆れたような顔で眺める。はくるっときびすを返した。
「それじゃあね、バジル。もう帰らなきゃ。」
「あ、ああ……。……。」
 不意にその名を呼ばれて、は踏み出した足に急停止をかけた。振り返ると、バジルは表情が読み取れない瞳を、じっと彼女に向けている。
「オレが今日ここに来た理由は――。……少なくとも、偶然ではない気がする。」
「バジル……。」
 はふっと微笑んだ。だがバジルはそんな彼女の笑みを見るか見ないかのうちに、黒いマントをひるがえして去っていく。
「……バジル!」
 彼は振り返らなかった。しかし、おそらく彼女の声は届いているのだろう。少しだけ、彼が歩みを遅くしたのが分かったから。
「さよなら! またいつかね!」
 やがて金髪の男は、闇の中へと消えていった。彼を見送り、はふうっとため息をつく。
「さて、早くみんなの所に帰らなくちゃ!」
 紺碧の夜空のもと、少女は下流に向かって駆け出した。
 虫たちが相も変わらず、ずっとどこかで静かに音楽を奏で続けていた、そんな夜の、小さな出会いを胸にしまって。


Fin.



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